第47話:かならずあのひとをとりもどす

 一方的に言い放ち、彩音あやねは背を向けて駆け出した。

「待ってくれっ!僕は君のことを本気で好きになれた…」

 輝は掴んだ腕をぎゅっと握り、彩音が少しだけ振り向いた。


 っ!?


 その顔を見た輝は、予想していた表情とかけ離れていたため、腕を掴む手から力が抜けた。

 すぐに振りほどかれ、彩音はそのまま駆けていった。

 彩音は涙を拭いつつ走り、角を曲がったところで紘武ひろむとすれ違ったが、涙を見せまいと目を抑えていた彩音はその存在に気づくことはなかった。


「なんで…泣いてたんだ…?泣くとしたら…振られた僕の方だろう?」

 呆然と立ち尽くす輝の姿を、紘武は角の影から見ていた。

「似てやがンな…あン時と…」

 ぼそっと呟く紘武と、向こうには

「何が…どうなってるんだ?」

 思考が停止しかかった輝が取り残されていた。


 これで…これで、よかったんだ…。

 ゆかりさんが望まない別れを告げて…振り向いてくれないことを悔やんで、自殺を決意するほど好きな輝を…返してあげるんだ…。

 止まらない涙を流しつつ、悲しみで顔をくしゃくしゃにしたままのあたしは、紫さんに「別れた」と短くメッセージを送った。

 これ以上長く打つと、あたしが耐えられない。

 目の前が波打つ水面のように、ゆらゆらとする。

 メッセージを送ったスマートフォンの画面へ、次々に水滴が付いては流れ落ちる。

「輝………輝………ううっ……紫さんと…幸せに…なってね…」

 壁にもたれて、力なくうずくまる。

「好きなのに…こんなに好きなのに………別れなきゃいけないなんて…ひどいよ…あたしが…あたしが何をしたって…いうのよ…いくら…颯一そういちのことを勘違いして振り回してしまった報いだとしても、こんなのひどすぎるよ…」

 とめどなく溢れてくる涙を止めることもできず、あたしはその場であたりが暗くなるまで泣き腫らした。


「黙って見てたって状況は変わンねぇ。少し揺さぶってみっか」

 意を決して、紘武は角から飛び出す。

「輝、てめぇ…彩音に何しやがった?」

 紘武は鬼の形相で輝に近づいていく。

「紘武か…毎度まいど、タイミングがいいというか悪いというか…」

 ガシッと胸ぐらを掴み、絞り上げる。

「あンだけてめーが大切にしてた彩音に何をしたって聞ーてンだよっ!!?」

「………教えてくれ…」

 まるで抜け殻のような、あの時の輝に戻っていた。

 紫に振られた…あの時の…。

「あ?」

「僕の何がいけなかったのか…教えてくれ…」

 紘武は掴んだ襟を離し

「やっぱり似てンな…あン時とよ」

 さっきまでの激しい口調と打って変わって、静かな口調で輝に話しかける。

「あの時…?」

「てめーが紫に振られた時のことだよ。あン時ぁてめーがうずくまったから気づいてねーと思うが、紫は泣き顔を必死で堪えてるよーに見えたンだよ。まるでみてーによ。前後でそうなる状況に心当たりはねーか?」

 輝はハッとなった。

「まさか…あいつか…」

「どいつだよ?」

 文化祭一般開放の時、なぜ今頃になって顔を出したのか、不思議で仕方なかった。

 なぜか声をかけること無く姿を消した。けどそう考えるとしっくりする。

 それが直接の原因ではないことは明らかだ。

 しかし、それこそ最近彩音の様子が変わった発端と考えると、パズルのピースがピッタリと当てはまっていく。

 そして、吉間が僕を恨む理由も納得できる。

「これは僕の問題だ。紘武はもう関わるな」

 意を決した光を灯した輝の目を見て、紘武は内心ほっと胸をなでおろす。

「へっ、俺はてめーがやる気なら最初ハナから口出しするつもりなンてねーよ。だがな」

 紘武は一呼吸置いて

「てめーが本気でホレた女くれー、本気で愛しやがれっ!!中途半端で終わらせやがったら、今度こそこいつをそのモテ顔にくれてやるっ!!」

 甲を向けた力いっぱいの握りこぶしを、紘武の顔の高さで見せつける。

 ガッ!

 輝も握りこぶしを作り、手の甲同士を軽くぶつける。

「手ェ借りたきゃいつでも言えよ!全力でやってやンよっ!」

 一呼吸置いて、紘武は続けた。

「それと役に立つ情報かわかンねーけどよ、彩音が下駄箱にいたずらされたあの日、先に帰る途中で紫と彩音が駅のカフェで喋ってた。いつの間に知り合ったンかも、何話してたかも知らンがよ」

「そうか、そう考えるとしっくりくる。予想が裏付けられそうだ」

 輝の目には、やる気にみなぎった光が宿っていた。

「行けっ!輝っ!!ここが正念場だ!!派手にぶちかましてけっ!!」

 げきを飛ばす紘武を背に、輝は駆け出した。


「さて、どっちから攻めるべきか…」

 一人になった僕は、思いを巡らせて状況を分析し始めた。

 昨日のデートでは彩音が時々暗い顔を見せていた。

 考え込んでるような素振りもあった。

 そして、さっきの別れを告げておきながら泣いていたことを考えると、彩音が本当に別れたくて別れを言い出したことじゃないと考えるのが自然だ。

 けど思いつめてる彩音に問い詰めたところで答えてくれないだろう。

 となるとけしかけた本人の言質げんちを取って…。

 考えているうちに、ショートメッセージが入った。

『輝だよね?久しぶり。紫です。お話がありますので近いうちに時間取れますか?』

 ………なるほどな。

 どっちにするか迷っていたけど、丁度いい。そっちから来るなら…。

 僕はショートメッセージを返した。


 すっかり日が暮れて夜になり、泣き腫らした彩音はトボトボと家路を急ぐ。

 家に帰っても何もする気が起きず、無気力にベッドへ倒れ込んだ。


 おわった…。

 昨日のデートの余韻がまだ残っている。疼くような痛みが今もある。

 うっかり、我慢できなくて泣いた顔を輝に見られてしまったけど、これで輝はフリーになった。

 最初は触れてさえこなかった輝が、辛抱強く接したから…普通に恋人同士の仲として…肌を重ねるところまで…男女の深い仲に関係になるところまで…女性不信を乗り越えてくれた。

 前に付き合ってた紫さんがここで輝に近づけば、きっと二人は元に戻る。

 あたしの役目は…これで終わったんだ…。

 ほんとに…皮肉なことだよね。

 まさか颯一そういちと別れた日、輝と別れた日が…両方ともお試し期間終了の日と重なるなんて…。

 あたしは絶対に、あたしがされたことを他の人にやったりしない…。

 こんなことまでして、大切な人を悲しませてまで…人から奪うなんてこと…絶対にしちゃいけない…。

 傷つけられたからこそ、傷けることをしない…しちゃいけない。

 あたし…強くなる…。

 自分の気持ちを押し付けて、他の人を不幸にする弱い人になんて、絶対なってあげないんだから…。


 翌日…

 茉奈まなは彩音の様子が明らかに変わったことに気づくものの、何が起きたのかが手に取るように分かったから、何も言わなかった。

 彩音は時々泣き出しそうになるけど、なんとか休み時間までこらえて、休み時間のたびにトイレへ駆け込んで声を殺して泣いていた。

 目をこすると赤くなるから、目をこすらないようハンカチを目の下に軽く添えて溢れ出て止まらない涙を吸い取らせる。

 休み時間が終わるたびにハンカチは絞れるほど涙を吸い取っていた。

 放課後になっても彩音は部活に行かず、そのまま家に帰っていく。

 茉奈は話しかけるのも気の毒すぎて、彩音から話しかけてくるのを待っていたが、とうとう一言も口を利かなかった。

「ねぇ、茉奈ちゃん…彩音ちゃんって…多分そうだよね?」

 埋橋うずはしさんが彩音を心配して、茉奈に話しかけてきた。

「うん…間違いないと思う。けど、あたしたちじゃど~にもできないから…」

「心配よね…」

「そ~言えば、吉間くんとはど~なったの?」

 茉奈は前から疑問だったことを埋橋さんに聞いてみた。

「…彩音ちゃんがあんな状態で話することじゃないと思うけど、ホワイトデーの日から付き合い始めたわ」

「…彩音の元カレってことでやりにくくない?」

 埋橋さんは少し黙り込み

「気にならないといえば嘘になるわね。なるべく触れないように会話では言葉を選んでるし、そういう流れにならないよう話題も気を遣ってる」

 少し気苦労してる様子で答えた。

「そ~だよね。それは大変かもしれない」

「でも、それも込みで付き合うことを選んだから後悔はしてない」

「もし彩音が吉間くんを譲ってと迫ってきたらど~するの?」

「心配ないわ。彩音ちゃんはそんなこと、絶対にしてこない。筋の通らないことを人に押し付けるなんて、あの人らしくないわ」

 埋橋さんは彩音のことをよく理解していた。

「でも万が一、億が一、そんなことをしてきたら、あたしが彩音ちゃんの目を覚まさせてあげるわ」

 茉奈と仲良くなるきっかけをくれたのは、他でもない彩音ちゃんだったから。

「あたしね、茉奈からしみ抜きで手帳カバーを預かるために彩音ちゃんに頼んだことがあるの。そしたらなんて言ったと思う?」

「さ~…」

「茉奈にしっかり話して、誠意を見せれば、きっと茉奈は心を開いてくれる。彩音あたしを利用するんじゃない…って、あたしの甘えた考えを真正面からバッサリと切り捨ててくれたの。じゃ、そろそろ部活に行くわね」

「うん、でもその前にちょっとい~かな?」


 手芸部室に入った部長は、彩音と輝を始めとする部員が来るのを待ちながら自己課題に取り組んでいた。

「あの…」

「あら、どちらさま?」

「彩音のクラスメ~トです」

 茉奈と埋橋さんは二人で手芸部室を訪れていた。

「そうなんだ。どうしたの?」

「ここではちょっと…こちらへ」

 部長が促すものの、何か言い辛そうな様子を見て、部室を出ていく。


「何か深刻な事情があるみたいね」

 茉奈と埋橋さんは顔を見合わせて

「あの…詳しくは話せないんですが、彩音ちゃんはしばらく部活に来ないかも知れません。けど、いずれ来ると思いますので、責めないで見守ってあげてくれませんか?」

 聞いた部長はしばらく考え込んだ。

「そう、わざわざありがとう。その伝言は彩音さんから?」

「いえ…様子を見てそ~なると思って…」

「わかった。なら事情は何も聞かないでおくわ」

 二人は去り際に頭を下げて、それぞれの部活へ足を向ける。

「そう…彩音さん、副部長と別れちゃったのね…。どっちも欠かせない人材だったのに…傷が癒えて戻ってくるまで、あたしがなんとかするしかないわね」

 部長は寂しげな顔で、二人の背中を見送った。


 彩音はまっすぐ家に帰り、去年から密かに作っていたものを仕上げにかかった。

 もう必要がないものだけど、何もしてないと心が押しつぶされそうになって仕方なかった。

 手を動かしている間は頭の中から悲しい出来事を追い出せる。

 でもこれができあがったとしても、受け取ってくれる人はいない。

 今作ってるもの以外のことを考えたくない。思い出したくない。

 感情が高ぶってこないよう、手元だけに集中する。

 あの時の気持ちを作品にしたかったけど、今は張っている気を抜いてしまうと一転して真逆の気持ちに包まれてしまう。

 やり直しが入ったとはいえ設計図は頭に入っている。そのとおりに仕上げる。

 悲しさの追手を振り切るように、手元だけに意識を集めながら毛糸玉から伸びる毛糸を編み込んでいく。

 本当はバレンタインデーまでに完成するはずだったけど、予想していたよりも難しくてやり直しが何度も発生して今に至っている。

 でも作り続けたのは気持ちを伝えたいから。

 何度もやり直している間にその相手がいなくなってしまったけど、今はこれを作ること以外何も考えたくない、と自分に言い聞かせて手を動かす。


 僕は学校の敷地を出て、駅へ向かう。

 部活はあったが、もっと大切なことがある。

 待ち合わせしている場所まではもう少しかかる。

「絶対に真相を掴んでやる…彩音は、必ず取り返す」

 そう決意して、駅への到着を待っていた。

 改札口を出てから姿を探す。

「あっ、輝っ!!」

 ぱあっと顔を輝かせて駆け寄ってくる紫。

「久しいな。半年ぶりってところか」

「うんっ、久しぶりだねっ!!」

 僕も話があるから、話をしやすいように場所を探して歩き出す。

 紫が腕にしがみついてくる。

 その態度を見て、僕は紫へのある憶測が正しいことを確信し始めた。

「輝って、今彼女いるの?」

「前に言っただろう。僕はもう誰とも付き合わないって」

「でも、つい最近まで付き合って彼女がいるって話を聞いたんだけど?」

 やはり、間違いない。

 違う高校に行ってるにも関わらず、これだけ早く情報を掴んでいる。

 まだクラスでも話題になってすらいない状態にも関わらず正確に知っている。

 証言を取るにしても、どんな証言を引き出してやろうか…。

 もし失敗すれば、彩音は二度と戻ってこないだろう。

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