第21話 笑顔

 そのとき、思った。江南さんもたぶん俺と同じなのだと。俺が何を話せばいいか分かっていないように、江南さんもわかっていない。

 だったら、なぜ、一緒に帰ろうとするのか謎だが、試行錯誤しているのは間違いないようだ。距離感を測りかねている感じがすごくする。


 俺は、江南さんの左腕に水色のブレスレットがつけられていることに気づいた。派手な装飾はなく、細かなチェーンでつなげられた簡易的なものだ。あまり高くはなさそうに見える。そんなものをつけていることが意外だった。


「江南さん、そのブレスレットいつもつけていたっけ?」


 ファミレスで見かけたときには気づかなかった。江南さんは、「ああ」と思い出したように自分の左腕を見る。


「そうだね。いつもつけてる」

「誰かにもらったの?」

「……まぁ」


 江南さんは、見た目がクールなイメージだ。水色のかわいいブレスレットをつけるタイプには見えなかった。だから、誰かにプレゼントしてもらったんじゃないかと思った。


「そうなんだ。彼氏とかから?」

「いや、父親から」


 これまた、意外だなと思った。実は、父親と仲がいいのだろうか。あんまり、父親と仲睦まじく話している姿を想像できない。父親からアクセサリーをもらって、それを毎日つけるなんて珍しいような気がした。


「江南さんの家って、家族みんな仲がいいの?」

「……なんでそう思ったの?」

「いや、だって、さっきの話聞いたらそう思うよ」

「そう……」


 あんまり触れてはいけない内容だっただろうか。そういえば、城山先生も「江南さんの家庭事情にはいろいろある」というようなことを言っていた。江南さんの顔が露骨に曇るのがわかった。機嫌が悪くなったようには見えないが、単純に落ち込んでいる。


「あんたのところはどうなの?」


 今度は、俺に話が振られる。一瞬、言葉に詰まってしまったが、すぐに答える。


「妹が一人いて、うちの学校に通ってる。バカみたいな話も一緒にするし、自分としては、仲がいいほうだって思ってる」

「……親は?」


 あえて話を避けていたが、やはりそう訊いてくるか。仕方ない。そう思って、素直に答えることにする。


「うちの父親は全然厳格じゃなくて、もはや友達みたいな感覚だな。一緒にカラオケ行ったり、登山に行ったりするときもある」

「そうなんだ。母親は?」


 おそらく、江南さんには何の悪意もない。ただ、露骨に俺が話題から避けているからつい訊いてしまったのだろう。


「……もういない」


 その言葉だけで、江南さんも理解したようだった。気まずそうな顔をして、「そう」と小さく返すだけだった。


「あんまり気にしないでくれ。俺にとっては過去のことだ」


 母さんが旅立ったのは、今から4年前のことだ。少しずつではあるが、母さんのことを思い出す機会は減ってきている。


「昼休みのときに、料理することが多いって言っただろ。あれは、母さんがいなくなってからなんだ。親父も妹も全然料理ができないからな。一番マシな俺が毎日料理を作ることになったんだ」


 べらべらしゃべりすぎだなと自分でも思う。なぜか江南さんには教えておいた方がいいような気がしていた。


「というわけだ、俺の家庭事情は。母さんはいないけど、平和だよ」

「それならよかった」


 たぶん、江南さんの家庭はあんまり平和じゃないんだろう。ただ、家族のことはきっと大事に思っているんだろう。でなければ、父親からもらったブレスレットを嵌めたりしない。


「江南さんの事情はわからないけど、これからは学校に時間通りに来て、授業も真面目に受ける予定なの?」


 ずっと気になっていたことだった。一応、先生から依頼を受領した立場である以上、どんな形であれ達成できたのかどうか知りたいと思った。


「そうだね、そのつもり」


 怪我の功名とでも言うべきか。俺の失態が、最終的に結果に結びついてくれたのであればよかった。


「やっぱり、先生なんだ」


 急に江南さんに言われて、どきっとする。ふと、その顔を見る。


 江南さんは、唇を横いっぱいに広げて、いたずらっぽい表情をしていた。


「バレバレだよ。西川も藤咲も演技下手糞。しかも、委員長二人がいるって出来すぎだよね。一緒に勉強しようっていう流れがあまりにもスムーズだったから、さすがのわたしも怪しいと思ったよ」

「……」


 確かに、お粗末な作戦ではあったかもしれない。だが、こんなにあっさり見破られるとは思っていなかった。


 まずいな。せっかく真面目に授業を受けるって言っているのに、ここでバレたら翻される可能性がある。どうしよう。とにかく、そんなことはないと言い張るべきか。

 そんなことを考えているときだった。


 ――クス


 声が聞こえた。小さな笑い声。


 すぐには、何が起こっているか理解できなかった。


 江南さんが、口に手を当てて、おかしそうに笑っていた。授業中に見せた、得意そうな笑みとも違った、もっと純粋な笑い顔だった。


 ――え?


 俺は、信じられないものを見たような気がした。


 江南さんが笑っている?


「あんたって、結構、顔に出やすいんだ」


 自分の顔に手を当てる。今、俺はどんな表情をしていただろう。

 もっと冷徹な人だと思っていた。楽しそうに笑っている顔なんて、西川といるときでも見たことがない。


 悔しいが、少しだけ、可愛いと思っている自分がいた。


「先生に頼まれたのだとしても、わたし、別に怒ったりしないよ。結果的に、あんたっていう面白い人のことを知れたわけだから」


 落ち着け。こいつは、ただの不良だ。俺の嫌いな不良だ。


 いつも笑顔を見せない人が、たまたまそれを見せただけ。捨て猫を不良が拾うとすごくいい人に見えるように、笑顔を見せない人がそれを見せるとよく見えてしまうだけ。


 江南さんは、先生に頼まれて説教を垂れた俺に、意趣返しをしているだけだ。

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