第42話:しんじてるけどふあんなの

 ひかるのことを知ってる。

 これでもう間違いない。

 輝の元カノ、倉信くらのぶゆかりさん。

 彼が初めて付き合った人。

 夢中になって、深く愛した。

 そして深く傷つけられて、誰とも付き合わないと決めるきっかけになった人。

 その人が今、目の前にいる。

「…うん」

 なぜか輝と付き合ってることを知っていた。

 紫さんも制服を着ているけど、その制服はたしか駅を挟んで反対側にある高校のはず。

 駅や周辺でばったり会うのは別に不自然なことじゃない。

「ねえ彩音さん、ちょっとお話しない?」

 正直に言うとその誘いは断りたかった。

 けど、あたしの知らない輝を知っているはずの紫さんを見ていると、モヤモヤしてしまって断るのがもったいない気がしてしまう。


 結局、そのモヤモヤに抗えず、駅に入っている小さなカフェでお話をすることになった。


「やっぱりやられたか…」

「ああ、だがあいつに隠すンも限度があンぞ。何よりもそれを知らされねーことに寂しさを覚えンだろーな」

 同じ頃、輝は校舎に戻って二人で後始末をしていた。

 あとは一人でできる程度になった頃、紘武ひろむを先に帰すことにする。


「紫さんって、文化祭の一般参加の時に来てましたよね?」

「ええ、かつての級友がいたから、少し顔を出したわ」

 かつての級友…輝のことだろうな。

 窓際のカウンター席で二人並んでホットコーヒーを口にする。

「それ、輝のことですよね?」

「………あの時に二人で話してるの、見られちゃったのかしら。あの時にはもうあなたと付き合ってたのかな?もしそうだとしたらごめんなさい。不愉快な思いにさせちゃったでしょうね」

 あの時点ではまだ付き合ってなかった。付き合い始めたのは文化祭の終わった片付けの日。

「ううん、それは別にいいの」

 はっきりとは答えず、ぼかして答える。

 輝は言ってた。

 紫さんが「やり直したい」と。

 どういうつもりであたしとこうして話をしているのか、それが知りたい。

 こうして出会ったのはまったくの偶然。

 初詣の日にあたしが転落しそうな紫さんを助けて、初詣先でもばったり会って、帰りがけにも声をかけられた。

 もしかするとこれまで学校帰りにもちょくちょく見かけていたかもしれないけど、顔と名前が一致しなければ接点の持ちようもない。

 何を話していいのかわからない。

「ところで紫さんってすごくモテそうよね」

「そんなことないわよ。確かに言い寄ってくる人は多いけど、あたしが気に入った人からじゃないとモテても意味がないわ。せっかく想いを寄せてくれた人だから、断るのも辛いのよ」

 どこか影を落とした顔に、女ながら思わずドキッとした。

 あたしは一度、颯一そういちを振った。けどそれは颯一が乱暴する人と勘違いしていたから、自分の身を守るためと言い聞かせたからそれほど罪悪感はなかった。

 だったら、なんで輝のことは立ち直れないくらい深く傷つけて別れたんだろう?

 それでいて、今になってやり直したいなんて言い出してきて…。

「そうなの?あたしは全然モテないからわからないわね。でも紫さんは心に決めた人っているんじゃないですか?」

「…いるわ…とても大切にして人が…」

 間違いない。それは輝のことだ。

 だったらなんで輝を深く傷つけて振ったんだろう…?

 そのせいで、あたしはさんざん振り回された。

 届かない想いをこじらせて、諦めると決めて、やっと諦められそうな時に颯一から別れを告げられた。

 その悲しみから立ち直るより前に、輝と付き合い始めた。

 半年のお試しとして。

 だから付き合ってるって実感も薄かったし、喜ぶより前に現実感が無かった。

 紘武から別れのことは聞いたけど、今話している紫さんはとてもそんなひどい別れ方をするような人じゃないと、あたしは感じている。

「辛かったわね…別れって突然やってくるものね」

「別れを望んでいない方は特にそうよ…お互いに別れを望んでいないのに、別れなきゃならない時なんて特に…」

 まるで我が事のように語る紫さん。

「って、ほとんど初対面みたいなものなのに重い話をしちゃってごめんなさい」

 と、にぱっと笑ってごまかしてきた。


 それより、なんであたしが輝と付き合ってることを知ってるのか、その疑問はまだ晴れていない。

「ところであたしが付き合ってる人を知ってるのはなぜなの?」

「ふふっ、風のうわさで聞いたのよ。輝はあたしが中学時代の同級生だったこともあるわね。ある程度の情報なら耳に入ってくるのよ」

 クリパの時に輝が自らあたしと付き合ってることを発表した。

 わずか半月たらずでここまで広まるなんて…。

 改めて輝の注目度を思い知る。

 それだけに、今まで以上に周囲の目線を気にしないといけなさそう。


 その頃、紘武は駅に着いた。

 駅の改札階へ上がり、改札口が見えたその頃に気がつく。

「あれ…?」

 普段は見落としてしまいそうな風景だが、彩音がカフェに入っている姿を確認した。

 そしてその隣には、もう一人知った顔があった。

「なンで…彩音が紫と一緒に居ンだ?つーかあいつら、いつ知り合ったンだ?」

 二人に気づかれてまずいことは特に思い当たらなかったけど、二人が一緒にいたことは覚えておくことにしてそのまま通り過ぎた。


「ふう…」

 帰りの電車に揺られながら、さっきのことを思い出していた。

 紫さん、とても輝を傷つけて振ってしまうような人とは思えない。

 何かの間違いなんじゃないかと思えてきた。

 上品で言葉遣いも丁寧だし、人の気持ちをよくわかっている。

 どこまでも柔らかなその人柄に、あたしは心を惹かれ始めていた。

 それと同時に、あたしのがさつさや気の強さに嫌悪する。

 輝って、あんな柔らかい人が好きだったんだ…。

 なのになんであたしなんだろう…。

 それよりも、輝をステータスとして利用して、深く傷つけたのが今になって信じられなくなってきた。


 翌朝、登校して校舎の昇降口に着く。

「あれ?」

 あたしの下駄箱を見て、何か違和感を覚えた。

 なんで、中は新品みたいにきれいになってるんだろう?

 不思議に思ったあたしは下や上の下駄箱の扉を開けて確認する。

 明らかに汚れ具合の差がある。

 上も下も少しの砂や使い込まれた使用感があるけど、その真ん中にあるあたしの下駄箱は不思議とピカピカ。

 まるで誰かが掃除をしたみたいに。

 上下とも掃除してあるならともかくだけど、なんでここだけ…?

 ………考えていても答えは出なかった。

 両方の扉を閉め、靴を履き替えて教室に向かう。


 ほどなく三人の女生徒が彩音の下駄箱前に集まってきた。

「ねぇねぇ、どうなったと思う?」

「きっとショック受けて嫌な気分になってるでしょ」

「いい気味ね。この時間ならもう登校してきて教室にいるはず」

 口々に悪意を込めて言いたい放題言ってる。

 パカッ。

 彩音の下駄箱扉を開ける女生徒たち。

「………嘘でしょ!?なんでこんなきれいになってるのっ!?」

「生ぬるかったようね。今度は靴隠しちゃおうよ」

「いっそ焼却炉に放り込んでおく?」

「それいいねっ!やっちゃおうよ」

 女生徒たちが彩音の靴を取り出したところで、一人が壁の影から躍り出た。

「待てやコラ」

 呼び止めたのは紘武だった。

「あれはてめーらだったンだな」

「何よあんた?」

 紘武は黙ってさっきのやり取りを撮影した動画を、スマートフォンで再生した。

「盗撮?最低ね」

「こういうセコい手で腹いせする陰険なてめーらよりはマシだ。今回は見逃してやるから、その靴をよこせ」

「何よ。あたしたちが昨日いたずらしたって証拠でもあるわけ?」

「フッ。自白しやがったな。俺は昨日のことなんて言った覚えはねーぞ」

 ハッとなる女生徒たち。

「逃げよっ!」

 靴を紘武に投げつけて、踵を返す三人の前には…。

「君たちにはガッカリしたよ。よくあそこまでグチャグチャにできたものだ」

 いつの間にか輝が立ちはだかっていた。

『ひっ…輝さん…!?』

「あれの掃除だけで一時間かかった。君たちは5分くらいでやったことだろうけど」

 紘武がすぐ後ろに来て、挟み撃ちの状態になる。

「今回は見逃す。次は無いと思え。彩音に言いたいことがあるなら僕が預かる」

 冷たい光を宿した輝の目に怯えながら、女生徒三人は脇にどいた紘武の横を通り過ぎて消えていく。

「悪いな、紘武。こんな役まわりさせてしまって」

「気にすンな。あいつン時も似たようなもンだったろ」

 紘武はもう、紫のことを輝の前で口にすることを遠慮しなくなった。

 しっかり過去と向き合わせるため。


「危なかった~…」

「よかった、見逃してもらえて」

「でももう動きにくくなっちゃったね」

「今度はどうしよう…?」

 口々に懲りないことを吐き出す三人。

「今度は直接言いなさいよっ!!」

 あたしは三人の前に姿を出した。

 あれからどうしても気になって、下駄箱を見に来てみたら言い合ってるところを見てしまった。

 それで状況を把握した。

 やっかみによるいたずらだと。

「アッ…アヤアヤッ!?」

 輝の言ったとおりだった。

 覚悟していたことだから、ショックではないけど、許せない気持ちが湧いてきた。

 彼女たちにではない。見なかったことにしようとした自分に対して。

「どうりで変だと思ったわ!あたしの靴箱だけきれいになってたのが!」

 ズカズカと三人に近寄る。

「ほら、あたしに言いたいこと全部言ってみなさいよ!言いたいことがあるからいたずらしたんでしょっ!?いくらでも聞くわよっ!」

 お互いの顔を見合わせる三人。

「彩音っ!!」

 騒ぎを聞きつけたのか、輝がこっちに走ってくる。

「そこまでにしとけっ!このことは僕が…」


 パァンッ!!


 あたしは思いっきり引っ叩いた。

 すぐそばまで来た輝の頬を。

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。

 女生徒三人も呆然としていた。

「あたしを甘く見ないでよね!これくらいのこと覚悟して輝と付き合ってるんだからっ!何より許せないのは輝、あなたがこうして黙ってたことよっ!!」

 言葉なく立つ輝に背を向けて

「それで、あたしに何か言うことはないの?」

 さっきの続きを始めた。

 お互いに顔を見合わせ

『しっ…失礼しました~』

 脇を通り抜けて、今度こそ三人は姿を消した。

「そろそろチャイムね。あたしは教室に行くわ」

 黙っている輝を放って、あたしは戻ることにした。


「紘武の…言うとおりだったな」

 ぼそっとつぶやいて、輝も教室へ向かった。


 やっちゃった…。

 思わず引っ叩いた輝を置いてきちゃったことは後悔していた。

 けど隠されていたことはどうしても納得できない。

 で、昼休みになる頃は変な噂が立っていた。

 あたしと輝が破局の危機という…。

 んなわけないじゃない。ただちょっとしたケンカってだけなのに。

 この世の争いすべては主張の違いだけと思っている。

 その主張が異なると対立する。対立する中で妥協を見つける。

 お互いが譲歩できない、妥協できないから争って勝ち取る。

 けど、力で勝ったから正義なんて思わない。単に力で勝ったから、争って負けた相手は保身のため黙っているだけ。

 あらゆる争いはそういうこと。

 あたしはただ主張しただけ。まだ輝の言い分は聞いてない。

「でさ~、彩音はど~したいわけ?」

「別にどうもしないわよ。後は輝の出方次第ね」

「けど彩音さんは待つだけでいいのかしら?」

 学食で茉奈まな埋橋うずはしさんに相席してお昼を摂っている。

「あたしはあたしの考えを聞かせただけ。輝はどうしたいのか、まだ投げ返してこない。それだけのことよ」

「ほんっと、彩音ってそ~ゆ~とこは頑固よね」

「邪魔すっぜ」

 どっか、とあたしたち三人の相席に混ざってくる紘武。

「ずいぶン派手にやらかしたみてーだな」

「あたしと付き合うなら、これくらいスパッとその場で答えて欲しいわね。どういううつもりだったのか」

「まーそー言うな。あいつンとっちゃ少し厄介な問題でな」

 パキッと箸を割る紘武。

「どういうこと?」

「紫ン時も似たよーなことがあって、多分そンことを思い出して戸惑ってンだろな」

「戸惑うって何よ?」

「おめーとの向き合い方をどーすればいーのかをな。ま、やつンこたー心配すンな。俺も気にかけとっからよ」

「頼むわね」

 パクパクと早食い選手権でもやってるような勢いで食べる紘武だった。

「そ~いえばさ~…」

 茉奈は最近、スイッチが入りにくくなってきた。

 ずいぶんやりやすくなって、安心している。

「彩音と紘武ってそんなに仲よかったっけ?」

「最初は邪魔ばかりする嫌な奴だったけど、あの件があったから義理は感じてるわ」

 紫さんのことは、あたしも少し話しただけだったけど、その人柄はわかる。

 だからズバズバ言うあたしがいいって言われたけど、今はどう思ってるんだろう?

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