第14話 衝動
江南さんは、俺たちのほうを見向きもしない。あのあと、決めたことが一つだけある。それは、予め俺たち4人で勉強することになっていたと、江南さんに悟られないようにしようということ。要するに、偶然俺たちに会ったので、一緒に勉強しようという流れにする。
西川が、こっそり俺たちの居場所を見つけたようで、一瞬だけ目が合った。
江南さんと西川は、店員に案内されて、俺たちから少し離れた2人掛けの席に座った。
まだ、俺たちは、二人に気づかないフリをしなければならない。視線を2人から外して、自分の手元にある勉強道具に落とす。教科書を見て、何かを書こうとするが手が進まない。例題を見て、考えようとするが頭に入らない。俺はいったいどうしてしまったのだろうか。
ちらりと二人の姿を見る。俺たちのほうを見向きもせず、雑談に興じているようだった。ただし、主に話しているのは西川で、江南さんはときおり言葉を返す程度だ。笑うことも、怒ることもなく、淡々と話を聞いているだけだ。
バレないように、すぐに視線を外す。
目の前の藤咲は、勉強に集中していた。ペンがよく動いている。ドリンクバーから持ってきたカプチーノにもほとんど口をつけていない。
それにひきかえ、俺ののどは渇いてばかりで、メロンソーダがほとんど底をつきかけている。別に、江南さんと話すことに緊張しているわけではない。今日は、ずっと調子がおかしかった。
あの悪夢は、俺を心の底から寒からしめていた。
――そろそろか。
西川が俺に話しかけるタイミングは、10分程度間をおいてからという話だった。視界の隅で、西川が立ち上がったのがわかる。俺は、気づいていないフリをして、再びペンを握る。
ぴたり、とその足音が止まる。
そこで初めて気づいたというように、顔を上げて西川を見た。
「あっ、奇遇じゃぁ~ん! いいんちょたちがいる~」
やたら声が大きい。全然関係のない客まで反応していた。
しかし、すぐに俺は声を出せなかった。藤咲がニコッと笑う。
「あれ? 西川さん……。こんなところで会うなんて奇遇だね」
……少々棒読みだったことが気になるが、代わりに返答してくれて助かった。
「そうだねーって、いいんちょたちも勉強してるの? さっすが~。ドリンクバー頼んでやる気満々じゃん」
「ごはん食べに来たわけじゃないから。西川さんたちは?」
「それがねー。実はわたしたちも勉強してるんだよね」
「わたしたち?」
あくまで江南さん用の演技なので、そこまで綿密にやる必要はないんじゃないかと思った。おそらく、この会話は江南さんまで聞こえてはいないだろう。
「そ。梨沙ちゃんと一緒に勉強してるんだ」
そして、西川の視線に合わせて、俺たちは江南さんのほうを見る。江南さんは、急に誰かと話し始めた西川を気にしていたようで、目が合った。しかし、すぐに飲み物に手を伸ばす。
そこから、西川と藤咲は言葉を交わし、一緒に勉強をしようという流れまで持っていった。慎重を期しているのかはわからないが、どうしても演技をやりきりたいらしい。話のあと、元のテーブルまで戻った西川は、江南さんに事の顛末を話す。
しかし、すぐに首を振り、何事か反論している姿が見えた。
仕方がない。俺たちはテーブルから立って、西川たちのところまで向かう。
「えっと、江南さん……」
藤咲が話しかけるが、まるで聞こえなかったかのように無反応だった。
改めて、江南さんのそばに立つと、威圧感がすごいなと感じた。これが美人の凄みなのだろう。暗めの茶髪は、パサつきが一切なく、整然と重力に従っている。髪の毛の下にのぞく肌は、白く透明感がある。目元はぱっちりとしていて、唇はきれいな桜色。驚くほどに完成された容姿だった。
ただ、そこに座って、黙って飲み物を飲んでいるだけ。不機嫌そうに、眉間にしわを寄せているだけ。なのに、触れがたい強烈なオーラを感じる。
実際、周囲の客も江南さんのことを気にしているようだった。近くにいる男子大学生と思しき男たちがこそこそと何か話していた。また、隣の席にいるおばさんも視線がときおりこちらに向いているのがわかった。
これが、江南梨沙。
同じクラスにいて、当たり前になってしまったが、やはりこの存在感は特別だ。
「いいんちょたちも勉強しにファミレスに来たんだって。だからさ、頭のいい二人もまじえて一緒に勉強するほうがはかどると思うんだよね」
しかし、江南さんの反応はにべもない。
「無理」
たった二文字。俺たちには一瞥の価値すらないというように、黙々と紅茶をすする。
「そ、そんなこと言わないで。わたしたちと無理に話す必要はないし、ただ、せっかくだから、一緒のテーブルで勉強しようっていうだけだよ。もし、わからないことがあれば、教えてあげられるかもしれないし」
藤咲につづいて、西川も追撃する。
「いいじゃん。わたしが保証するけど、二人ともいいやつだよ~。よくノートとか貸してもらってるんだけど、めっちゃわかりやすくて重宝してるんだよね! たまには、こういうのも悪くないじゃん?」
露骨に、江南さんの機嫌が悪くなっていく。手に持っていたカップを音を立てて置く。ソーサーが揺れる。紅茶の液面が波を立てている。
「だから無理」
その言葉は、あくまで西川に向けられている。俺たちの言葉には一切の返答をせず、西川だけを見ている。傍に立つ俺らなど、視界に入ってすらいない。
「梨沙ちゃん……」
西川がため息をついている。
やっぱり、無理だったか。ずっと前からこんな調子だ。何度も見てきた光景。一学期、容姿に惹かれた男どもは、執拗に話しかけて足を踏まれていた。藤咲のように、仲良くなりたくて近づいた女たちは、うっとうしそうに手で跳ねのけられていた。西川以外、誰もかれもがこの冷たい態度の前に沈黙させられた。
嫌いだ、と思う。
たとえ、どれだけ美人であっても、心の底から嫌悪感を抱かざるを得ない。
……同族嫌悪だ。わかっている。俺にもかつて、あんなときがあった。バカみたいにツンケンして、自分の周囲全てを敵とみなして、不真面目な態度も失礼な言動もたくさんした。
ふつふつと、俺の胸の奥からわきあがる言葉たちがあった。それらが暴れ、俺ののどを通ってぶちまけられようとしていた。ダメだ、と思う。関わってはダメだ。こんなことを言って、自分の感情を押さえつけようとしてはならない。
深呼吸を繰り返す。しかし、動悸はおさまらない。
ぐにゃりとゆがんでいく。頭の中が真っ白になる。
(――ごめんね)
あのときの言葉。細められた目。小さく笑ったときの顔。
悪夢にさいなまれ、今なおじりじりと締め上げられている俺に余裕なんてなかった。おさえつけるたびに言葉がせりあがる。のどの奥に力を入れて、懸命に耐えるが、それすら突き破り、とうとう俺の口までたどり着いてしまう。
そして、俺は言った。
「――ふざけるなよ」
思いのほか、低い声が出た。
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