第5話:おねがいだれかとめて

「おはよう茉奈まな

彩音あやね、おはよう」

 茉奈がじっとあたしを見てる。

「何かあったね?」

 ぎくっ!

 茉奈ってなぜか勘がいい。

「なにもないよ」

「ふ~ん」

 全然信じてないって顔をしてる。

 茉奈とは向かい合って座っている。あたしの肩越しに後ろを見ている。

「あっ、輝だ」

「えっ!?」

 弾かれるように振り向いてしまう。

「う・そ」

 茉奈がニヤニヤしながら顔を見る。

 かあっ

 顔が赤くなるのをしっかり見られてしまった。

 弱気な茉奈だけど、気心の知れた相手…つまりあたし相手だと普通にからかってくる。そして変なところで鋭い。

「で、何があったのよ?」


 はぁ


 観念するか。

 茉奈と輝が一緒にいる時にどうせ態度でバレるだろうしね。

「わかったわよ…」

 昨日の部活のことを話した。

「おおっ、これは付き合う日も近いねっ」

「…そうなの…かな」

「先週までチャラ男チャラ男って言ってたのが嘘のよーだね」

 あたしはつい縮こまってもじもじしてしまう。

「噂なんて…ほんとアテにならないことがよくわかったわ」

「所詮噂、だったんだね。で、いつ告白するの?」

 あたしは茉奈から目をそらして

「そんなの…わからない」

 前はそんなわけないじゃない。と返事したのを思い出した。


 気がつくと、隣の教室が賑わっていた。

 輝が来たんだ。

 あたしより前に輝を取られてしまわないか、心配になってしまう。

 休み時間になるたび、こんな気持ちになるのかな…。

 キュッと胸が締め付けられる思いを抱えながら、あたしは無関心を装った。

 とてもあの中に入っていく勇気、ない。

 本気になっちゃうと、便乗してキャーキャー騒ぐのさえためらってしまう。

 かといって、もし付き合うことになったとしても、今度はあの集団に立ち向かわなきゃならない。

 昨日は部活でついカッとなって叫んじゃったけど、あれで少し孤立した気がする。

 怪我もさせられちゃったし。

 仮に輝と付き合うことになったとして、こういう言い争いやトラブルが増えるのかもしれない。

 どうすれば…いいんだろう?


 昼休み。

 いつものとおり、学食で茉奈と向かい合って座る。

「隣いいかな?」

 輝が近くに来ていた。

「…うん」

「よっす輝。今度ぁこいつらにしたンか?」

 何、この馴れ馴れしい人…。

「今度はってなんだよ。人聞きの悪いやつだな」

 その男の子はショートヘアが上向きにツンツンしてる。

 スポーティな感じはするけど、体つきはスポーツマンじゃなさそう。

 黙っていれば、やんちゃさを残したそこそこのイケメンで通用すると思う。

 しゃべるととたんに残念さが際立つけど。

 ずいぶん背が高く、おそらく輝より少し上だろう。

「紹介する。こいつは都志見つしみ 紘武ひろむ。小学校から一緒の腐れ縁だ」

「さらっとサイテーな紹介しゃーがって」

 さりげなく輝の向かいに座った。

「お前…ま、いいか。もう座っちゃったけど、一緒でいいよな?」

「…いいけど」

 イヤとは言えなかった。

 輝の幼馴染なら、あたしの知らない輝を知ってるはず。

 少しでも、輝のことを知りたい。

 ぜんぶ、あたしだけが知っていたい。

「輝、珍しーな。女と一緒に飯食ってンの」

 えっ?

 普段の様子を見てると、常に誰か女子と一緒にいるイメージだけど…。

「紘武くん、どういうこと?」

「こいつぁ去年のはじめだったか『昼くれーは一人で食いてー』って言って、昼休みに寄ってくる女を一人ひとり断っててよ。それでもしばらくは人だかりができてたけど、今じゃずっと一人飯してら」

 だから…昼以外の休み時間に集まってくるんだ。

 だったら、あたしはなんで…?

 席で言い合ってたのを見かねた輝が助け舟を出してくれて…それからだよね。

「ま、たまにはな」

「輝のやつ、昼休み以外はたいてー女をはべらせて気分よくしてるチャラ…」

 ビシッ!

「ってぇ!」

 輝が紘武にデコピンを決める。

「あいつらが勝手に寄ってきてるだけだろ。僕からコナかけてるわけじゃない」


「…くない…」

「え?」

「輝は、全然チャラくないっ!」

 紘武はおでこを抑えてあたしを見る。

「…ま、別にいーンじゃね?ンなに好きならさっさと輝に告っちまいな。輝に近づくやつってたいてーそーゆーからさ…ってちょっと待て。今、輝って呼び捨てに…」

「僕が二人にそうさせた」

 ピッシと固まる紘武。

「…ンだと…?どーゆー風の吹き回しだ」

「どうもこうも、お前が知ったことか」

 前から思ってたけど、もしかして…呼び捨てにさせるのって、かなり珍しいの?

「それより彩音、ずいぶん印象が変わったな」


 かあっ!


 そうだよね。

 輝と出会った最初の頃はズケズケとものを言ってたのに、今は輝相手だと思わず言葉を選んでは飲み込むことばかり。

「僕の魅力に気づいちゃったのかな?」

 意地悪な顔で言う輝に、減らず口を叩くのも忘れていた。

「ふーん…」

 紘武は何か納得したような顔で、その様子を見ていた。


 モヤモヤしながら、放課後になる。

 部活の時間。

 輝と自然に一緒の部屋で過ごす楽しみな時間のひとつ。

 ただし、追っかけの女子たちもついてくる。


 部室はここ数日、同じ光景が繰り広げられている。

 輝の周りを取り囲む女子たち。

 部長さえもその中に入っている。

 あたしは黙々とミシンを踏む。

 あんたらは部活しに来てるんじゃないでしょ!?

 と言いたいけど、輝の顔を見られると思って、内心ウキウキしているあたしは、人のことを言えない。


 昨日、部員のみんなに当たり散らしてしまったから、やっぱり部員のみんなからはよく思われてないみたい。

 中にはあたしをアヤアヤと呼び始める人も出てきた。

 アヤアヤは、あたしを煙たがる人たちが呼ぶアダ名。

 なぜかそうでない人たちは、あたしをアヤアヤと呼ばない。

 あたしを意識してのことなのか、輝の意思を尊重してなのか、騒がしさは昨日よりずっと軽くなっていた。

 それでもまだ十分騒がしいけど。

 時々、輝が口元に人差し指を立てて「静かに」と言いたそうな仕草をしている。

 そのたびに女子部員たち…といっても輝以外は全員女子なんだけど、部員たちはその瞬間に静まり返る。

 けど誰かが会話を始めるとすぐに元の騒がしさに戻ってしまう。

 そんなことを繰り返しながら、騒ぎすぎないように意識して、初日とは違う少し張った空気に包まれ始めた。

 部員たちは、あたしを邪魔に思ってるのか、部活の最中もあたしを遠巻きにして近づかないようにしている。

 別にあたしはみんなから嫌われたくてあんなことしたんじゃないけど、こうなることはある程度予想していた。

 けど言わないでいるのはあたしの気が済まない。

 ほとんどの部員は別にこの手芸部に入りたくて入ったわけじゃないことは分かっている。輝を追いかけてきただけ。輝がやめれば全員やめることは分かっている。


 意外だったのは、輝は案外筋がよくて、最初はふきんや雑巾、次に小物入れを作って失敗するけど、うまくリカバリーして一つを作り上げた。

 輝が「みんなも作ろうよ」と呼びかけたことで、ちらほら真剣に作っている姿が出始めた。

 もちろん、できあがったものを部長ではなく、輝に見せて気を引こうとしている姿があるのは予想を裏切らない展開と言えるかな。


 部活も終わり、あたしは一人で後片付けをしていた。

 赤みがかった夕日とはいえ十分な明るさがあるから、蛍光灯はつけずにいる。

 あたし一人だけで点けるのはもったいないと思う。

「もう、使うだけ使ってほうっておくなんて…」

 ぶつくさとこぼしながら片付けを進める。

「よう、おつかれさん」

「輝…?」

 一人になった教室で、輝が入ってきて二人きり。

「何よ、部員たちと一緒に帰ったんじゃないの?」

「こんなだらしない状態になったのも、ある意味僕の責任だからね。一緒に片付けるよ」

「いいわよ、これくらい」

 あたしはつい、素直になれなくて突き放すようなことを言ってしまった。

「なら僕も勝手に片付けるよ。部員だからね。せっかく入部したのに、他の女子に囲まれちゃって彩音とろくに話もできてないし」

 何よ…本気であたし目当てで入部したわけ?

 その言葉が嬉しくて思わず顔が赤くなってしまうけど、ほだされてちゃダメと自分の両頬をパチンと叩く。


「輝。あなたに聞きたいことがあるわ」

 あたしは輝の方へ体を向けた。

 眉を逆ハの字にして話しかける。

「なんでもどーぞ」

「あなた、どこに興味を持って手芸部に入部したの?」

「なんか楽しそうだったから」

 よく言うわ。絶対ウソよ。

「で、本音は?」

 冗談を見抜いたあたしは、そのまま次を促す。

「彩音がいる部だから」

 これも本音じゃないわね。


 はぁ


 思わずため息をつく。

 わかってたけど、こんな簡単に本音を言う人じゃないでしょうね。

「なら、あたしがやめたらどうするの?」

 疑問に思ったことをそのままぶつけてみた。

「僕もやめる」

 何のためらいもなく、迷わずすぐに答えた。

 のらりくらりかわされてると感じて、あたしは苛ついてきた。

「ふざけないでちょうだい。あたしはまだあなたの入部動機について納得してないんだから。入部は部長が勝手に決めちゃったから仕方ないけど」

「手厳しいな…彩音は…」

 少しだけ苦い顔をする輝。

 つかつかとあたしの目の前まで来る。

「なら納得してもらうよ。僕の入部動機」

 まっすぐに見つめてくる。

 

「彩音が見ている世界を、僕も見たくなったんだ」

 

 かああっ!


 あたしの顔は一瞬で真っ赤に染まる。

 どこまでが冗談で、どこからが本気なのよっ!?

 こういうことを平気で言う人は、やっぱりチャラ男かもしれない。

「ふ…ふんっ、いくら問いただしてもらちが明かないわねっ!片付けの時間を無駄にしたわっ!」

 くるっと背を向けて、片付けに入ろうとしたその時、何かを踏んづけて姿勢を崩してしまった。

「あぶないっ!」

 とっさに輝があたしを抱えるけど、ほとんど真横になってたあたしを支えきれるはずもなく…。


 ドサッ


「いたた…」

「大丈夫か?彩音」

 床に仰向けに倒れたあたしの上に、輝が覆いかぶさるようにして倒れた。


 ドキンッ!


 ち…近いっ!

 マンガやドラマの世界でよくあるお約束シチュエーションの一つ。

 押し倒された体勢のまま、あたしは顔を赤くしたまま動けなかった。

 すでに日は傾き、赤い光が窓から部室に差し込んで、赤と影が入り交じる幻想的な空間を演出していた。

 壁に反射した赤い光が、輝の顔をぼんやりと照らし出している。

 そのひた、と見つめる瞳に映るのは、あたしの顔。

 いつものおちゃらけた様子など微塵もない。

 数日前のあたしだったら、冷たく「どいて」の一言をぶつけていたはず。

 けど今はいっぱいいっぱいで、とてもそんな余裕はない。

 言葉が喉を通ってこない。

 いや、考えることもできない。


 じっと見つめ合うあたしと輝。

 輝がわずかに顔を近づけてきた。

 少し迷って、あたしは目を閉じる。


 すぐ目の前に顔がある圧迫感を覚えながら、あたしは覚悟を決める。

 輝と…キス…しちゃうんだ…。

 ドキッ…ドキッ…。

 心臓が早鐘のようにうるさく高鳴り続ける。

 お互いの吐息が頬を撫でる。


 ドクン…。

 その時、輝の脳裏にぼんやりとした人影が現れて消えた。


 どれくらいそうしていただろうか。

 唇に何も感じないまま、目の前の圧迫感が突然なくなった。

 あたしが目を開けると、立ち上がって中腰姿勢をしてる輝の手がそこにあった。

「立てるか?彩音」

「う、うん…」

 輝の手を取って立ち上がる。

 手を取った一瞬、輝の顔がこわばった気がする。

 床を見ると、ミシン糸のロールが一つ転がっていた。

 たぶん、あれを踏んで転んだんだ。


 さっきまで目を閉じていたあたしたちは気づかなかった。

 この様子を見ていた人影があったことを。


 どうして、やめちゃったんだろう?

 あたしじゃだめなのかな…。

 今ので、多分あたしの気持ち…知られちゃったよね…。

 輝が顔を近づけてきたとはいえ、自分から目を閉じちゃったんだから。

 チャラい噂って、全くの嘘だった。

 少なくとも、あたしの目から見た輝については。

 もし本当にチャラいなら、あのまま構わずキスしてたはず。

 止める理由は…あるとすれば、本当にあたしなんて魅力のない、取るに足らない女としてみているくらいだと思う。

 でも明らかに、他のキャーキャー騒ぐ追っかけ女子たちとは違った扱いを受けてることはわかる。

 だから、余計にわからない。


 二人で黙々と片付けをする。

 聞きたいこと、まだまだあったのに、一つしか聞けてない。

 それが本心かも疑わしいけど。

 けど、それでまたときめいちゃったのも事実。


 あたし…輝が…欲しい。


 大勢の女子に囲まれてるあの姿を見るのが…辛い…。

 あたしだけを見てほしい。


 一度走り始めてしまったこの気持ち…もう止められないよ…。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る