第25話 寄り道

 坂を二人で下っていく。


 昨日よりも、気まずい空気はなかった。たかが二回目だが、恐ろしいことに慣れ始めている自分がいた。江南さんの人間性を全く分かっていなかったときに比べ、少し親しみやすさを感じている。


「寄り道するけどいい?」


 急に江南さんがそう訊いてきた。おそらく、俺も付き合えという意味だろう。


「どこに? あんまり遅くなるのは嫌だ」

「そんなに時間はかけないから」

「……いや、だからどこに行くの?」


 江南さんは答えない。そのままどんどん前へと歩く。しかもペースが速い。あっという間に坂を過ぎ、T字路に差し掛かる。そして、江南さんはT字路を駅のほうへと進んだ。


「そっちなんだ」

「そう」


 てっきり、反対側かと思った。まさか、電車に乗ってどこかに行くというのだろうか。


 しかし、そんな懸念に反して、踏切を通り抜けて駅の反対側へと向かう。そのとき、俺のなかにひとつの予想が生まれた。


 ――まさかな。


 つい最近通ったばかりの道をなぞっていくと、やがてつい最近訪れた場所が目の前に現れた。


「ここかよ」


 そこは、先週、勉強会をしようとしたファミレスだった。


「ほら、早く行こ」

「いやいや。あんまり遅くなるのは嫌だって言ったよね」

「大丈夫」


 なにが大丈夫なのかわからないが、江南さんは勝手に中に入ってしまう。ちょっと待ってくれよと思う。ため息をついて、俺もあとにつづく。

 店員に案内されて、4人掛けの席に腰を下ろした。俺は、低い声で言う。


「別に腹減ってないんだけど」

「……ドリンクバーでいいね」


 呼び鈴を押して、江南さんがさっさと2人分を注文してしまう。俺はあきらめることにした。江南さんご所望のアイスコーヒーと、自分用のメロンソーダをとってくる。


「気が利くね」


 いつものくせだった。紗香や父親の茶碗が空になるとよそい、飲み物が空になっていると注いであげていた。


「ここに来るってことは話があるってこと?」


 持ってきた飲み物をテーブルのうえに置き、椅子に座ってからそう尋ねた。江南さんも食べ物を注文していない。であれば、落ち着いて座れる場所が欲しかったのだろうと思った。


「違うよ」

「じゃあ、なに?」


 一口飲み物を飲んだあと、江南さんが自分の鞄のなかをまさぐる。まずはペンケースを取り出す。次に、教科書を置く。最後に、ノートを広げた。そして言った。


「できなかった勉強会のつづき、しようと思った」

「……勉強会?」

「そう。あんたたちが、本当はやろうとしていたこと。勉強、教えてよ」

「マジで?」


 まさか、昨日からそれが目的だったんだろうか。一度断ってしまったけど、あとで申し訳なくなって、俺に接近した、とか……。


「てか、そんなに時間はかからないって言わなかった?」

「……どうせ、勉強したいから早く帰りたいんでしょ。勉強をするまで、そんなに時間はかかってないから問題ない」

「なんて屁理屈……」


 だが、言われたことは事実だった。まぁ、勉強が目的ならいいだろう。俺も、自分の鞄から勉強道具を取り出してテーブルのうえに並べる。


 ふと、江南さんのほうを見ると、どうやら数学の教科書を開いているようだった。俺の腕をぽんぽんして、言う。


「いきなりで悪いんだけど、ここ教えてよ」

「ん?」


 指さされたのは、以前に江南さんが授業中に答えた単元のところだった。基礎問題のところだけ、テスト範囲に入っている。


「ああ、えーとどう教えたらいいかな」

「こっち来なよ」


 そう言って、江南さんが横にずれる。とんとんと空いたスペースを叩いた。


「え?」

「反対側だと教えづらいでしょ」

「まぁ」


 平静を装いつつ、俺は内心戸惑っていた。俺の嫌いな不良とはいえ、江南さんは美人だ。そんな人のすぐ隣で、肩を並べて勉強を教える? 無理だと思った。


「いや、でもこっちで大丈夫だよ」

「ふぅ~ん」


 すごく含みを持たせた「ふぅ~ん」だった。


「……もしかして、童貞?」


 俺は、持ったコップを落としそうになった。

 急に言われて驚いてしまう。もしかして、バカにされた?


「そういう問題じゃない。わざわざそっちに行く必要がないってだけだ」

「でも、結局童貞なんでしょ」

「そんなことない」


 面倒くさいからその話題を終わらせようとする。でも、江南さんは無表情でじーっと俺の顔を見つめる。正直、うっとうしい。


「クス」


 その笑い声には聞き覚えがあった。江南さんが、また笑っている。


「顔、少し赤くなってる」

「……」


 嘘だと思った。どうせ、からかって遊んでいるだけだ。


「いいよ。それなら、童貞じゃないってことにしてあげる」

「うるさいな」


 普段なら、言わないような乱暴な言葉も出てしまう。なんで、俺は江南さんが相手だと調子が狂うんだろう。いつもであれば、俺がからかわれることなんてない。顔が赤くなったと笑われることもない。


「もう一度言うけど、こっちに来なよ。こっちじゃないと教えてもらう方もやりづらいから」


 断るとまたいろいろ言われそうだ。


「わかったよ」


 俺は、メロンソーダを持って、江南さんの隣に座る。顔の左側が熱く感じる。童貞なのは事実だった。誰かと付き合ったことなんて一度もない。藤咲相手ならさして緊張しないのに、なんでこんなに緊張してしまうんだろう。

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