第2節 エンカウント

 そうは言ったものの、柾と凌時の二人はじっとしていられなかったようで、少ない手掛かりからも独自で〈グランギニョール〉について調べているようだった。殊に、捜している二人は外国人だという。観光客が増えてきたとはいえ、この日本では西洋人はまだまだ目立つ。まして、占い師や中学生くらいの少年となれば見つけやすいはずだ、とのことだが、結果は奮わず。ただ疲労して帰ってくることの方が多かった。

 その一方でキキはといえば、ただ家のことをするのみ。家事で一日が終わってしまう。元々使用人、それが仕事であるので当然のことではあるのだが、キキ個人としては、もどかしい日々が続いた。

 ――妹みたいに見守ってきた詩凪が、今に危険に晒されかねないというのに、自分だけはのうのうと。

 無力感に、飛び石の砂埃を履いていた土間箒の柄をぎゅっと強く握りしめる。


「元気ないね。どうかした?」


 物思いに沈んでいた、門から玄関までの前庭掃除の最中。振り向けば、敷地の入口に柾が居た。爽やかな白のシャツに、ベージュのスラックスを穿き、サスペンダーを着けている。今日は珍しく、眼鏡姿だ――普段は分かりにくいが、彼もまた軽度の近視なのである。

 今日は週の中日。いつもなら都内の専門大に行っているはずの彼が、どうしてここにいるのだろうか。


「先生の出張で今日は講義が一個つぶれててさ。他は一般教養パンキョーだからサボってきちゃった」


 キキの疑問を察した彼は、さらりと言う。サボったことに罪悪感を持った様子のない辺り、この男の軽薄さがよく分かる。コンタクトをしていないのも、朝からサボる気満々だったからということか。


「全く貴方は……詩凪に真似させないでくださいね」

「するような子じゃないから大丈夫だよ、お姉さん」


 過保護を揶揄する言葉に一つため息を吐く。


「で? 夏になった真っ昼間に帽子もなくただ突っ立ってるとか、どういう被虐趣味なのかな?」

「素直に心配したらどうですか。私が言うことではないですけど」


 などとぼやいては見るが、胸のわだかまりを持て余していたものだから、結局白状する気になった。気心の知れた仲、その上詩凪のことでは想いはほぼ一緒、となれば、つい口は軽くなってしまうのだ。


「別に、私にできることはないのかな、と思っただけです」

「……なるほど」


 そのたった一言を溢しただけで、柾はキキの言いたいことを察した。


「ホント、君も結構過保護だよねぇ」

「柾さんほどではありません」


 でれでれに甘やかし、服まで仕立てている張本人が、よく言ったものだ。


「そんなに気にすることでもないと思うけどね。だって、敵の襲撃に遭うとしたら、やっぱりここなんだし」

「……縁起でもないことを」

「強ち冗談でもないんだけどね」


 こちらに向けて視線を流す柾に、キキの背筋が伸びた。冗談でも慰めでもなく、彼は本気で言っているのだ。


「いざというときに家を守れるのは、君じゃない?」


 キキは顔を顰めた。励ましてくれているのだろうが、結局それしかできないと言われてもいるようで、やはり胸中は複雑だった。

 そんなキキの心境を察したのだろう。やれることをやるしかないんだよ、と微苦笑を浮かべる柾に軽く肩を叩かれた。


「……僕も、やることをやるだけだ」


 言い聞かせるように呟いた声が普段と違うような気がして、キキは思わず柾を凝視した。植え込みの方を見やる瞳は暗い。柾に限ってそう珍しいことでもないが、今は何か引っ掛かりを覚えた。


「間宮はいるかな? ちょっと用事があるんだけど」

「……この時間なら、おそらく部屋にいます」


 父、間宮繁喜しげよしは、詩凪の秘書のような仕事も請け負っているわけだが、その業務は主に詩凪が学校でいない間に行われていた。主人が在宅していれば、やはりどうしても彼女のために時間を割かれてしまうのである。しかし、詩凪が学校に行っているときはその限りでない。手が空きそうなときは家の仕事は妻と娘に任せて、自室でいろいろな雑務に取り掛かるのである。

 今もそうしているはずだ、と伝えると、ありがとう、とだけ言って、柾は屋敷の中に入っていった。

 その背を見送りながら、キキは首を傾げる。


「柾さんが、執事とうさんに用事」


 詩凪がいない代わりに、という訳でもなく。あまりないことである。

 穂稀と同じく使用人を雇っている家に生まれた彼にとって、執事とは単にそこにいるだけの、手足のような存在だ。蔑ろにはしないし、気にも掛けるが、親しみをもって会いに行くような相手ではない。それは、他所の家の執事に対しても同じこと。例外はキキだけで、もっともそれは、詩凪が友人のように接しているから、自分もそれに近い形で接しているに他ならない。

 だから柾が、わざわざ間宮に会いに来たというのがひどく奇妙な事に思われた。


 気にはなったが、何かあれば父が教えてくれるだろう、と自らを納得させ、キキは掃除に戻る。

 ――日差しが熱い。

 柾の言うとおり帽子を被るべきだった、いや、そもそも日の高い時刻に外で作業すべきではなかったのだ、と後悔しながらも、一度はじめてしまったものを投げ出すこともできないので、大人しく帽子を取りに行く。

 農作業のときに使う大きな麦わら帽子を被って戻ってみると、黒く塗られた金属の門の横に植わった花盛りのサルスベリの木の下に人影があった。

 今日は客人が多い日だ、と内心思いながら声を掛ける。黙って門の中に入ってきた侵入者を咎めないのは、見知った相手だからだ。何分常人ではないものだから、常識も通じない。


「藍様、如何なさいましたか? 生憎、詩凪はまだ学校で――」

「ああ、それは承知しています」


 まだ真昼時ですからね、と微笑みを貼りつけて藍は言う。ならば何故今来たのだろう、とキキは首を傾げた。


「実は、お客人を連れてきております」

「お客様?」


 ますます詩凪がいない時間に連れてくる理由が解らない。頭の中に疑問符を並べながらも、キキは内心で警戒を強めていた。――なにかがおかしい。


「どうぞ」


 藍の促す声に応じて、観音開きの門を開けて一人の少年が姿を現す。中学生くらいの少年だ。栗色の髪に青い瞳の、綺麗な顔の西洋人。

 キキは、はっ、と息を飲んだ。

 少年はキキに声をかけることもなく、ポケットから十字架のようなものを取り出すと、悪魔祓いをする神父のように、キキに向かって突きつけた。

 なんだ、と思う間もなく、上方から不穏な気配を察知し、キキはその場から飛び退いた。カカカ、とキキのいた地面の上に三本の剣が突き刺さる。


「ちぇ、避けられたか。さすがにボーッとはしてないね」


 あんたんところの主様とは違ってさ、といきなり魔術攻撃を仕掛けてきた少年は底意地の悪い笑みを浮かべる。その正体をすぐに察したキキは声を張り上げた。


「貴方……〈グランギニョール〉っ!」

「ご名答」


 答えながら、少年――詩凪たちが耳にしたところによると、確か名前はノエ――はもう一度十字の剣を象ったエンブレムを突き出す。

 魔術による攻撃だと理解したキキは、手にした箒を右の脇に抱えるようにして持ち、前に走った。降り注ぐ剣がキキの頭を離れた麦わら帽子を突き刺し、藪の向こうに消えていったのを尻目に、少年までの距離を詰める。今一歩、というところで足を踏ん張り、箒を棍のように振り回した。

 ぶわ、と振り下ろした箒の穂先から風が巻き起こる。


「わっ」


 正面から旋風を受けたノエは、咄嗟に腕で顔を庇い、二、三歩後退する。


「……ビックリした。おねぇさんの触媒はモップだって聴いてたんだけど」

「自分の触媒が一つである理由はないわ」


 端的に答えて、キキは箒を構える。左足を前に出し、穂先は右肩の後ろへ、柄の先は前方下側へ。振り下ろすのも跳ね上げるのも、どちらも隙なくできる体勢。

 貴重な魔書が集まる穂稀家。今回のように、不届き者が度々現れることがある。そういう相手を追い出す掃除も、またキキの大事な仕事だった。つまり、詩凪が〈異録〉のページ探しをする以前から、戦闘経験があるのである。

 そして、穂稀の邸の敷地はキキの縄張りテリトリー。得意な得物はモップだが、どんなときでもすぐに戦えるように、家の掃除道具の大半は魔術の触媒として使えるようにしてあった。はたきだってそうだし、バケツだって使う――さすがに掃除機は重さと大きさの所為で断念したが。ああでも、ハンディタイプを買ったら有りかもしれない。

 ……掃除のことを考えている場合ではなかった。


「ところで、誰に聴いたの? 私がモップを使うって」


 確か初対面だと思ったのだけれど、と言えば、生意気な少年は、


「秘密」


 と、思わせ振りに人差し指を口の前で立てた。

 ノエに対峙したまま、キキは脇に目を向ける。いつの間にか門から離れ、玄関までの道のりの中ほどまで入ってきていた藍は、すっかり青く枝が伸びはじめたツツジの木の側で、面白そうにキキたちの攻防を観戦していた。


「……藍様、貴方ですか」


 問いただせば、返ってきたのは肯定の言葉。


「この前凌時様にご指摘をいただきまして、彼らに手を貸してみるのも面白そうだな、と」

「迷惑な」

「ご安心を。彼に加勢はしませんよ」


 と、藍は些か的はずれなことを言う。


「僕は、面白いものが見られればそれで良いので」

「我々が小競り合うのが、面白いものですか」

「いいえ。僕は〈異録〉にしか興味関心はありませんよ?」


 その言葉に引っ掛かりを感じて、キキはノエから目を離した。


「それは、どういう――」

「こういうことっ」


 再び目を戻した先で、少年は一束の書類を掲げて見せた。それが何なのか、判らぬキキではない。

 〈ルルー異録〉のページ。おそらく、まるまる一節分。〈異録〉に書かれた術を再現するに充分な枚数。


「させないわっ!」


 キキは手を伸ばし、ノエからページを奪い取ろうとした。しかし、少年はキキの腕を掻い潜り、反対側へ出ると、距離を取って剣のエンブレムをページに重ねて振りかざす。

 何もない宙空から剣が現れた。すらりとした十字剣。ノエはその剣を掴み取り、キキの足元を薙ぐように振り回した。

 が、と地面を引っ掻く音がする。

 土塊を飛ばしながら孤を描く剣先の軌道を目で追いながら、キキは箒を自らの身体に引き寄せる。

 自分の触媒に、ページの力も合わせて出した剣だ。なにかしらの特異な力が宿っているものと考えられるが……それでも、キキは躊躇わずに前へ踏み込んだ。

 柄で剣を打ち払えば、彼はあっさりと剣を手放した。旋風とともに頭に穂先を振り下ろせば、ノエは後ろに跳び退り、風の力も利用して、キキから大きく距離を取った。


 そして、触媒のエンブレムをポケットにしまった。


 突然戦意を引っ込めた少年を、キキは訝しむ。


「……いったいどういうつもり?」

「どういうつもりもなにも……用事は終わったからね」


 これなーんだ、と少年が持ち上げて見せた黒いものに、キキは眼鏡の向こうで目を細めた。べろんとしたそれは、まるで〈異録〉が見せる人型のよう。しかし、色が違うし、あれに比べてなんだか存在感が希薄だ。


「これは、影。おねぇさんのね」


 は、と間の抜けた息を吐き出して、足元を見る。キキがせっかく掃き清めたのに、今の戦いの所為で荒れてしまった地面。足跡や引っ掻き傷の残る地面は、背後からの日の光を反射していた。

 ――それこそ、地面が白く見えるほどに。


 違和感を覚えて、キキは後ろを振り返り、空を見上げる。直視できないほど眩しい太陽は、麦わら帽子を失ったキキの後頭部をじりじりと焼いているはずだった。

 けれど、今は何も感じない。

 キキはもう一度、自分の足元に目を落とす。


「……影が」


 光の下でキキの存在とともにあるそれが。

 地面の上に、うっすらとも見当たらなかった。

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