第3節 ネットの噂

 月曜日の朝。珍しく早く起きて食堂に入ってきた詩凪に、早速凌時はスマートフォンの画面を見せた。


「この一日二日の間に結構来たぜ」


 無論、掲示板での〈異録〉に関する情報収集についての話である。詩凪と話した日の夜、凌時は篠庭しのにわの住民の利用の多い掲示板を探しだし、『オカルト調査をしているので情報求む』という旨のスレッドを立ち上げたのだ。


「ガセも多いだろうが、手掛かりにはなるだろ」


 文明が発達しても人間はそういうものが好きなのか、一日ちょっとの間に次々と情報が書き込まれた。ざっと見ても五十件はありそうだ。この中から一、二件くらいは有用な情報もあるはず。


「世の中、便利ですね」


 ふあー、と感嘆する詩凪の背後から携帯画面を覗き込み、銀縁眼鏡を押し上げながらキキが言う。


「キキさんたちが時代錯誤過ぎるんじゃないですか」

「……まあ、こういったものは、魔術を否定しにかかってますから」


 キキの父、間宮繁喜しげよしが機械を否定する一番の理由が、この電話機の存在だ。間宮が得意とするのは、魔術による伝達。しかし、電話機――特に携帯電話は、魔術なしでも、いつでも容易に連絡を取ることができてしまう。この事実は、間宮の自尊心を大層傷付けたらしい。キキも生まれる前後で知るよしもないが――彼女の母、菊恵の話だと、携帯やPHSが普及し出した頃から特に、家電に対する潔癖具合が強くなってきたのだという。

 間宮だけではない。長い時をかけて研鑽を重ねてきた魔術師は、己の技能を簡単に凌駕してしまう科学技術を嫌厭するのだそうだ。だから、詩凪の父も間宮の理不尽(にしか凌時には見えない)を許したし、同調さえした。


 その結果、こうした時代を二つ三つ遡ったような生活を強いられているわけだが。意外に慣れてしまえばテレビなどなくとも平気なものである。

 ……まあ、スマートフォン一つで大抵のことが事足りるというのもあるかもしれない。


 閑話休題。


「俺は今日、ここに書かれている噂を探ってみるわ。アドレス送るから、お前もそれっぽいやつについて誰か知っていないか聞いてきてくれ」

「分かった」


 ショートメールを立ち上げて、ホームページのアドレスをコピペし、送信する。ピピピ、とすぐに詩凪の携帯が鳴った。薄紫色の二つ折り携帯を開いて操作。どうやらすんなり入れたようだ。




 大学で講義の合間に友人たちと話をし、夕方バイト先でもオカルトな噂の話をしてみるが、思ったような収穫は得られず。

 仕方がないな、と帰って来た邸の食堂に、我が物顔で寛いでいる柾がいた。


「……お前、自分のうちはどうした」

「なぁに。僕がいると不都合?」


 さも当然とばかりに穂稀家の夕食を口にしながら、柾はせせら笑う。

 はあ、と凌時は溜め息を一つ吐いた。


「お前がそんなんだから、詩凪が困るんじゃないか……?」


 先日、詩凪が柾の兄に苦言をもたらされたことを知らないのだろうか。……まあ、知らないか。詩凪はまず告げ口するようなことはしないだろうし、柾の兄も、わざわざお隣に苦情を言いに行った、などと話しはしないだろう。

 何かあった、と詩凪に尋ねる柾の様子からしてみるに、凌時の予想は間違っていないことを知る。


「別に……大したことじゃないよ」


 詩凪は弱々しく微笑みながら首を振る。健気だし愚痴を言わないのは大したものだが、なにぶん表情が素直なので誤魔化しきれていない。

 案の定看破した柾は、「そう? なら良いけど」と言って凌時に視線を送った。あとで説明しろとのことだ。こちらは詩凪と違って、表情で全てを覆い隠しながら視線だけで命令する、なんてとても器用な腹芸をこなしてみせる。これは逃げられないな、と悟った。

 本当に正反対な幼馴染だ。今までよくうまくいった。それとも違うからこそ、なのか。


 間宮に促されて席に座る。途端、キキが素早く凌時の前に配膳する。全て揃うまでの間は落ち着かない。手が付けられないからではなく、されるがままというのにまだ慣れないのだ。

 今日の菊恵の気分は中華だったらしく、麻婆豆腐に酢豚、棒々鶏バンバンジーサラダに点心とお馴染みのメニューが運ばれた。ただ、唯一スープはフカヒレなどという馴染みのない高級食材だった。この辺りはさすが金持ちと思わせる。


 食事をいただきながら、凌時は詩凪に今日の首尾を尋ねた。そして、あちらの結果も芳しくないことを知る。


「何の話?」


 と、唯一話に置いていかれている柾が不機嫌そうに尋ねるので、掲示板のことを話した。


「なるほどね、携帯電話か」


 話を聞いた柾は、かなり正直に膝を打った。


「お前も思い付かなかったのかよ」


 一方で凌時はため息を吐く。とはいえ、詩凪に提案したときからなんとなく予想はついていた。柾は詩凪と違ってスマートフォンを持っていたが、使いこなせていない様子を兼ねてから見せていた。

 全く魔術師たちの機械音痴と来たら、だ。好き嫌いがここまで苦手意識に繋がるのか、と呆れてしまう。


 一足先に食事を終えて詩凪と茉莉花ジャスミン茶を味わう柾に、凌時は掲示板のページを開いた携帯を差し出した。常に凌時の弱味を握りたがる相手に個人情報の詰まった端末を渡すのは少し怖いが、相手は機械音痴。きっと大丈夫だろう。


「どれどれ……凄いな、色々な情報が入ってるね」


 画面をスクロールし、クリックするだけの操作はさすがに説明不要だったらしく、小籠包のスープの熱さに手――でなく舌を焼いていた凌時が口を出すまでもなく、記事に目を通していく。


「噂好きなやつは多いからな。とくにこういう都市伝説の類いは、匿名の方が喋りやすい」


 おいそれと他人の前で話題にしようものなら、迷信と失笑される。が、こういうことが好きな人間は意外と多い。吐き出し、仕入れる場所があれば飛び付いてしまう。

 そこを利用させてもらった。


「意外に使えそうだね……」


 いつも凌時には嫌みか小馬鹿にするようなことしか言ってこない柾が本当に感心したように呟くものだから、凌時は居心地が悪かった。


「何か気になるの、あるか?」


 柾はしばらくの間、お茶が冷める頃まで吟味して、


「これ、気になるな」

「どれだ?」


 酢豚をつつく箸を止めて、示された記事にさらさら、と目を通す。


「動く人形、ねぇ」


 数ヶ月前に購入した人形を飾っていたのだが、気付くと始めに置かれた場所と違う位置に移動していることが度々あるのだ、とのこと。紙製の軽い人形だから、はじめのうちは風かなにかに押されたりしたのではないかと思っていたのだが、窓や入口から離した場所においてもまだ動いているのだという。

 それも、日に日に移動距離が延びていく。最近では風の力とは思えないところまで動いているのだそうだ。しかも、通ったと思われる場所には形跡があるのだそうだ。例えば、横にずれて倒れたぬいぐるみ。ひっくり返った写真立て。まるで障害物を押し抜けたような感じであるらしい。


 まるでホラーだ、と凌時は思う。どうやら一個人宅の出来事であるためか、感想は書かれていても共感コメントが少なかったため、凌時は見逃していた。


「なんでこれ?」

「忌術の中には、人形に人間や動物の魂を入れるなんてものがある。人間を実験対象にしていた魔術師が試すなんて事は容易に考えられるよ。確か〈異録〉でも似たようなことをしていたしね。

 ……まあ、ちょっと攻め方を変えてみたってのもあるけどね」

「はあ……」


 しゃくしゃく、と棒々鶏のタレが残った胡瓜を頬張る。その術についても〈異録〉の中身も分からなかったので、曖昧に返事をして、詩凪とキキに意見を求めた。二人ともこの件を調べることに異論はないらしい。


「じゃあ、こいつを調べてみるとして。詳しい話は、本人に聞いてみねぇと判らねぇな」

「でも、この書き込みって匿名なんでしょう? どなたかも分からないのに、どうするの?」


 と、詩凪。携帯電話やインターネットに不馴れな癖にずいぶんと核心を突いた指摘をする……と思ったら、どういう経緯か、聞き込みの際に友達から教えてもらったらしい。


「……ちょっと時間をくれ。どうにか突き止める」

「当てがあるの?」

「ま、一応な」


 当てというよりは、やりようというべきかもしれないが。とりあえず、試してみることのできる手段はある。


「へえー」


 平坦な柾の声に、凌時は眉を潜めた。


「なんだよ、意味深に」

「なんでもないよ。気にしないで」


 薄く笑いながら手をひらひらと振る柾。相変わらずいけ好かない、と思いながら、凌時はデザートの愛玉子オーギョーチを飲み干すように一気に口のなかに入れた。口の中はさっぱりしたが、胸のもやはスッキリと晴れることはなかった。



  □ □ □



 数日後。本人と会うことになった、と凌時は詩凪たちに報告することができた。


「まさか本当に突き止めるとは思わなかったよ」


 邸の二階。談話室のソファーにゆったりと腰を掛け、脚を組んだ柾は、またも凌時に対して感心したような声をあげた。ここ最近頻発する珍しい対応に、柾の中の凌時に関する持ち株が実は上がっているのではないか、と錯覚する。もちろん痛い目を見るだろうことは間違いないので、本気で思い込むようなことはしない。

 ……まあ、でも、少し気分は良い。


「見栄やはったりは言わねぇよ。まあ、今回は匿名の相手だっただけに、自信なかったのは事実だけどな」


 なにせ、インターネットを通じて出会う相手は、何処の誰とも知れぬ匿名の人間だ。


「どうやったの?」

「個人的にコンタクト取ってみただけだ」


 実は、凌時が利用した掲示板は、メールアドレスで登録してマイページを得る、コミュニティ形成型SNS内の掲示板だ。掲示板のほかにも登録ユーザーと個人的にやり取りできるメッセージ機能もついていて、凌時は掲示板で特定したユーザー情報から、そのメッセージ機能を利用してコンタクトを取ったのだ。


「五分五分だったんだが、相手もよっぽど困っていたらしくて、もしかしたらどうにかできるかもしれないから話聞かせてくれって言ったら乗ってきた」


 見ず知らずの相手に会おうとするのだ、よっぽど切羽詰まっているのだろう。異録のページ集めに貢献できればそれで良いと思っていた凌時もさすがに相手のことが心配になってきて、早々に約束を取り付けた。

 約束は土曜日の正午。待ち合わせは、赤庭せきば駅の駅ビルに埋め込まれた喫茶店だ。


「という訳で詩凪、付き合ってくれ」


 魔術師とは名ばかりの、魔術が使える素人でしかない凌時には、その物を見ても〈異録〉によるものか判断を下せるはずがない。ここは持ち主についてきてもらうのが妥当だろう。相手には、連れがいることはきちんと伝えてある。


「うん、分かった」


 快諾する詩凪の横で、未練がましく柾が口を開く。


「……詩凪だけのほうがいいんだよね?」

「あんまり大勢でぞろぞろ行くと、相手が萎縮するだろ」


 因みに、相手は女性だ。その意味でも、余計な男の連れを増やすことは憚られた。


「……そうだね」


 しぶしぶ頷きながらも、じとっとした視線を凌時に向ける。如何にも物言いたげ……というかもはやプレッシャーを掛けてくるそれに、凌時は苛立ち声を張った。


「なんだよ、なにもしねーって!」

「信用してるよ?」

「ホントかよ」


 それにしては、台詞と目付きがあまりに乖離している。


「なんのこと?」

「なんでもねーよっ」


 話題についていけていない当事者は、さも不思議そうに首を傾げた。感謝すべきか、それとも嘆くべきか、この娘はこの手の察しが悪い。今時珍しくこうも純粋培養なのは、やっぱりこの幼馴染の所為だろうか。

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