第13話 悪夢

 そして、江南さんたちと勉強会をする日。


 俺は夢を見ていた。


 かつて不良だったころ。俺は中学生になったばかりで、着ている学ランをはためかせながら風を切って歩いていた。目の前には、希望もこれからどうしたいという展望もなかった。ただ、そこに、自分にとって大事な居場所があるのだと勘違いした。


 そんなころの夢だ。


 喧嘩をし、唇を血に濡らしながら座り込む。息を荒げ、膝を抱え、かすんだ視界の中に倒れる別の不良の姿を見る。俺が倒した相手だ。

 アスファルトの上で、俺は満足げに笑う。


 ――どうだ、やってやったぞ。


 喧嘩が好きだったわけではない。痛いし、負けると悔しいし、嫌な目にもたくさんあってきた。しかし、強さを示す手段はそれしかない。


 強くなって、誰にも負けないくらいになって、他の者にはない自分という存在を確立したかった。理由なんてそれくらいのものだ。曖昧で、無意味で、どうしようもない野望。


 俺は立ち上がる。そして、黙って見下ろす。

 頭がぐらぐらと揺れている。地球ごと跳ねているような感覚。それでも気分は悪くなかった。充実感が脳裏を支配していた。


 倒れこむ不良に歩み寄る。

 不良はぴくりとも動かない。目を閉じ、仰向けになって倒れたままだ。


 ――俺の勝ちだ。


 めまいが激しくなる。だんだんと立っていられなくなり、横から崩れるようにアスファルトの上で寝転がる。うめき声をあげる。でも、あげているはずが、自分の耳にその声が届かない。ただ、静寂が広がっている。


 と、その静寂を壊す音が鳴り響く。


 ぴーぽーぴーぽー


 聞いた瞬間に、俺の体が震えだす。いつのまにか俺は救急車のうえで揺られている。寒気がした。


 ――失いたくない。


 怖かった。怖くてしかたがなかった。こんなことになるくらいなら、喧嘩なんてするべきじゃなかった。


 ぴーぽーぴーぽー


 その音を聞くたびに、体の芯が冷えていく。


 嫌だ。その音は嫌だ。もう二度と、その音と握られた手の力が緩む感覚を味わいたくはないんだ。


 視界が黒く染まっていく――。





 そこで、俺は目が覚めた。見上げた先にあるのはいつもの天井だ。


 背中に大量の汗をかいている。夢の内容と同じように、俺の体が震えている。

 思い出したくもない出来事だった。


 あのとき感じていた恐怖が、再び頭をもたげている。


 江南さんを相手にしなくちゃならないというのに、こんな嫌な気分になっている場合じゃない。しかし、体を起こすのにしばらく時間がかかった。




 放課後。

 授業がすべて終わり、帰りのHRが終了したタイミングで藤咲と合流する。


「いよいよ今日だね」

「そうだな」


 俺たちは、そろって教室から出る。


 江南さんの様子は、いつもと変わっていなかった。やはり、詳しいことは聞かされていないのだろう。俺たちのほうを見向きもせず、傍若無人の態度を崩さなかった。

 遅刻も、もちろんしていた。今日、学校に来たのは二時限目が終わったときだった。休み時間にさりげなく教室に入り、不機嫌そうな顔で席に座った。


 不機嫌そうな顔をするくらいなら、学校に来なければいいのではないかと思う。授業を真面目に聞くわけでもないし、特別話したい相手がいるわけでもない。


 ――そんなこと、本人には言えないけど。


 結局、使うファミレスは、生徒の少ない駅の反対側にした。イタリアンメニューの多い店で、値段がそこそこ安い。


 先にファミレスに着いた俺たちは、4人掛けの席に座る。


「30分くらい遅れるって話だし、先に何か頼んでおくか」


 あまりお腹もすいていないので、二人ともドリンクバーを注文した。藤咲の分の飲み物も合わせて取ってくる。


「ありがとう、大楠君」

「うん。……今日は、いい案が出なかった以上、出たとこ勝負するしかないな」

「そうだね」


 ドリンクバーで汲んできたメロンソーダを一口飲んでから、大きく息をつく。

 朝に見た夢のせいで、未だに気分は暗かった。なにか別のことを考えようとしても、勝手に夢の光景が脳裏をよぎる。


 俺たちは、鞄から勉強道具を取り出す。江南さんが来ようが勉強しなければならない事実に変わりはない。試験は再来週の月曜日から始まる。あまり猶予はない。


 ペンを動かし、メロンソーダをちびちび飲み、頭の中から振り払う。このままでは、自分の頭がどうにかなってしまいそうだ。忘れかけていたのに、なんで今さら思い出してしまうんだ。自分で自分を呪うしかなかった。


 暑くもないのに汗が出てくる。そんな俺に気づいたのか、藤咲が声をかけてきた。


「大楠君、体調悪そうだけど大丈夫?」


 大丈夫ではなかったが、そんなことは言いたくなかった。


「大丈夫だ。ちょっと緊張しているだけだから」

「江南さん、もうそろそろ来るもんね。わたしも緊張してきた」


 時計を見ると、すでにファミレスに着いてから20分以上経過していた。思ったよりも時の流れが速い。しかし、勉強はあまりはかどっていなかった。いつもなら10分程度で終わる内容しかできていない。


 まずい。今の状態のまま、江南さんに会うのはよくない気がする。


 深呼吸をする。バクバクという心臓の音。おさまれと心の中で念じるが、何も変わらない。


 再びペンを動かそうとしたところで、からんからん、と入り口のほうから音がした。そちらを見る。


 西川と江南さんが、ファミレスの中に入ってきたところだった。

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