第40話:まさかこのひとが
「はは、アヤアヤ…まあ、そう呼ぶ人もいるわね」
アヤアヤと呼ぶ人は、なぜか決まってあたしを煙たがる人ばかり。
あたしは苦笑いしながら答えた。
「まさか、あなた…」
「おまたせ、買い物終わったよ。行こ」
「え?うん…」
買い物に行ってた連れが来て、押し切られるようにすぐその場を後にする女性。
やっぱりどこかで見たような気がする…。
………名前聞きそびれた…。
まあいいわ。
それにしても本当にきれいな人だったな。
女のあたしでも思わず
背も高くて引き締まっているのに、出るところはしっかり出ている。
初対面のはずだけど、あたしのことを知ってるような様子だったな。
まあ同じ学校だったら噂くらいは聞いたことあるだろうし、そんなに珍しいことじゃないかもしれないわね。
……あれだけきれいな人なら、学校でも話題になると思うけど、全然噂になってないのはどういうことかしら?
「やあ、君。一人?」
背中越しにかけられた声。
はあ…これはあのパターンね。
「何?彼氏を待ってるのよ」
振り向くと、声の主は茶髪で遊んでそうな目をした、いかにもチャラそうな人だった。
「こんな可愛い彼女を待たせるなんてありえねえよな。俺なら待たせないぜ」
と言って、肩に手を回してこようとしている。
ガシッ
「悪いけど、彼氏以外に興味無いから」
回そうとしてきた手を掴んで、冷たく言い放った。
「ヒュー、気が強い子だねえ。ソソられるなぁ」
よしきた、とばかりの顔をして、もう片方の手を伸ばしてくる。
「やめてよっ!」
もう片方の手も掴んで必死に抵抗する。
「いいぜ、力比べといこうか」
ニヤリとして力を込めてくる。
まずいっ!力比べなんて絶対に勝てないっ!
輝っ!!
目をつぶり、祈るように心のなかで叫ぶ。
「はいそこまで」
相手の力がふと抜け、無意識のうちに手を離す。
この声は…。
「待たせたな」
チャラい男は離した手をバタバタともがいて空を切る。
こちらに向けた顔でウインクされる。
合わせろ、ということね。
「遅かったじゃないの」
「てめっ…!」
ギッ!!
アイアンクローをやめた颯一が相手を睨みつけると、怯んだ様子を見せて背を向け、人混みに消えていった。
一瞬、彼氏だった頃の颯一と過ごした日々の映像が脳裏に再生された。
きゅぅ…
胸の奥が締め付けられるような感覚に陥り、切なさがあたしを覆う。
まだあたしの中に着いた火は消えていない。
颯一に着けられた心の火は…。
「あの…ありがとう」
「あいつはお手洗いか?」
「うん。颯一は一人で?」
「いや…」
そう言うと、目線をあたしの後ろに向ける。
「あけましておめでとう。彩音ちゃん」
「
そこにいたのは弓道部主将にして、一年の頃から茉奈と仲良くなりたかったけど、接し方を間違えてイジメてしまっていた埋橋さんだった。
この組み合わせは…?
「もしかして…」
「やあね、まだよ」
あたしがこそっと聞くと、あっけらかんと答えた。
ということは…まんざらじゃないのね。
「それにしてもびっくりしたわよ。まさかあの
「あたしのほうがびっくりよっ!!」
「あれって彩音ちゃんは何も知らなかったの?」
「知らなかったわよっ!いきなり何を言い出すのかと思ったら、全校向けにあんなこと言うなんて…それに…」
埋橋さんは意地悪そうにニヤリと笑い…
「舞台上で、大画面に映された二人のあっつ~い、キ・ス♡」
からかうような笑顔で言われて…
かああっ!
「言わないでよっ!今でも恥ずかしくて消えちゃいたいくらいなんだからっ!」
こんな会話をしているうちにあることを思い出した。
颯一と輝を鉢合わせにしちゃダメ…。
「二人の邪魔したら悪いし、こっちもそろそろくるはずだから、いってらっしゃい。また新学期でね」
「うん、またね」
人混みに消えていく颯一と埋橋さんを見ると、チクッと胸の奥が痛む。
あたしを本気にさせた矢先、颯一から切り出された別れ。
それはまさに
別れを告げる時、颯一はどんな気持ちだったんだろう…。
欲しくても手に入らないものを見るときのような顔をしていた。
あたしは、あの後から輝を自分の中から少しずつ消すはずだった。
けどそれはかなわぬ夢となり、途中で終わらされたことが余計に颯一への想いを
それが余計に輝と付き合い始めた瞬間の感動を薄めてしまった。
現実感の無さという形で。
颯一と付き合ってる時、輝は邪魔しないと決めてあたしとの接触を避けた。
今度は颯一がそっちの立場に立ってしまった。
誰か特定の人と付き合うって、そういうことなんだ…。
…こんな中途半端な気持ちで輝と付き合っていちゃ、ダメだよね。
輝と付き合うことは、颯一と付き合う前から望んでいたこと。
颯一が別れを決めたからこそ、今あたしは輝と付き合えてる。
やっと気持ちを通わせあえた今を大切にしなきゃ。
…あっ、颯一に新年の挨拶するのを忘れてた。
トラブルがあったから、すっかり抜けちゃった。
新学期の時に改めてするかな。
颯一のエスコートで二人が人波に揉まれて姿が消えた頃…
「おまたせ、彩音」
「おかえり」
ギリギリだったわね。
あまり浮かない顔なのは自分でもよくわかる。
「参拝は終わったし、ここは離れるか」
「うん」
輝に引っ張られて、次第に人波が少ない場所へ足をすすめる。
ガヤガヤしていた周りは、人が少なくなるにつれて静かになり、遠くからガヤガヤした喧騒が小さく耳に飛び込んでくる。
「すごい人混みだったね」
「そうだな」
川沿いの公園にやってきて、少しゆっくりした時間を過ごしていた。
「何があったんだ?」
「え?」
「さっきと様子が違うからさ」
やっぱり輝はよく見てる。
「人酔いしちゃったかも。あとさっきクラスメイトとばったり会っちゃった」
嘘はついてない。埋橋さんはクラスメイト。颯一は元クラスメイト。
けど颯一のことに触れるのは、あたしが耐えられない。颯一があの件をどう思っていようとも。
せっかく好きになったところだったけど、それを途中で切られてしまったショックは大きかった。
「そうか。これだけの人がいる中で、すごい偶然だな」
「うん、あと駅のホームで助けた人ともばったりだったわ」
「新年早々偶然が続いてるんだね。どんな人だった?」
聞いてくるけど、多分深い意図は無いんだろうな。
「スラリとしたとてもきれいな人だったよ。どこかで見たような気がするんだけど思い出せなくてなんかモヤモヤしてる」
「どこかで見たようなってことは、同じ
「わからない。だから余計に思い出せないことが気持ち悪くて…」
「そういうのは、いずれ思い出せるよ。縁があればまた会うはずだし」
「そうだね」
いっそ思い出せず、今後一切関わらないほうがよかったことを後で思い知ることなど、この時は知る由も無かった。
ビュアッと風が吹き抜けた。
川沿いの公園だから、時々風が吹き荒れる。
あの頃のことを思い出していた。
初デートの日。
湾岸の公園は潮風が強くて、髪がバッサバサになっちゃったっけ。
晴れ着を着て、髪を上でまとめておけば…髪はともかく動きにくそうよね。
川べりの柵にもたれかかる輝に、あたしは体を預ける。
「彩音、変わったな」
「ん?」
ささやくようにそう言って、微笑みを向ける。
「どう変わったの?」
「かわいくなった」
「どうせ前のあたしはかわいくなかったですよーだ」
ふてくれさた声色とからかう声色を込めて言い返す。
輝にもたれかかり預ける体は、言葉と裏腹なことを雄弁に物語っていた。
幼稚園、小学校、中学校、高校とあたしは一貫して一番背が小さかった。
背の順で並ぶといつもあたしが一番前。
成長不全を疑われたけど、小柄というだけで特に何も不自由はなかった。
いつしかその小柄さはからかいのネタにされ、子供のいたずら程度とはいえイジメられたこともある。
心無いおふざけで時々傷つけられることもあったけど、そんな自分にいつしか苛立ちを覚えて、我慢できなくなったあたしは強気に出てみた。
そうしたら最初こそ「生意気」など、抑え込もうとする態度を取られたけど、続けるうちに恐れられるまでの空気になった。
それが小学4年生の頃。
女友達にはそんな事情を話して理解してくれる人もいたけど、それでも煙たがる人はいた。
名前が
最初にそう呼んだ人へ詰め寄ってみたけど、理由を聞いて少しがっかりした。
それは「危うい彩音」だから略してアヤアヤという意味だったらしいことはぼんやりと思い出した。
小学校卒業の頃にはすっかり有名人になってしまい、アヤアヤという呼び方も定着していた。
中学は学区が小学校と重なるところがあるから、すっかり有名になってしまったアヤアヤという呼び方のルーツも知らず、あたしを敬遠する人がアヤアヤと呼んでるのを右に習えでそう呼ぶようになっていた。
高校は学区なんて関係なく、適度にバラけたからやっとアヤアヤ呼ばわりも終わると思っていた。
けどあたしのニックネームを呼ぶ人が一人でもいると、そこから広がってしまうようだった。
中には「アヤヤ」と呼ぶ人もいたけど、やがてアヤアヤに変わって今に至る。
不思議なことに、あたしを煙たがる人だけがアヤアヤと呼んで、それ以外は「さん」付けで呼んでいるのはなにかの偶然だろうか。
あたしだって人にキツイ風当たりをしたいわけじゃない。
もう少し柔らかに人と接したい。
けど一度ついた癖というのはなかなか抜けないもので、つい強い物言いになってしまう。
高校に入って、少しは落ち着いた空気を持ちたいと思って、母の影響で始めた手芸・裁縫をやってる手芸部に入ってみた。
それでもだめだった。
強気な態度の根っこにあるのが「人に甘く見られないこと」だから。
高校でも全校生徒を集めて背の順に並べたら、多分一番前にいると思う。
でも今は違う。
輝がいる。
気を許した男の子。
少しでもよく思われたい、女の子らしく見られたいと願う気持ちが、あたしを変えた。
恋に生きたい、と思ったことは無いけど、いざこうして好きになってみると、恋って良いなと思ってしまう。
あと数日で新学期。
生徒会主催のクリスマスパーティーで、輝は全校向けに堂々と交際宣言をしてしまった。
新学期早々、女子のやっかみで嫌がらせを受けると思う。
けど負けない。負けてあげない。
輝が壇上に上がって、あたしも壇上へ行った。
その時、あたしの肩に添えられた彼の手はブルブルと震えていた。
怖くて仕方なかったんだと思う。
それでも逃げずに輝は大勢と向き合った。
だったらあたしが逃げちゃダメだよね。
「そろそろ帰ろうか。送るよ」
「うん、また連絡するね」
乗ってきた電車のホームへ足を運ぶ。
相変わらず駅と参道周辺はごった返していて、進みにくい。
輝とつなぐ手に引かれてゆっくり進んでいく。
来た電車を一本見送って、やっとの思いで電車に乗り込む。
「それじゃ、気をつけて帰ってね」
行き先が別々になる駅のコンコースで、お互いに手を振って名残惜しそうに離れる。
階段を上がり、ホームで電車を待つ。
『人混みで疲れちゃったけど、楽しかったよ』
とメッセージした。
はるか向こうに同じく駅のホームへ上がってきた輝の姿が見えた。
『一緒に居られて幸せだった。ありがとう』
と返ってきた。
こういう何気ないやりとりにも、あたしの胸はほっこり暖かくなる。
一足先に輝が待つホームへ電車が滑り込んできて、輝はあたしに向かって手を振って電車に乗り込んで姿が消える。
「あら、あなた…」
輝を見送った後、後ろから声がかかった。
見ると、背にしてた反対側の電車が発車しようとしている。
その手前には今朝転落しそうになったところを助けたきれいな女性がいた。
「また会ったわね。今日だけで三回目かな」
「うん。そうだね」
見るほどにきれいな人。それでいて上品な感じがする。
あたしよりずっと背が高く、スラリとしながらも出るところは出ている見事なスタイルは、思わず二度見してしまうほど。
「そういえば、まだ名乗ってなかったわね」
と言い、きれいな人が向き直る。
ふわりと背中の後ろに流れて隠れる長い髪は、とても上品な感じがした。
「あたしは
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