第26話 勉強
「ここさ、なんでX=2なのかわからないんだけど」
「ああ。たぶん、その前のところがわかってないんだな」
江南さんのノートを見ると、きれいに板書されていることがわかった。思ったよりも字がきれいだ。丸文字みたいな可愛らしい感じじゃないけれど、勢いがある。
俺が教えると、江南さんはすぐに理解した。たぶん、地頭がいいんだろう。
「なるほどね。ありがと」
「これくらいはお安い御用だ」
いったん、元の場所まで戻る。あんまり隣にいると、周囲からあらぬ誤解を招きそうだ。
英語のリーディングの問題を解く。リーディングは、正確性も大事だがスピードも求められる。必ずしも全部を読む必要はない。問題文をさらっと頭に入れてから、文章を読んでいく。
大問を一つ解いたところで、また声をかけられる。
「またわからないのが出てきた。教えて」
「……はいよ」
江南さんが横にずれるのに合わせて、また江南さんの隣に座る。今度は、さっきよりも少し発展した内容だ。
「どこがわからない?」
「ここなんだけどさ……」
「ああ」
なんとなく、どこでつまずいたのかすぐにわかった。たぶん、過去の俺と同じような考え方をしている。
俺が教えると、すぐにまた江南さんが理解する。やはり、俺の予想は正しかった。
「ありがと」
「おう」
また戻る。英語の問題に意識を向ける。
さらに大問を2つ解いたところで、江南さんから再び「教えてほしい」とお願いされる。そして、それについて教え、席を戻り、訊かれ、教え、戻るを繰り返していく。
何度も席を移動することがバカバカしくなり、途中から江南さんの隣に常駐することにした。何度も教えているうちに思ったのは、やはり江南さんはバカではないということ。意外と基礎がしっかりしているということだった。
数学は、今まで習ってきたことを理解していないと解けないものも多い。しかし、江南さんは中学レベルの数学はしっかりマスターしているようだった。だから、俺が教えることをすんなり理解するのだとだんだんわかってきた。
先生も言っていた。二年生になってから、遅刻するようになったと。であれば、そのまえはまじめに勉強していて、テストの成績もよかったのではないか。
勉強をする習慣がなかった人と習慣があった人では、覚える速さが違うと思う。習慣がなかった人は、そもそも勉強のやりかたをわかっていない。そのせいで、無意味にノートに凝ったり、教科書にマーカーをいっぱい引いたりする。
江南さんは、そうじゃない。教科書の太字だけを重視するようなことはなく、ちゃんと流れを理解しようとしている。そのうえで要点をおさえて勉強を進めている。
「――え、ねえ、聞いてる?」
そこまで考えたところで、江南さんが声を上げていることに気が付いた。どうしたの、とあわてて尋ねる。
「ドリンクバー行きたいんだけど、どいてくれないと通れない」
「ああ、すまん。俺も行こうとしてたから、一緒に汲んでくるよ」
「さっきと同じでいい」
「オーケー」
ドリンクをとって、テーブルのうえに置く。気づけば、すでに勉強を開始してから一時間以上経過していた。
だんだんと、江南さんの隣に座ることに抵抗がなくなってきた。図書館で勉強していても、誰かが隣に座ることは当然ある。その感覚に近かった。
「あんたって、教えるの上手いんだね」
江南さんが、顔を上げてこっちを見ていた。前のめりになり、頬杖をついている。
「そんなことないよ」
「そんなことある」
結構、顔が近い。体を反対側に傾ける。
「江南さんって、もしかして昔は勉強できた?」
気になったことを訊いてみる。江南さんは、んー、と困ったような顔をする。
「そんなことないけど。でも、今のほうが成績落ちてるのは確か」
曖昧な返答だなと思った。本当は、上位の成績だったんじゃないかという気がした。
いったん、会話が止まる。メロンソーダを口に運ぶ。英語の勉強が一段落したので、少し休憩したい。コップをテーブルに置いて、一息つく。
「ねえ」
同じようにアイスコーヒーを飲んだあと、江南さんが言った。
「ラインのID教えてよ」
「え?」
急だったので驚く。まさか、そんなことを言われるなんて思っていなかった。
「別にいいけど、なんで?」
「こういうのになんでも何もないでしょ」
江南さんがスマホを取り出す。そして、QRコードを表示して俺に差し出す。
俺も、スマホをポケットから出して、ラインを開く。QRコードにカメラを向け、江南さんのアカウントを登録する。
「こっちも追加できた」
江南さんのアイコンは、どこかの田舎の写真だった。空と緑がきれいだった。
「あんたのは、富士山かどっかで撮った写真?」
「そうだ」
4年くらいまえに設定してから特に変更していない。
「江南さんのは?」
その質問に、江南さんが困ったような顔をする。
「たぶん、言ってもわからないと思うよ」
「そうか」
なんだか、不思議な気分だ。まさか、江南さんとラインのIDを交換する日が来るとは思っていなかった。
「もうちょっと勉強していくか?」
江南さんがうなずく。
「そうだね」
結局、俺たちは、17時くらいまで一緒に勉強したのだった。
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