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 黙ってビールを飲んでいた香坂が、突然立ち上がる。


 まるで仁王様のような顔で、私を睨み付けた。


 私は蛇に睨まれた蛙のように萎縮し、首を竦める。


「鳴海店長、店ちょっと使います」


「蓮、もう十一時だぞ。忘れ物か?」


「はい」


 店に忘れ物?

 香坂もドジだね。


 仁王様から目を逸らし、お酒の飲めない私は、一人でツマミをパクつく。


 パシッと頭上に痛みを感じ見上げると、香坂が私を睨んでいた。


「なに暢気にツマミ食ってんだよ! 来いよ!」


「ひ、ひぇ?」


 私は右手の人差し指で自分を指差す。


『わたし?』


「あほ、お前に決まってんだろ」


 わ、わ、わ、まじですか?


 香坂にむんずと手首を捕まれ、指の隙間からピーナッツが零れ落ちた。


 ――午後十一時。


 ホストに同伴する女性客みたいだよ。


 香坂は私に有無も言わせず、ドスドスと歩いた。私は香坂に手首を捕まれたまま、小走りに歩く。


 beautiful magicの数メートル前で、小料理屋恋唄の店主と出くわす。今夜は藤紫に菊の花の着物。


 街灯の下で見ると、一段と色っぽいな。


「ゆき、どうした?」


「蓮さん今晩は。ちょっと知り合いのところに……」


「知り合い? 店は?」


「今から行くわ。アルバイトの子が店番してくれてるから。蓮さんとお仲間さんも店に飲みに来ませんか?」


「ごめん。今夜はちょっとヤボ用でね」


「ヤボ用?」


 彼女は乱れた後ろ髪を指で直す。香坂は歩道にもかかわらず、彼女の後ろ髪を素早く直し、ピンで止めた。


「ありがとう。自分ですると上手くいかなくて」


 艶っぽい眼差し。


 彼女を見つめる香坂の目も色っぽいな。

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