第2話 七夕戦線1




 風倉かざくら和機かずきの目的地――そこは食品売り場から映画館まで、ありとあらゆる需要に応えた施設が揃ったこの地域では最大規模のショッピングモールだ。

 地元のキッズが休日に遊びに行くのならこのモールへ向かうか、駅へ向かって電車で都会に行くかの二択に絞られる。


(あんなさぁ、気合入ったカッコしてるからさぁ……駅に行くと思うじゃん? ……いやまあ分かってたよ、それこそまさに願望だよ。待ち合わせならここだよなぁちくしょう)


 愚痴の一つでも声に出したかったのだが、駐車場からカートを運んできた警備員の人とすれ違ったために言葉にするのは躊躇われた。


(とはいえ、だ……)


 仮にも地域最大規模のショッピングモール、当然ながら客足は分散される。花月もどこぞのブランドショップやら映画館やらに行くことだろう。

 和機の目的は入り口から入ってすぐのところにある広間、そのエスカレーター脇に飾られた笹を中心とした七夕コーナーだ。待ち合わせする際の目印には使われそうだがそんなに寄り付く人もいない、絶妙な位置につくられている。

 吹き抜けになったモールの天上へと伸びる笹が二本、その前に長テーブルが並べられており、短冊となる色紙と複数のマジックが置かれていた。


(しょせんは季節のイベントか……みんなやってるからとりあえずやっておきました感が拭えないぜ。ありがたいが)


 みずみずしい緑色の笹にはすでにいくつかカラフルな短冊がくくりつけられてはいるものの、利用するのはモールに入ってすぐそれが目について気が向いた人か、帰り際に目に留まったらといったところなのだろう。辺りを行き交う人々はほとんどその場に足を止めることがなかった。


(想定通り……。あとは笹を写真に撮ったりするヤツとか、きゃっきゃしながら短冊書き始めるリア充が現れなければ――)


 前者は対策のしようもないが、後者に関しては問題ない。そういう連中エネミーが湧く時間を見計らったからこそ、今なのだ。


(現にそこらにいるのはセール狙いのお父さんお母さん子どもが少々……無邪気なキッズの動向こそ不安要素だが、なぁに、ことは一瞬……)


 和機は事前に、願い事を記した黒い短冊を持参してある。


(そもそも黒い短冊なんて置いてねえだろうしな……。くっくっく、あと一息だ……この胃がきりきりするような時間も――)


 単純に朝食をとってないせいもあるだろうが――ともあれ。


 不審に思われないよう入り口にある掲示板を見ている風を装って機を窺っていたのだが、そろそろいいだろう。


 和機は意を決して動き出した。


「…………」


 そして止まった。

 行き交う人々に隠れて今の今まで気づかなかったが――


(なんか、おる……)


 清廉さを絵に描いたような白いシルエット――必要以上に人目を集める美少女の姿が、そこにはあった。


 ……十時ととき花月かづきである。


(なんでやねん……! なんでよりにもよってそこにいるんだよ……!)


 スマートフォンを片手に立ち尽くしているあたり、待ち合わせ場所に指定されたのだろうが――顔も知らない花月の彼氏への恨みがつのる。


(あれか? そこでいちゃつくんか? あ? くっそこのリア充め――)


 と、


「もしもし?」


 肩を叩かれた。


「ぃッッッ!?」


 暗黒面に呑まれそうなタイミングだったから、過剰なくらい驚いてしまった。

 具体的には本気で心臓が止まるかと思った。


(違うんです違うんですお巡りさん別に俺そんなつもりじゃ……!)


 親に叱られる直前の子どものようにうつむき目を閉じ硬直していると、誰かが和機の前に回り込んできた。


「……何してんの?」


「あぃ……?」


 和機の顔を覗き込む、怪訝そうな表情かお。吊り目がちなその目の奥に、間抜けな顔をした自分が映っていた。


「――……うおっ!?」


 遅れて驚き、反射的に仰け反った。


 ふだんは無造作に下ろしているロングの髪を今はアップにまとめていて、それだけでだいぶ印象が変わっていたものだから……すぐには気付けなかったが、その拗ねたようなツンとした表情を見てようやく分かった。


「な、なんだよ……ゆきチーかよ……」


 目の前に立っていたのは和機の幼馴染みその2、澤副さわぞえ雪知ゆきちだった。


「なんだよって何よ」


 とまあ、いつも通りに不機嫌そうな声を聞いて、不覚にも和機は安堵する。


(はぁ……、別に悪いことはなんもしてないのに、なんか死ぬかと思った……)


 その場に崩れそうになるも、いくら幼馴染みの前とはいえ外でそこまで気を抜くことも出来ず、なんだか半端な気持ちに囚われた。

 すぐには言葉を返せず、まじまじと目の前の幼馴染みを見つめてしまう。


(なんでこいつ、ここにいんだろ……)


 雪知は柄のついたタンクトップの上から薄地のパーカーを着込んでいて、肩から男ものっぽいショルダーバッグをかけている。快活な彼女によく似合う、そしてよく見かける休日の私服姿だ。

 一方で、髪形をはじめとしてところどころ……長年の付き合いである和機がパッと見て分からなくなるほど、


(何こいつ、化粧してんの……?)


 どことなく、印象が異なっている。

 なんというか、女の子らしいというか――


「えっと……なにしてんの?」


 おずおずとたずねると、


「それはこっちの台詞なんだけど、」


 何その帽子にマスク? と首をかしげてから、不意に雪知は悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「あたしは、デート」


「へえ……?」


 何言ってんだろこいつ……、という〝いつもの反応〟が脳裏をよぎてから、


(あー……もしや? もしやか?)


 ふと頭に浮かんだのはもう一人の幼馴染みの顔。


(相手があいつならからかえるんだけど……、まあ……)


 自分に内緒で友人ふたりが付き合っていたと知るのは少し寂しくもあるが――


(知らないどこかの誰かよりは、まあ……)


 朝から気持ちが沈んだせいか、記憶の底にあった父の言葉が蘇る。


『むかしな、クラスにちょっと気になる子がいたんだよ父さん……。まあすごい人気な子だったから彼氏とかいるだろうなぁくらいは思ってたんだけどなぁ、いざほんとにいると知るとショックでなぁ……。あと、こいつは彼氏とかいないだろって思ってた女子がふつうに付き合ってたりもしてて……』


 不意を打たれたような、なんともいえない気持ちになったのだという。


『なんていうか、あれだよ……みんな〝自分と同じ〟だってどこかで思ってたんだろうなぁ……。彼氏とか彼女とかいないし、誰かと付き合おうとか考えてもないっていうか……うまく言えんが』


 そりゃ酔ってんだから頭も回らんだろ、と思ったのを憶えている。


『ちょっと寂しいもんだなぁ、知らない間に周りが大人になってるっていうのは……卒業してから聞いたけど、さっき話した子たち、子ども産んでお母さんなんだと。十代でだぜ……? まあ世の中グローバルだし、シングルファザーもゲイも今じゃふつうなんだろうけどなぁ……』


 なんでそこでゲイの話が出たのだろう、もしかして友人にそういう人でもいるのだろうかと疑問に感じながら、


『で?』


『でって?』


『なんの話、これ?』


『あぁ、実はなぁ――』


 父親の声が遠ざかっていって、現実が、幼馴染みの女の子が目の前に現れる。

 まじまじと、見つめてしまう。


「え、何……? お前、彼氏いたの……?」


 妊娠? 結婚? マジで……? 勝手な妄想が膨らみ、なんともいえない気持ちに胸のうちを支配される。


「ふふん、おどろいた?」


 と、ひとの気も知らずに雪知は笑みを浮かべて、


「おーい」


 ……なんて、和機なら絶対に出先でしないようなことをする。具体的には人の行き交う広場で声を上げ、注目を浴びるのもいとわず誰かに向かって手を振っていた。


(え? 彼氏いんの? 来てんの? ……ここに!?)


 もしかしてこのままだと修羅場に――なることさえなくリア充ムーブにやられてなんだか負けた気持ちになるのでは――と思いながら、和機が恐る恐る振り返れば、


「……うおっ、」


 まるで絵本の中から飛び出してきたかのような、女の子の姿があった。


 ……十時花月である。


「え、……なに? きみたちそういう関係?」



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