第24話 二回目
――平穏だ。
俺は、今日の最後の授業を聞きながらそう思っていた。消しゴムを左手でいじり、淡々と授業を進める現代文の先生を見る。年老いた先生で、声に抑揚がない。あまりやる気のない生徒は、すでに深い眠りについている。
板書を写していたペンの動きを止め、今日のことを振り返る。
まず、今日は担任の城山先生の授業がなかった。だから、江南さんを狙って指すようなことはなかった。また、昼休みには昨日と同じように齋藤や進藤と弁当を食べていたが、特に江南さんに話しかけられることはなかった。
そして今。
あと3分くらいで授業が終わる。そして、授業が終われば放課後だ。テスト一週間前ということで、ほとんどの部活が休止する。あとは帰るだけだ。
長針がゆっくりと一番上に近づいていき、12の文字と重なった瞬間にチャイムの音が鳴り響いた。教室の空気が一気に弛緩する。号令がかかり、すぐに授業が終了した。
よかったと思う。昨日のような濃さが毎日つづくとさすがにしんどい。
「やっと授業が終わったぜ! じゃあな、大楠」
なぜか、齋藤と進藤は、俺を置いて教室を出て行こうとしていた。いつも一緒に帰っているにもかかわらずだ。
「おい、ちょっと待て」
「え?」
齋藤が驚いた顔をしている。
「なんで今日に限って、俺を放置するんだ」
「え? いや、だって。なぁ……」
進藤と顔を見合わせている。そして、その視線はやがて教室の後方へと向かっていた。
そこにいるのは当然江南さんだ。江南さんは、さっさと教科書を片付け、教室から出て行こうとしていた。
「俺たちは邪魔だろ?」
「は?」
「昨日、なぜか一緒に帰ったんだろ。どういう事情かは知らないけど、まあがんばれよ」
「待て待て待て」
あわてて二人のもとまで走る。そして、二人の肩をつかんで小声で言う。
「俺を見捨てる気か。だいたい、今日は江南さんにほとんど絡まれていなかっただろ。昨日はたまたまだ。一緒に帰る予定なんかない」
「うーむ」
どう思う? と齋藤が進藤に訊く。進藤は、さぁ、と肩をすくめた。
「いやいやいや。俺たち友達だろ? それはいくらなんでも冷たすぎるんじゃないか」
「じゃあ、こうしよう」
俺の手をのけながら、進藤が言う。
「とりあえず、正門まで行こう。そして、もしも昨日と同じように江南さんがいたらさっさと俺たちは行く。もしもいなかったら普通に帰ろう」
「いるわけないと思うんだがなぁ」
すでに、江南さんの姿は教室にない。さっさと帰ったに決まっている。
「ほんとか?」
「そうに決まってる。まさか二日連続で待ち伏せされるなんてことあるはずがない」
「たしかに普通に考えるとそうだよな」
そうだ。そんなことあるはずがない。
俺たちは、並んで正門の前に向かう。
「……」
正門の近くまで来た俺は、その光景を見て、自分の目を疑った。おかしい。そんなわけはない。平穏な日常を取り戻したと思ったばかりだ。
まぶたをこする。しかし、俺の視界に変化はない。
江南さんが、昨日と同じように立っていた。腕を組み、退屈そうに空を見上げている。
まぁ、待て。だからと言って、俺を待っているとは限らない。むしろ、そうじゃない可能性のほうが高い。西川と待ち合わせでもしているんだろう。そうに違いない。
江南さんは、校内の有名人だ。昨日と違って人が多いため、かなり注目を集めている。
「大楠。あきらめて、二人で一緒に帰ったらいいんじゃないか」
進藤がどうでもよさそうに言う。
「ハハハハ。まさか俺を待っているわけない」
これだけ人が多いんだ。もし俺を待っていたとしても、集団に紛れればバレずに正門を抜けられるかもしれない。なるべく江南さんのほうを見ないようにしながら、歩みを進めていく。
俺の不安とは裏腹に、正門を抜けることに成功する。なんだ。やっぱり、俺を待っていたわけではなかったのか。
大きく息を吐いたとき、ぽんぽんと肩を叩かれる。
後ろを見ると、そこには江南さんがいた。
「いたいた。一緒に帰ろ」
俺は頭を抱えたくなった。嘘だろ。
さらに、周囲がざわっとしたのがわかる。あの江南さんが、男子生徒のもとに駆け寄っていったのだ。ある意味、革命的な出来事だ。
好奇の視線が俺にも突き刺さる。正直、めちゃくちゃ恥ずかしい。
逃げたい気持ちでいっぱいだが、人が多すぎて走れそうもない。それに、走って逃げたらさすがにかわいそうな気がする。仕方なく、俺は言葉を返すことにした。
「なぜ?」
昨日と変わらない質問。そして、江南さんは変わらない答えを返してきた。
「面白そうだから」
いつのまにか、進藤も齋藤もいなくなっていた。さっさと逃げたらしい。
おそらく、周囲に俺たちの会話までは聞こえていないだろう。しかし、江南さんが明らかに俺を待っていて、追いかけるように話しかけた。それにみんなびっくりしている。
「ほら、行こ」
江南さんは、俺の返事も待たずに歩き出す。
今さらここで無視して一人で帰ろうとしても意味がない。仕方なく、俺は江南さんの後をついていくことにした。
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