第27話 メッセージ
家に帰り、晩御飯の片付けが終わったあとだった。
俺は、風呂から上がり、リビングのソファで熱を冷ましていた。スマホでニュースを見ていると、急にラインの通知が入った。
江南 梨沙:なにやってる?
送り主の名前を見て、俺は驚いた。まさかの江南さんだ。登録したとはいえ、本当に送ってくるとは思っていなかった。背もたれに寄りかかっていた体が前のめりになる。
慌てて返す。
大楠 直哉:風呂から出て、涼んでるところ
まだ体が火照っていて、汗が顔や腕から流れている。ぼんやりしながら、スマホの画面を見る。
既読はすぐについた。返信が来る。
江南 梨沙:わたしもお風呂からちょうど出たところ
何気ないやりとり。しかし、これが江南さんとの会話と考えると、すごく不思議に感じられる。
タオルで濡れた頭を拭きながら、俺はなんて返そうか迷っていた。突然すぎて、どう対応すればいいのかわからない。そもそも人とラインすること自体が少ないので、無難な返答というのもわからない。
うだうだしていると、江南さんからつづけてメッセージが届く。
江南 梨沙:勉強はしなくていいの?
一応、心配してくれているらしい。
大楠 直哉:今からするところ
家に帰り次第、勉強ができるわけじゃない。妹と父親のために料理を作り、食後は片付けをしなければならない。洗濯も俺の仕事だ。やらなければならないことがたくさんある。
江南 梨沙:そう
大楠 直哉:江南さんは?
俺は、顔を上げて、窓の外を見る。母親が死んで以来、特に使われていない庭だ。昔は、いくつものプランタが並べられていた。今では、雑草が伸びているだけの殺風景な場所だ。こおろぎの鳴き声がわずかに聞こえてくる。
スマホがわずかに震える。
江南 梨沙:教えない
なんとなく、江南さんらしいなと思った。
大楠 直哉:勉強しなよ
江南 梨沙:なんで?
大楠 直哉:たぶん、そのほうがいい
江南さんなら、少し勉強すればいい成績がとれるようになるだろう。せっかくのポテンシャルを活かさないのはもったいないと思った。
江南 梨沙:ふうん
まあ、そんなこと、俺には関係のないことだけど。
大楠 直哉:中間テストにはちゃんと来るの?
俺の記憶が確かならば、テスト期間中も平気で遅刻していた。受けられなかった分の評価は惨憺たる有様だったろう。
江南 梨沙:行く
それでも、江南さんが留年することは免れないことだと思う。あまりにも遅刻が多すぎた。そういう意味では、今回のテストに真面目になる必要はないのかもしれない。
大楠 直哉:じゃあ、マシな点とれよ
先生のために、ということじゃない。もっと単純に、江南梨沙という人間に興味を覚え始めた自分がいる。未だ、マイナスのイメージを捨てきれていないけれど、少しくらいは頑張ってほしいと素直に思っている。
江南 梨沙:マシな点って?
大楠 直哉:少なくとも赤点は回避しなよ
真面目になったとはいえ、まだせいぜい二日だけだ。そんな付け焼刃で、成績を急上昇させるのは難しいかもしれない。
大楠 直哉:せっかく教えたんだから、それくらいしてくれ
江南 梨沙:まぁ、がんばってみてもいいよ
だが、底辺の成績から脱することくらいはできるかもしれない。今日教えた限り、どうしようもない教科というのは存在しなかった。どの教科も万遍なく弱いが、どの教科もそこまで悪くはなかった。
江南 梨沙:そういえば、あんたって、いつもテスト1位なんだってね
大楠 直哉:そうだ
高校性になってから、一度たりとも1位の座を譲ったことはない。一部の教科で他の人に負けることはあっても、総合点では必ず打ち負かしてきた。
大楠 直哉:よく知ってたな
つい最近まで、俺には1ミリも興味がなかったはずだ。知っているとは思わなかった。
打つと、すぐに返信が来た。
江南 梨沙:最近、西川に聞いた。意外とすごいじゃん
大楠 直哉:それだけの努力はしてるから
江南 梨沙:今のちょっとキモい
大楠 直哉:なんでだよ
まずいな。どこで会話を止めればいいのかがわからない。このままだと際限なくつづいてしまいそうだ。一日、4時間は勉強することにしている。そろそろ始めないと寝る時間が遅くなってしまう。
大楠 直哉:俺、そろそろ勉強したいんだけど
申し訳ない気持ちもあったが、仕方がない。
江南 梨沙:怒った?
「キモい」という言葉を聞いたから、会話を打ち切ろうとしていると思ったのだろう。
大楠 直哉:違う。別に怒ってないよ
紗香には、毎日のように「キモい」と言われている。言われるたびにキレていたら体がもたない。
江南 梨沙:そう。じゃあ、頑張ってね
最後に、一言だけ添える。
大楠 直哉:ああ
既読がつくが、そこから江南さんの返信はなかった。
俺は、スマホをスリープし、ソファから立ち上がる。
時計を見ると、まだ午後8時くらいだった。ここから勉強すれば、日をまたぐころには寝ることができる。
家で勉強をするときには、気合いを入れなければならない。
俺は、顔を両手でたたいてから、自分の部屋まで向かうのだった。
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