第2節 仕事

 凌時に柾を紹介して、それぞれ席に着く。凌時は柾と対面する位置に。詩凪の向かい側、つまり本来正客が座る位置が空いた形となった。


「さて、君は何ができるんだい?」


 キキが凌時にもお茶を出し、入口近くに控えたところで、詩凪よりも先に柾が口を開いた。柔らかい前髪の下で、相手を見定めるように細められた薄茶の瞳が不穏にきらめく。

 挑みかかるような柾の姿勢に詩凪は驚き、凌時のほうは眉が寄った。


「何がって」

「これから君には詩凪を助けてもらうわけだからね。能力についてはやはり教えてもらわないと。間宮の誘いに乗ったんだ。当然、魔術は使えるものだと思っているわけなんだけど」


 魔術。あるいは魔法。世界の法に干渉し、制御し、操作する神秘の術。

 現代ではその存在を否定されているが、古来より研究の続けられたその術は、実は未だに水面下でその糸を繋ぎ、紡がれている。

 詩凪たちは、その魔術を扱う魔術師だ。

 そして、この桝水凌時も、魔術を使う人間であるからこそ、この家に招いた。

 ある仕事を手伝わせるために。


 柾の意図を理解した凌時は、ああ、と頷いて、


「と言っても、特別なことは。基本的な魔術が使えるってだけで」

「触媒は?」

「……魔書」


 魔書、と聞いて少し嬉しくなった詩凪だが、隣の幼馴染は、ふうん、と気のない返事をした。そんな柾を凌時は胡乱な目で見ている。主である詩凪を差し置いて、尊大な態度を取っている柾のことが気に入らないのだろう。たぶん、柾は詩凪のことを心配してくれているだけなのだとは思うのだけれど……。

 このまま柾に舵取りを任せてはいけないと思い、慌てて詩凪は口を開いた。


「柾くんがごめんなさい。えっと、仕事のお話ですよね」


 凌時の視線がこちらを向くと、詩凪はどきっとした。その眼差しは真剣そのもの、いや切羽詰まっていると言っても良い。


「俺は、いったい何をすれば良いんです?」


 彼は無意識なのか、ぐっと詩凪のほうに身を乗り出した。


「学費がない俺を、貴方たちは援助してくれた。条件は、この町の大学に通うこと、そして貴方たちの〝仕事〟を手伝うこと。その仕事については、魔術絡みであることと、命の危険があるということだけ聞かされただけだ。衣食住と学費が保証されているから話を飲んだけど、正直何をすれば良いか、皆目見当がついていないんです」


 詩凪は表情を曇らせた。この家の住人が増えた、と喜んでいた自分と、自身の事情につけこまれた相手の意識の差を思い知り、胸が苦しくなる。


 凌時がここに来たのは、他でもない。詩凪のある仕事を手伝わせるためだ。その対価として、穂稀家は彼の大学進学の援助と当面の学生生活の保証を約束した。彼の言うように、命の危険さえ伴うような仕事である。それだけの援助をするに足りるものと、詩凪たちは思っている。

 だが、肝心の仕事の内容については、穂稀家の神秘――代々受け継いできた魔術のすべに関わっていたこともあって、より詳細な説明はしていなかったのだ。

 他所の魔術師の家系に少しでも情報が漏れるのを避けるための措置とはいえ、あんまりだとは自分でも思う。よく彼もその状態でこの仕事を引き受けたものである。

 ――それだけ、切迫した状況だったということだろうか。


「穂稀家は魔術師の中でも有名な一族だってことは知っています。けど、俺の知識はそれだけです。貴方たちがどんな一族かなんて知らない。魔術だって、初歩の知識があるだけだ。そんな俺に何をさせようって言うんです?」


 必死で問い詰める凌時に、誠心誠意答えることがせめてもの償いだろう、と感じた詩凪は、顔を上げて姿勢を正し、正面から凌時を見つめた。


「私――穂稀家は、ルリユールです」

「ルリユール?」


 耳慣れない言葉だったのか、凌時は首を傾げる。


「要は、本の装丁を行う技術者です」


 深緑の表紙の本を差し出す。よく分からずに本を開いたりして見せた凌時は、それが手作りであることを知ると、あんぐりと口を開けた。


 十七世紀頃のフランスでは、あらゆる工業が分業化されていたらしい。本についてもそうであって、書物を印刷する印刷・出版業と印刷物を本の形に整える製本業で分かれていたそうだ。

 そうすると、紙に印刷されただけの簡易な本が出てくる。それを購入者の好みに合わせて製本する職人が現れる。――それが、詩凪の職業〝ルリユール〟。

 もちろん装丁だけでなく、修復も行う。図書館の司書とはまた違った、本の専門家である。


「もちろん、装丁するのは普通の本ではありません。私たち穂稀は魔書専門のルリユールです」


 明治に入り、西洋の文化が日本にも取り入れられるようになると、同時に西洋魔術も海外から輸入された。当初はおそらく、金持ちのオカルト趣味の道楽だったのだろう。しかし、次第にのめり込み、遂には生業にする者が現れる。それが、現在に残る日本の魔術師の起源だ。

 その中で、当時の穂稀家の当主は、西洋魔術の中でも特に魔書に関心を持ったらしい。あちこちからあらゆる魔書を収集し、その一方で本のメンテナンスのためにルリユールの技術を覚えた――これが、魔術師の一族である穂稀家の成り立ちである。


「でも、私たちは、ただ魔書の製本をするだけではありません。いくつかの危険な魔書の管理もしています」


 死者蘇生、時空歪曲――これらはまあ極端な例であるが、世の中には、そういった禁術が記された魔書が多々ある。そして、魔書は本を開くだけで魔術が使えるという、とても扱いやすい魔法の品。うっかり誰かが禁書を手に取るだけで、世界が混乱に突き落とされるなんてこともあり得ないことではない。

 穂稀家はその可能性のある魔書をいくつか集め、保管していた。普通であれば手元に置くことも躊躇われる品であるが、魔書専門のルリユールであるならばその扱いも心得ているだろうということで、率先して管理を引き受けているのである。


「その一つに〈ルルー異録いろく〉という名の本があります。フランスのある町の出来事を綴った魔書です」


 なんでも昔、その町の長の家に、魔女が誕生したのだという。町長が健在の頃は、然したる問題もなかったようだが、少女が十のときに両親を喪ってから、町の様子は一変した。町の長を継いだ魔女はその力を振るい、恐怖で住人たちを縛りつけたのだという。

 とはいえ、所詮子供一人の力。町の者は結託して魔女を打ち倒すが、それをきっかけに町は更なる混沌に落とされて、挙げ句の果てに、この世界から姿を消すことになる。

 そんな悲劇が綴られた魔書である。


「その〈異録〉のページがばらけたんです」


 一年前のことです、と詩凪は補足する。ぎゅっと綺麗なワンピースの裾を握り締めた。苦い記憶が頭を駆け巡る。

 詩凪の様子に気づいた柾が、そっと腕に触れた。布越しの体温が詩凪を宥める。


「……それは、ここで直せるんじゃ?」


 訝しむ凌時に、嫌な記憶を振り払って詩凪は頷いた。


「ページが揃っていれば、私でも直せます。問題は、ページが全部揃っていないことなんです」

「どうして」

「それは外に――この篠庭しのにわ盆地一帯に飛んでいってしまったから」


 それは一年前。きっちりと製本された状態から、綴じ糸が切れて紙一枚一枚の状態となってしまった〈ルルー異録〉は、保管されていた部屋の窓から飛び出してしまったのだ。詩凪の手元に残されたのは、それこそ表紙と、切れてしまった糸だけだった。


「私たちがお願いしたい仕事は、そのばらけてしまった〈異録〉のページの回収のお手伝いです」

「いや、集めるったって……外に飛んでった紙を一枚一枚集めるなんてそんなこと――」


 篠庭――すなわち篠庭盆地は、二つの市と一つの町、二つの村を内包しているだけの広さを持っている。盆地としては小さい方だが、紙一枚一枚を探し集めるにはあまりに広い。

 のだが。


「できるんだよ」


 今まで成り行きを見守っていた柾が再び口を開いた。訝しげに見る凌時に向かって、薄い笑みを浮かべている。


「別に、根性論の話じゃない。本当に可能なんだ。魔書のページならね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る