もうひとつの「人魚姫」
人間の王子様に恋をした末の人魚姫が、王子様と一緒にいたくて人間になり、けれどその恋は叶わずに泡になって消えてしまうのは、皆も良く知るおはなし。
けれど、その語り継がれたおはなしとは別に、一般的には語られていない、もう一つのおはなしがあったとしたら――
❀ ❀ ❀
教養を付けるためとのことで、隣国の修道院で過ごしていた一人の少女がいました。
彼女はある日、気分転換にと日の出を見に近くの浜辺へと出かけました。
そこで浜辺で倒れている人を見かけ、これは大変と慌てて保護しました。
その人はこの国の王子様でした。
助かってよかったと心から思いました。
けれどそれを機に、彼女に何故かその王子様との縁談話が舞い込みました。
けれど、彼女はあまり嬉しくありませんでした。
なぜなら、親の決めたその縁談はどうしたって政略結婚だったからです。
そのために、わざわざ自分を自国ではない国に置いたのだと、道具としかみていない自身の親に腹が立ちました。
それともう一つ、王子様には心を許す娘がいたからです。
その娘は、喋れませんでした。
けれど、王子様はその子の前では、誰にも見せないような優しい顔を見せることを、その娘の笑顔に惹かれていることも彼女は知っていました。
そして、その娘も心から王子様を慕っていることも。
だからこそどうしても、それを引き裂いてしまうことは良心が咎めたのです。
たとえ、自身に向けられていないその笑顔に、心惹かれ始めているとしても。
けれど、政略結婚ならば自分にはどうしようも手立てがありませんでした。
加えて、その娘は出自が分からないということで、不審に思う者もいました。
家族のいない、話せないその娘を、一国の王子様のお相手にすることは相応しくなかったのです。
だからこそ、家臣が求める家柄からも彼女と王子様との縁談は、とんとん拍子に話は進んで行きました。
❀ ❀ ❀
ある日のこと、王子様は結婚式の前に海の上で婚約式を行うこととなりました。
船の上では多くの者がそれを祝います。
けれど船の下では、それを好まない者がおりました。
それは、あの夜の日の姉たちを含めた、末の人魚のお姫様の故郷である海の国の者たちでした。
海の国の者達は、荒波を起こして海を荒れさせました。
先程までは穏やかだった海が、急に何の前触れもなく荒れ狂ったことで、この婚約が不吉なものだと感じた者もいました。
そして、不意に起こった高波が王子様を飲み込み、海へと連れ去ったのです。
それを同じ船の上で見ていた娘がいました。
娘は迷うことなく、王子様を助けるために海へと飛び込みます。
穏やかな海ならいざ知らず、荒れた海の中に。
❀ ❀ ❀
そんな末の人魚のお姫様を見た海の者は、自分達が起こしたことが、助けたかった娘を苦しめることだと知り、帰っていきました。
王子様はというと、海へと投げ出されたショックも相まって、あの日誰に助けられたのかを思い出しました。
そしてそれと同時に、娘の本当の正体を知ったのです。
❀ ❀ ❀
それを誰よりも間近で見た彼女は、その娘の正体を確信しました。
そして海へと投げ出された王子様とその娘の安否も。
そして、彼女は自分が二人にできることを思って、ある決心をしたのです。
❀ ❀ ❀
それから、思い人の後を追って飛び込んだ娘は、泡になって消えたのだとか。
はたまた、本来の姿に戻って海へと帰ったとか。
ごく一部の間では、人として、どこかでひっそりと幸せに暮らしているとか。
さまざまな噂を広めた後、彼女はあえて気付かないでいた淡い恋心を込めて、一つの物語を書き記します。
それこそ、皆が一番よく知っているあの物語。
その物語の中で、その娘は姉たちの言う通りにすれば助かったが、想い人を思ってそれが出来ず海の泡となって消えてしまったことに。
そして泡となった後、風の精へと生まれ変わり、新しい仲間と共に旅立ったという、今もなお語り継がれているお話を。
もちろん物語の結末とは別の、他のさまざまな噂も飛び交いますが、それを知る者は当人たちのみなのです。
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