第6節 Memoire:決意
「……ごめん。全部聞いてた」
一度家に連れて帰った父の死体を見送っていたはずの柾は、申し訳なさそうにそういうと、ロートアイアンで飾り立てた玄関扉の前に立つ詩凪たちの前へ歩み寄る。間宮に無言で会釈した後、詩凪の前に立つと小さな左肩にそっと手を置いた。突然の温もりに、詩凪の顔が上がる。
父を喪ったのが堪えているのだろう、柾のいつもの柔和な表情には翳りが見えていた。それでも、詩凪を見つめる眼差しは優しくて、涙が出てしまいそうになった。
ページのことだけど、と柾は切り出す。
「おそらくこの盆地の中だけを探せばいいと思う」
詩凪は眉を顰めた。確かに物が風に吹き飛ばされる距離なんてたかが知れているのかもしれないが、他所に飛ばされる可能性を排除するのは如何なものだろうか。まして、魔書である。下手をすれば文字通り〝ひとり歩き〟する可能性も否定できないというのに――。
「〈ルルー異録〉の舞台は一つの町。なら、〈異録〉の内容を再現するのも、市や町の規模で事足りるはずだ。だから最悪でも、この篠庭だけ探せば十分だと思う」
「そうか。それなら……っ」
盆地一帯に限定されても、紙切れ一枚を探し出すにはまだ広い。それでも、まだ探す範囲が決められているだけマシだった。少しだけ詩凪の気分が上昇する。
「僕も手伝うから。だから、きっと大丈夫」
励ますような優しい笑みに、さっきまで沈みきっていた詩凪の心はますます浮上した。絶望ばかりの闇の中でようやく一筋の光を見いだせたような気がした。
そうして余裕を取り戻した一方で、疑問が一つ頭に浮かぶ。
「でも、どうして? これは穂稀家の問題なのに」
両親を貶めることにもなるので認めたくはないのだが、この件は言ってしまえば穂稀の不始末だ。他所の家の柾には関わりのないことのはずなのに。
「関係なくはないさ。〈ルルー異録〉には、霧沢家も関わっている」
霧沢は何代か前に、ルルーを切り放した魔術師の血脈を取り入れていた。穂稀に〈異録〉が渡ったのも、霧沢を経由してのことである。確かに全くの無関係というわけではない。
「それに……〈異録〉を追えば、誰が父さんを殺したのか、判るかもしれない」
明後日の方向を見つめた柾の眼がぎり、と睨むように細められたのを見て、詩凪は息を飲んだ。そこに浮かぶのは、憎悪だ。基本穏やかで他人に無関心な柾には、滅多に見られない感情。
一見ドライなようでも、家族は大切にする人だった。他人に対して無関心な分、身内への情は深い人。
そんな人が、自分の親を殺されて、何も抱かないはずがない。
「犯人は〈異録〉を狙ったんだろう。じゃなきゃ、厳重に管理されている〈異録〉がばらばらになるはずがない」
そして、〈異録〉を求めるというからには、犯人は間違いなく魔術師だろう、と柾は言う。
「そして犯人も、〈異録〉のページを探す……?」
「ページはこれから様々な怪奇現象を起こすだろうから、犯人もそれを手懸かりにして来るはずだ。もし、運が良ければ――」
「ページを回収しに来た犯人に出くわすかもしれないんだね」
柾の考えを汲み取った詩凪は、一度目を伏せ、吟味して、うん、と頷いた。
「だったらなおさら、やらないわけにはいかないね」
言い聞かせるように呟く。自分でも声に力強さが戻っていくのが判る。柾の登場と、義務だけではなくなった動機に、詩凪の決意は固まっていった。
しゃんと背を伸ばし、ずっと心配してくれた執事を振り返る。
「間宮。お父様とお母様の葬儀が終わったら、動きます」
「かしこまりました。それまでに何か情報を集めておきます」
それから頭を上げると、そっと視線で開けたままの邸の中を示した。
「……そろそろお身体が冷えてしまいます。菊恵に温かいものを用意させますので、邸にお入りください」
踵を返した間宮の背に、すぐに行く、とだけ返事をして、詩凪は柾の方を振り返った。
「マサくん、ありがとう。手伝ってくれるのはとても嬉しい」
少しだけ少女としての明るさを取り戻した詩凪は、けれどすぐ、申し訳なさそうに目尻を下げた。
「でも、ごめんね。本当は今すぐにでも動きたいところなんだけど……」
「仕方ないよ。僕も父さんの弔いはきちんとしたいし。それに……葬儀は、君が穂稀家当主として行う初めての務めなんだから」
そうだね、と頷く。少しだけ胸を締め付けられた。心の準備もなく迎えたお披露目の日が、両親との別れの時でもあるなんて、あまりに唐突で、あまりに虚しい。
でも、もうそんな甘えたことも言っていられないのだ、と我が身に背負った荷物の重さを自覚する。
「本当は、こういうことはあまり言いたくないんだけれど……」
柾の手が優しく頭に乗せられる。不思議なことに、詩凪の豊かな髪越しでもその掌の温もりが伝わってきた。
「しっかりね、詩凪」
もう五年は感じていなかった、柾から頭を撫でられる感触。今だけは、と詩凪は目を閉じて、幼馴染の哀れみに甘えることにした。
検死に出していた両親の遺体が戻ってきたのは、十日後のことだった。
詩凪は両親が死んだ書斎で、間宮から結果報告を聴いていた。この書斎こそ穂稀家当主の仕事場だ。悲しみと共に封印してしまいたかったが、貴重な魔書を保管している以上そういうわけにもいかず、また両親の死から逃げるような気もしたので、今もこうして使っている。さすがに血濡れたカーペットは変えられていたけれど。
緑から詩凪の好きな藤色に色が変えられているのは、間宮やキキの気遣いだろうか。
代々の当主に使われてきた、古びた執務机の上に置かれた書類を詩凪は手に取る。そこには無機質で端的な文字の羅列で、両親の死の様子が記載されていた。
「検視の結果、旦那様……いえ、お父上とお母上、そして霧沢家のご当主様は、三名とも魔術によって殺害された事が判明しました」
父の死体は、この机の側にあった。霧沢との会話の最中に立ち上がったのだろうか、椅子のある側でなく、その向こうに。
その父の上に覆い被さるようにして、霧沢の死体が、そしてその様子を目撃したと思われる母の死体が、扉の前に。
報告書にあげられた内容は、詩凪の記憶と合致していた。
「犯人は、やっぱり魔術師なんだ」
父も母も霧沢も、身体を切り裂かれていたのだが、その痕は刃物を使って物理的に作られたものだとは考えられないほど綺麗なものだったらしい。詳細は聴かなかった。さすがに詩凪も平然と聴けるほど立ち直ってはいない。
けれどもしかしたら、と詩凪は考える。魔女がその力を見せつけるため、弟の実験のため――〈異録〉には、何度か人を切り裂く話も載っていた。犯人が〈異録〉のページを使ったのかもしれない。魔術師なら可能だし、戦闘系魔術師である霧沢の当主相手に立ち向かえたことにも納得できる。
ただ気になるのが、いったいどういう経緯で〈異録〉がばらけたのかということだった。揉み合った末なのか、あえて犯人がばらしたのか。
そもそも、〈異録〉は犯人の手元にあるのか、ということも詩凪の疑問点だった。もっともこちらについては、その後の一年で必ずしもそうとは限らないことが証明されているのだが。
「すでに警察に捜査を依頼しております。魔術師だった家系の者が捜査に加わるようですので、こちらの事情は理解していることでしょう」
篠庭には魔術師が多い。先の戦争で、都会にいた魔術師たちが疎開先に選んだことで、ただの山間地だったこの場所は、戦後密かに魔術師の町として発展していった。
だから、警察も魔術師の事情に沿って、こういった事件は密かに対処してくれる。
「私も捜す」
「お嬢様……」
詩凪の宣言に、執事は苦い表情を浮かべた。その様子に気づいた詩凪は、訂正を入れる。
「復讐なんかじゃない。これは、穂稀家の当主としての責任」
父に反抗していた詩凪だが、魔書を管理する者の責任はしっかり理解しているつもりだ。
〈異録〉のページを見つけて、元に戻す。そして犯人を見つけて、どうして〈異録〉に手を出したのかを訊き出すのだ。
「穂稀の名に懸けて。二度とこんなことは起こさせない」
ぐ、と机の上に置いた両の拳を握り込む。これから当主として生きるのだ、と覚悟を決めてしまうと、背には“責任”の二文字がのし掛かってきた。安穏とした生活を送ってきた少女には重すぎる荷物。
けれど、逃げたくはないと思っていた。両親と悔いの残る別れをしたからこそ、両親に恥じない生き方をしたい。それが、今の詩凪の原動力となっている。
少女のそんな決意する様を間近で見ているからだろうか。間宮は、自分の娘よりも年下の少女相手に、頭を垂れた。
「お嬢様……。私も、キキも、間宮の者は皆、微力ながらお嬢様のお手伝いさせていただきます」
そんな執事に、詩凪は笑みを浮かべる。泣き笑いのような表情。自分は一人ではないという実感と安堵。
「うん、ありがとう。頼りにしてる」
こうして詩凪は穂稀の家を引き継いだ。まだ甘さの残る少女時代に、一つの責務を抱え込んで。
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