第6話:きいてないんだけど

 ひかると、キス未遂した翌日。

「ねぇ彩音あやね、今度は何があったの?」

「それは…言えない…」

 茉奈まなの目がキラーンと光った。

「彩音、僕じつは彩音のことが好きなんだ」

 茉奈はいきなり一人演劇モードにスイッチが入ったみたいで、低めの声で輝を演じてるらしい。

「輝…あたしも…お願い、あたしを輝のものにして」

 キリッとした顔から一転してウルウルした目で高い声。あたしを演じてるつもりらしい。

「もちろんだよ彩音。もう僕、止められないけど…いいかな?」

「なわけないでしょ」

 一人演技が一区切りしたところで、おでこを人差し指でつついてつっこむ。

「よっ、彩音。初キスおめでとー」

 突然後ろからかかった冷やかしの声に、あたしは顔を真っ赤にして振り向く。

紘武ひろむっ、いつの間にっ!?」

「おっ、そ~ゆ~ことだったの?」

 茉奈まで話に乗ってくる。

「何勝手なこと言ってるのよっ!」

「二人きりで明かりもつけずに、夕日差し込む部室で、押し倒された彩音に輝が…」


 かあああっ!


「まさか見てたのっ!?」

「やあ、アツいねえ。おふたりさン」

 パタパタと自分の手で扇ぐ紘武。

「違うんだからっ!あれは未遂よっ!」

「へ~っ、未遂まで行ったってことは、押し倒された時に拒否はしなかったんだね」

「ぐっ…」

 茉奈のいうとおりだった。

 それどころか、あたしは目を閉じてキスを許すところまでしてしまった。

 これはもうごまかすにしても明らかに旗色が悪い。

「そうよ、あれは事故だったわ。あたしが一人で部室の片付けをしてたら、輝が手伝うって入ってきて、転びそうになったのを輝が支えてくれたけど、そのまま倒れて、輝があたしに迫ってきたの。パニクってたから拒否する前に輝が顔を近づけてきた。それを紘武が見たってわけね」

「で、輝の唇はどーだったのっ!?」

「だから、そこで何もせずに輝が引いたのっ!って、何その目はっ!?」

 茉奈と紘武は、まったく信じてないって目であたしを見る。


 はぁ。


「まあ、それを証明する手段が無いことは認めるわ。輝と口裏合わせれば無かったことにもできるしね」

 ぴくっと紘武の眉が一瞬跳ね上がった。

 何?今の反応は。

「そっか、なら今度はしっかり見届けねーと。この目でな」

「何企んでるのよ」

 まだ紘武の考えていることはわからない。

 ジト目で睨むしかなかった。


 昼休み。

 お昼の時間は、輝の周りに追っかけ女子がまとわりつかないことを知ってる。

 唯一と言えるほど、輝とゆっくり話せる時間だ。

 学食じゃ茉奈と紘武も一緒だけど、この後の時間なら二人で話せる。

「それじゃまた明日ね」

 あたしは紘武を送り出し、茉奈と教室に戻った後で、輝のところに行く。

「輝、ちょっといい?」

「いいよ。どこで話す?」


 ガチャッ。

 ヒュオッ…。

 建物の五階にあたる屋上。

 見渡しが良くて、誰にも聞かれる心配がないここなら…。

 屋上出入り口のあたりで足を止める。

 輝と向かい合う。

「で、話って何かな?昨日の続き?」

「そうよ。まだ全然聞けてないんだから」

 かあっ。

 昨日のことを思い出して、思わず顔が赤くなってしまう。

「彩音の見ている世界を僕も見てみたいってのは本心だ。それについては追求しても、もうほかの答えは出てこないよ」

 ぼっ!

 耳まで真っ赤になってしまった。

「ふ…ふんっ、どうだか。なら質問を変えるわ」

 あたしは輝と真正面ではなく、少し体を斜めにする。

 真正面だとどうにも調子が狂ってしまう。

「部員があれだけ集まったのは、部活認定基準をクリアするのに正直助かってるし、その点については輝に感謝してるわ。けど、増えた部員は全員輝目当てで、とてもまとまりのある活動とは思えないわ。そこについてはどう思ってるの?」

「…彩音に迷惑かな、とは思ったんだけど」

 ガチャッ!

「っ!!!?」

 屋上の出入り口ドアが開き、反射的に輝の腕を掴んで屋上階段室の物陰に隠れてしまった。

 しまったぁ、もしこれで隠れたのが見つかったら、言い訳のしようがない。


「おっかしいな、ここにもないや。もう誰かに拾われたのかな?」

 独り言を漏らしながら、誰かも知らない人は出入り口ドアに姿を消す。


 ふー。

 危なかった。

 見つかってたらなんて言おうと思ってたわ。


 ドキンッ!


 今のあたしの体勢を把握して、胸が高鳴ってしまう。

 あたしは輝の脇から背中に手を回して、階段室の壁に輝を押し付けていた。

 胸は密着してるし、体の距離はほぼゼロで顔も近い。


 ドクン…ドクン…ドクン…。


 視線が絡み合ったまま固まるあたしたち。

 目を…らせない…。

 逸したくない…。

 輝は壁に押し付けられた状態で足は壁から離れたまま広げてるから、あたしが背伸びすれば目線の高さはほとんど同じになる。

 次第に目がうっとりし始めたあたしは、背伸びして輝の顔に近づく。

 どちらからともなく目をつぶり…お互いの吐息が頬をくすぐるところまで肉薄する。

 唇同士が、あと数ミリのところまで迫った。


 あれ…?

 あたしは気づいた。

 輝の手が、あたしの背中に感じない。

 抱きしめようと思えば、あたしの腕の外から手を回すことはできるはず。

 でも抱きしめられてない。

 輝はダランと腕を下げているわけでもなく、抱きしめるでもない、その途中で止まっていた。


 背伸びをやめ、顔を離して、輝を抱きしめる腕を緩めた。

 輝は壁に寄りかかる体を起こすと、あたしは腕を引く。

「この話は…また今度ね…」

 うつむいて、逃げるように屋上を後にした。


「覗きはゾッとしないな、紘武」

 輝は誰も姿のない屋上で話しかける。

「るせー、俺が先ン来てたところに、お前らが後から来て勝手に始めやがったンだろーが」

 階段室の上から返事が来た。

 ここが紘武のお気に入り休憩スペースだった。

「で、どーだった?」

「何がだ?」

「彩音の唇に決まってンだろ」

「…まだ知らないものを聞かれても、答える術はない。妄想で良ければ聞かせてやるが?」

「ハッ、二人揃いも揃ってヘタレかよ」

 輝は紘武の煽る言葉を無視して、屋上を後にする。

「…どうせ彩音って女も、輝の人気ぶりにあてられて近づいてきてンだろーが。早めに輝の現実ってモンをわからせてやらねーとな」


 放課後になって部活も終わり、あたしは部室の整理をする。

 輝は…来ないか。

 密かに期待してしまう自分に嫌悪感を持ってしまう。

 輝と二人きりになれる時間は、せいぜい昼休みと部活が終わった後くらい。

 部長もすっかり輝の追っかけ側に行っちゃったし、部室のことはあたしがやらなきゃ、やる人がいない。

 学校側が授業のために用意した生地や糸と、部活として用意した手芸材料がごっちゃになっていることがあって、あたしはその在庫管理を密かにしている。


「部長に言わないのか?」

 ふとかかった声に、ビクッとなる。

「それとも、言えないのか?」

「輝…」

 あたしは声の主、輝の方へ向いて黙る。

 嬉しい…あたしのことを気にかけてくれてる。

 けど、モヤモヤしたこの気持ちは、あたしの中でまだ渦巻いている。

 在庫のチェックを続けた。

「貸せ」

「あっ!返してっ!」

 輝はあたしが持っていた手記ボードを取り上げ、眺めている。


「お前さ、言いたいことをしっかり言うやつだと思ってたけど、こういうのはなんで言わないんだ?」

「輝には…わからないよ」

「前に言ったろ?お前の見てる世界を見たいって」

「うるさいわよっ!今の手芸部は全然まとまりがなくて、みんな勝手なことばかりして、こんなのあたしが望んだ手芸部なんかじゃないっ!」


 ダンッ!


 あたしは壁際に追い込まれ、向かい合う輝は壁に荒々しく手を突いた。

「なら言えよ」

「…何を…?」

「お前の望む手芸部の姿を、言えよ」

 その目には、あたしの顔が映っていた。

「部をめちゃくちゃにした張本人が…いまさら何よ…」

「ああそうだ。僕は部をめちゃくちゃにした。謝っても許してもらえないほどに」

 空いてるもう片方の手も荒々しく壁に手をつく。

 少ししゃがめば多分、逃げられる。

「だから責任取るって言ってるんだ。望むなら退部にされたって構わない。彩音の望む部活の姿を、言えよ」

「…本気で言ってるの?」

「本気だ。もし退部を望むなら、彩音が決めたと言うと部に居づらくなるだろうから、僕が自主退部ってことにする」

「じゃあ、退部にしたら輝はどうするつもりよ?」

「帰宅部に戻るだけだ」

 当然のように答える。

「ダブル壁ドン…どこまであたしを舐めれば気が済むの?」

 なんという屈辱、と続けようとしたけど

「答えろよ」

 さらに顔を近づけてくる輝。言葉を続けるのをやめた。

「いいわ。一番ラクな退部になんて…絶対させてあげない。しっかり責任、取ってもらうわよ」

 あたしは、どれだけ輝が本気なのかを試したくなった。

 いつ逃げ出すのか、放り出すのか、見せてもらうことにする。


「それじゃ、満場一致ですね」

『はーい』

 部員一同が返事をする。

 手芸部に、副部長が誕生した。

 そして、なぜかマネージャーも。


 数日前。

「副部長の新設?」

「はい。今の手芸部は、部の体裁をまったく保てていません」

 輝に責任を取らせる話をした翌日、部長に副部長の新設を相談した。

「原因はわかっています。なので、その原因を取り除くのではなく、原因に方向を変えてもらいます」

「そう…それで、どうするつもり?」

「輝に副部長を務めてもらいます」

「それはいい案ね。確かに今の部は輝くんを中心に騒いでるだけみたいなものだし」

「それじゃ…」

「でもね、その後はどうするの?それだけじゃ根本的な解決にならないんじゃないかな?」

 あたしは、その疑問に対する答えを用意してきた。

「副部長権限で、部員にそれぞれ手芸部としての課題を出します。名目はきたる学園祭に備えて、個々の生産性を向上させること。少しキツめの課題を出して、今の色めき立った空気を引き締めるんです」

 そう。あたしが目指しているのは、キャイキャイと騒ぐ馴れ合いの場なんかじゃなく、真剣に部活動へ取り組む空気を作ること。騒ぐ時とはしゃぐ時のメリハリはいいとして。

 そのために、輝を副部長にして、副部長から部員に課題を出させる。

 輝の追っかけをしてる人たちも、これで真剣に取り組んでくれるはず。

 とはいえ、すんなり行くとはもちろん思ってない。

 誰にも言ってない個人的な意図が、あたしにはある。

 これで役目を放り出すなら、輝は責任を取るつもりはないと判断するし、部員がこれで部を離れていくなら、真剣さが足りなかったということ。

 最悪、輝が自主退部するなんてことも考えてるけど、単なる数合わせでしかないなら、いっそ離れてくれたほうがいい。


 輝の言葉、どこまで本気なのかを試してあげる。

「それで、輝くんはそれを受けてくれるって?」

「うん。話はしてあるわ」

「なら条件をひとつ。賛成8割以上が条件よ」

「過半数じゃないんですか?」

「仮に、5割をわずかに上回るだけだと、派閥はばつの発生が心配なの」

 8割…かなり厳しいラインかもしれない。

 でも、輝なら…。

「わかりました。その条件でいきましょう」


 で、今日の部活。

「はい、みんな手を止めて」

 部長は手をパンパンと叩いて、集まった部員を座らせる。

「今日は皆さんに決をとっていただきます。この手芸部は先月まで、同好会になりそうな状態でしたが、皆さんのおかげで部として十分な部員が確保できました。しかしこの人数を一人でまとめるのは難しいので、副部長を決めたいと思います」

「ほら」

 トン

 あたしは輝の背中を少しだけ押す。

「はいよ」

 ざわっ

 部室がわずかにざわめく。

「副部長に立候補しました、新宮しんぐう 輝です。部員としての経験はここにいるほとんどの部員と同じですが、黒一点としてまとめていきたいと思います」

「では、皆さんに決を取ります。輝さんを副部長として認めるならその場で起立してください」

 部員同士が顔を見合わせたり、少しざわつく。

 輝は、部員たちに対して軽くウインクする。


 ガタッ

 ガタガタッ


 一人が立つと、つられるように席を立った。

「反対者なし。全員賛成のため、輝くんに副部長を務めていただきます」


 パチパチ…


 あたしは拍手を送る。

 つられるようにして、部室全体が大きな拍手に包まれる。


 しっかり責任、取ってもらうよ。

 これは始まりに過ぎない。

 これからが本番だからね。

 いつまで保つかしら。

 あたしの出した要求は漠然としていて単純だけど、それだけに自分で考えることが多い。


「ありがとう。皆さん。では部長と私、新任の副部長から新たな発表をします」

 拍手がやみ、部室が静寂に包まれる。

綾香あやか 彩音さん、あなたを手芸部のマネージャーとして任命します」


 ………え?


 え~~~~~っ!!!?

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