第4話

 あれから数日経った。

 千野は少しではあるけどメールをくれるようになった。

 どうやらようやくクラスで話したりする友達が出来たようだ。たまにその内容に触れたメールが入る。

 僕の方はというと授業は滞りなくついていけているし、バイト先では働きぶりを認められて少し時給を上げてもらえた。

 学校ではさらに白坂さんとよく話すようになって、今度のGWに二人で遊びに行こうって約束までとりつけた。

 万事うまく世界が回っているようでなんだか嬉しくなる。

 で、今日は連休の初日である。

 バイト先のお店がリニューアルということで、珍しくアルバイトの予定がない。

 春の陽気に少し朝寝坊してリビングに行く。千野が一人でテレビをみていた。

 今日、義父と母は二人で映画に見にいっているので留守だ。


「千野ちゃんも誘ったんだけど、断られちゃった」


 母さんが嘆いたけどまあ、そうだろう。さすがにこれは僕でも断る。


「もしよければ、千野を外に連れ出してくれないかな」


 義父には昨日そんなことと耳打ちされている。

 メールのやりとりをする程度親しい子は出来たけど、千野はまだ友達と休日に遊びに行くほどまでの関係を構築できていないらしい。


「やっぱり新しい環境ですからね」

「それもあるけど、あの子は昔から友達を作るのがあまり得意でなくてね。僕がもっと女の子の感情の機微をわかってあげられる親だったらよかったんだけど……」

「そんな風にむげにしないでください。お父さんの愛情はきっと伝わってますよ」

「そうだといいんだけど」


 同じ男性であるが故か、年齢が千野より近いためか、養父からそんな心配を打ち明けられいた。

 僕にも依存はなかった。


 顔を出すと足音で僕が来たことがわかったのだろう。千野は僕の方を振り向いた。「おはよう」と言うと「おはようございます」と返してくる。

 部屋着のままなのでやっぱり友達とどこかにでかける予定はないようだ。

 僕は笑顔をつくって妹に話しかける。


「千野は今日なんか予定あるかい?」

「えーと……別に」

「疲れてないならどっかでようか? 今日バイトも休みだし、まだ一度もこの街をちゃんと案内してなかったでしょう?」


 「良ければでいんだけど」と付け加えた。

 外に連れ出した方がいいとは僕も思うのだけど無理強いしていいものじゃない。

 最後は彼女の意思に任せるつもりだ。

 もし千野がどうしても家にいると言うのならば……思い切って白坂さんに連絡を入れようかな。

 連休はアルバイト以外に予定ないって言っていたし。


「あ、あの。じゃあお願いしてもいいですか?」


 しばらく考え込んだ後、千野はそう口にした。

 ちょっと残念。

 あ、いや妹とで出掛けることが嫌ってわけじゃない。

 残念と考えてしまった自分に反省する。


「そうだね、じゃあ駅の方に出掛けようか?」

「あ、はい」

「どこか行きたい所とかあるかな?」


 少し考えるようなしぐさをとると、


「えーと……本屋さん……」


 と言った。

 先日ちょっとした用事で見た彼女の部屋を思い出す。

 本棚には所狭しと本が並べられていた。

 千野が元いた家から持ってきたものだろう。

 収納しきれずに平積みされたり、箱の中に入ったままの本もかなりあった。

 かなりの読書家であることが推測される。

 ちなみに千野の部屋はまだ片づけが終わっていない。

 様子を見ていたけども、千野はあまり片付けが得意ではないようだ。

 整理が得意でないことはないんだけども、どうも物を捨てたり手早くレイアウトを決めたりするのが苦手みたいだ。

 まあ何はともあれ行きたい所があるのなら今日の指針がたてられる。


「本か。本当に千野は本が好きなんだね」

「あ、えと、ごめんなさい……」

「別に謝る必要はないよ。僕は全然本とか読まないからすごいなあと思ってさ。ま、とりあえず着替えてから出ようか」


 それから三十分後、外出着に着替えて僕らは街へと繰り出した。

 僕は黒の綿パンに縞色のカットソーの上にえんじ色の長袖シャツといったシンプルな格好。

 妹はもっとシンプルでジーンズに白い長袖のパーカーシャツである。

 

 目的の本屋は最も栄えている街の、ほぼ中心にあるデパートの中にある。

 家の近くからバスが出ていたけど、今日は天気がいいし、少し歩きたいという妹の希望に従い、三十分かけて若者らしく歩いて向かうこととなった。

 それに徒歩の方が街の案内とかできるしね。


「あんなところにケーキ屋さんがある……」

「あれ、知らなかったっけ……て、学校側からは反対側だからね。あそこは平日ならバイキングもやっているよ。ケーキ好きなら今度一緒に行こうか?」

「ケーキは、好き、だけど……」

「だけど?」

「あまり食べると、太っちゃう」


 思わず爆笑してしまった。

 許せ、妹よ。

 でも前に比べだいぶ話ができるようになったなあと実感する。

 そんな風に案内を兼ねてのんびり歩いていたら、気がついたら街の中心地にやってきた。

 日曜日の昼前ということでデパートの前は結構多くの人がいた。

 エレベータで目的の階を押し、四階にテナントを置く大型チェーン店へと向かう。


「うわあ」


 本屋の大きさに千野は眼を輝かす。

 一緒に暮らしだして一月近くたつけど、彼女のこんな表情をみるのは初めてだった。

 千野の心を躍らせたのはこの規模だろうか。

 ここはこの近辺ではもっとも大きな本屋らしく、四階のスペースが全て本で埋め尽くされていた。

 らしいというのは僕があまり本屋に来ることがないからなのだが。

 千野は早速店舗内に入り目を輝かせるように本棚を物色し始める。

 目当ての本を探してか、それとも本を選ぶ行為自体が好きなのか、様々なコーナーに行っては本を手に取っていた。

 こんなに楽しそうにしている姿を見るのは初めてだ。こんなに喜ぶのならばもっと早くに連れて来てあげればよかったな。

 始めのうちはついて回ったんだけど、やはり僕自身が本に関心がないこと。

 それに別に僕がずっとついて回る必要もないということに気がついた。


「おにいちゃん、そこのベンチに座っているから。見つからなくても外には絶対に行かないから、慌てて出ないようにね」


 生返事な彼女に告げ、僕はベンチに腰を下ろした。

 こういう風に女の子の買い物について回るのもずいぶん久しぶりだ。

 そういえば智乃にもずいぶんと付き合ったものだ。

 智乃。

 僕の大事な、最初の妹。

 彼女が亡くなった日の事は今でも鮮明に思い出す。


 五年前。智乃の中学校の入学式の日だった。

 真新しいセーラ服を着た智乃と、同じ中学校に通っていた僕は一緒に学校に行く準備をしていた。


『ごめんなさい。お母さん入学式には出られないみたい』


 朝方母は申し訳なさそうに智乃にそう言った。どうしてもお得意様との商談の時間がずらせないそうだ。

 母は父が亡くなった後、会社を切り盛りしながら一人で僕達兄妹を養ってくれていた。

 智乃もそれをわかっていたし、母親を責めるほど子供ではなかった。

『だからトモユキ、お母さんの代わりに保護者説明会出てもらえる?』

 母にそう言われて僕は了承した。

 入学式も終わり、保護者説明が始まる頃に、先に授業が終わった僕は妹の教室に足を運んだ。

『お兄ちゃん、私一人でも大丈夫だから先に帰っていて』

 友達と話をしていたらしい妹は、僕の姿を見かけるとこちらに来てそう言った。

 彼女は明るくて人懐っこい性格をしているので、早速クラスの子と仲良くなったようだった。

 智乃がそう切り出した時、正直僕はほっとした。

 僕達兄妹はよく人から仲がよいと言われていたし、実際僕は妹を非常に可愛がっていた。

 妹も僕にずいぶん懐いていたと思う。

 だけど他の子が親が出席する中、一人現役の在校生が参加するというのは抵抗があって、気恥ずかしい年頃でもあったのだ。

 お互いに。


「より道はしないように帰ってくるんだよ」

 

 長男風を吹かせてそう言うと、僕はひと足早く帰宅した。

 智乃の入学祝に、母が外食に連れて行ってくれる約束だったので、僕は外出着のまま二人の帰りを待っていた。

 妙に帰ってくるのが遅いなあとは思ったけど、新しいクラスの友達とでも話し込んでいるのだろうと合点し、それほど気に留めなかった。

 そうこうしているうちに先に母が帰ってきて、さすがに少し遅すぎると心配になった。

 母に智乃の事を聞かれ、どう答えたらいいだろうと思案していると母の携帯が鳴った。

 きっと智乃からの電話で、遅くなったことに対してのいいわけの電話だと最初は思った。

 しかし母の表情がとても険しく、とても娘と話しているような口調でないことにだんだん気付きはじめた。

 電話の相手にヒステリックに母は叫ぶ。これはただ事ではないと思った。

 やがて電話を置いた母は僕の方を見た。その眼は涙でぬれていた。嗚咽をあげながら、親の責務として事実を僕に伝えた。

 たった一人の妹の、早すぎる死を。


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