第5節 回収
「みんな、お願い」
「任せてよ」
詩凪の懇願に答えるように、柾は腰のシザーケースから鋏を抜き出した。次いでキキがモップを構え、少し遅れて、凌時は慌てた様子で魔書を取り出す。
詩凪はといえば、一応魔書を取り出しはしたものの、柾たちの背後に下がった。詩凪はページ集めの要だが――否、要だからこそ、積極的に戦いには参加しない。〈異録〉の怪異は、戦って捩じ伏せることで止めることはできるが、ページに戻さなければ再発を防ぐことができない。そして、怪異をページに戻すのは、この中では魔書専門家の詩凪にしかできないのだ。無理して前に出て、肝心の詩凪が動けなくなることのないよう、これまでは柾とキキが前線に立ってくれていた。
けれど、二人では限界があった。今回のように、〈異録〉の怪異は大規模で、敵の数が多いことがあるからだ。
だから、人手が欲しくて凌時を呼んだ。
「まずは、邪魔者を一掃します」
宣言の後、片方の手で柄の端を持ち、もう片方は真ん中を持って、キキはモップで宙を一文字に薙ぎ払った。モップの先についた布の軌跡に沿って、柄の先から水流が噴き出し、人型たちが押し流される。
右から左へ、左から右へ。キキがモップを振り回す度に邪魔者たちが拭い去られていく。
「すげぇ……」
まさかモップでここまで。ぽかん、と凌時は口を開けている。
「ほら、ぼーっしてないで働け」
柾は凌時の頭を小突くと、右手に持った鋏を怪異に向けた。そのまま宙空を切り裂くように、シャキン、と動かす。鋏の延長線上にいた人型の首が断たれ、頭が落ちて身体が崩れ落ちた。
相手は紙製なので、ぺらりとしたものだったが。
「うわ怖ぇ……っ」
魔書を開きながらこっそり柾を横目で見ていた凌時は、今度は呻いた。想像以上のことが立て続けに起こっているからか、反応がこれまで以上に素直である。
「ほらほら、さっさとしないと。あんまりとろとろしていると、次は君を切るよ」
「いきなり脅してくんなよな……っ」
引き攣った顔で悪態を吐きながら、凌時は魔書を持った手を前に突き出した。
「示せ、〝火の章、第十二節〟――」
凌時の手の上で魔書が開かれる。ぱらぱらと自動的にページが捲られていき、やがてピンと一枚ページが立ち、淡い光を放ちはじめる。
凌時はその光を拭うように、手をページに擦り付けると、移った光をぐっと握り込み、それから手を広げて前に突き出した。
「〈
ポン、と拳大の火球が凌時の掌から発射された。小さな火の玉が一体の人型の頭に着弾すると、たちまち燃え広がり、焼き尽くす。
その様子を見て、凌時は焦ったようで詩凪を振り返った。
「あ……っ! 燃やしちゃまずかったか!?」
見た目が紙だからか、あの白い人型の一つ一つが〈異録〉のページからできたものと思ったらしい。
実際には少し違う。説明が難しいのだが。
「大丈夫です。ページそのものには影響しませんから、どんどん燃やしちゃってください」
とりあえず細かな説明は端折って、詩凪は凌時にGOサインを出した。凌時は応えて次から次に火の玉を繰り出す。
キキの水で、柾の鋏で、凌時の火球で、詩凪たちを取り囲んでいた人型たちは次々と数を減らしていった。
「詩凪、〝主役〟は?」
半分ほど人型の数を減らした辺りで、柾がちら、と視線を向けて尋ねてくる。
主役とは、この現象を発生させている〝核〟のことを示している。言い換えれば、ページ〝本体〟だろうか。この現象を収めるには、あの〝主役〟をどうにか押さえ込んで、ページに戻す必要がある。
そして、その主役は、〈異録〉のような物語形式の本の場合は、そのエピソードで話の中心となっているものになる。この場合は――
「たぶん、あの棺だと思う」
詩凪は、白い人だかりの向こうにある神輿を指差した。信号が点滅する交差点の真ん中に鎮座する棺。そしてそれを担ぐ、四人の人型。彼らだけは詩凪たちを襲っては来ず、事態を静観していた。それはきっと、人型を指示しているかたでもあるし、真っ先に守られなければならないものだからだろう、と詩凪は推測している。あちらには力の塊みたいなものを感じるし、まず間違いないだろう。
それに、藍の忠告。彼は棺に注目していた。なら、きっと棺に何かあるに違いない。
「やっぱりそうか……」
柾もある程度予想がついていたらしい。一つ頷くと、
「よし、僕が道を切り開くよ」
鋏を二つに分解し、一本ずつ手に持った。まるで剣を持つかのように握り込むと、人混みの中へと飛び込んでいく。さっと腕を大きく振れば、大きく半月状に人垣を切り崩した。四列ほどの人型がはらりと地面に倒れ込む。刃の長さに見合わぬ範囲の攻撃。霧沢の魔術の凄さを思い知る。
「私たちは、詩凪の援護を!」
「棺の前に連れてきゃいいんだな!?」
主役について良く解っていなさそうだったが、凌時なりに状況を飲み込んだらしい。キキの指示に戸惑うことなく、凌時は魔術を繰り出した。
柾が道を切り開き、詩凪がその後へ続く。道行きを阻止せんと横から、背後から襲い掛かる敵を、キキと凌時が追い払う。
いよいよ棺への道が開けると、詩凪は前へと飛び出した。
こちらへとやってくる詩凪を見た棺担ぎたちは、とうとう神輿をアスファルトの上に置いた。わ、と四人いっぺんに詩凪に飛び掛かる。
いっぺんに襲い掛かる四人分の圧力に、思わずたたらを踏んだ彼女の前に、柾が躍り出た。
「邪魔だよ」
右上から左下へ。左上から右下へ。目の前に大きくXの字を書くように鋏の短剣を振るった。大小様々、三等分に、四人は分割される。
「さあ、詩凪」
「はい」
柾に促された詩凪は、彼に背中を任せると、担ぐ者がいなくなった白い棺にそっと触れた。
紙と同質の、乾いた感触。
自身の力のみで現象を引き起こさねばならなかったが故に、紙で演出するしかなかった、哀れな
「――〝どうか鎮まって〟」
そっと棺に息を吹き掛けるように、詩凪は言霊に力を込める。お前の姿はそれではないのだ、とただ静かに囁く。
「〝貴方の語る物語は、もうおしまい〟」
そう、詩凪が告げた瞬間。
棺も、人型も、ページの怪異のすべての事象が、ぱん、と弾けた。ぱらぱらと宙に紙が舞う。先ほど再現されていた〈異録〉の光景を想起させる紙吹雪。
詩凪が両手の平を揃えて上に向けると、ページたちは意思を持ったように彼女の手の上へと集まった。
「終わりました」
紙束を胸に抱えて、詩凪は踵を返す。こちらを見る三人の姿が見えると、ぺこりと頭を下げた。
「ご協力、ありがとうございました」
□ □ □
先ほどの騒ぎの痕跡もすっかりなくなり、静まり返った交差点。車がないとはいえ、さすがにいつまでも真ん中に立っていることは憚られ、詩凪たちは再び歩道の街灯の下に移動した。
ちらちらとに羽虫たちの影が掠める光源の中で、詩凪はページに漏れがないことを確認していた。道路の上に拾い損ねた紙葉は見当たらないし、そもそも一枚でも漏れていたら〈異録〉は再現されることはないのだが、念のためだ。
「これが、さっきの現象を引き起こしていたのか……」
信じられないという面持ちで、凌時はページを数え終えた詩凪の手元を覗き込む。
「ちょっと、見せてもらってもいいか?」
「はい。……あ、でも、ちょっと待って」
ポシェットからクリップを二つ取り出すと、綴じる側を上下二ヶ所で挟み込む。もちろんただのクリップではない。詩凪たちルリユールが作り出した、ページの意志を簡易的に抑え込む特別な道具だ。応急処置として、良く使っている。
「紙を一枚一枚ばらすようなことはしないでくださいね」
了解した、と頷いて、ページを手に取り視線を落とすと、凌時は固まった。
「しまった、英語じゃないのか」
「ルルーの町はフランスにあったんだよ。だから、書かれた言語もフランス語」
ああ、と気抜けた声を漏らす。〈ルルー異録〉の由来もきちんと説明したはずだが、失念していたらしい。
「まだ疑ってたの?」
咎めとも呆れともつかない柾の言葉に、そういうわけじゃないですけど、と今さら敬語に戻って凌時は言う。
「どんな風に書いてあったのか、気になって」
でも、これじゃあ読めないな、と少し肩を落とした。
「内容がお知りになりたいのであれば、僕のほうからご説明差し上げますが」
「……いや、いい。遠慮しておく」
背後の影から突然出現した藍に驚かなかったはずはないだろうに、凌時は両手を盾にして冷静に彼を拒絶し――ふと首を傾げた。
「それより、帰ったんじゃなかったのかよ」
「いいえ。皆様のお邪魔にならぬよう身を潜めていたまで。〈異録〉の顛末を見届けるのが私めのお役目なれば」
ああ、そうですか。半眼になって、投げやりに返す。どうやら相当藍のことが嫌になったらしい。扱いがぞんざいになってきている。関わり合いになりたくない、というところか。
詩凪を手伝う限り、それは叶わないのだけれど。
ふと、不安が胸に湧き上がり、詩凪はおずおずと尋ねた。
「それで、あの……どうですか……?」
なんとか大事なく今回の怪異を乗り切ったが、詩凪は不安になってしまった。
やはり危険な仕事なのだし、本人が嫌がるなら言ってもらった方が良いと思ったのだ。いつも今日のように片付くとは限らない。詩凪も柾もキキも、過去にそれなりの怪我をしたこともあるし、もっと恐ろしい目にあったこともある。
そもそも何が起こるかも分からない中でのお仕事だ。お金が絡んでいるとはいえ、〝嫌々〟やっている人をこの先〈異録〉の恐怖に曝してしまうのは、あまりに酷に思えてしまう。
「私たちとしては、凌時さんが手伝ってくだされば嬉しいんですけど……」
とはいえ、やはり人手は欲しいのも事実だ。良い人であるし、魔術には慣れていなさそうだが、見込みがないわけでもないので、詩凪としては是非彼に手伝って欲しい。
「……やりますよ。さっきもそう言っちまいましたし」
「今更お金も返せないもんねぇ」
ニヤニヤと笑う柾を凌時は睨みつけるが、当人は何処吹く風だ。
「まあ、でもそこそこ使えるみたいだし? いいんじゃない?」
意外に肯定的な柾。はじめ虫扱いしていたものだから、正直説得に難航するかな、とも思っていたのだけれど。でも、彼が認めてくれるなら、憂いはもう何もない。
キキを振り返れば、彼女も異存はない、という。
「それじゃあ……」
期待に満ちた目で、詩凪は凌時を見上げた。真正面から詩凪の顔を捉えた凌時は、一呼吸おいて、ふい、と視線を逸らした。
「まあ、そういうわけで。よろしくです」
ぎこちなく挨拶する凌時に、詩凪は満面の笑みで応えた。
「はい。よろしくお願いします!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます