最終話:ひだまり
元恋人という
部活は出るだけの元気がないから、しばらく休ませてもらうつもり。
ふさぎ込みがちになってしまったけど、心の傷が癒えるまでは仕方ないと思う。
「
あたしの様子を敏感に感じ取る
「うん、心配してくれてありがとう」
埋橋さんも察しているのか、あたしを放っておいてくれている。
立ち直るまではそうしてくれると助かる。
他の人たちはあたしと輝の距離感を察して、あっという間に破局の噂が広まっていた。
隣のクラスには輝目当ての女の子たちが集まり始め、再び廊下を埋め尽くす。
もう…あたしは関係ない…。
「彩音、今日一緒に帰って駅のカフェへ行かない?」
茉奈が気を遣ってあたしを誘ってくれていたけど…。
「ありがとう。でもやることがあるからまたにしましょう」
精一杯の笑顔を作ってみるけど、かなりぎこちないのは自分でもよくわかる。
「そ~なんだ。じゃ~日を改めよ~か」
「うん、せっかく誘ってくれたのにごめんね」
正直、茉奈の気遣いは嬉しい。
けど今はあれを完成させて、達成感を得たい。
放課後になり、あたしはまっすぐうちに帰った。
あっという間に広がった輝との破局は、心無い人たちの囁きであたしの心の傷に塩を摺り込んだ。
どこかに出歩いてるとそういう囁きが聞こえてきそうだから、家へこもりがちになっている。
せめて、傷がもう少し癒えるまで…一人になりたい。
けど一人でいると、輝と別れた事実を嫌でも意識してしまうから、作りかけの手芸作品を完成させるために無心で手を動かす。
一本、また一本と毛糸を編み込んで、設計図どおりになっているかを確認しつつ確実に仕上げていく。
もうそれを受け取ってくれる人はいない。
分かってる。
これが仕上がっても…虚しいだけ。
受け取ってくれる人がいないことを嫌でも思い知らされてしまう。
でも今は何も考えたくない。
辛い時は何もしないでいる方がもっと辛い。
体を動かせば、頭で考えずに済む。
こうして、夜が更けていった。
「できた…」
去年から作っていたものがやっと完成した。
完成したけど、これを受け取ってくれる人はいない。
じわ…と涙がこみ上げてきて、一筋の雫が頬を走る。
「輝…」
これを作ったのは、去年の12月に入ってからだった。
バレンタインデーにチョコと一緒に輝へ渡すため。
何度もやり直しがあった。
思い描いた色使いがうまくいかず、編んでは解いて、解いては編んで…何度も何度もやり直しているうちに、五割程度のところでバレンタインデーになってしまった。
ホワイトデーになっても七割程度。
そこからさらにまた解いて五割ほどまで戻る。
設計図どおり、理想の形に仕上げようと思えば思うほど、仕上げ段階で粗が見えてしまう。
こうして半年近くの時間を要して、やっと完成した。
完成したけど、心にポッカリと空いた穴はどうにもならない。
分かっていたけど、受け取ってくれる人がいない事実に、あたしはまた傷つく。
「輝…好きなのに…別れたくなかったのに…」
ベッドに広げたそれを眺めながら、大粒の涙に変わるまで時間はかからなかった。
広げたそれの上に崩れ落ちて、一人泣き続ける。
泣き疲れたあたしの意識は、起きた時に落ちていたことに気づく。
「朝…か…」
ベッドに広げたものは、泣き疲れて寝てしまったあたしがクシャクシャにしていたらしい。
しわを伸ばして四隅を整えてたたむ。
あたしはこれを送る人を失ってしまい、扱いに困っていた。
「今年の文化祭展示用に持っていこうかな…」
袋に詰めて、学校へ行く支度を始める。
部活はここ数日サボってしまったけど、今日こそは顔を出そうと思い始める。
とはいえ、休んでしまったことを部長に謝るだけで、部活動の再開はもう少し先になりそうな気がしていた。
まだ部活の時間いっぱいまで部員の目線や囁きに耐えられる気がしない。
放課後
あたしは今日こそ部活に出る。せめて部室には行く。
そう決めて部室へ足を向けた。
「あっ…」
かなり遠くだけど、見紛うことのない姿を見てしまった。
部室から遠くなってしまうけど、その姿から遠ざかろうと背を向けて歩き出した。
ちらっと後ろを見ると、その人はあたしをめがけて駆け出してきた。
「来ないでっ!」
あたしも必死で逃げようとしていたけど、昇降口まで来てしまった。
部室からはさらに遠くなってしまうけど、急いで靴を履き替えて校庭に出る。
「待てよっ!彩音っ!」
あたしは呼び止める輝を無視して走り続ける。
本気で走ってこられたら絶対に逃げ切れないことは分かってる。
これはあくまでも関わらないで、の意思表示に過ぎない。
「チッ!」
輝は呼び止めは無駄と悟って、無言で本気走りして追いかけ始めた。
あたしは呼び止める輝の声が止んだことに気づいて、足を止めて振り向いた。
「えっ!?」
輝が無言のままものすごい勢いで追いかけてきている。
「来ないでっ!!」
あたしは追いつかれまいと必死に逃げる。
けど輝はまだ無言で迫ってきている。
ガシッ!!
「捕まえたっ!!」
後ろから腕を回して、ガッシリと抑え込まれた。
あたしも輝も、ゼハーゼハーと肩で息をする。
「いやっ!やめてっ!!」
必死に振りほどこうとするけど、抑え込んでる腕はびくともしない。
「話をしてくれるまで絶対に離さない」
耳元で喋られて、あたしはその声に足先から頭のてっぺんまで、ゾクゾクとした心地よさが全身を駆け抜けた。
「あたしはもうその気じゃないって言ったでしょっ!!?」
「それが本心じゃないことは分かってる」
「今更、何よ…あたしたち、もう別れたじゃない」
「死に別れじゃあるまいし、いくらでもやり直せる」
「あたしにはもう、その気はないわ…」
「そう言うように紫から迫られたんだってな」
っ!!?
「あれがどうにも不自然だったんだ。あれからすぐ紫が来て、なんか様子が変だったから少し泳がせてみた。それでボロを出したから問い詰めたら諦めたよ」
知られたっ!?
それじゃ紫さんは…。
あたしの脳裏に、道路へ飛び出して自殺未遂した光景が蘇る。
「あいつからの伝言がある」
片手で抱きしめながら、もう片方の手でなにやらゴソゴソしている。
目の前に出されたのはスマートフォンだった。
「伝言は録音しておいた。よく聞けよ」
そう言って、あたしの耳にスマートフォンを近づけてボイスレコーダーの再生ボタンを押した。
---
聞こえるかな?
あたしはもう大丈夫
輝を取り上げるようなことをしてしまったことは後悔してるわ
知ってるかどうかは知らないけど
中学以来の友達の
望海に…輝を譲ってと
あたしは何度も拒んだわ
けど望海は大切な友達だし
すごく思いつめていて
結局断りきれなくなって別れる決意をした
でも別れ話の最中にあたしが泣き崩れてしまいそうだから
一方的にひどいことを言って理由を追求されないよう別れることにしたの
まさかそれが女性不信を招くほどに深く傷つくなんて思わなかったわ
あたしのせいで望海は振られちゃった
あんなことを言った手前であたしも寄りを戻そうなんて思えなくなって…
諦められなくて去年の文化祭で一般参加した時に事情を説明しようとしたけど
輝は聞いてくれなかった
そうよね
あたしのせいで誰とも付き合わなくなったんだから
望海があたしにしたことをあたしが彩音ちゃんにしてしまった
それはとても後悔してるわ
謝っても許してくれるとは思ってない
けど彩音さんが輝の固く閉ざした心をそっと開いてくれた
ホッとしたけど寂しかったし悔しかった
他の誰でもないあたしが
輝の心を開けると思ってたから
彩音さんってすごいよね
あたしと彩音さんの違うところはどこまでも真っ直ぐ向き合うところだと思う
何にでも誰にでもどんなことでも
それはあたしには無いものよ
だからどうがんばっても彩音さんには勝てないと思うわ
少しの間だったけど輝と一緒に過ごせて幸せだった
けど輝が必要としているのはあたしじゃない
それがよくわかったわ
おかげで吹っ切れたから輝は返すね
辛い思いをさせてごめんなさい
ありがとう
彩音ちゃん
さようなら
---
「紫から全部を聞いて、彩音が別れを切り出した理由がはっきりと分かった」
「輝…」
「僕には彩音が必要なんだ。これからもずっと、一緒にいてほしい」
そっか…紫ちゃん、自分の気持ちにけじめがついたんだ…。
あたしは思わず目から涙がこぼれ落ちる。
「あたし、バイトを始めてすぐの頃…颯一のことを輝に隠してた。颯一がなぜ輝を憎むのか、颯一から聞いたけど…黙ってた」
「どうして隠してたんだ?」
「だって、輝が原因で颯一が苦しい別れになって、輝を憎む颯一と輝が顔を合わせたら…事情を知ってしまったあたしが苦しくて…そんなの耐えられない…だから颯一と会ってほしくなくて黙ってた」
「…吉間が僕を敵視する理由…どうりで僕には覚えがなかったわけだ」
「輝…あたし…もう逃げないから、そろそろ離して」
ガッシリとあたしを離さなかった後ろから伸びる輝の腕から、力が抜ける。
腕の束縛から開放されたあたしは、輝に向き直る。
軽く涙を拭いて…
「理由も告げずに一方的に別れを言い出してごめん。事情を知ったら、紫ちゃんが責められるのは分かってたから…」
「全部を知って、紫には腹が立ったけど、彩音とやり直せると思ったらホッとした。もう一度、彩音とやり直したい」
「うん、あたしも…もう一度…ううん。ずっと輝に寄り添っていたい」
あたしは輝の胸に飛び込んで、輝はあたしをギュッと抱きしめる。
お互いに見つめ合って、どちらからともなく唇を重ねた。
ヒュオッ
日向ではポカポカとする陽気の中で少しだけ肌寒い風が吹き抜けたけど、今のあたしたちには寒さなんてどうということはない。
抱き合ってから、どれくらい経ったろう…。
こんな近くに輝を感じていられることを幸せに思うなんて、出会った頃は思いもしなかった。
「あたしね、輝のために作っていたものがあったんだ」
抱きしめ合うのをやめて、昨夜に完成したものを取り出す。
「これは?」
輝が取り出したのは、毛糸で作られた塊。
「広げてみて」
「うわっ!」
どこまでも広がる毛糸のそれは、輝を驚かせた。
赤、橙、黄、緑、ピンク、白で編んだ毛糸でできてる大きな一枚の布。
「超大判ストールよ。輝に使ってほしくて、去年からバレンタインに間に合わせるよう作ってたけど、やり直しが多くて…結局今になっちゃった。仕上がる日がズレたから誕生日プレゼントになっちゃったかも」
輝は驚いたような顔を見せた。
「今日が、誕生日なんだが…なぜ知ってた?」
「ええっ!?そうだったのっ!?」
あたしは全く知らなかった。
「バイクの免許を取った時のことを聞いて、5月くらいだろうなと思ってたけど、まさか今日だったなんて…」
「そんな情報だけで絞り込んでたんだ…」
「輝。誕生日、おめでとう」
あたしはフワッと微笑み、祝福の言葉を贈る。
「ありがとう。しかしかなり派手だな…」
超大判ストールを羽織る輝は、少し照れくさそうに頬を染める。
赤から橙、橙から黄、黄からピンクへとタータンチェック調にグラデーションのような移り変わる色のコントラスト。
緑の木の葉をイメージしたアクセントカラーのところから、大胆に斜めへ差し込む白と黄色の筋は、まるで暖かな木漏れ日のよう。
寒い冬を暖かく過ごせるように、と色使いに込めた気持ちは、あたしが思い描いたとおりに彩っている。
「こんなの、使えないな…」
「気に入らなかった?」
「いや、使うのがもったいないな…そうだ、これは手芸コンテストに出そう!例の審査委員長もそれを望んでいるだろう」
「だめっ!こんなの真っ先に落選しちゃうよっ!」
「これはくれたものだろ?ならどうしようとも僕の勝手だ」
「それなら返してっ!」
ストールを引っ張るあたしを微笑みながら見ている輝。
ふわっ
輝が羽織っていたストールは、裏表を反転させつつあたしの肩にかけてきた。
「作品名は…このポカポカと暖かな彩り、一筋の陽差しをイメージして…決めた」
「もう…強引なんだから…」
作品として出すことがもう確定したかのような輝に、初めて出展することを想像して恥ずかしくなりながらも、あたしは再び輝と寄り添えることが嬉しくて体が火照ってしまう。
輝はその作品名を口にする。
ひだまり/全50話:完
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