第12話:おつきあいはじめます

 ポロッ…


 手にした修繕作業中のスカートを落としてしまう。

「ウソ…でしょ…?」

 吉間きちまくんはあたしに向かってヒラヒラと手を振る。

 すると女子部員たちがあたしに注目する。

 あたしはそれどころじゃない。

 早くこのスカートをなんとかしないと。


 簡単な自己紹介を終えて、再びざわつき始める部室の中で、吉間くんはあたしの近くに腰を下ろしていた。

「ねえ彩音あやねちゃん」

「今忙しいのっ!話しかけないでっ!!」

 思わず声を張り上げてしまう。

 吉間くんが明らかに動揺するけど、急いで仕上げないと…。

 無理に金具をほじくり出そうとしたのだろう。

 ここまでボロボロにされていると、修繕は難しい。

 でも幸い隠れて見えにくい場所だから、縫い目が少しくらい見えても気にならないだろう。

 あたしは金具があった周辺、スカートの腰に当たる部分を最小限の裁断で切り落とした。

 急いで同系色、類似の素材を使った生地を探し出して、追加の作業にとりかかる。

 腰に当たる部分の糸を少しだけほどき、裁断した部分に付け足すような形で縫い付ける。

 縫い付けが終わったら、今度は金具だ。

 縫って付け足した布の部分に金具を当てる。

 金具が通るだけの小さな穴を空けて金具を固定する。

 しっかり固定できたことを確認して、スカートのプリーツと腰布部分を縫い合わせていく。

 最後の一刺しをしてホッとする。返し縫いをして、やっと完成した。

 ここまで約1時間。

 金具部分の2cm四方くらいは布の感じが少しだけ違うけど、どちらも合わせ部分だから隠れて見えない。

 予定外の対応に追われたけどできることはやった。これで納得してもらうしかないだろう。

 あたしは依頼してきた女生徒がいるはずの教室を目指した。


 その様子を見ていた、スカートを直そうとして壊してしまった女子部員の肩がふと軽く叩かれる。

「副部長…?」

 ちょいちょい。

 親指でこっちにこい、と言いたげに輝が指差す方向は廊下だった。


「おまたせっ!」

 スカートの直し依頼をしてきた女生徒はやっぱりここにいた。

 来るまでスマートフォンを操作していたらしい。机に置いているのが確認できた。

 あたしはガランとした教室に入ってスカートを差し出す。

「ごめんなさい、ちょっと手元が狂って、金具部分の布を少し破いちゃったから、こうして別の布で直しておいたわ」

 金具部分が見えるようにスカートの布をめくって説明した。

「すごい…これ、彩音さんが?」

 感心する女生徒の目を見て話す。

「うん、大切なスカートをごめんね」

「大丈夫。どうせ隠れて見えない部分だしね。それよりここまでの直しだと大変だったでしょ?」

 多分、気遣って言ってくれてるだけだと思うけど、感心してる様子が伝わってきて少し安心した。

「破いちゃった時はちょっと焦ったけどね。顧問の先生をとおして費用請求があると思うけど、部品代の1000円くらいだと思うから、よろしくね」

「やっすっ!本当にいいのっ!?」

「いいのっ!それが手芸部うちのやり方だから」

 あたしはやり遂げた充実感から、満面の笑みを送った。

 ここだけの話だけど、実際近くの服飾店では直しや修理依頼が他と比べてかなり少ないらしい。

 というのも手芸部でこうして格安の対応をしてるから。

 OBもまれにやってきては直しの依頼をしてきたこともあった。

 その時は代引きでやってるけど、代引き手数料を差し引いてもお店に出した時の半額以下だから、倹約家に人気がある。


 話を終えたあたしは教室を後にする。

 だいぶ日が傾いていて、差し込む光はかなり赤みを帯びている。

 雲の間から差し込む光が、神話にありそうなワンシーンみたいに幻想的な光景を演出していた。

「彩音さん…」

 教室から見えないところに、スカートを代わりに受け取った女子部員がいた。

 なんで…?

 彼女は少なくとも、あたしのことを良く思っている人ではない。

「どうして…わたしがやったって言わなかったんですか?」

「元々頼まれたのはあたしだもん。あなたがやってたってこと、すぐに気付けなかったしね」

 恥ずかしさと悔しさが入り混じったような、難しい顔をする女子部員。

「ごめんなさい。わたし…新宮しんぐうさんに褒められたくて、彩音さんがやるはずだった修理を勝手にやりました。けど…」

 頭を下げながら事情を話し出した。

「…なるほど、あなたをここに誘導したのもひかるの仕業ってわけね」

「はい」

「もういいわよ。終わったことだしね」

 あたしは部室目指して歩を進める。彼女もそれについてくる。

 それよりも、面倒なことが増えてしまった。

 まさか吉間くんが入部してくるなんて…。

「ところで彩音さん」

「なに?」

「今日入部した吉間さんと付き合ってるんですか?」


 ボッ!


 突然のことで思わず顔が赤くなってしまう。

「つ、付き合ってないわよ…前に振っちゃったもの」

 吉間くんのことは勘違いしてたとはいえ、一度断ったことは事実。

「そうなのっ!?もったいないっ!」

 確かにもったいないことをしたと思ってるけど、今はそれ以上に心を惹かれる人が現れてしまったのだから仕方ない。

 でもまさか輝じゃなくて、あたしを追いかけて入部してくる人がいるなんて予想してなかった。

 おまけに部活じゃ、廊下でのすれ違いと違ってずっと避け続けることなんてできない。

 さっきは本当に忙しくて結果的に吉間くんをかわせたけど、急ぎの直しが終わった今はそれも通用しない。


 はぁ


 どうしよう…?

 何も考えがまとまらないまま部室に入る。

 あたしはいつものとおり席について自分の課題にとりかかる。

「ねえ、彩音ちゃん…」

 けれども吉間くんが話しかけてきた。

「彩音さーん、ちょっと来てもらっていいかなっ!?」

 声をかけてきたのはさっきの女子部員だった。

「はーい、今行く」

 助かった。この呼び出しがあったから、吉間くんをなんとかかわせた。


「これなんだけど…」

 女子部員が聞いてきたのは下糸が見える状態を直したいということだった。

 通常、色の違う生地を合わせる場合はそれぞれの生地に合わせた糸の色を選ぶけど、等間隔で違う色の糸が僅かに顔を出していた。

「これは上糸調子を調整すればいいのよ」

 あたしはミシンの上糸調子ダイヤルをコリコリ回した。

「これでどうかな?」

 ダシダシとミシンを動かして

「うーん、もうちょっとかな?どっちに動かせばいいの?」

「下糸が見えているなら、下糸が上糸に負けてるから、上糸調子を緩めればいいんだけど、緩めすぎると下糸が鳥の巣になっちゃうから、下糸を強くしなければならない場合もあるわ」

 下糸の調整方法を教えて、あたしは席に戻る。


「ねえ彩音ち…」

 またもや吉間くんが話しかけてきた。

「彩音さーん!お願いちょっと来てっ!」

 あたしは再びさっきの女子部員に呼ばれて、そっちに行く。

 これは…。

「はい、今度はどうしたの?」

 なんとなく意図は読めてるけど、呼ばれた以上は先に用事を済ませるべきと判断して話を聞く。

「針が取れちゃって…どうやって取り付ければいいの?」

「まずは抑えを上げて、ペダルを踏んでも動かないようにして」

 カタン

 抑えを上げたことを確認して、あたしはちょっと気になることがあったから、代わりに針を付けることにした。

 やっぱり…。

「ねぇ、あなたわざと針を外したでしょ?」

 誰にも聞かれないようこっそり耳打ちする。

「だって、吉間さんと気まずいんでしょ?」

「ありがとう。けどずっとこうして避け続けられるわけもないから、気持ちだけ受け取っておくわね。次は本当に困った時に呼んで」

 彼女は輝と仲のいいあたしに、少なからず嫌なイメージを持っていたはず。

 けどさっきの件で、どうやら少しは心を許してくれたのかな。

 そう思えただけでも部活内で孤立しつつあったあたしには、心強い味方ができたようで少し嬉しくなった。

 お互いに「フフフッ」と小さく笑って、あたしは席に戻った。

 吉間くんのことは、しっかり向き合おう。

 そう決意した出来事だった。


「大忙しだね。彩音ちゃん」

「まあマネージャーだしね、あたし。指名されただけなんだけど」

 輝に副部長として就任する責任を取らせたら、なぜかあたしまで責任を取らされたのは記憶に新しい。

「彩音ちゃんってすごいんだね」

「そんなの、あたし自身じゃよくわからないわ」

 部活が終わるまでの間、あたしが気にしている輝との会話については話題として触れてこなかった。

「それより…」

 ぽん、と吉間くんの肩が叩かれる。

 振り向くと輝が笑顔を向けていた。

「はい、これ」

 紙を差し出している。

 そう。

 輝に部をめちゃくちゃにされた責任を取らせるためにした約束。

 副部長権限で部員に課題を出して引き締めさせることになっている。

 吉間くんはその課題を見て嫌な顔をする…と思いきや、テキパキと取り掛かり、見る間に準備を済ませた。

「すごい…もう半分は終わってる…」

 もしかするとあたしより筋がいいかもしれない。

 経験があるのかな?

「吉間くん、すごい手際いいね」

「服屋でバイトしてて、裾上げくらいだったらできるから」

 意外な一面をまた知って、どこか新鮮な気持ちになった。

「ってことは、まつり縫いもできるの?」

 まつり縫いというのは、スラックスやスカートでよくある縫い糸が目立たない縫い方のこと。

「対応してるミシンがあればね」

「そうなんだ。やったことあるの?」

「あるよ」

 この話が通じることに感動してしまう。通じるのは部長と輝が入る前の部員くらいのものだったけど、まさか吉間くんにこの話がわかるなんて。

 前に輝と縫い方の話をしたことはあったけど、やっぱりほぼ初心者の状態で話にならなかった。

「それじゃ三巻みつまき抑えはっ!?」

「使ったことないけど、あるのは知ってる」

「それじゃそれじゃ、ボタンかがりはっ!?」

「針が左右に動く長四角のやつは一度使ったことあるけど、針じゃなくて布が動く方は見たことあるけど使ったことはないかな」

 すごいっ!吉間くんはしっかり知ってるっ!

 話を合わせるためのにわか仕込じこみではないっ!

 つい嬉しくなって、あたしは思わず吉間くんとミシンの話題で話し込んでしまった。


「それじゃ、お疲れ様」

「うん、またね。吉間くん」

 あたしの気持ちを知ってか知らずか、彼はあたしの触れてほしくない話題には一切触れずにいた。

 一年の頃から感じてたことだけど、吉間くんとのふれあいはとても心地よい。

 気持ちが輝に向いてることは確か。

 こんな中途半端な気持ちでは、吉間くんを確実に傷つけてしまうことは分かっているけど、届かない気持ちをくすぶらせている今を維持するのも辛い。

 少しずつだけど、吉間くんへの想いが膨らみ始めているのが分かった。


 でも…だめ…こんな中途半端は…だめ…。 


 輝は単純にあたしを追いかけて入部してきた。

 けど吉間くんは経験がある。

 ただ追いかけてきただけじゃないのだろう。

 自分のできることをしっかりわかった上で選んで来たはず。

 実際に輝が答えられなかった話題に、吉間くんはついてこられた。


 あたしの気持ちは輝のもの。


 けど…。


 輝は部をめちゃくちゃにした責任を取ると言って、実際にしっかりやってくれてるし、それどころか期待以上のことをやっている。

 考えるほど、自分で自分の気持ちがわからなくなってきた。

 はぁ…。

 あの時、おばあちゃんに乱暴していたことを吉間くんに確認しておけばこんなことにはならなかったんだろうな。


 吉間くんの入部から数週間が経った。

 あれから会話が増えていって、あたしが触れてほしくない話題には一切触れる様子もなく、洋裁の知識は聞きかじり程度じゃないことの確信が深まる一方だった。

 そんなある日の出来事…あたしにとっては事件と呼んでいい。


 部活が終わり、戸締まりの鍵を在庫チェック担当に預ける。

 吉間くんだけじゃなく輝との会話はもちろんあるけど、もう諦めかけている自分に気づく。

「彩音ちゃん、話があるんだ」

 改まった様子で、吉間くんが話しかけてくる。

「キミがあいつのことを好きだって分かってる。けど届かない思いを抱えてるのは、もう見ていられない」

「何が言いたいの?」

「あいつの代わりにはなれないと思うけど、お試しでも構わない。三ヶ月だけ付き合ってみないか?それでダメと判断したら俺は彩音ちゃんのことをしっかり諦める…どうかな?」

 分かってた。

 吉間くんの気持ちも、届かない輝への気持ちも…。

 このままじゃあたしは進みも戻りもできない。

 ずっと足踏みしてるだけ…。

 あたし自身、去年につのらせていた彼への気持ちが再びよみがえってくる。

 でも輝には届かない…。

 だったらいっそ…。


「…うん、わかった。三ヶ月だけ…よろしくね」

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