3. 江南さんとの交流
第20話 下り坂
嫌な予感が当たってしまった。
江南さんは、俺を見るなりスマホをしまい、ゆっくりとした足取りで俺たちに近づいてきた。動けない。足が、縫い付けられたように固まっている。ただ、一歩一歩歩み寄ってくる江南さんの姿を見て、どうしようどうしようと考えることしかできない。
俺のすぐ近くまで来たところで、ぴたりと止まる。
静かだった。さっきまで聞こえていた運動部の声が聞こえなくなる。
「思ったよりも遅かったね」
その言葉は、俺に向けられた言葉だった。齋藤や進藤には見向きもせず、その目はまっすぐに俺の顔に注がれている。
「……江南、さん……?」
「……動揺しすぎじゃない?」
ブレザーのネクタイが、いつもよりもきつく感じられる。
反面、齋藤と進藤は、自分たちが標的でないことに安心したようだった。露骨にほっと息を吐いている。
懸命に声を絞り出す。
「なん、か、用?」
「用というか。ただ、一緒に帰ろうと思っただけ」
「な、ぜ……?」
「面白そうだから」
やはり、あのときの「あとでね」は、このことを指していたのだ。俺の「やらかし」が江南さんに対してどのように作用したのかはわからないが、俺に対して謎の興味を抱かせてしまったのは間違いないようだ。
「じゃ、じゃあ俺たちはこれで……」
齋藤と進藤がそのまますたこら退散する。おい。
しかし、俺の非難がましい視線など気にもせず、二人はそのまま正門から外に出て行ってしまった。江南さんも、齋藤と進藤がいなくなったことをちらりと横目で確認するくらいで、あまり気にも留めていなかった。
このまま、俺も退散したいが……
「面白そう、って?」
目の前の人を無視して通り過ぎることはできない。
「そのままの意味」
「……いつから待っていたの?」
確か、江南さんは部活に入っていなかったはずだ。だから、授業が終わる3時くらいに帰っていなければおかしい。
「一時間くらい」
部活があると聞いていたから、すぐには出てこないと思ったのだろう。しかし、あの江南さんが、正門の前にずっと張り付いていたと考えるだけで恐ろしい。
「一時間も? なぜ……?」
「さっきも言ったでしょ。面白そうだから」
とりあえず、俺にわかることは、今のままではまずいということだ。本当に江南さんは俺に興味を持ち始めたらしい。朝の挨拶も、授業中の目配せも、昼休みの会話も、すべてがその興味に突き動かされてのものなのだろう。
俺は、ため息をつく。
「……先週、俺が言ったことは忘れてくれないか。なんとなく、あれが原因だということはわかるんだけど、こっちは本当に申し訳ないと思ってるし……」
「昼休みのとき、気にしてないって言わなかった?」
「そうだけど」
気にしていないわけがないんだ。それ以外に、俺への印象が変わるきっかけなんて思いつかない。
どうすればいいのだろう。江南さんには、早々にこの場から立ち去っていただきたい。でも、一時間も待っていた相手に対して、すぐに会話を切り上げるのも申し訳ない気がしてくる。
今は、正門前に人が少ないのが幸いだ。中途半端な時間のおかげで、帰宅部はすでに学校を出ているし、部活をしているやつはまだ学校に残っている。
「家はどっちなの?」
反対側でありますように、という俺のひそやかな願いは打ち砕かれる。
「こっち」
指さされたのは、俺と同じ下り坂のほうだった。
江南さんの顔には、気負ったところなどない。昔から知っている知り合いに声をかけているときみたいな、さりげない様子だ。
とりあえず、諦めるしかないか。残念ながら、江南さんをほっぽり出して一人で帰る勇気は俺にはない。目的が何であれ、ひとまず江南さんの意向に従おう。
正門を抜け、下り坂を二人で歩いていく。
当然ながら、何を話せばいいのかさっぱりわからない。もともと、江南さんと全く接点のなかった人間だ。江南さんがどういうものが好きで、どういうことを考えて生きているのか全く知らない。それなのに、急に二人きりになって会話なんてできるわけがない。
自分から一緒に帰ろうと言ったくせに、江南さんはなかなか口を開こうとしなかった。気まずい空気だった。
あと少しで、坂を下りきるというところで、江南さんがようやく言った。
「学校は楽しいと思う?」
意図がよくわからない。しかし、沈黙が破られたことに少し安心した。
「楽しいか楽しくないかで言えば、楽しいと思う。クラスの雰囲気も好きだし」
「そう」
が、また沈黙。江南さんは質問してくるくせに、答えても反応が鈍い。
「江南さんは、あんまり楽しくない?」
遅刻ばかりしているのだから、楽しいと思っていないんじゃないかと思う。
「……別に」
その「別に」が、プラスの意味なのかマイナスの意味なのかが分からない。
江南さんがまた尋ねてくる。
「勉強は楽しい?」
「別に……」
なんとなく、俺も同じ言葉を返す。正直なところ、俺は勉強が好きなわけではない。勉強をしているのが一番楽だからやっているだけにすぎない。
しかし、そんなことをうまく伝えられる自信もない。だからこその「別に」だった。
「ふ~ん」
江南さんは、変わらずいい加減な相槌を打っている。
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