第4節 不選択
「そういえばさっきから気になってたんですけど、占い師って?」
ファミレスを出て、エレベーターで一階に下りて駅ビルを出ようとする最中、詩凪は三洋子に尋ねた。そういえば、と柾も思い出す。柾や詩凪のことを占い師から聞いたということは何度も聴いたが、その経緯はまったく聞いていなかった。
「困りに困って、そんなのに頼ったんですか?」
「違うよ。ただ、ちょっと通りすがったところを声掛けられてさ」
入れ替わった翌日の夕方のことだという。学校での講義を終え、数駅先の自宅へ帰ろうと駅に向かっていたときに、呼び止められたのだそうだ。
元の身体に戻る気はないですか、と唐突に。
「一目で見抜いた、ねぇ」
ふぅん、と柾は相槌を打つ。さほど興味はないが、実に奇妙なことだとは思う。
町にいる占い師の大半は、学問である占術を修めた者たちである。あくまで〝現実的〟な見解しか持たない彼らが、三洋子と千歌の二人の状態を言い当てることは不可能だ。
一方で、柾たち魔術師のお仲間でもある占い師もいることにはいるだろうが、よほどの力と才能を持っていない限り、やはり姉妹のことを言い当てることはそうないだろう。なにせ、詩凪や柾でさえ、本人から告白されるまで気付けなかったのだから。
となると、選択肢は限られる。
まず、
それでもって、余程の才能を持った占い師か、魔術師。
それとも――
「……なんだか気になるね、その占い師」
同じことを思っているらしい、こちらを仰ぐ詩凪に、そうだね、と柾は頷き返した。
「あとで話を聞いてみようか」
「あとでも何も……」
と広場に下りる黄色い階段の前に立った三洋子は、右斜め方向を指差した。
「ほら、あそこに」
広場の向こう、道路との境界線を引くように植えられた広葉樹の下に、ぽつりとその占い師はいた。フードつきの黒いローブ。小さなテーブルの上には黒い布が掛けられ、その上にはちょこんと水晶玉。日本人の大半が〝占い師〟と聞いて思い浮かべる姿がそこのあった。
黒いフードをすっぽりと被ったその人は、駅から出て来て広場を横切ろうとする人が自然に目に入る位置――三洋子と千歌が転んだだろう階段のほうを向いて座っていた。
「……なるほど、見てたっていうわけか」
「そういうことなんだろうね」
三洋子は肩を竦める。
「でも、問題はなんで入れ替わったってことまで分かったか。私たち、その場ではそこまで騒ぎ立てたつもりはなかったんだけどね」
もちろんあまりに想定外な事態だ、お互いに座り込んだまま、どういうことだ、と無意味な会話を繰り広げたりはした。けれど、三洋子も千歌も大声を出した覚えはないのだという。端から見たら転んで呆然としているだけに見えただろう、と。
ならばなおさら、その占い師が入れ替わりを客観的に判断できる要素がないわけだ。ますますその占い師が気になってくる。
少し見た限りだと三洋子たちが転げ落ちた階段には手がかりのようなものは何も残されていないようであるし、その占い師の話を聞いてみることにした。
「お待ちしておりました」
三洋子に気づいたからだろうか、占い師は近づいた柾たちをそう言って出迎えた。静かで落ち着いてはいるが、若い女の声だ。
柾たちの顔を見ようと、占い師の頭が持ち上がる。青い瞳に、波打つ亜麻色の髪。すっとして高い鼻梁。目の上でくっきりと一文字を描く眉。西洋人の女だ。年頃は二十代半ば。特ににこりとするわけでもなく、感情に乏しい表情で詩凪と柾を見る。
「無事、お連れできたようですね」
お疲れ様です、と淀みない日本語で三洋子を労った。
「……お疲れ様?」
妙な台詞だ、と思う。確かに彼女は、三洋子が柾たちに会うことを予言していた。そのときに柾たちが自分のもとに来ることも予知していてもおかしくはないのだが、それにしても〝お疲れ様〟の言葉はないだろう。
まるで、柾たちを連れてくるように誘導したみたいな――。
「全ては、貴女様にお会いするために仕組んだことですので」
口にしなかった疑問に答える占い師の言葉に、詩凪は顔を強張らせた。占い師は真っ直ぐに詩凪を見つめている。
「やっぱり――」
掠れた詩凪の声を聞き咎めたのか、千歌は怪訝そうに詩凪と占い師を見比べた。
「……どういうこと?」
「つまり、お姉さんたちは餌だったんだよ」
ただならぬ様子を察した千歌の問いに答えたのは、柾でも詩凪でも、対面する占い師でもない、第三者の声だった。
高い少年の声に藍だろうかと錯覚するが、振り返った先にいたのは、全く別の少年だった。栗色の髪に紺碧の瞳の、こちらも西洋人。中学生くらいだろうか。小柄で、スポーツブランドロゴの入った赤いTシャツの上に辛子色のタータンチェックのシャツを羽織り、ジーンズを履いている。外国人であること以外は、日本でも何処でも見かけるような普通の少年だ。
見た目は。この件に関わってくる以上、一般人であるはずがない。
「君は、あのときの……?」
警戒する詩凪の後ろから、三洋子が声を上げた。眉根を寄せて、何か――おそらく当時のことだろうが――を思い出そうとしている。千歌もまた、見覚えがあるのか、驚いた表情で彼を見ていた。
にんまり、と意地悪く少年は笑い、二人を指差す。
「そう。あんたたちの
ぶつかった振りをして魔術を掛けてやったのだ、と謳うように宣言した。魔術、の言葉に姉妹が不審を深めていくい傍らで、詩凪の緊張がより高められていく。――やはり。占い師とこの少年が、今回の元凶であるようだ。
「あなたは――いえ」
言葉を切って、少年だけでなく占い師にも目を向けた。
「あなたたちは、〈異録〉を持ってるの……?」
「持ってるよ。ほら」
少年は嬉々としてページの束を取り出して見せた。フランス語で書かれた古く黄ばんだ紙の束。手に取らなくても〈異録〉のページだと判断できる。ただの紙だろうが、魔書には雰囲気というものがあるのだ。
少年は見せびらかしたページの束の一辺を片方の手で持ち、もう一方でパラパラと捲りはじめる。
「魔女の弟はさ、面白いことするよね。
きょうだいってそういうものなのかな、と首を傾げた。
「ねえ、どうなの実際。姉妹で、身体を入れ替わった実感として」
「あなた、何を言ってるの……?」
自分が被害を加えた相手に対して平然と尋ねる少年に愕然とした詩凪は、次の瞬間、顔を真っ赤にささせた。
「他人を、そんな弄ぶようなことをして! この人たちがどれだけ迷惑しているか……っ!」
「うるさいな。お嬢様は黙ってなよ」
激昂する詩凪を、少年は冷ややかな目で見る。まるで地を這う虫を見るような目で、柾は不愉快だった。
が、口を出すことなく事態を静観する。手伝いこそしているものの〈異録〉に関することは詩凪の用件だ。
「ああ、でも、ふーん。迷惑なんだ。仲の良さは見せかけってこと? だったらさぁ」
にやにやと嫌らしい笑みを浮かべて、三洋子と千歌を眺める。なんとなく不穏な気配を察したらしく、佐重喜姉妹はたじろいだ。
「どっちかさ、フランセットにお願いしてみなよ。私の身体にいる邪魔者を消してくださいって。元の身体が空っぽになれば、魂は自分の身体に引っ張られて、自分だけは元に戻れるよ?」
「あなたね……っ!」
「もしくは、自分を消してください、でもいい」
空気が凍る。怒りのあまり真っ赤になっていた詩凪の顔は青ざめ、三洋子・千歌姉妹は、は、と息を呑む音がした。
姉妹はどちらも目を大きく開いて、ぎこちなく互いの顔を見合わせた。が、すぐにどちらも気まずそうに顔を背ける。後ろめたいことを考えてしまったのだろう。
「ていうか、もし本当に大事な姉妹なら、そっちの方がいいかな?」
試すような物言いに、二人はますます身を強張らせる。相手を殺すか、自分が死ぬか。二人に突き付けられたのは、究極の二択だ。一方を選べば自分は助かるが非道扱いは免れないし、もう一方を選べば献身的だと褒め称えられるが自分は死ぬ。
姉妹仲が険悪なら躊躇うこともないのだろうが……。
どうするの、と少年は意地悪く問いかけた。
しばらくの沈黙を待って、ポツリと三洋子が一言発した。
「……やらないよ、どっちも」
望まない答えだったのだろう、ノエの片眉がびくり、と跳ねた。
「へえ、どうして」
地を這う低い声が、理由を問い質す。
「やっぱり大事なんだろうね、妹が。自分の身体に戻れるっていうから、その誘惑に多少は惹かれはするけれど、それよりも私は千歌をなくしたことを後悔するほうが恐ろしい」
「お姉ちゃん……」
感極まった様子で姉を見つめる千歌。しかし、三洋子は彼女に目を向けることなく、暗い瞳のまま言葉を続けた。
「でも、千歌のために全てを
それには思うところがあったのだろうか、千歌も神妙な顔をして俯いた。声がポツリと地面に落ちる。
「……私も、選べない」
自分も姉も大事だ、とそう言った。
「……へえ。じゃあ、どうするの」
興醒めだ、とでも言わんばかりに、少年は吐き捨てる。予想と違い、二人が揉めることなく結論を出したのだから、気に入らないのだろう。
「簡単だよ。君からページを取り返せばいい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます