第44話:それでもぜったいゆずれない
「………はい?」
何を言っているのか、理解できなかった。
「付き合ってるんでしょ?
「ええ、そうよ」
「あたしのこと、聞いてるかもしれないけど、中学の時に輝と付き合ってたの」
伏し目がちに続ける。
「けど、別れてすごく後悔したわ。あたしが振った時のショックが大きかったのか、あれから輝は誰とも付き合わないって言い出していて…あんな別れ方しなければよかったと…」
「ふざけないでよっ!」
ビクッと驚いた顔を向けてきた。
「そんなの自業自得じゃないのっ!あなたに傷つけられて輝は心を閉ざしちゃったのよっ!やっとあなたという傷を乗り越えて付き合い始められたけど、全然恋人らしくない…まるで友達みたいな距離感をあたしはずっと我慢しているのよっ!それを何よっ!譲ってほしい!?あたしが付き合うまでどれだけ辛い思いをして…付き合ってからどれだけ寂しい思いをしてるかわかるのっ!?人の気持ちも知らないで、よくそんなことが言えるわねっ!!」
いつもの調子でひとしきり吐き出したあたしは、
「………人の気持ちも知らないで…それはあたしのセリフよっ!どれだけあたしが…」
言い終わるより前に、涙を浮かべた目を隠すように顔を覆って駆け出した。
キュキィー!
周りも見ないで飛び出した紫さんにニアミスして、驚いた車のタイヤがアスファルトにこすりつけられて悲鳴を上げる。
そのまま向こうの歩道へ走っていき、やがて建物の影に入って姿が見えなくなった。
「なん…なのよ…?」
紫さんは、輝を女子のステータスとして利用して、あなた自身がステータスとしての手応えを感じたから、自分勝手な都合で別れを告げたはず…。
それなのに、なんであたしが責められるのよ…。
なんで…あなたが泣いてるのよ…。
追いかける気もなくしたあたしは、そのまま改札階へ足を運ぶ。
紫さんとの別れは、ことあるごとに狙いすましたようなタイミングでその場面に遭遇する
何が…起きてるの…?
「それでね、部員の視線が痛くてたまらないわけよ」
モヤモヤして仕方なかったあたしは、
「そうなんだ~。あのレベルの彼氏だと大変なんだね~?」
「そうよ。あたしは別にルックスなんて気にしないし、輝へのイメージは最初なんて最悪だったわ。好きになったのがたまたま輝だっただけで…」
………
ふと訪れる僅かな沈黙。
「で、彩音は何があったの?」
「え?」
「話したいことは別にあるんでしょ?ど~やら繊維街の帰りみたいだけど、そんなに手荷物多~い状態でも呼び出すくらいには余裕がないのわかるよ」
…はぁ…お見通しってわけね。
「さすがよね、茉奈は…」
今日、紫さんに会ったことを茉奈に話した。
「それって輝や
「言えないわよ…」
「ど~して?」
「輝は今、大事な時期だもの。へたに過去をほじくり返して、また心を閉ざされたり、紫さんとヨリを戻そうなんてされたら今度こそ打つ手なしよ」
カランとグラスの氷が音を立てて、レモネードをストローでちゅーちゅー吸ってる茉奈。
「ヘタレ」
グサッ!
「キッツいわね…茉奈…」
わかっていますとも。紫さんとあたしを比べられたら雲泥の差。
それこそ輝と紫さんのカップルは、天上の存在にすら思えてくる。
そんなの…見たくない…。
確かに、茉奈のスイッチは入りにくくなったけど、その分普段の会話に毒が混じってるような気がしてならない。
「アヤアヤと呼ばれてる彩音が弱気なことゆ~からでしょ」
「あたしが呼ばせてるわけじゃないわよ。勝手にそう呼んできてるだけ」
「好きだけどね。そのズバッとものを言う真っ直ぐさ。変に遠慮して上辺だけの付き合いなんて疲れるだけよ」
…考えさせられる。茉奈は
仲良くなりたくてちょっかい出してるうちにイジメてしまったことを打ち明けた埋橋さん。
それを知って、乗り越えて仲良くなった茉奈。
お互いに装うこと無い、むき出しの芯を見せた二人の絆は多分とても固い。
輝は、自分の口からじゃないものの
それだけに絆は強いと信じたい…。
でもあたしに嫌なところを見せまいと、いたずらされたのを隠されたこともある。
大切にしてくれているのはわかってる。
けど大切にすることと、気持ちを尊重することは別の話。
そういえばあたしって輝の気持ちを尊重できてるのかな…。
輝と付き合ってても我慢の連続ばかり。
好きだから手をつなぎたいし、抱き合いたい。
気持ちが通じ合ってることを体でも確認したい。
考え込んで、浮かない顔をしているあたしを見た茉奈は
「ちょっとお手洗いに行ってくる」
と言って席を外した。
茉奈ってこういうところ、やけに鼻が利くんだよね。
しばらくして戻ってきた茉奈と何気ない会話をしてから帰ることにした。
あれから紫さんは姿を現すことはなく、それから一ヶ月が過ぎる。
「はい、輝。これバレンタインの…気持ち」
「ありがとう。彩音」
朝のうちにチョコを渡しておいた。
でもやはりというか、輝には様々な渡し方…主に置き去りでチョコが送られている。
輝はあたし以外からは受け取れない、と言って校舎を駆け回っていた。
直接手渡してくる女の子からは「受け取れない」と断って、机や下駄箱に置き去りする人は、特定できる限り手渡しで戻しに回る。
前に聞いた話のとおり、返す先が分からないものは嫌がる紘武に押し付けているのが印象的だった。
なんで紘武が嫌がるのかと言うと、手に持って教室へ戻ると「誰からもらった?」と質問責めにあうからだそう。その受け答えが面倒だから嫌がるみたい。
甘いものは大好きではないとしても、あれば食べると輝から聞いた。
そういえば去年はどうしたんだろう…。
特定の人はいなかったはずだから、全部受け取ったのかな。
輝絡みで言うと、まだあたしへの嫌がらせは続いている。
かなり頻度は減ったものの、輝と紘武はその対応にも追われた。
つくづく、あたしはとんでもない人と付き合ってるんだということを実感する。
進級試験も無事に終わり、結果も上々だった。
春休みも輝と過ごす日を多くとって、確実に仲良く慣れている手応えを感じた。
あれから紫さんは姿を見せることなく、高校三年へ進級する。
進級に伴ってクラス替えがあったけど、代わり映えしない結果だった。
輝と紘武が3-B、あたしと茉奈と埋橋さんが3-A、颯一は3-Cへ。
いよいよ受験の二文字が重くのしかかってくる。
最初にカフェでおしゃべりをしたときに、流れで連絡先の交換をしていた。
その連絡先交換の電話にも一切の連絡がない。
彼女は輝の元カノ。あたしとしては連絡がなくて安心するけど、去り際の顔が気になってなんだか落ち着かない。
輝は自然な感じで手をつないでくれるし、抱きしめてもくれる。
やっと普通の恋人みたいになりつつあるけど、お試し期間は後一ヶ月半を切った。
前は
今のお試しは、輝がどうしてもダメならそこで終わり。
あたしは終わらされるのが…怖い。
うまくいってると思うけど、輝がどう思ってるかはわからない。
ちなみに、埋橋さんは颯一と付き合い始めたらしい。
はっきりとは言ってないけど、一緒にいるところをよく見かける。
桜も散りきった今の季節は少し肌寒く、校内でも人目が少ないところでは手をつないで歩くこともしばしば。
そのぬくもりは何ものにも代えがたい、大切な時間。
輝は誰にも渡したくない。
気持ちが通じ合う大切な人。
でもべったりになりすぎないよう、自分で心地よい距離を見つけよう。
「えっ?今日は部活中止?」
「そうなの。家庭科室の緊急点検があるそうで、部室が使えないってさっき連絡があって…予定が狂っちゃったのよ」
部室へ足を向けたものの、部長が部室の前にいたから何事かと思っていたら…。
部室を見てみると、工事業者らしい人たちがひっきりなしに動き回っている。
「どれくらいかかりそうなの?」
「夜までかかるとは言われたわ」
「そう…なら今日は無理ね。貼り紙しておきましょう」
職員室で白紙とペンを借りて、部室のドアに『部室が緊急点検のため本日は手芸部の部活はありません』と書いた紙を貼り付けておいた。
「それじゃ、また明日」
部長にあいさつして学校を後にする。
仕方ないわね。自己課題は家でやろうかな。
新学期だからまだ宿題は少ないし、バイトも今日は休み。
家にミシンがあるから、手芸部でやるはずだった制作には問題がない。
あたしは帰るため駅に向かう。
「彩音ちゃん…だよね?」
あたしは久しぶりに聞く、聞きたくなかった声が耳に飛び込んできた。
「…久しぶり…だね」
そこにいたのは、やっぱり紫さんだった。
繊維街へ出かけた帰りにばったり遭遇して、なぜかあたしが責められて勝手に走り去って、ここ三ヶ月ほど連絡も取らないでいた。
あたしから連絡する必要は特に無いし、彼女から連絡してくるわけでもなかったからここまで連絡なしの日が空いている。
「少し、髪切ったんだね」
紫さんの髪はとてもきれいで、印象深かったから違いがよく分かる。
「ええ。気分を変えたくて少しだけ短くしたの」
ちょうどそこに公園があったから、歩きながら話をすることになった。
「いよいよ受験の年になっちゃってね、周りはなんかピリッとしてきたというか、緊張感が出てきているのよ」
「あたしのまわりも大学進学希望者が多くて、二年の頃とは違う緊張感があるわね」
輝の件には触れないよう、言葉を選びながら紫さんの相手をしていた。
「ところで輝とはうまくいってるのかしら?」
触れたくない話題に、紫さんから触れてきた。
あたしと話をしたいのは、そっちだけなんだろうな。
「だいぶ自然に触れ合えるようになったわ。それより友達が受験勉強の…」
「くやしいな…」
「え?」
話を逸らそうと、サラッと流したつもりだったけど、逸らす前に口を挟んできた。
「ずっとあたしがそばにいて、輝を見てきたのに…今は彩音ちゃんがそこにいる…あたしがずっといたところに…」
そっちがその気なら、あたしだって受けて立つわよ。
「そうよ。あなたがひどい別れ方したから、輝の心を開くだけでも大変だったわよ。付き合う前や付き合ってからしばらくはスキンシップしたくても、絶対に輝から触れてくれなかったわ。今でこそ、やっと自然な感じで触れ合えるようになってきてるんだから、余計なことはしないでよね」
紫さんが足を止めた。
気がついたあたしも足を止めて、後ろを振り向く。
うつむいたまま、フルフルと肩を震わせて何かを我慢しているようにも見えた。
「あたしだって、別れたくて別れたわけじゃないわよっ!」
いつもの上品な様子は微塵も感じられず、髪を振り乱して気持ちも掻き乱れている様子なのがよくわかる
「でも、ああでもしないと…輝は別れてくれそうになかったし、全部言い切る前にあたしが泣き崩れてまうから、仕方なくて…あんな別れ方しか思いつかなかったっ!!」
紫さん…まさか、誰かに別れるよう迫られた…?
「別れたくないのに別れなきゃならない気持ちなんて、あなたにはわからないでしょっ!?立ち直るまでに半年近くかかったのよっ!!」
「そんなの知ったことじゃないわよっ!!別れることを選んだのは紫さん自身じゃないのっ!!あたしはそんなこと知りもしなかったんだから、これ以上輝のことであたしを巻き込まないでっ!!」
「先に付き合ったのはあたしの方よっ!!輝を、あたしに返してよっ!!!」
「それこそ知ったことじゃないわよっ!!後か先かなんて関係ないでしょっ!!?今付き合ってるのはあたしなのよっ!!それをなんで譲らなきゃならないのっ!!?そもそも輝は物じゃないっ!!譲るだの返してだの、意味わかんないわっ!!!」
パシーン!!
頬に痛みが走る。
涙ぐんでる紫さんが、振り切ったその手をかばっていた。
「何すんのよっ!!」
パシーン!!
あたしは思いっきりやり返した。
叩かれた顔は横を向き、そのきれいな髪が顔を追いかけてゆるやかに波打つ。
紫さんはその場でへたり込んで、涙を流し続けていた。
あたしが輝と別れるなんて、考えられない…。
けど、紫さんの様子を見てると…心がざわつく…。
どうすれば…。
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