第15話 説教

 俺の態度の変化に、西川と藤咲が驚いている。しかし、もう止めることはできなかった。


「いつまでもそうやって、人の好意に甘えて生きていくのか?」


 こんなこと、俺に言う権利はない。もちろん、義務もない。ただ、自分の感情に乗せられるがまま吐き出している勝手な言葉に過ぎない。


「ど、どうした? なおっち……」

「大楠君?」


 戸惑うような声は、すべて俺の頭の中に広がる白い靄に打ち消されていく。自分でもまずいと思っていた。それでも、俺は言わなくてはならないという強迫観念に駆られ、口を動かしつづけた。


「今は、それでいいかもしれない。たとえ、誰かが他人に迷惑をかけていたとしても、心の中の不満が免罪符となって、問題ないような気がするんだろうな。他人の思惑通りに行動するのが嫌で嫌で仕方がないから、ちょっと反抗してみたいんだ。反抗しても何も生まないとしても、そこに意味があるように思えてくる」


 ああ、バカみたいだ。今こんなところで、こんなことを言って何になる。西川や藤咲の顔を見ろ。困惑しているじゃないか。そんな心の声がいくら胸の内を駆け巡ろうとも、俺の中にあるふつふつと煮えたぎるものは消えない。


「江南さん、あんたがなにに不満を抱いているのかなんて知らない。知ろうとも思わない。きっと江南さんにもいろいろあるんだと思う。それはわかる。だけど、いつまでそんなことやってるつもりなんだ。学校には真面目に登校せず、真面目に授業を聞かず、誰かが話しかけてもうっとうしそうに無視して、それでも周りは放っておかないから気分はいいんだろうな」


 俺の言葉に対し、江南さんは無反応を貫いている。でも、確実に聞こえているはずだ。俺は構わずしゃべりつづけた。


「いいよな。やめられないよな。そうやって、態度を悪くして存在感を出しつづけていれば、誰かが気にしてくれる。今の俺たちみたいに、媚びへつらって一緒に勉強してくれと頼んでくるやつもいる。西川みたいに、毎回毎回話しかけて機嫌を取ってくれるやつもいる。先生みたいに、辛抱強く叱りつづけてくれるやつもいる。みんな心配してくれる」


 自分の周囲から音が消えてしまったみたいに、自分の声だけが鮮明に耳に入り込んでくる。視界が狭まっていく。人間の視界が120度あるなんて嘘だ。今の俺には、目の前の江南さんしか見えていなかった。


 一言でいえば、これはやつあたり。

 かつての自分に、届けられなかった言葉を、ちょうどいい相手に吐きだしているだけだ。


「本当に自分のことを大切にしてくれる人。本当に自分にとって大切な人。たかが自分の不満のために、そんな人たちをおろそかにしていると、いつか必ず――」


 唇が渇く。のどの奥でつかえた、大きなものがゆっくりとこぼれていく。


「必ず、後悔するぞ――」


 その言葉を出した瞬間、胸のなかにわだかまっていたものが薄まり、脳内を支配する白い靄が晴れたような気がした。

 狭まっていた視界が広がり、耳が急に周囲の喧騒を拾い出す。そして、自分が置かれている状況について改めて認識する。


 ここはファミレス。藤咲と二人で江南さんに話しかけている。西川はその援護をし、江南さんは無視している。そんな状況。


 俺の顔から血が引いていくのがわかる。やってしまった。俺は何を熱くなって、何の権利があって説教しているんだろう。まずい。しかも相手はあの江南さんだ。


 額に汗をかきながら、江南さんを見る。


 見向きもしていなかった江南さんが、俺のほうを向いていた。その顔にはどのような感情が浮かんでいるのかわからない。ただ、目を見開き、新種の生物でも見るみたいな物珍しげな顔をして、俺の顔をまじまじと見つめていた。


 やばい。

 藤咲と西川は、ぽかんと口を開けていた。明らかにドン引きされている。こいつは、何を言ってるんだ、急にどうしたんだと目が訴えているように思えた。

 しばらく、沈黙が俺たちの間を漂っていた。凍りついた空気を破ったのは、やはり西川だった。


「ま、まぁ、そこらへんは、ね。梨沙ちゃんだってわかってると思うし」


 ね、と西川は江南さんに言うが、それに対して誰も答えない。江南さんも、特に何も言わなかった。


 もはや、4人で勉強をしようなんて雰囲気ではなかった。おそらく、江南さんはぶちギレているだろう。そりゃそうだ。ほとんど話したこともないクラスメイトに、わかったようなことを言われて、「後悔するぞ」とまで言われたんだ。俺が江南さんの立場だったら、絶許リストに名前を追加して、今後の関係にも間違いなくひきずることだろう。


 いたたまれなくなった俺は、「ごめん」とだけ言って、自分の席に引き返す。そして、勉強道具を鞄のなかに突っ込んで、千円札だけテーブルのうえに置き、そのままその場をあとにした。


 ファミレスを出て、駆け足で遠くへと離れていく。


 逃げ出しても仕方がないのもわかっていた。だけど足は止まらなかった。


 後ろを振り返り、誰もついてきていないのを確認してから、歩道に立つ街路樹によりかかり、大きく息を吐いた。


 失敗した。今まで、こんなふうに自分の感情を制御しきれないことはなかった。いや、まったくなかったわけではないが、まったく関係のない人たちに、こんな醜い感情をさらけだしてしまうなんて初めてだった。

 落ち着け。とにかく、今日の失敗は明日以降、取り返さなければ。


 胸の鼓動が収まるまで、しばらくその場に立ち尽くした。

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