第5節 不穏当
詩凪が、三洋子が、千歌までも、意外そうに柾のほうを見つめた。
「乗り気じゃなさそうだったのに、どうして」
少年が登場したとき以上の困惑を示した表情で三洋子が柾に訊く。
バレていたか、と柾は内心自嘲した。確かに、三洋子たちがどうなろうと柾はどうでも良かった。強いていうなら、来週三洋子姿の千歌が講義に出てきたときに面倒だな、と思っていた程度だ。
でも。
「まあ、ただの気分です」
お互いに不利益な状況で、誘惑に駆られてもなお、それでも相手のことを大事と言える。そこまで姉妹の絆が強いのなら、それに免じてちょっとくらい助けてあげてもいいんじゃないか、と思った。
自分にはできないことだから。
それができる彼女たちは、評価してやっても良いんじゃないか、と思ったのだ。
「それ、おとなしく渡してくれる?」
一歩前に出て、少年に向けて手を伸ばした。さしもの柾も、いきなり強引に奪い取るようなことはしない。一応は説得を試みる。
が、案の定少年は断った。
「……渡さないよ、お嬢様に。そう簡単に」
柾から庇うようにページを胸に抱き込むと、身を捩って叫んだ。
「そんなの面白くないじゃん。欲しいんなら、力付くで奪ってみなよ!」
身勝手な言い分を叫び、ジーンズのポケットに乱暴に手を突っ込むと、ペンダントトップのようなものを取り出した。その剣のエンブレムの形をした触媒を真上に腕を掲げて見せるのだが、
「こんなところで使う気?」
「く……」
柾の冷ややかな声に、手を振り上げた状態のまま硬直した。
彼は興奮して忘れていたようだが、ここは真昼の駅前広場。衆目の集まる場所である。こんなところで魔術を使えばどうなるか。
魔術は秘匿するものである。大っぴらに扱うものではない。それは、神秘性を重んじる不特定多数の魔術師の理念に反するのだ。
そして、魔術師はその理念に反する者を許さない。
公衆の面前で魔術を使ってはならない。これは魔術師たちの間にある暗黙の了解なのだ。
……しかし、これだけでは
少年の気性からそう判断した柾はベストの内ポケットに隠し持っていた鋏をそっと抜き出し、見せびらかした。刃部分は革のケースに入ったままだが、牽制としては効果があったようで、少年は狼狽えながら後退する。がたん、とテーブルの縁に足がぶつかった。台もなく器用に乗せられていた水晶玉が転がる。
「お止めなさい、ノエ」
テーブルの縁から落ちかけた水晶玉を受け止めて、占い師――フランセットは少年に手を伸ばした。
「まったく、この子は」
淡白な調子のままノエの手から触媒を取り上げると、今度はそちらをテーブルに置き、続けて彼からページの束を取り上げる。
そして、なんとその紙を、詩凪の方に差し出した。
「どうぞ、詩凪さま」
「え、あ、ありがと、う……?」
ございます、と困惑しながら受け取る。そのあと、不安になったのか詩凪は柾のほうを振り返った。心配しなくても良い、と柾は頷き返す。警戒は解いていない。ノエでもフランセットでも、何時どちらが動いてもいいように、鋏の柄に手をかけておく。
「……どうして?」
「目的は果たしました。これ以上、無駄なお遊びは必要ありません」
首を傾げる詩凪に、フランセットは端的に答える。彼女の背後で、不機嫌そうにノエが顔を背けた。その〝お遊び〟を邪魔されたのが不服のようだ。
だが、フランセットのほうは話が分かるらしい。表情の乏しい顔にうんざりとした様子を滲ませている。
「ページさえあれば、穂稀のお嬢様である貴女様なら、きっとお二人を戻せるでしょう」
「それは、そうかもしれませんけど……」
〈異録〉の力を使うような人間が、こうもやすやすとページを渡してくれたことが不思議で仕方ないのだろう。実際、ノエは渋っていたし。
「前回そちらにページが渡ってしまったのはこちらのミスですが、今回は迷惑料です。さすがに私は、彼女たちがこのままで良いとは思いませんので」
「前回?」
思わぬ言葉にぽかんとして、しばらく視線を彷徨わせると、
「もしかして……人形もあなたたちが!?」
この前凌時と詩凪が二人で解決した怪異。詩凪はあの後も変だと言い続けていた。後に起きた怪異と比べても違和感の正体がなかなか見分けられず、かといって無視することもできず、据わりの悪い思いをしていたらしい。
そういえば以前、怪異に個人がここまで関わってきたのははじめてだ、と溢していたことがある。怪異となる人形が売られていたのが気になる、とも。もしかすると前から、第三者が関わっている可能性を予感していたのかもしれない。
「あれは私が売りつけたものです」
「何のために!?」
「貴女に、我らの存在を知らしめるために」
再び激情を露にする詩凪。その一方でなおもフランセットは淡々としていた。詩凪の反応は分かりやすいものであるとはいえ、あまりに変化がないものだから、だんだんと得体の知れない人物に見えてくる。
「……あなたたちは、いったいなんなの?」
「私たちは、〈グランギニョール〉と申します。目的は、その〈ルルー異録〉」
胸の前に片手を当てたフランセットは、もう片方の手で黒いローブの裾を掴み、一礼する。まるで、西洋の貴族のような礼だった。
「〈異録〉のページは、いくつか我らの手にあります。いつか、詩凪さまのものもいただきに参りますので、どうぞお見知りおきを」
□ □ □
「なんだか分からないし、この際もう訊かないけれど……」
〈グランギニョール〉と名乗る二人が立ち去った方向を睨みつける詩凪と、眺めやる柾に、三洋子がそっと声を掛ける。
「戻れるんだよね? どっちかが消えることなしに」
三洋子も千歌も不安そうな目で詩凪を見下ろしていた。
姉妹のことを思い出した詩凪は、一度目を伏せ、ページの端を握りしめる。
「……はい。できます」
凪いだ瞳で不安そうな姉妹を見上げると、ポシェットからクリップを取り出してページを留める。
そして、二人を詩凪の前に並ばせると、紙の束を乗せた右の手と、空いたもう片方の手を揃えて二人のほうへと突きだした。
不思議そうにページに視線を落とす佐重喜姉妹を前に、詩凪は目を伏せ、すぅ、と深呼吸した。
「〝開け。今一度我が元で〟」
詩凪の求めに応じて、ページが一枚目からぱらぱらと捲れていく。開かれたことによって両手に置かれた本のページから、微かな青白い光の珠が浮かび上がった。凌時の呼び出す〈
「それは、一つの試み。人の器に、他人の魂が宿るか確かめるため。一方は他方へ、他方は一方へ」
詩凪の朗読が続くにつれて、真珠ほどの大きさだった光はテニスボールほどの大きさになっていく。
「〝再演せよ〟。第五章第四節〈互換の検証〉」
光の球は二つに分かれて三洋子と千歌の身体の中へ入っていった。一瞬、二人の身体が発光したかと思えば、身体の中から光球が飛び出し、今度は違う身体へと入っていく。
光球が入れ替わったあとは何も起こらず、詩凪も、佐重喜姉妹も黙っていた。捲れ終わったページが、詩凪の左手に乗る。
「……終わったの?」
訝しげに千歌の身体が呟き、は、と喉を押さえる。ぎこちなく自分の隣に立つ人物をまじまじと見た。
「……お姉ちゃん」
もう一度
「どうやら、戻ったみたいだね」
「うん。……よかったぁ~」
気の抜けた声を出すと、詩凪はふらふらと後退し、膝に手をついた。どうやら無事に成功して安堵したらしい。
そんな彼女の前に、元の姿に戻った三洋子が手を差し出した。
「ありがとう。助かったよ。本当にどうなるかと思った」
「いいえ。こちらこそ、巻き込んですみませんでした」
と、にこやかに応対した詩凪の表情がふ、と消えた。なにやら遠くを見つめている風で、普段あまり見せない様子に、柾は眉を顰める。
追求しようとしたところで、今度は千歌が割って入った。
「……私も、お礼を言うわ。ありがとう」
気まずいのか、若干視線が詩凪から逸れていた。
「さっきはさすがに言いすぎた。……ごめん」
「いいえ。ご心配はもっともでしたから」
こちらもまた、照れくさそうに握手を交わす。
わだかまりもなくなってすっかり打ち解けた少女たちを感慨もなく眺め、柾は空を仰いだ。詩凪が気になるのに、いつまで続くのだろう。
「そろそろ、お暇しようか」
柾の様子に気づいた三洋子が、千歌をつつく。それからちらりとこちらを見つめて、悪戯めいた笑みを浮かべた。
「騎士様が待ちくたびれてるし」
は、と吐き捨てるように笑う。騎士様、だなんて馬鹿馬鹿しい。演劇を見に来るだけあって、思考が夢見がちなのだろうか。
「それじゃあ、霧沢くん。また講義で」
ひらひら、と手を振って、三洋子は千歌を連れて駅のほうへと帰っていく。柾も一応は最低限の愛想を持って、別れの言葉を口にした。
「ねえ、マサくん」
手を振って三洋子たちを見送る傍らで、詩凪はポツリと〈異録〉のページをめくっていた柾に問いかける。
「どうして三洋子さんたちが、〝餌〟だったんだろう……」
詩凪が今日ここに来たのは偶然だ。柾に誘われなければ、あまり遊び歩かない詩凪が篠庭を出ることはなかっただろう。仮に外に出たとしても、この街であるとは限らない。それこそ、もっと都心のほうが高校生が楽しめるところは一杯ある。
なのに、どうしてこの場所で仕掛けてきたのか。
「……僕の所為かな」
この街は柾の通学先だ。詩凪は来ないが、仲間の柾なら事件と接触する可能性があった。彼らはそれに賭けたのかもしれない。
誰かが関われば、いずれ詩凪の耳にも入っただろうし。
「彼女、僕の知り合いだしね」
何故わざわざこんなところで、と思わなくもないが。詩凪と凌時が関わった“人形”も彼らがやったというのなら、篠庭の中でも良かっただろうに。
それに、だ。柾は他人に関して淡白なので、今日みたいに詩凪と一緒にいたりしない限りは、きっと三洋子のことを助けなかっただろう。それらを考えると、彼らの策はあまりに無謀なものだったと言える。
「もしかして、占いで予知されてたのかもね。詩凪が僕とこの街に来るって」
「そうなのかな……」
半信半疑といった様子だが、他に説明のしようもない。誰かが〈グランギニョール〉と名乗る二人に教えたというなら別だが、詩凪を誘ったとき、一番その可能性のある藍は居なかった。他に彼らに伝える者など居ようはずもない。
「あまり気に病むことはないよ、詩凪」
柾は、すっかり表情が曇ってしまった詩凪の肩を叩いた。
「敵の姿が知れたんだ。これで僕らも、真実に一歩近づいた」
〈ルルー異録〉は強力で凶悪な力を秘めている。知る人は知る魔書であるわけだから、手に入れたいと思う魔術師もいることはいるだろう。だが、その所有権が何処にあるかは明らかだった。〈異録〉を欲する者は、穂稀から強奪するしか手段はないのである。
そして、一年前。詩凪の両親と柾の父は、何者かに殺され、〈異録〉もそのときに失われた。
この二つの事実から導き出されるのは、一つ。
「〈グランギニョール〉……。もしかすると、僕らの仇かもしれないね?」
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