第4節 触媒

「えっと……戦いに行くんですよね。昼間聞いた話だと」


 夜。赤庭市中心部に向かう一両だけのワンマン電車に詩凪たち三人と乗った凌時は、躊躇いがちに口を開いた。


「とても、そうには見えないんだけど」


 二十時の半ばを過ぎた時刻。一時間に一本でも電車があることが奇跡と思える時間帯。利用者の大半は、塾か部活の帰りの学生と、サラリーマン。そしてそういう手合いは、中心部から郊外へ向かう電車に乗ることが多く、つまり逆の方向に行こうとしている詩凪たちの乗る電車は、利用者がほとんどいない。

 今も乗客はたった四人きり。――だからまあ、詩凪たちは堂々と〝武装〟して電車に乗っているわけだが、凌時の不審は買ってしまったようだ。邸を出てからずっと、挙動がおかしい。

 

「甲冑着て、剣を振り回すとでも思った?」

「そこまでは言いませんけど! つーかそれ、魔法使いの装備じゃないだろ!」


 馬鹿にした柾の言葉に、反射的と言って良いほど素早く凌時は反応した。柾がからかいすぎた所為だろうか、はじめは畏まっていた彼は、だんだん敬語が取れてきた。


「……でも、さすがにモップが出てくるとは思いませんでした」


 先程からちらちらと向けている視線の先――キキの手には、モップが握られている。言うに及ばず、長い柄の先に雑巾を取り付けて床を磨く、あの掃除用具である。

 普通は持ち歩かない代物。それを担いで電車に乗っているものだから、さぞかし奇妙に映ることだろう。

 だが、キキとて酔狂でモップを持っているわけではない。


「桝水様は、もしや他の魔術師に会うのは初めてですか?」


 キキが尋ねれば、凌時は首を傾げつつ頷いた。


「親父以外は、ですけど」


 厳密にはないこともないのだが、幼少期のことであるし、深く関わったことはないのだと言う。魔術師の知り合いは父だけ。他は、古い家系の存在を知っている程度だ、と本人はそう述べる。


「では、魔術を使う際に〝触媒〟が必要になることは」

「それは、まあ概念くらいは」


 そういえば、昼間柾の質問にも、淀みなく返事をしていた。

〝触媒〟とは、要は魔術の行使を補助する魔法道具を示している。具体的には、その名称から推測されるとおり、魔術を使う際に必要な手続きを簡略化させるものだ。

 魔術とは、そもそも儀式。魔術を行使するための領域を必要とし、道具を必要とし、贄――というと物騒だが、要は対価――を必要とする。場合によっては、日取りや星の巡り、時刻まで気にして、合わせなければならない。これではあまりに利便性に欠ける。

 そこで使われるようになったのが、触媒と呼ばれる道具たちだ。その道具に特定の魔術の構成要素を封じ込めることで、魔術を扱いやすくした。一つの道具で使える魔術の種類に限りがあるのが欠点だが、速効性や手軽さなどの利点を考えると十分に許容できる範囲内だ。


「触媒の代表と言えるのは、桝水様も持つ魔書です。もっともポピュラーで扱いやすいものですね」


 魔術を使うのに必要な呪文、魔方陣による場の設定などの構成全てが書物の中にインクで書かれている。本を開くだけで誰でも魔術を使うことができるのだから、それはもう使いやすい。

 ただ、魔書は触媒の一つであると一括りにはできないところが厄介なところでもある。たまに今回の〈ルルー異録〉や、先ほど詩凪が見せたリスの絵本のように、魔術の才があるものが書いた書物が〝意志を持つ〟こともあるからだ。……とはいえ、うまいこと利用すれば触媒として扱えたりもするのだけれど。

 言ってしまえば、魔書は、扱いやすいが奥深い触媒なのである。


「その他には、有名どころとしては、伝説に挙げられるような曰く付きがありますが……穂稀や霧沢などの名家ならいざ知らず、私のような下位の魔術師がそう易々と手に入れられるものではありません」


 だからこうして自分で媒体を用意することもあるのだ、とキキは言う。


「……だからって、モップ」

「私は家政婦ですから、掃除などが日課で。その中でも特に慣れ親しんだ道具がこれなのです」

「キキは拭き掃除が好きだから」


 だからモップを使った魔術が得意なのだと言えば、凌時は未知の物を目にしたときのような珍妙な顔をして詩凪を見つめた。

 やがて彼は詩凪からもキキからも視線を逸らした。その先にいたのは柾で、どうやら腰に巻いたポーチ代わりのシザーケースに目が止まったらしい。開きっぱなしの口からは、鋏の柄が頭を覗かせている。


「霧沢さんの鋏もそれですか」


 そうだよ、と首肯して、柾は鋏を出して見せた。一見すると、くすんだ金色のアンティークな鋏。柄は大きく、片側は男の指でも四本が十分に入るほどの穴がある。そこから延びた刃は真っ直ぐ。対して、親指側の柄はくっきりと折れ曲がっている。昔ながらの布を切る裁断鋏そのものだ。


「霧沢は兼ねてから切断を追究してきた家系だから、触媒は刃物に固定されるんだ」


 詩凪の生まれた穂稀家もそうであるが、古くから続く魔術師の家系は、何か一つの系統の魔術に特化し、代々みがき続けているのが大半だ。逆に言えば、高名な魔術師の家系ほど、そういう特技を持ち合わせている。

 穂稀は魔書の製本で、柾の家――霧沢家は、切断する魔術。

 霧沢家の魔術はとにかくなんでも切断する。紙や木、石や鉄なんていう物理的なものはもちろんのこと、極めれば空間なども切り裂くこともできるそうだ。だから戦うにはうってつけだよ、と言って、彼は詩凪を手伝ってくれている。


「まあ、刃があるものだったら何でも良いんだけどね。僕は裁縫が好きだから、裁ち鋏」


 柾が身に纏う大正レトロの服一式、それからいま詩凪が着ている細かな刺繍入りのワンピースも、実は彼の作品である。

 柾は長いこと洋裁を趣味にしていて、自分の着る服と、ついでに詩凪の着る服をずっと仕立てているのだった。現在では、都会の服飾系の専門学校に通って、趣味を職業にすることを目指している。

 因みに、日常着る服がレトロ趣味なのは、柾の嗜好による。自分の住む洋館に合った服であるからして、詩凪も拒むことなく柾の作った服を着ている。可愛いし。


「凌時さんも大事に使っているものとかがあれば、媒体にできますよ」


 はあ、と関心あるのかないのか判別しにくい返事をして、凌時は黙り込んだ。席はたくさん空いているというのに扉の前に立ち、流れていく夜の町を眺めている。

 今日はじめて逢って慣れていないことだし、無理に話しかけることもないかな、と判断して、詩凪は特に声を掛けなかった。一番端の席に座り、目的地に到着するのをただただ待つ。柾もキキも思い思いに過ごしていた。


 戦いを前に、お喋りもなく四十分。篠庭一の都市――といっても都会にはだいぶ及ばないが――赤庭市の中心部へと辿り着いた。

 ビルの中にある駅を北に出て、西へ。ビジネスホテルやら小さな商店やらがひしめき合った狭い駅前を抜け、大通りを行く。昼間は主要道路として使われるこの通りも、今の時刻では車通りはほとんどなく、信号は黄色に点滅。人もいない。

 街灯の光の隙間から、朧月が空に揺らいで見えた。


 十分くらい歩いただろうか。スーパーマーケットやらホームセンターやらの前を通り過ぎた先の左手側に大きな建物が見えてくる。灰色の味気ない四角い建物――学校。その奥に見えるのは、他と同じく点滅した信号のある交差点。

 目的地である。


「これは、お早いご到着ですね」


 詩凪たちが横断歩道の手前までやって来たところで、突如声をかけられた。振り向けば、手前左側の街灯の下に佇む小さな影。スポットライトに照らされているのは、群青のゴシックの洋装に身を固めた藍である。


「お祭りに間に合ったようで、ようございました」

「祭り……?」

「ええ。実に賑やかなものでございますよ」


 凌時が物言いたげにこちらを見てくるが、詩凪は困り果て、結局口を閉ざしていた。柾もキキも言いたいことはあるようだが、本人を前に口を開く気にはなれないようだ。

 つまり、まあ――藍の感性を真に受けるな、というようなことを。

 詩凪たちの反応から凌時もなにかを察したようで、次第に顔が顰められていく。無意識か、それとも失礼と分かっていてやっているのか、二、三歩後退して藍から距離を取っていた。

 当の藍は、明らかに自分を嫌厭している凌時の様子にも、笑みを崩さない。


「――ほら、あちらからやって来ました」


 そうして、彼は道路の上手側を指し示す。

 それは、まるで動く切り絵だった。ジンジャーブレッドマンのように抽象化された人型が、主要道路の真ん中で列を為して歩いている。皆々真っ白ののっぺらぼうだったが、揃って楽しそうに歩いていた。

 楽器を吹いたり、踊ったり。旗を振り、御輿を担ぎ、手を振り上げる紙人形たち。紙吹雪まで舞ってる様子は、まるでお祭り騒ぎだ。

 ――いや、本当にお祭りなのだろう。藍が今そう言っていたではないか。


「なんだ、ありゃ」


 詩凪の隣から悲鳴混じりの声が上がる。魔術師とはいえ、魔術的な現象にはじめて直面するらしい凌時には、あまりにも奇怪で――戦慄する光景だったのだろう。詩凪もはじめて見たときはそうだった。

 現在も、〈異録〉の怪異はおぞましく思えて仕方がない。


「第四章第一節〈葬列〉。魔女の死を祝い、住人が棺を担いで町中を練り歩く……ルルーの町最後の喜ばしい催しが再現されていますね」


 仮面のような笑みのまま、しかし声に喜色を滲ませる藍の解説を聞きながら、詩凪はいつも不思議に思う。

 〈異録〉の怪異の発生を知らせる彼は、何故か〈異録〉の内容をよく知っていた。それこそ、所持者である詩凪以上に。穂稀が彼に〈異録〉を貸与した覚えなどなく、また藍のほうも借りたことはないと言っていたというのに、いつもこと細やかに〈異録〉も怪異を解説してくれる。


「ですが、棺の中身はないようです」


 そして、このような警告も、また。


 詩凪たちに注意を促した藍は街灯の下から暗がりに下がり、そのまま夜に溶けていくように姿を消して。

 彼の離脱を待っていたかのように、白い紙人形たちは詩凪たちを取り囲んだ。ついさっきまで認識していないかのように振る舞っていたくせに。今はじっと詩凪たちに注目している。


「私たちの誰かを棺に入れようっていうのかしら」


 うんざりしたように言うキキは、モップの柄を地面に突くと、楕円のレンズを煌めかせ、仁王立ちしながら紙人形たちを牽制する。そうやって詩凪を守ってくれる姿はいつも頼もしい。

 そして柾もまた、詩凪を守るために前に進み出てくれる。表情が厳しいキキと違っていつも笑っているのだから、こちらもまた頼もしかった。


「君が入るかい?」


 あの棺に、と新入りの凌時に笑えない冗談を言うのは、あんまりだとは思うけれど。


「どうする? 引き返すなら、今のうちだよ」


 詩凪と、キキと、柾と。三人にじっと見つめられた凌時は少し狼狽えていたが、すぐに決意を固めた表情を浮かべると、顔を上げてはっきりと宣言した。


「やるさ。――覚悟はできてる」

「だってさ、詩凪」


 柾の視線を受けて、詩凪は頷いた。


「うん」


 一歩、二歩。みんなよりも少しだけ前に出る。襲われるかもしれない恐怖に耐えながらもしっかりと紙人形たちを見据えて、ポシェットから小さな箱を取り出した。立方体の、細工の入った木製の箱を、両手で掬うように胸の前で掲げ持つ。


「それじゃあ、やるよ」


 詩凪は腹腔に力を入れ、掲げた箱に意識を向ける。

 詩凪の母は、結界術を得意とした。そして詩凪もまた、母に教わって結界術を体得している。

 触媒は、この箱だ。

 両手の平から魔力を送り込みながら、詩凪は想像イメージする。〈異録〉の怪異を、詩凪たちが今いるこの場所ごと箱の中へと閉じ込めるのだ、と。

 強く念じているうちに箱が宙に浮かびはじめた。従って両腕を広げると、箱は淡く白い光を放ちはじめる。更に高く高く浮かべていくうちに、箱が膨張しているかのように光が拡がっていく。

 信号が点滅している交差点を中心に、辺り一帯は巨大な立方体に覆われた。

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