第9話:きけばよかった

「どういう…こと?向き合えないって」

「ワケなら本人に聞きなよ」

 もしかして…


「俺の前に正面から立つな。イラッとする」


 いやいやいや、それはだけだって。

 絶対違う。

 抱き合…抱きついたけど押し戻されはしなかったし。


 そういえば、キスを途中でやめたり、抱きしめてくれなかったり、頭を撫でようとして固まったり…。

 ひかるは、あたしに自分から触れてない。

 怪我した時と、倒れそうになった時…緊急時以外は。


 なんで…?


「仮にだが、付き合えることになったらより深く傷つくぜ。必ずだ。それだけは言っとくぜ。引き返せる今のうちに引き返すンだな」

 それだけ言うと、紘武ひろむは背を向けて遠ざかっていく。

「何なのよ…いったい…」

 引き返すなんて言っても、もう告白しちゃったし、ほんといまさらね…。

 って、紘武が向かったあっちは部室がある。


 紘武は輝一人になった部室を横切りながら

「輝、わかってンよな?」

「いいから行け」

 言いたいことを言って素通りした。

 ほどなく、彩音が戻ってくる足音がした。


「う…入り辛い…」

 あたしの足は部室の数歩前で止まった。

 思わず告白してしまったのを紘武に見られただけでなく、返事を聞く前に連れ出された。

 どんな顔で輝に会えばいいのよ…。

 ズケズケとものを言えるのは、その相手にどう思われてもいいから。

 どう思われてもいいからと言いたいことを言った結果が、アヤアヤというアダ名なんだと思う。

 そうでない相手がいたら、とてもいつもの調子で言えたものじゃない。

 輝がそう。

 最初はどう思われてもよかった。

 けど今は違う。

 よく思われたい。

 悪く思われたくない。


 ずっとこうして部室の前に立ち止まっていても始まらない。

 あたしの気持ち、知られちゃったけど、もう避けて通れない道に踏み込んじゃったんだから…覚悟決めよう。

「おまたせ。戻ったわよ」

「おかえり。あれからチェックは進めてる」

 普通に言葉を返してきた輝に、思わず拍子抜けする。


 黙々とチェックを終えて、部室を後にする。

 あれから交わした言葉は少ない。

 紘武の言った意味がわからない。

 けど、試してみたいことはあった。

 今なら他の人の目はないし、チャンスかな。

「輝…」

 隣を歩きながら、あたしは輝の手をとってつなぐ。

 キュッと手を握り込んだ瞬間、輝の顔に少し陰りが落ちた。

 そして…やっぱり。

 あたしは手を握り込んでいるけど、輝は握り返してこない。

 何があったのかな知らない。

 けどこれでやっとわかった。

 輝は、自分から体の接触をしたがらない。


 つないだ手を離す。

 そうか、傷つくってそういうことか。

 確かに傷つく…。

 なんでなのか、聞きたい。

 けど…怖い。

「紘武に、何を吹き込まれたんだ?」

「大したことじゃないわ」

 あたし、だんだん言いたいことを言わなくなってきてる。

 いや違う。言えなくなってきてる。


 このまま、どっちつかずのままなんて…いや。

 諦めるなんて、もっと…いや。

「輝、待って」

 行こうとしたところを呼び止める。

 もう告白しちゃったんだし、何も怖くない。

「手、出して」

 あたしは輝と向かいあって、顔の高さに手を掲げる。

 少し迷って、輝も手を掲げる。

 手のひらを合わせて、輝の指と指の間にあたしの指を滑り込ませて、握り締める。

「握り返してくれる?」

 輝の目をまっすぐ見つめ、反応を待つ。

 ふたりの目線が絡み合う。


 お願いっ!

 握り返してっ!


 緊張したような顔になったかと思ったら、どこか諦めたような顔をする。

 ふぅ…。

 軽く息を吐いたと思ったら、そのまま手の力が抜けた。


 やっぱり…ダメだった。

 でも、諦めない。

 告白の返事をもらう前に邪魔されて、まだ返事を聞いてないけど…。

 もう、ひたすら進むしかないよね。

 とっくに引き返せなくなってるし。


『引き返せる今のうちに引き返すンだな』


 紘武の言葉を思い出した。

 けど、なにを今更って感じよね。

 告白した時点で、引き返すなんて無理。

 返事を聞くのはもう少し先にしよう。

 少なくとも、手を握り返してくれるようになるまでは。

 そのためにも…。


 きゅっ


 廊下を歩きだしてから、黙って手をつないだ。

 もちろん指を絡める恋人つなぎで。

 握り返してくれないのはわかってる。

 そのわずかなところに、少し傷つく。

 こういう少しの傷が溜まって、気がついたら大きな傷になるかもしれない。

 けど、諦めるなんてもっとできない。

 他の人の目もあるから、あまり一緒の時間は取れないと思う。

 それでも、慣れていってもらって、それからだよね。


 輝、ほんとわからない。

 あたしのことをもっと知りたいと言っていながら、あたしが告白した後はこんなだし、告白の返事もしてくれない。

 それよりも、紘武のこともあるわね。

 小学校からの付き合いだって話だけど、いろいろ知ってるんだろうな。


「ところで、前に彩音と一緒にいた茉奈はどうしてる?」

「別に何も無いわよ。相変わらず小学生みたいなせこいイジメを受けておきながら何も言わずにいるけど」

 茉奈は本当に相変わらずだ。

「イジメられてるのか?」

「ほんと、小学生かと思うようなものだけどね。落書きされたり靴に画鋲がびょう入れられたり、幼稚な手口ばかりよ」

 キュッとつなぐ手…いや、握る手の力を少し強める。

 でも輝はその手から握り返そうという力は感じられない。

 あたしの一方通行な思い…傷つくなぁ…。

「彩音からそいつらに言ってやらないのか?」

「それじゃダメなのよ。そうするとあたしがいないところでまたイジメは続くから。本人からガツンと言わなきゃね」

「本当に茉奈を大切に思ってるんだな」

 そう。

 茉奈はなんか放っておけない。

 危なっかしいというか、風が吹けば倒れてしまいそうなはかなさを感じる。

「彩音のそういう芯の通った考え方、だな」


 ズキン…


 そういうこと、言わないでよ…。

 つい期待しちゃうじゃない…。

 もう、あたしの気持ちは伝えてしまった。

 でも返事をする素振りすらなく、こうして握っている手を握り返してくれるでもなく、宙ぶらりんな状態。

 紘武が言ってた、輝は女と向き合えないってのが気になる。

 誰かわからないけど、原因となる人がいることも分かってる。

 何があったのか、聞きたい。

 けど怖い…。

 紘武は輝本人に聞けって言ってたけど、聞いちゃいけない気がする。


 パッと手を離した。

 向こうから誰かが来たから。

 今のあたしたちはあくまでも同じ部活のメンバー。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 いっそ、輝が受け入れてくれれば、その関係も変わるんだけど…。


 そういえば、あの人はどうしてるだろうな。

 一年の時に告白してきたあの人は。

 見ていた限り、茉奈に対する優しさは本物だった。

 それは自信を持って言える。

 けど、裏じゃおばあちゃんに暴力を振るう怖い一面もある。

 あたしの見ていないところではあんなことをするなんて、今でも信じられない。

 もし、あの告白をOKしていたら、次第に暴力を振るわれるのではないかと思って、断る以外になかった。

 人ってほんとにわからないことだらけだよね。

 だからせめて、あたし自身は自分に素直でありたい。

 でも輝に対してだけは、素直になれない自分がいる。


 告白を断ったけど、気まずくはなってないまま進級した。

 ごめんなさいと告げた翌日、普通に声をかけてきた吉間きちまくんの姿を見て、ここであたしが避けるのは失礼だと思って、普通に接した。

 まるであの告白が無かったことのように。

 断ったことで、嫌がらせや力づくで何かされることも当然覚悟していたけど、いつもと変わらないまま過ごしているのを見て、安心したけどすっきりしない何かを抱えて過ごしてきた。

 

 ………輝が返事もせずあたしに接しているのは、そういうことなのかな…?

 あたしじゃダメなのかな…?

 でも紘武は輝があたしに対して呼び捨てさせてることに驚いてたよね。

 他の女子たちも同じように驚いてた。

 だからあたしは特別なんだと思ってた。


 最初は嫌だった。

 勝手にチャラ男と思い込んで、勝手に輝のイメージを決めて、勝手にあたしには合わない人と嫌ってた。

 けど輝が絡んでくるうちに、色々なことがわかった。

 輝は自分から絡んでくるけど、なぜか自分からは手を出してこない。

 もっと手が早い人かと思ってた。

 あたしが夕暮れの部室で転んでしまい、押し倒される体勢になって、キスしていいよ、と目を閉じて無言の意思表示した時も、ほんの数ミリのところまで迫ってきていながら、結局キスしてこなかった。

 本気だから先に進むのが怖いのかと思ってたけど、そうじゃない。

 輝が自分から触れてくるのは緊急時だけ。

 転びそうになった時。

 怪我をした時。

 …そういえば騒いでる女子たちが、輝から手をつないできたって話を聞いたことなかったな。

 あたしに対しても、同じだったんだ。


 一番印象的だったのは、やっぱりあたしがカッターで怪我した時の帰りかな。

 あたしの頭を撫でようとして、輝が固まった。

 何かを思い出したように。

 多分、紘武の言ってた人なんだろうな。


 ほんと、輝に関わってると傷つく。

 紘武の言ってた、引き返すなら今のうちってこういうことだったんだ。

 けど、もう引き返せない。引き返したくない。

 走り始めてしまったこの恋は…。


 しばらく歩いてきて、輝とはここで帰り道が分かれる。

「それじゃまた」

「うん、さよなら」

 お互い、言葉少なめにここまで歩いてきた。

 輝も少しは意識してるのかな。


 いずれは、輝の心にいる知らない人と、あたしが向き合わなくちゃならない。

 そんな気がする。

 輝自身が乗り越えなきゃならないことだとしても、あたしも無関係ではいられない。

 どんな人だったんだろう…何があったんだろう…?

 いくら考えても答えは出てこない。


 この先どうしよう…。

 家に帰ると考えがまとまらなくなることが多いから、駅近くでブラブラすることにした。

 周りを見ると幸せそうなカップルが行き交っている。

 あたしも、あんなふうに輝と一緒に歩いてる日が来るのかな…?


 ふと、見知った姿が目に入ってくる。

吉間きちまくん?」

 あたしに告白してきた人。

 断ったことは悪いと思っているけど、無視する理由もないし、ずっと気になっていることがあった。

「ん?あ、久しぶりだね。彩音ちゃん」

 吉間くん。

 一年の時に告白されて、OKの返事しようと思ってた矢先に、おばあちゃんに掴みかかる騒ぎを起こしたのを見て、結局断っちゃった人。

 さりげない優しさに心が惹かれていたけど、あんな場面を見ちゃってなお、心が惹かれることはなかった。

「元気だった?」

「うん、このとおり」

 変わらないフワッとした空気を感じた。

 この辺も相変わらずね。

「吉間くんって何組になったんだっけ?」

「2-Eだけど?」

 あたしは2-C、吉間くんは2-Eだから

「二つ離れてるのね」

 どこまでも柔らかなこの人の空気は本物と、あたしの勘は告げている。

 だからこそ信じられない。

 時間が経つほど、おばあちゃんを乱暴に扱っていたあのシーンが夢なんじゃないかと思えている。

 実は振った日に茉奈にも話したけど、最初から信じてなかった。

 スイッチが入ると途端に口が悪くなるけど、人を見る目は確かなのはよく分かっている。

 でも実際にこの目で見たことは事実だし、否定のしようもない。

 なのに傷つけたあの日から何一つ変わらない彼の空気は、あたしの考える彼のイメージとはちぐはぐな感じがする。

 考えても結論は出ないまま、二年に進級した。

 何事もなくてホッとしたのは確かだけど…どこかスッキリしない。

「茉奈ちゃんはどうしてるの?」

「相変わらずよ。新しいクラスでもまだお子様みたいな嫌がらせされていじめられてるわ」

「本人からビシッと言わなきゃダメだよね」

「うん。言わないのが心配なんだけど…」

 あの時は告白された後で、返事をする前だったからなんとなく聞きにくかったけど、今ならあのモヤモヤしたままのことを聞けそう。

 輝と関わってから、あたしは言いたいことを言えずにいる自分に、少し苛立ちを覚えていた。

「ねえ、吉間くん」

「何だい?」

 ニコッと笑顔を返してくる吉間くん。

 ほんと、信じられない。

 こんな優しい笑顔を向ける人が、おばあちゃんに乱暴なことするなんて。

「その、あたしが告白された翌日に、吉間くんがおばあちゃんに乱暴なことしてたの、偶然見ちゃったんだけど…あれは一体…何をしてたの?」

 キョトンとする吉間くん。

「あ、あれか」

 思い出したように、あっけらかんとした顔を向ける。

「あのおばあちゃん、スリの常習犯だったんだ。俺もスられたけど、気付いて捕まえて、警察に突き出してから常習犯と知ったんだけどね」


 この瞬間、頭が真っ白になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る