第4章 不機嫌な幼馴染
第1節 不愉快
「うわぁ」
鋏を抜きながら、
「随分と間抜けだなぁ」
目の前にいるのは、蛇の化け物だ。蛇、といっても頭から胴体にかけては人間の形を取っているので、見た目はラミアに近い。ただし、頭は二つ。尾のほうにも人間の上半身がある。ラミアとアンフィスバエナの融合体と言って通じるかどうか。前者はともかく、後者は知名度が低い。
そんな見た目は恐ろしい蛇人間二人(因みに男性体、おそらく)は、
ただ、お互いに別々の方向へ進もうとしているものだから、蛇の胴体で綱引きしているようにしか見えなかった。
柾が〝間抜け〟と称したのは、まさにそこである。
発端は、意外に便利だったネットの掲示板の書き込みだ。
実は、現象事態はずいぶん前から見られていたらしい。ただ、逢魔ヶ時という薄暗い時刻に目撃されたことと、子どもが多い場所であったことが理由となって、話題になるまでに随分と時間が掛かっているようである。
目撃者が幼稚園児なら、大人は真剣に取り合わず。
小学校の低学年なら、妄言と一蹴される。
高学年にもなれば、そもそも自分から見間違いだろうと判断して流してしまい。
部活や受験で忙しい中学生、高校生は、そもそも目撃することも少なく。
そうして、双頭の白蛇の存在が目撃されても認知されない状況がしばらく続いた。
けれど、さすがに目撃者が多くなってきたようだ。最近になってようやく騒ぎだした。近所で噂になり、そしてとうとう凌時の掲示板に書き込まれた。
それを見つけて調べてみれば、案の定、あの
「魔女の弟がした実験の中で、特に面白いものがいくつかあります」
詩凪の家にやってきたゴシックの少年は、そうして嬉々として嗤った。
「姉を甦らせるという気持ちが強かった所為でしょうか。彼は特に、兄弟の在り方について関心があったようですね。ずいぶんといろいろやったようです」
その一つが、あの蛇らしい。
何故兄弟の在り方を追及しようとしてあんな形になるのか甚だ疑問だが、ともかくあれは〈ルルー
柾はなんとなく、今すぐあれを切り刻んでしまいたくて、うずうずしていた。
「なんか……少し可哀想」
目撃時間に合わせて日の入りの時刻に、現場となる学区街にやってきた柾たち。微妙な明るさの所為で暗闇よりもかえって視界の悪いなか、件の〝蛇〟を見た
「……だな」
そんな詩凪にただ一人凌時が応じる。普段と違って、怪異が襲ってくる様子がないからだろうか。呑気なものである。この二人は最近ますます気が合うらしく、少々ムカついて、柾はつい苛立ち紛れにカシャリ、と鋏を鳴らした。
「どうかしました?」
柾の鋏の音を聞き咎めて、キキが声を掛けてきた。
「……別に、なんでもないよ?」
そう応えれば、彼女は訝しみながらも、そうですか、と引き下がる。詩凪と同じくらい長い付き合いの彼女だ。取り繕えないほどの苛立ちを見せる柾への対応を心得ている。そっと柾から視線をそらすと、凌時と仲良く兄弟喧嘩を見守っている詩凪に声を掛けた。
「詩凪、なんとかしないと」
「あ、うん。そうだよね」
我に返った詩凪が、手帳を取り出す。ここに来たときに既に結界は張ってある。魔書を出しても、彼女の出番はもう少し後。
なのだが。
「えっと……どうしよう?」
戸惑った様子で詩凪は首を傾げた。あちらが襲ってこないものだから、攻撃してもいいものか、考えあぐねているらしい。同じく困惑している凌時とキキも、これには沈黙する。
もしかすると――否、十中八九、このままページに戻してしまえばいいのではないか、とでも思っているのだろうが。
「こうすればいいんじゃない?」
詩凪の思いをあえて無視して、柾は鋏を突き出した。
シャキン、と何もない宙空で鋏を動かす。少し離れた先で、
絶句する詩凪、凌時、キキ。それからついでに分断された蛇兄弟。
「ほら、これでお互い好きなところに行けるよ」
と言ってはみたものの。
先ほどまで喧嘩していたはずの兄弟は、いざ切り離されるとそれはそれで悲しいらしく、自身のしっぽを切なげに見つめた後、こちらに牙を向けてきた。
「お前、何してくれてんだ!?」
蛇兄弟よりも先に、凌時が目を白黒させながら噛みついてくる。
「だって、喧嘩してたし?」
「ぜってぇそんな親切心じゃねぇだろ!」
がなりながら魔書を取り出し、〈
ずいぶん成長したものだ、と思う。招魔の術だって、はじめのうちは「これじゃあ自分が戦えない」と騒いでいたくせに、いつの間にか使い魔を呼び出したままでも魔書を使えるようになっていた。それどころか、最近は得意の火の術以外の魔術も使いはじめているようだ。時折紫電が辺りを走っている。
それでもまだ危うさが残るので、キキがモップを持って加勢に行ってはいるのだが。頼れるようになったと言っても、まあいいのではないだろうか。
「さてと。他人のことは置いといて」
柾の前に、もう一方の蛇がいる。
他の例に漏れず、ただの切り抜きにしか見えない怪異。柾を相当恨んでいるらしく、こちらを激しく威嚇しているのはなんとなく感じるのだが、柾もいまさら臆するような繊細さは持ち合わせていなかった。
むしろ、煩わしい。
「さっきまで、あんなに争っていたくせに」
片方の穴に指を入れてくるくると回していたのを止め、柾は自身の鋏を分離した。一本ずつそれぞれ、順手に持って構える。分離したとはいえ、所詮は鋏。刃の長さなどたかが知れていて、ナイフほどの脅威も相手には抱かせない。しかし、
薄っぺらい紙なんて、脅威にすらならない。
右手の刃を相手に突きつけ、先を振る。
「何がそんなに悲しいのか、僕には全く分からないね」
安い挑発にあっさり乗って飛び掛かってきた相手を鼻で笑い飛ばしながら、柾は蛇人間の切り絵を左右真っ二つに分断する。紙でできた化け物も、現実の理に沿うらしく、〝こうなっては生きてはいられない〟状態になると、活動を停止する。
刃は一本でも事足りた。が、まあ鋏は刃が二本あるものだから。
「馬鹿馬鹿しくて、仕方ないや」
おもむろに刃を振るう。横に真っ二つに切れたページは、縦に分断されて四枚になった。
「仲の悪い兄弟と離れて、いったい何が悲しいんだ」
もう一度。小さな紙と大きな紙で、四枚は六枚に。
「清々するだろ普通。煩わしいやつが居なくなってさ」
「マサくん?」
大きさを均等に八枚切りにしてやろうと思ったところで、背後から声が掛かる。
「大丈夫?」
高く、柔らかい声。左の袖を遠慮がちに引っ張る手。幼さの残る眼差しは、真っ直ぐにこちらを射抜いてくる。心から案じてくれているのだろう、切なげな表情が柾の胸の内を揺さぶった。
柾は唇を震わせる。
「ねえ、詩凪――」
ふと口をついて出そうになった胸のわだかまりを、柾は呑み込んだ。笑みを取り繕い、戯れに切り裂いていた蛇を指差す。
「あれ、なんか不快だから、早く片付けてくれるかな?」
詩凪はしばらくもの言いたげにしていたが、
「…………うん、分かった」
早く、と視線で訴えれば、何も言わずに従った。
蛇兄弟がただの紙に戻るのを眺めながら、柾はこっそりとため息を吐く。
魔術という殺伐とした世界に身を置きながらも、恵まれた環境で大切に育てられた詩凪は、人の機微――特に暗い感情に疎いところがある。しかし、さすがにその鈍さも付き合いの長い柾にまでは及ばないようだ。取り繕って見せても、簡単には誤魔化されない。
ただ、簡単に言いくるめられてしまうあたり、やはり甘い。そこが可愛らしいのだけれど、と誰に宛てるわけでもなく一人思う。
「そうだ」
ページを拾い集めた後もまだこちらを気遣う詩凪に何かを聞かれる前に、まるで今思い出しました、という体を装って柾は詩凪に質問した。
「詩凪、今度の日曜空いてる?」
「え……? うん。特になにもないよ。どうして?」
「〈月恋歌〉のチケットを手に入れたんだ。観に行かない?」
気に掛かることはあっても、人は興味を持っているものには反応してしまうもので、詩凪の目の色が変化する。
「……行きたい、けど」
ただ、あっさりと忘れはしなかった。はっきりとしない返事をする声には、まだ戸惑いが垣間見える。
「〈月恋歌〉……?」
聴いたことなどないのだろう、凌時は訝しげな顔をした。
「今、都内でやってる舞台だよ」
「舞台ぃ?」
予想外だったのか、素頓狂な声を上げる。高度な映像技術で加工されたテレビドラマや映画に慣れ親しんだ所為か、凌時の中で舞台演劇は、存在は知っていても実際に観に行くものではないらしい。
「詩凪は舞台演劇が好きなんだよ」
いつだったか、まだ彼女が幼い頃、母親に連れていかれたのを切欠に、のめり込んでしまったのだ。画面越しでは感じられない迫力。間近で翻る華麗な衣装。そして、なにより詩凪が魅せられたのは、小さなステージを巧みに利用した舞台装置。
まるで絵本から飛び出してきたみたい、と後日詩凪は興奮ぎみに柾に語っていた。奇しくもそれは魔書の再現に類似したものがあるからして、職業病に似た何かかな、とその時は思ったりしたわけだが。
「お前もか」
凌時は呆れ気味に尋ねた。ただの詩凪の好みにかこつけたデートのお誘い、とは思わなかったらしい。そこは間違っていないが、舞台で物語を演じられているのを見るが好きか、という意味であれば正しくはない。
「僕は、どちらかと言うと衣装を見に、だね。勉強を兼ねているんだよ」
服の趣味から察する人も多いだろうが、柾はあまり現代のファッションには興味がない。もちろん、服飾を学んでいる以上、最低限の情報は仕入れてはいるが、それよりも興味があるのは過去のもの。具体的には、近世・近代のドレスやらの盛装だ。それから少し外れるが、明治・大正のいわゆる〝モボ〟、〝モガ〟も対象内。いわゆるレトロ趣味である。
その切欠は、やはり詩凪と同じ舞台演劇であったりする。詩凪があまりに熱心に語るものだから、誘われた折りに興味本位でついていったのだ。話の内容は忘れてしまうほど興味を持てるものではなかったが、衣裳には目を奪われた。実に複雑な意匠だったのだ。その技巧に興味を持ち、気づけば衣裳デザイナーを志すようになった。詩凪が喜ぶような舞台衣裳を手掛けられたら、と今は思っている。
「なんなら、君も行く?」
などと凌時を誘ってみれば、彼は拗ねたようにそっぽを向いた。
「馬鹿言え。先越されたからって、デートの邪魔するほど俺も野暮じゃない」
「ふぅん? 先越された、ねぇ」
「あ……」
自分の失言を悟って、凌時の顔が青ざめる。
なんとなく察してはいたが。凌時は詩凪のことが気になっているようだ。互いの年齢は近く、詩凪の見た目は客観的に見ても可愛らしいし、そのうえ同居までしているわけだから無理もないことではあるのだが、可愛い幼馴染をかっさらわれる可能性が出てきた柾としては実に不都合。
迎え入れるべきではなかったか、と後悔することしばし。だが、今となっては便利なのも事実だった。今更言っても仕方がない、とそのことについては諦めた。
ただ、本人にはきっちり釘を差しておこう。
「何の話?」
何かに気を取られて話を聞いていなかったらしい、詩凪は慌てふためく凌時に首をかしげた。さらに恥ずかしくなった凌時は、恥ずかしさのあまりに今度は顔を赤らめて、何でもねぇよ、と声を張り上げる。ただ、柾に対して怒鳴るときと違って威勢がまるでなくなっていて、怒鳴られた当人は全く気にしておらず、訳のわからなさにただただ小首を傾げていた。
誤魔化そうとしても動揺している所為で誤魔化せない凌時と、そんな彼に何かあったのかと心配する詩凪。あまりに滑稽なやり取りに柾は笑う。
柾のことは、すっかり何処かへ飛んでいってしまったようだ。
安心した。
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