第46話:ほかにてがないの
「彩音……お前…何を言ってるのか、分かってるのか?」
「…うん。分かってる」
輝は驚きながらも、顔を赤くしてうつむいてるあたしの様子を察してくれたのか、駅を通り過ぎてネオン街へ足を伸ばす。
あれから一言もしゃべっていない。
恥ずかしくて、言葉が喉を通らない。
ライトアップされている建物の前へ来て、足を止める。
「彩音…いいんだな?」
こくん
あたしは言葉ではなく、首を縦に振って答える。
「僕だって男だ。一度その気になったら自分を止められる自信はない…」
「………止まらなくて…いい。行こ」
これが最後と思ったら、恥ずかしさなんてどこかへ行ってしまった。
輝が選んだのは、比較的シンプルな内装の部屋だった。
「それじゃ、体流してくるね」
シャワールームと部屋を仕切る壁は、すりガラスになっている。
おそらくあたしの体はぼんやりと部屋の中から見えているはず。
シャー…
温かい水流を体に浴びて、今日かいた汗はお湯と一緒に肌を滑り落ちていく。
いよいよ…輝と………するんだ…。
最初で、最後の…。
長かった。
ここまで来るの…。
最初は体の接触そのものを避けられていた。
輝から触ってこようとしなかった。
キス未遂したり、抱きついても抱き返してくれなかったり、手をつないでも握り返してくれなかったり、そういうところで人知れず傷ついていた。
クリパのオンステージでは、輝が勇気を出してあたしと初めてのキスをしてくれた…それも大勢の前で。
あの時、肩に手をかけてきた輝はガタガタ震えてた。
必死だったんだ。
あたしを守るため。
今年に入ってから、手を握り返してくれるようになったり、抱きついたら抱き返してくれたり…さっきだって、キスも自然にしてくれた。
こういう関係になるのは…もっと先だと思ってた。
もし、このまま輝とベッドを共にして、あたしの中にある輝への想いを諦められるだろうか…。
難しい…かもしれない。
もっと愛しくなって、もっと欲しくなって、離れられなくなるかもしれない。
でも…後悔だけはしたくない。
やり遂げた後悔は…苦しい。
けど何もしない後悔は…悲しい。
同じ後悔なら、やり遂げたい。
それが、胸を引き裂かれるような苦しさを伴ったとしても…。
キュッ
蛇口を締める。
体を拭いて、着替えを手にふわふわのバスローブを羽織る。
すりガラスのドアを開けると、間接照明でぼんやりと照らされている部屋で輝はソファに腰掛けていた。
「おまたせ。輝」
「ああ、少し待っててくれ」
ソファから立ち上がり、今度は輝がすりガラスの向こう側へ足を運ぶ。
いよいよなんだ…。
自分から誘っておきながら、緊張してきた…。
あたしは自分の体を確認する。
こんな平らな胸で、がっかりされないかな…。
でも紫さんは見事なプロポーションだから、あたしでがっかりした後に紫さんみたいな人の体を見て満足してくれれば…それでいい。
輝が浴びていたシャワーの音が止む。
あたしは意を決して、ベッドに潜り込んだ。
チャッ…
バスルームのドアが開いて、輝が部屋に入ってきた。
「彩音…」
囁くように呼んで、ベッドに入ってくる。
「ぐっすり寝てる、なんてベタなことは無かったか」
「うん、起きてるよ」
恥ずかしくて、背を向けたままで応える。
ごろんと向きを変えて輝と向き合う。
「あたし…初めてだから…」
「うん、ゆっくりと…優しくする」
輝の手があたしの体に触れる。
仰向けになったあたしに覆いかぶさるような姿勢で、唇を重ねてきた。
その流れに、出会った頃のような迷いや
やっと…女性不信を…乗り越えてくれた…。
嬉しくなるけど、これで終わりと思ったら…胸が潰されそうになる。
「彩音?」
「え?」
「どうしたんだ?」
気がついたらあたしは目から涙を流していた。
「ううん、なんでもない。輝がやっとこうして自然なスキンシップをしてくれるようになって、嬉しいの。だから気にしないで」
「……………そうか、彩音には寂しい思いをさせてしまったね」
今、ふと空いた間が気になったけど、バレないようしっかりしないと…。
こうして肌を重ねていると、愛しい気持ちが膨れ上がって抑えきれなくなってしまいそうになる。
手放したくない…。
この優しい、温かな時間を…。
「んっ…!」
大きな逞しい手を肌に触れるか触れないか、ギリギリのところで掠められる。
体がいつもより敏感になってる…。
体中が性感帯に変わってしまったかのような錯覚に陥ってしまう。
あくまでも優しく、体中を愛撫してくる輝。
その手つきはあたしをどれだけ大切に思っているかが伝わってくる。
「あんっ…」
胸の敏感なところに触れられて、体が痙攣を起こしたときみたいに跳ね上がる。
好き…
大好き…
愛してる…。
鳥肌が立ちそうなゾクゾクする快感が送られてくるたびに、想いは膨れ上がる。
触られたところはたちまち熱くなり、体の火照りが止まらない。
「はあっ…はあっ…」
どれほどの時間、愛撫されたのか分からなくなるくらいあたしの体は火照り、抑えられないほど興奮していた。
「いくよ…」
「うん。覚悟決めたから…痛がっても、絶対にやめないでね。我慢できなかったら突き飛ばすかもしれないけど…」
「…わかった」
「痛っ!」
輝の一部が、あたしを満たしていく。
痛いけど、愛する人とつながるって、こんなにも嬉しいなんて知らなかった。
あたしの上で動く輝は、常にあたしのことを気にかけてくれた。
「痛いよね」
「無理してないか?」
「きつそうな彩音を見ていると、こっちが辛くなる」
そう囁かれるたびに、体はますます輝を求めたくなって、何度も先を促した。
この痛みを包み込むような輝の優しさが嬉しい。
痛みは最後まで引かず、まだジンジンしている。
でも初めてを輝にあげられた。
「好きだよ、彩音」
お互いに満足して、裸のまま抱き合っていた。
「うん。あたしも…輝が大好き…」
終わった…。
これで本当に最後…。
離れたくない気持ちがますます大きくなってしまったけど、やらない後悔はしなくて済む。
「おい、本当に大丈夫か?」
「えっ?」
うかつにもあたしはまた大粒の涙を流していた。
「ううん、嬉しいの。こうして輝と肌を重ねられたことが…」
幸せな余韻に浸りながら、別れる辛さを胸に秘めていた。
「こうして一緒のベッドにいるの、二度目だね」
「そうだったな」
一度目は輝との初デートの日にあたしが風邪を引いた時だった。
けどあの時は病気だったから横になってるだけだったけど、体温を感じられることが嬉しかった。
「まだ、何度でもあるさ。けど無理はしないでね」
「うん」
もう、輝と…次はない。
辛いけど、あたしも乗り越えなくちゃ…。
翌日
昨夜は輝とついに肌を重ねることができた。
もっと、ずっと…一緒にいたいけど、これで終わりにしておかないと…次第に離れたくなくなる。
今日のうちに別れる決意をした。
「おはよう、
「おはよ~…何かあったね?」
やっぱり鋭い…。
「悩みがあるなら聞くよ?」
「うん。でもあたしの問題だからいいよ」
「今日の彩音、何か違うんだよね…うまく言えないけど」
輝と一夜を共にしたなんて言ったら、大声で聞き返されかねない。
結局茉奈には黙っておくことにした。
あたしは隣のクラスへ足を運ぶ。
輝はまだそこにいた。
気づいたところでひらひらと手を振って、呼び出した。
「これから部活でしょ?一緒に行きましょう」
「おう、かばん持ってくるからちょっと待ってて」
教室の席へ戻り、かばんを手に教室を出てくる。
「おまたせ。行こうか」
「うん」
部室へ向かおうとする輝に
「そうだ。ちょっと寄りたいところがあるんだけど、一緒に来てくれるかしら?」
「…珍しいな。どうした?」
「こっち」
あたしはそのまま外に出る。
「どこへ行くんだ?まさかこのまま帰るのか?」
あえて答えずに、ひと気のない場所まで歩いていく。
本当に、長かった…。
ほぼ一年前に茉奈が食堂の席取り合いで言い合ってたのを、あたしが割り込んで言い争いになり、引っ込みがつかなくなったところで輝が丸く収めてくれた。
それがきっかけであたしは輝のことを知った。
当時は女の子をとっかえひっかえしているという噂で、勝手にチャラ男のレッテルを貼っていた。
スマートな仲裁をしてくれた、名前も知らない男にドキドキした。
名前を聞いて、チャラ男のレッテルを貼ってた
それからやたら輝に絡まれて、作ったポーチがきっかけで手芸部に入ってきて、部活をぐちゃぐちゃにされてしまった。
帰宅部だった輝が入ってきたことで、輝を目当てにして入部してくる部員が多すぎて、部活として回らなくなった。
あたしは輝に不満をぶつけて、いっそ退部してくれたほうがいいと思ったから、彼には無茶ぶりをした。
副部長になって、みんなが真剣に取り組むよう要求したけど、放り出すかと思っていた。
それが狙いだった。退部してくれたほうがよほど楽だと。
けど、輝の取り組みはあたしの予想を遥かに上回る成果を出した。
きつい課題に音を上げた部員のケアまでしてくれて、当初入った数よりは減ってしまったけど、文化祭の衣装をすべて作る過去最高の実績を打ち立てた。
文化祭前日の夜に
どうやら輝がフォローに入ろうと着いてきていたけど、必要なかった。
必要な大きさの布…カーテンを確保するため先生を説得して、使わせてもらえることになる。
部員は一度帰ってしまったけど、なぜか部員は戻ってきて作ってくれた。
そのまま保健室で休んで、一度帰ってからまた学校へ戻る。
夏休み前に颯一の提案でお試しの交際をしているうちに、あたしが本気になってきて、お試しをやめて本気の付き合いにしたと思ったら、お試し期間終わりの日に…颯一に振られた。
あたしが…輝のことをいちいち思い出してるのを見抜かれていた。
文化祭の片付けで、衣装制作のため使ったカーテンを戻すための買い出しは寂しい思いをした。
輝が全然話してくれなかったから。
買った布を部室へ戻すために学校へ着いたときに
輝が女性不信に陥った過去を知って、あたしは輝と付き合うのを諦めた。
けどお試しとして付き合うことになって、颯一との別れ直後のことだったから、付き合ってるのは黙っていることになった。
体の接触をしても、輝は応じてくれなくて、キスしそうな寸前で止められたり、抱きついても抱き返してくれない寂しさに耐えながら、辛抱強く輝との仲を深める。
クリスマスパーティーの時に輝はステージに上がって、あたしとの交際を発表したあの時、輝との初キスをした。
結婚式みたいに、みんなの前で…。
すっごく恥ずかしかったけど、輝はそれ以上に怯えていた。
初詣の時に紫さんが駅のホームから転落しそうになったのを助けたのが、この別れの始まりだった。
別れたくないのに別れを決めた紫さん。
今度はあたしが紫さんの立ち位置で、輝と別れるように求められた。
絶対に譲らないと決めていたのに、命を投げ出してしまうほど思いつめてる紫さんを放っておけなくて、輝と別れることにした。
最後のデートと決めて、あたしからデートしたいと言い出した。
最後の思い出に、輝と付き合った証として、輝にあたしの初めてを捧げた。
離れたくない…。
別れるなんて…嫌…。
出会った時、ここまで好きになるなんて思わなかった。
むしろ女の敵とさえ考えて、嫌がらせして嫌いになってもらうはずだった。
でもあたしの心にどんどん入ってきて、気がついたら夢中になってた。
せっかくここまで来たのに…。
手をつなぐことさえ、つないだ手を握り返してさえくれなかった輝が、今は素肌で愛してくれるところまできた。
やっと、恋人同士のように…触れ合えるようになったのに…。
これで終わりなんて…いや…。
でも、こうしないと…紫さんは命を投げ出してしまう。
歩く足を止めた。
輝は怪訝な顔でそこにいる。
「……………」
あたしは言葉に詰まる。
言いたくないことを言わなければならない、その苦しさに。
「あたし………あたし………」
紫さんが苦しい思いをしてきたのは…わかる…。
今度はあたしが苦しい思いをしなければならない…。
なんで…あたしが苦しい思いをしなければならないの…?
けど、紫さんがあれほど思い詰めてる…。
胸が潰されそうな気持ちで、言葉を吐き出した。
「輝…あたしたち…もう…別れましょう…」
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