第3話 七夕戦線2
『で?』
『でって?』
『なんの話、これ?』
『あぁ、実はなぁ――』
――父さん、再婚しようかなぁって。
『……まさか相手は男……!?』
『なぜそうなる』
……世の中グローバルだ。
いざ言葉にすると何を言っているのか分からないし、どちらかというと「グローバルな世の中」の方が適している気もするが、ニュアンスは伝わるだろう。
「え、……なに? きみたちそういう関係?」
つまり、そういうことだ。
幼馴染みの女の子・
花月の横に回った雪知はその腕にぎゅっと抱き着くと、にゅっと身を寄せた。
「おどろいた?」
「あ、あぁ……」
悪戯っぽい笑みを浮かべる雪知と、ほぼ真顔で頬だけ赤く染めている花月。快活さと清楚さが組み合わさって、まさしく絵になる光景だ。写真に収めたい。百合の花が背後に咲き誇っている。そんな気がする。
「へ、へえ……お、驚きはしたけど、まあ……うん、俺、理解はあるから。いやぁ、でもあいつは驚くだろうなぁ、あはは……」
「…………」
気持ちが圧されて無意識に後ずさっていると、さっきまで笑顔だった雪知の表情がだんだんと難しいものになっていく。
「あんたさ……冗談だよ? 分かってる?」
「へ……? え?」
「いや分かれよ。こっちが恥ずかしいじゃんか」
こころなしか顔の赤い雪知にどつかれる。
「あ、いや、その……なんかごめん……。直前まで超シリアスなこと考えてたもんでさ、つい……」
ふだんならすぐに冗談と分かるのに、どうにも頭が回っていないらしい。
だんだんと自分でも恥ずかしくなってくる。
(いやでもさぁ、なんかそれっぽいじゃん十時さんよ……。彼氏いない高嶺の花とか実は百合キャラってもはや定番じゃない? 定番でなくても可能性高いやつじゃん。勘違いするじゃん。お前の冗談が悪いんだよセンスなさすぎだよこの野郎……)
さっきからひとの行く手を阻んできた十時花月がここにいる原因が幼馴染みだと分かり、一周回って今度は腹立たしさを覚えた。
おまけに、
「ところで、ズッキーニ
「売れてない芸人みたいに呼ぶな」
「じゃあ、かずきんは何してんの?」
「何もしてねえよ。あとバイ菌みたいなのもやめれ」
「は? いやそうだろうけど。……かいじんと待ち合わせとか?」
「俺が正義の味方に見えるか? ていうかなんで待ち合わせてんだよ、やらせか? 八百長なのか?」
……というかそもそも、悪魔に魂売ろうとしてるんだが?
「いや意味わからんし。……まぁいいや――」
と、移り気な雪知の視線が周囲をぐるりと巡って、ふと何かに注がれる。
「おー、せっかくだし短冊書いてかない?」
「はあっ!?」
何言っちゃってくれちゃってんのこいつ、と思わず大声が出てしまう。
「な、なに急に……? は? かずきんさっきから変なんですが?」
「……いや……別に……」
目を逸らしながらぼそぼそと答える。
正直なところ、内心どうにかなりそうだった。
大声を上げて一瞬とはいえ周囲の注目を浴びてしまったこともそうだが――
「はー……見てこれ、『ふたりの愛が永遠に続きますように』だってー、うっわ恥っずー。ラブラブかよこのやろー」
「……別にカップルじゃないかもだろ……、やべーヤツかもしれねーじゃん……」
「こっち……『サンタさんが来てくれますように』って……うわあ……なんともいえない気持ちになるわー」
「俺も泣きたい気分なんだが……?」
――何より自分が忌み嫌っていた「短冊を見てはしゃぐリア充」みたいな感じになっていることに、
(宗教上のあれこれに悪魔が邪魔するってんなら分かるけど、悪魔に魂ささげようとしてる俺に立ち塞がるこの試練は何? 神? 天使の仕業? いやまあ天使のように可愛いんだけど十時さんとかさ)
雪知に話を振られるたび、掠れたようにも聞こえる小さな声で応える花月。周囲を気にしてるのかなんなのか……、彼女が誰かと話している姿は教室でもめったにお目にかかれないから、和機にはなんだか新鮮な光景だった。
と、思わず目を奪われていたら、
「かずきん、なに書くの?」
「へ……?」
なんのことやらと思えば、雪知は笹の前に設置されたテーブルに向かっていて、短冊に何やら書き込んでいた。きゅっきゅ、と音を立てるマジックの音に背筋をなぞられたような嫌な感覚を覚える。
「なんか書くでしょ? せっかくだし」
「え、あー……いやー……」
そのために来たのだが。というかもう書いてあるのだが。
(どうする……ここで何も書かないのはノリ悪いっていうか逆に変だよな? それならいっそこの流れに乗っかって吊るすか? でも絶対これ「なに書いたー?」的なノリで見ようとするやつ……。見せられない。見られたくない。特にこいつには!)
模範的女子高生みたいな頭をしたこの幼馴染みにだけは知られたくない。
(あと、これといってそんなことは書いてなかったけど、やっぱこう、願いをかけるんだから人に見られちゃマズそうだしな……! 丑の刻参りみたく! 呪わないけど!)
そう考えると永遠の愛は失われサンタさんも現れないことになるな、と頭の端で思いつつ――とりあえず、ここはブラフだ。名案を思い付く。
雪知と花月が書いているのとは別のテーブルに移動し、和機は適当な願いごとを綴るとそそくさと笹の葉に短冊を飾り付けた。
隣でもう一つの笹に短冊をくくりつける雪知の隙を窺いつつ、チャンスがあればポケットに潜ませた黒い短冊を取り出すつもりでいたのだが――
「で? なに書いた?」
不意にこちらを向く。
「なっ、なんだっていいだろ……別に……」
とりあえずブラフ。素直に教えるよりは多少じらした方が〝本命っぽさ〟が出る。
「どーせあれでしょ? 女子にモテたいとかそういうやつ」
雪知がそう言うと、遅れて赤い短冊をくくりつけていた花月が「じとーっ」とした感じの目を向けてきた。
思わず顔を背けつつ、
「……もうすぐテストあんだろ……。百点とれますようにってさ……」
実際そう書いた短冊を示してみせると、
「うっわ、夢がない。わざわざ神頼みしてないでこの時間で勉強したら?」
「どの口が……。じゃあそっちはなに書いたんだよ?」
あれ、このやりとりバカップルっぽいな、と思いつつたずねると、
「おしえなーい」
うわこれ間違いなく馬鹿なやつだ、と自分の状況に戦慄した。
(ついでにいうなら女子二人に囲まれている……)
こころなしか辺りを行き交う男性からの
(早くしなければ……)
気持ちの逸る和機だったが、雪知はなかなかこの場を離れようとしない。彼女は他の短冊を眺めながら、
「えー、ハナちゃんのどれー……?」
などと、よけいなことをして時間を浪費している。
「……おしえない」
そうぽつりと呟く花月の口元は緩んでいて、その横顔を拝めただけでこの時間にも価値があったように感じた。
が。
(マジでこいつら何しにきたん……? なんか予定とかあるんじゃねえの? まあゆきチーがこういうヤツだってんのは知ってるけどさ……、当初の予定とか早くも忘れてんだろ絶対)
なんとかして追い払わなければ、と和機が頭を悩ませていると、
「…………」
くい、くい、と。
花月が雪知の服の袖を引っ張る。
「……そろそろ行かないと」
「あっ、そうだった、やばいやばい」
お? と和機の瞳に希望が見える。
「そういうわけでかずきん、あたしらこれから映画デートだから」
「映画っていいご身分ですねまったく。来週からテスト期間だぞ勉強しろよ」
「だーかーら、その前に息抜きするんだって。じゃーねー」
――と、現れた時と同じように唐突に、嵐のような幼馴染みは障害物を伴って去っていったのだった。
「…………」
一つの困難を乗り越えて、和機の口から音もなくため息がもれる。
もうこのまま帰りたくはあったが――ここまできて、引き返すほどの徒労もないだろう。
(入り口で警備員さんに見られてるし、いったん引き返してまた来るのは怪しまれる……今だ、今やるしかない……!)
周囲の視線が異様に気になって汗が吹き出し、モール内を満たす冷房の冷気が身体に染みて歯の根が合わなくなる。
その一方で口を覆うマスクの中では「はあはあ」と呼吸が荒く、心臓がばくばくと胸を叩く。
(イメトレはした――瞬時に! さくっと! さりげなく!)
さっきまでが本棚の前から人がいなくなるのを待つ工程なら、今は本棚から成年向けの雑誌を取り出してレジに持っていくような気分だ。
つまりこれさえ乗り切れば――
(たとえはあれだが、まさしくそんな感じ……!)
――全ては、一瞬だった。
…………、
………………、
……………………。
「――……はっ」
気が付くと、風倉和機は帰路についていた。
マンションの階段をのぼっている。
「俺……」
記憶がない――というより、振り返れば一瞬に感じるほど、記憶が凝縮されていた。
極度の緊張によるものだろうか……。
「〝契約〟が成立したとか……」
そんな気がしないでもない。
ともあれ、〝願い〟の成就はきっと明日以降だ。
(分からんが……)
とりあえずお腹が空いたので、家に帰って朝食をとり、そしたら夕方くらいまで眠るとしよう。今日は(まだ朝だが)とっても疲れた。
(こんなに頑張ったんだ……)
叶えばいいと思う――
黒い短冊に記した――
マンション二階、自宅のある廊下にたどり着く。
ふと思い出して変装用の帽子を脱ぎ、口を覆っていたマスクを外す。額に汗が浮かび、口の周りが蒸れていて気持ち悪い。
ごしごしと顔をぬぐってから、部屋の扉を開けようとして――
「あ、おかえり……、お兄ちゃん」
――『妹と、 。』
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