第13話:どうしたんだろう
「あっ、でも…」
「うん、わかってる。お試しの間は節度ある交際にしよう」
やっぱり、
輝が女の子と向き合えない理由は気になるけど、今は目の前の彼にあたしが向き合おうって決めたんだ。
「え~~~~~~っ!!?ほんとにっ!!!?」
「うん。成り行きだけどそうなったの」
あたしは家に帰ってから、
けど三ヶ月のお試し交際であることは伏せておくことにした。
「
「あれからあたしなりにがんばってみたけど、輝はダメみたい。未だに思わずしちゃった告白の返事もしてくれないしね」
「そっか~、思いが届かないって辛いよね。それで
「今から
どうやら茉奈のスイッチがまた入ったらしい。
あたしもそれなりの対応で臨むことにする。
「勘違いで一度振っておきながら、輝がダメだったから手のひらかえ…ううん、熱心な吉間くんを選んだのね。ん~、ロマンチック」
「ロマンチックの意味、辞書で調べてみた?あとあんたの口に今すぐガムテープ貼りたくなったわ」
茉奈のスイッチがなかなか切れなくて、また一時間ほどボケとツッコミを繰り返していた。
「いってきまーす」
吉間くんの提案したお試し交際を受け入れたのが昨日のこと。
今日は土曜で休校日。
けどあと数日で夏休み。
吉間くんの誘いで初デートすることになった。
とは言うものの、あたしの用事に付き合わせる格好だけど。
手芸部は洋裁をほぼメインとしているため、よく生地や糸が使われる。
実際に文化祭でもあれこれと制作依頼があるのは服ばかり。
たまにアクセサリや小道具の依頼もあるけど、内容によって部内でできる人がいるか確認してから引き受けている。
人数が増えて、課題もきつめだからそのペースが本当に早い。
本来は部活時間中にやるべきだと思うけど、個人的な買い物もあるから、あたしがまとめて買い物に出ている。
電車に少し揺られて行く先は、あたしのお気に入りスポットの一つである
吉間くんは明日でもいいんじゃない?と言ってたけど、日曜はほとんどのお店が休みで、買い物には少し不便するから今日にしてもらった。
それでも何か言いたげだったけど、手芸部員ならこういうところもしっかり抑えておかなきゃ、と追い打ちしておいた。
ちなみに部活の課題で完成したものは、基本的に文化祭の展示に回している。
文化祭後は完成度にもよるけどハンドメイド品としてフリマや代行販売に出品もしていて、売上は手芸部の活動資金として循環している。もちろん出品せず各自で使うのも自由にしている。
去年は3年生を含めて部員が10人で、ほぼすべてが展示出品された。
その半分ちょっとが希望により売りに出されて、半分足らずが持ち帰って使われた。
あたしは駅に着き、吉間くんを探す。
拡充されたこの駅構内はいろいろなお店があって、乗降者数もかなり多いからいつも混雑している。
吉間くんはあたしと別路線でここで乗り換えるから、待ち合わせにもちょうどいいと思った。混雑で見つけにくい点だけを除けば。
「おまたせ、彩音ちゃん」
ふと後ろから馴染みの声がかかる。
「おはよう。吉間くん」
一年の頃はよく聞いた声だからしっかり覚えている。
「あっちの
「そう。今の時間なら快速も無いから、そのまま行けるわよ」
指差す方向を見て答えた。
階段を上がろうとした瞬間…
ゴツゴツした大きい手が、あたしの小さい手を包み込む。
身長差が30cm近くもあると、あたしは隣の彼を見上げるような格好になる。
「階段、気をつけてね」
ふわっとした笑顔を向ける吉間くん。
「うん」
突然でびっくりしたけど、付き合ってるんだった。あたしたち。
これくらいは当たり前だよね。三ヶ月のお試し交際だけど。
断ってからほぼ一年もの間、彼を待たせてしまった。
『電車がまいります。黄色い線の内側までお下がりください』
ちょうど列車がホームに入ってきた。
ホームゲートがあるから転落の心配はないけど、風圧でセットした髪が乱れるのは嫌だな。
数歩下がったのから吉間くんは振り返ったけど、察したのかつなぐ手を離してあたしの前に大きな背中を見せる。
電車が目の前を通っても風が少し和らいだのを感じた。
何事もなく目的駅について、列車を降りる。
「それで、繊維街ってどこかな?」
「こっちよ」
洋裁の知識はあっても場所を知らないのか、あたしが吉間くんを誘導する。
駅前ロータリーを回り込んで、横断歩道を渡って大通りを過ぎればすぐ。
「へー、繊維街へようこそって書いてあるな」
「古本屋街や電気街があるみたいに、ここには繊維街があるのよ。手芸部でやっていくなら、ここは外せないわ」
物珍しそうにあたりを見回す吉間くん。
「ね、吉間く…」
「彩音ちゃん、前から気になってたんだけど」
あたしの話を
「俺の呼び方、下の名前で呼んでくれるかな?」
そういえば…ずっと名字で呼んでたな。
意識したこと無かったから、ハッとなった
「なら、
「なんだい?彩音ちゃん」
「ミシン糸の値段って見たことある?」
「無いけど?」
まあそうよね。普段から気にしている人じゃないとそこまで細かいことなんて覚えているわけもない。
「だいたい200~400円ってところよ」
「そうなんだ」
「で、あれ見て」
あたしが指差す先は店先のワゴンセールにあるかご。
雑多に様々な色の糸が大きなかごに入っている。
「60円っ!?」
「そう、白や黒、紺色の使いやすい糸はほとんど無いけど、使いたい色がありさえすればお得に買えるのよ。他にも…」
指差した先はお店の中にある布コーナー。
「メーターあたり100円…安いのか高いのか…」
「思いっきり安いわよ。メーターあたり500円くらい普通だもの」
「それ聞くとすごく安く感じるな」
輝は課題を出すにあたって、あたしに生地や糸の値段を確認してきた。
部費だって有限なものであって、いくら使ってもいいものではない。
文化祭の出品は課題作品から選べばいいけど、たるんだ空気を引き締める目的の課題を作る材料が底を突いたら意味がないわけで、そこを輝は綿密に計算していた。
もちろん十分に余裕を見ているから、仮に新入部員がいても対応できる。
余った部費はハサミやミシンのオプションなど、有意義に使う。
過去にミシン一台をまるごと買えるほどの余剰部費が出たこともあるらしい。
今年はともかく、来年は部員がこのままなら部費は相当余るはず。
輝…と一緒に来たかったな。
わずかに陰りを落としたあたしの顔を、颯一は見逃さなかった。
先に部活で使う材料を買い込んで、次にあたしの個人的な買い物を始める。
よく使うボタンやファスナー、生地に糸。
「彩音ちゃんは家でどんなものを作るの?」
「そうね、ボックスティシュのカバーやカバンに入れるポーチを作ったことあるし、トートバッグ、たまに服を作ることもあるわ」
「服まで作っちゃうんだっ!?」
「うん、大きいだけで多少のズレは縫い方一つで隠せちゃうし」
あたしは個人的に、部活最後の作品は服にしようと考えている。
かといって
趣味と仕事は分けたほうがいいと思っているから。
あたしたちは部活用と個人的な買い物を済ませて、気がついたら両手にたくさんの生地と糸を抱えていた。
さすがにこれを持って帰って、さらに登校時まで持ち歩ける量とはほど遠かったから、学校へ足を運びんで今日買い込んだ部活用の生地や糸を部室に置くことにした。
「これでよし、と」
「彩音ちゃんは本当に洋裁が好きなんだね」
「ん?そうよ。打ち込めることだし、なんか落ち着くのよ。そういう颯一も詳しいじゃない」
「仕事でやってるから、嫌でも覚えなきゃだめなんだ」
パチッ
あたしは戸締まりのため部室の照明を落とす。
あたりは一気に薄暗くなって、傾いた太陽の日差しは赤い光となって部室に差し込み、辺りは赤と黒の世界になった。
この空間、思い出すな…輝とキス未遂したあの日を…。
「彩音…」
振り向いたあたしは、颯一くんに抱きしめられた。
ジッと見つめる颯一くんの目を見ていたら、何を求めているかわかった。
もう、いいかな…。
「颯一…」
あたしは顔がポッと火照るのを自覚しつつ、見つめる姿勢のまま目を閉じた。
抱きしめる颯一の体が少し前かがみになって…
唇に、柔らかい感触
あたしの…ファーストキス。
颯一にあげちゃったんだ…。
頬を撫でる鼻息がこそばゆいけど、どこか落ち着く。
輝と同じようなシチュエーションになったことがあるけど、あの時は輝がキスしてこなくて、やめちゃったんだよね…。
前にあたしからキスしようとしたけど、抱きしめてくれなかった。
輝と一緒にいる時はいつもそう。
あたしの気持ちが一方通行で通り過ぎるだけ
その虚しさに何度も傷ついてきた
けど颯一は遠慮なく躊躇なく求めてきた。
初デートでキスを許すなんて、ちょっと軽かったかな?
そんなことを考えてちょっとだけ後悔したけど、輝に何度も傷つけられてきた日々を思うと、これがとても自然に思えてきた。
今も輝のことは大好き
颯一よりもずっと
けど輝を追いかけるの、もう疲れちゃったな…
あたし、努力してみよう
輝よりも颯一を好きになる努力を…
自分でもどこまで颯一を好きになれるかなんてわからない。
輝への好きを超えられるかなんて、もっとわからない。
でもこれは他でもない、あたし自身が決めたこと。
三ヶ月のお試しなんて言わずに、ずっと付き合っていこうと思う。
でも、気持ちを整理しながらゆっくり好きなりたいから、三ヶ月いっぱいはお試しを続けることにする。
それまではずっと颯一を我慢させることになるけど、それでだめになるような関係なら、あたしは一人になることを選んだほうがいい。
どちらからともなく顔を離し、しばらく見つめ合う。
月曜日
夏休みを目前にして浮き出しだつ教室に、あたしの気持ちも盛り上がってくる。
輝とだったらもっとよかったけど、前に一度は断った颯一と一緒の時間を過ごせると思ったら、ドキドキしてきた。
茉奈は何かを感じ取ったようだけど、あまり深くは触れず放課後を迎えた。
何事もなく部活の時間を過ごすけど、やっぱり部員たちは夏休みを楽しみにしていて、どこか浮足立っていた。
輝を誘う声も聞こえてくるのが気になって、なんとなく落ち着かない。
日が傾き、そろそろ部活も終わりの時間が近づく。
スラッと吊り下げ式のドアを開けて、輝が部室の外へ出ていった。
多分トイレだろうな。
颯一も後を追うように出ていったけど、あたしは気づかなかった。
「輝、ちょっといいか?」
トイレを済ませた後、颯一が輝を呼び止めた。
「なんだ。どうしたんだ?」
「言ったとおり、彩音は俺がもらったぜ。告白してカレカノの関係になって、前の土曜に初デートして、そのまま唇までな」
颯一は、これでどうだと言わんばかりの目で輝を見る。
輝は顔をわずかに引きつらせたが、すぐ真顔に戻った。
「用事とはそれだけか?」
「ああ、ほぼ一年越しで思いが届いたことを言いたかっただけだ。じゃあな」
颯一は輝に背を向けて歩き出した。
輝は颯一の背中に厳しい視線を投げかけていた。
「それではお先に」
「お疲れ様」
今日の部活動を終えて、次々に部員が帰っていく。
輝が部員のため裏で必死に動いてるのは知ってる。
どうしてもダメで一部の部員は減ってしまったけど、抜けたのは掛け持ちばかり。
課題が結構キツいから、掛け持ちじゃ長くは保たないのがわかってた。
一部は掛け持ちをやめて、こっちに移ってきた部員もいる。
多分これも輝が裏で粘って説得し続けたんだろうけど、それでも時間が足りなければ、ここをやめるか続けるために掛け持ちをやめるかのどちらかを迫られる。
部長と二人になったのを確認したけど、部室の鍵は輝が持っているのを思い出した。
あたしは部室の鍵を持っている輝の姿を探しに部室を出ていく。
途中で颯一とすれ違ったけど、満足げな顔であたしを見て手を振った。
あっ…輝がいた。
あたしから見ると背を向けていて、肩をフルフルと震わせている。
それに気づいて、思わず声をかけようか迷っているそのとき…。
「くそっ!」
これまでに見たことのない険しい顔をして、ガツンッと壁を殴りつける輝の姿がそこにあった。
「あいつめ…冗談なんかではなく…
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