第1話 悪魔との契約




 そこに集った数多の願いは、人々の希望であり欲望だ。

 その祭壇に崇められる神はいないが、故にその不在の椅子に座らんとする者がいる。


 ――〝悪魔〟だ。


 それは人々の願いを糧に力を蓄え、人々の想いの裏に隠された欲望やよこしまな感情を刺激し、世界に混沌をもたらす存在――……推察するに、飾られた短冊の多くがリア充どものノロケに塗れているせいで、見た人が嫉妬し苛立ち負の感情が生まれるのではないか、と風倉かざくら和機かずきは考える。


 一方で、力を蓄えた〝悪魔〟には、人間の願望を叶える願望器としての側面もあるという。

 いわゆる、〝悪魔との契約〟である。

 正しい手順と覚悟を以て願えば、魂を差し出すことを代償に悪魔がその願いを叶えてくれる――と、


(……ネットの都市伝説投稿板に書いてあった)


 ……笑いたければ笑えばいい。

 だけど、こんなオカルトに縋らなければ……と、再三同じことを考えている。

 自分でも心のどこかで信じきれない部分があるのだろうと思う。

 そんな都合のいいことあるわけが……宝くじで一等が出るようなもの……。そんな想いが。


 しかし何事も行動しなければ始まらない。宝くじだって買わねば当たらないもの。

 その行動の方向性が現実的でないことは重々承知の上で――


(いやまあ単純に、俺がそういうオカルト好きなのもある……)


 ――風倉和機はその日、逸る気持ちを胸に行動した……――


(……のだが)


 目の前を、清楚という言葉を体現したかのような少女が歩いている。

 白いワンピースっぽい服を身にまとい、片手にはハンドバッグ。眩しい朝の日射しを遮るつばの広い帽子をかぶったその姿はまるで、高原に佇む深窓の令嬢だ。

 背景がこんな朝の緩い雰囲気ただよう住宅街などでなければきっと絵になっていたのだろうが、今はなんだか場違いな感が強い。


(めちゃくちゃ気合入ってるっていうか、これが私服? なんかな……)


 ふだん引きこもりがちで、いざ休日に外出しようとすると人目を気にして無駄に気合が入る和機とは次元の違う、なんというかこう、〝様になった〟気合の入りようである。

 ふだんからお洒落な女の子がより衣服に気を遣ったような――


(たとえばこう、誰かと出かけるために、みたいな……。……デートか?)


 こんな美人を男が放っておくはずもなく――実際クラスでも人気が高く、放っておけない友人もいたりなんかするのだが――こんな美人なら彼氏の一人や二人いてもおかしくはないわけで、


(二人もいちゃあれだけど……、まあ――なんだ、このことは友人として黙っておくべきなのか……)


 何はともあれ、彼女がどこへ行こうと和機には関係ないし、誰と付き合っていようと構わない。和機にとって彼女・十時ととき花月かづきは高嶺の花、見上げていても疲れるばかりな天上の存在だ。とうの昔に諦めている。

 そんな相手がいまさら和機になど振り返る訳もなく――


「…………、」


 振り返った。


(あ、やべ……)


 めちゃくちゃ不審そうに背後を……和機を振り返り、それからすぐに前に向き直った花月は、やや歩調を速めて先へと進む。


 ……言い訳させてほしい。

 

(いや違うんだよ、進行方向が同じなだけだって。階段の踊り場でもそんな顔したけどさ、俺だって好きで後ろにいるわけじゃないんだが? むしろそっちが俺の前にいるんだが? 先に外にいたの俺だよね?)


 時折すれ違う早朝ランニング中の男性や犬の散歩をしている女性たちからちらちらと向けられる視線の数々――花月へのそれが思わず二度見してしまったものなら、和機を見る彼らの目は明らかに不審げだった。

 加えて犬にまでワンと吠えられて(飼い主が「見るんじゃありません」みたいな反応をしてリードを引いていった)、和機の心はすり減る一方だ。


(……仕方ないんだよぉ、ウチからどっか遊びにいこうとしたら必然的に道は一緒になるわけで。ここがいちばん近道だし……こうなったら急がば回れか? でもなんでこいつのために俺が遠回りしないといけんの……)


 そんな意地とも惰性ともしれない感情から仕方なく、かれこれ数分ほど、風倉和機は十時花月の後を追うように歩いている。

 適度な距離をとっているつもりなのだが、気が急いているからか気が付けば距離は詰まっていて、いっそ追い越そうと思えば逆に相手の方から離れて行く。


(ていうか俺の存在に間違いなく気付いてますよね? クラスメイトだよお隣さんですよ? あいさつくらいしねえ? ちょっとは会話しませんかしませんね……いやまあ、全部俺にも言えることなんだが)


 そうやって微妙な距離感が必然的に続く関係性――見た目も雰囲気も違えば、クラスカーストなるものがあればきっと上と下、人間としてのレベルが決定的に違う相手だ。


(こういうのもなんだけどさ、お前の気が知れないよ……)


 そんな彼女に好意を抱く幼馴染みの人格を疑ってしまう。

 和機には万に一つでも彼女が真に自分を振り返ってくれる可能性なんて想像もできない。

 七夕の都市伝説は信じても、そんなラブコメを夢見ることは出来なかった。

 もしも高嶺の花が落ちてくるとするならば、それはもう枯れ果て誰も見向きしない落ち葉となった時だ。


(……はあ……朝から気分が重い……)


 これから彼女が向かう先、そこにいるであろうデート相手はきっと彼女に釣り合うようなレベルの高い男なのだろう。あるいは顔だけのクソ野郎か。

 なんにしても――このリア充は、目の前に立ち塞がる壁だ。障害物だ。


(マジでどっかいけ……早くどっかいけ……)


 後ろから念を飛ばしても彼女が振り返ることはなく――


(嘘だろぉ……?)


 辿り着いた目的地、未だ目の前に障害物。

 悪魔に願いを捧げる道のりは、近くて遠く、果てしない。



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