第6節 辛勝の評

「ふぅ……」


 紙の束を拾い上げた詩凪がため息を漏らす。


「なんとか、なったぁ」


 そのままへなへなと床の上に座り込んだ。

 床に転がっていた凌時は身体を起こす。自分の前に座り込む少女に、さっきの台詞の意味を尋ねようとして、


「姉の身体をどうするか悩んでいた弟は、人形を使うことを思いつきます」


 本来聴こえるはずのない第三者の声に、肩を跳ねさせた。

 振り返った先には、畳んだ黄色の肌掛けが置かれた小さなベッドと、その上に腰掛けた、紙人形よりも悪趣味な青い色の小さな人影。


「そして、身近にいた男の子を捕まえると、試しに魂を抜き取って、人形に移してみました。

 人形に入った男の子は、叫びます。

『助けて』『苦しいよ』

 弟は失敗を悟り、人形に入れた魂が苦しまずに済む方法を考え始めました。苦しみの声をあげる人形は置き去りにして」


 ゴシックな少年は、呆然とした様子で見ている凌時たちに向けて、実に満足そうな蠱惑的な笑みを幼い顔に浮かべた。


「第五章第三節〈魂の器〉の一場面。その怪異の顛末。そこそこ楽しませていただきました」

アオイさん……」


 どうしてここに、と呆然と詩凪は呟いた。いつもいつも怪異が現れるとそこに出てくる藍だが、まさかこういうところにまで現れるとは思わなかった。

 ……いや、そもそも。


「お前、いつから見ていた?」


 低く尋ねる。笑みを浮かべる少年を見る目付きが鋭くなるのは、止めようもなかった。

 神出鬼没を脇に置いても、彼が今ここにいるのは酷くおかしい。今回藍から人形についての情報提供はまるでなかった。なのに、ここで起きていたことを知っている。それは彼が知ってて黙っていたことになるわけだ。


「ずっとではありませんが……人形が売られたときからです」


 それはもう、ほとんどはじめからというわけだ。どうどうと他人の家の中に入ってまで観察していた、と。


「人が苦しむのをただ見てたってわけか」


 怒りを滲ませて凌時は呻く。人形を手にしてから凌時たちが来るまで、幸羽は精神を減らし続けていたのだ。それを何もせず高みの見物など、人だろうと妖だろうと、あまりに底意地が悪すぎる。


「すぐに貴方がたがどうにかするだろうと思っていましたので」


 白々しい台詞に鼻を鳴らした。今回はたまたま凌時たちが情報を仕入れて辿り着いた訳だが、仮に無視していたとしても、そのうち関わる羽目になったことだろう。この青いクソガキによって。

 疫病神、という言葉が頭を過る。幸羽に人形を売り付けたのも、こいつではないだろうか。


「さて、それはどうでしょう?」


 どうやら心が読めるらしい。今さら何ができたとて驚きはしないが、腹は立つ。

 しかし、藍は凌時の怒りに気付いていながら、どこ吹く風と一向に気にかけた様子がない。


「さて、私はそろそろお暇致します」


 では、と帽子を取って一礼し、踵を返した後、ふと何か思い出したように凌時たちのほうを振り返る。


「そうそう、桝水様。魔書の触媒に頼った貴方にはまだ、招魔と同時に別の魔術を扱うのは難しいかと。どうかご無理をなさらぬよう」

「ご教授痛み入るよ!」


 すでにベッドの影に溶けてしまった少年に、凌時は怒鳴り散らした。助けに入ることもせず、人の無様をさんざん眺めた後にいう台詞がそれなのか。しかも、必要もないのにわざとらしい仕草をわざわざしていくなんて、おちょくっているにもほどがある。


「……ったく、なんなんだ、あいつは」


 言いたいことを言って帰っていった自分勝手な藍に悪態を吐いたとき。

 ドンドンドン、と部屋の扉が叩かれて、凌時と詩凪は飛び上がった。


「クロノさん? 大丈夫ですか? 何かあったんですか?」


 扉の向こうから、幸羽の声が聴こえる。凌時の怒鳴り声に反応し、なにか心配したようで、しきりに扉を叩いて外から呼び掛けているようだ。

 凌時と詩凪は互いの顔を見合わせる。


「……出るか」

「……そうだね」


 怪異は片付いたし、もうドアを開けても問題ないだろう。

 とりあえず、恥ずかしいのでハンドルネームで呼ぶのを止めてもらわねば。




「それで、一節分集めてきたと言うわけだね」


 夕方。穂稀の家の談話室。円卓が二つに並べられ、端っこにアップライトピアノが置いてあるミントグリーンの空間。戦いで荒れてしまった幸羽の部屋を片付け、ページを持って帰ってきた詩凪と凌時は、この座り心地の良い椅子に座って、事の顛末を柾とキキに報告した。くたくたになって帰ってきた二人の目の前には、キキが振る舞ってくれた紅茶とメレンゲ菓子がある。すっかり草臥れて空腹になっていた凌時たちは、歓声を上げてすぐさま菓子に飛びついた。砂糖のシンプルな甘さに、口の中でしゅわ、と溶ける食感に癒される。


「たった一人で詩凪を守りきるなんて……ようやく頼りになってきたということですね」


 凌時はこれに何一つ言葉を返せなかった。頼りになれるようになったどころか、足を引っ張ってきたところだ。肯定はもちろんできないが、恥ずかしさのあまり自己申告することもできなくて、凌時は無言で菓子を口に入れる。詩凪が何も言わないのが本当にありがたい。

 柾が何かを悟って、胡乱な目を向けてくる。お前の所為だ、と言ってしまいたいのを堪える。ここで責任転嫁などしたら、それこそ柾の嘲笑の的だ。


「でもこれで、ページ集めも捗るというものだよ。ね、詩凪」

「うん……」


 柾が話を振ったというのに、詩凪は生返事をする。普段、ページを回収した後、目に見えて喜びはせずとも安堵した様子を見せる彼女が、浮かない表情を浮かべている。

 これにはキキも気付いたらしい。眉を顰めて詩凪の顔を覗き込む。


「……どうかした?」

「うーん……なんか今回の、ちょっと変だなって思って」

「変?」


 キキは首を傾げる。当事者の凌時も心当たりがなくて、首を傾げた。


「何処が?」

「具体的には言えないんだけど……」


 メレンゲ菓子を頬張りながら、詩凪は眉根を寄せる。必死に考えを巡らせているようだが、答えは一向に見つからないようだ。うーん、と唸ったまま、結局口を開かない。


「気の所為じゃないかな」


 悩み続ける詩凪を見かねてか、柾は声を掛ける。無責任な奴だと思いつつも、凌時のほうもやはり何も言えることがない。どっちなんだろうな、と思いながらぼんやりと菓子の入った篭に手を伸ばし――とうとうキキがそれを見咎めた。


「貴女たち! いい加減食べるのを止めなさい! 夕食前なのに、食べすぎよ」


 きりり、眦を吊り上げて、腰に手を当てて凌時たちを一喝する。あまりの迫力と叱られた気まずさに、凌時と詩凪は揃って肩を縮こませた。

 卵一つ分の卵白で、家庭向けオーブンレンジに付属された天板二枚分は作れてしまう。作る方も食べる方もお手軽なのだが、実質ほぼ砂糖だけといっても過言ではないこの菓子をたくさん食べるのは、あまり健康には良くないだろう。少なくとも、歯には良くない。

 それを機械のように無尽蔵に食べ続けていた二人は、ようやく菓子に伸ばした手を止めると、キキに向かって頭を下げた。


「「ごめんなさい、つい美味しくて」」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る