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「ゆき、また今度寄せてもらうよ。じゃあ」


「はい。お待ちしております。おやすみなさい」


「おやすみ。類、ボケッとするな」


 クイッと手を引っ張られ、思わず前につんのめりそうになる。


 私はリードで繫がれた犬か。


 ――beautiful magicに到着し、入口の鍵を開け、香坂は店内の照明を点けた。


 つかつかとシャンプー台まで行き、振り返った。


「やれ」


「えっ?」


「波瑠に教わったんだろ。俺の髪をシャンプーしろ」


「は、はい」


 香坂は椅子に座った。

 私は椅子を倒し、シャンプー台の湯温を調整する。


 手をつけて、ちょっとぬるいくらい。


 香坂の髪にお湯を当てると、右手で腕を捕まれた。


「ぬる過ぎる」


「す、すみません」


 三十八度前後……。

 ちょっと熱いかな。


 香坂の髪にシャワーをあてる。


「アチッ! 湯温くらい手で確かめろ。俺の頭は湯温計じゃない」


「すみません」


 まず素洗いで、髪の毛の汚れを落とす……。


「こら、髪の毛を擦り合わせるな。素麺の滑りをとってんじゃないんだぞ!」


「すみません」


 次はシャンプー剤……。


 香坂は少しロン毛。


 百円玉くらい?

 それとも、五百円玉くらいにしとく?


 掌で泡立てていると、香坂がジロリと睨んだ。


 量が多いですよね……。


 泡立てたシャンプー剤で、生え際から頭頂に向けて洗う。ゆっくり丁寧に。


「毛先しか洗えてないぞ」


「すみません」


 頭皮にも届くように……

 マッサージをしながら……。


「痛い! 爪を立てるな。お前エステシャンだろ。何を勉強してきたんだよ! 頭皮も肌と同じだ。指の腹を使え!」


「すみません」


 もう……泣きそうだよ。


 三上は優しく教えてくれたのに。香坂はギャーギャー怒鳴ってばっかり。


「すすぎは丁寧に、ほら耳の後ろにシャンプー剤が残ってる! ぬるぬるして気持ち悪いんだよ!」

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