第25話 菩薩と鬼

 羅刹は走馬燈を見ていた。セレナと出会った牢屋、二人で行った訓練、くだらない話をした思い出。セレナと過ごした日々は、人生のほんの一部分。なのに思い出すのはそこばかりだった。


 ――最後だから、認めてやろうか。


「お前と過ごした日々、悪くなかったぜ」


 羅刹は死を覚悟した。いや、諦めたと言ったほうが近い。村を滅ぼして、暗殺者として生きて、羅刹の手はもう真っ黒だ。いつか報いを受けるだろうと思っていた。今日がその時だった。それだけの話だ。恨みつらみではなく、私利私欲のために殺されると言うのも、俺らしいと言えば俺らしい。羅刹はそう思いながら目を閉じた。


 恨みはない。後悔は少しだけ。


 予想とは違う衝撃。押し倒され、地面に転がる。予想されていた激しい痛みは、全くなかった。暖かな人のぬくもり、そしてどろりとした何か。


 目を開けるとセレナがいた。セレナは羅刹に覆いかぶさるように倒れている。セレナが羅刹をかばって撃たれたのだ。


「お前……なんで?」

「さぁ……なんでだろうな。気が付いたら体が動いていた」

「馬鹿が、死ぬならば俺でよかっただろうが!」

「ふふ、どうせかばってくれない癖に、よく言うよ」

「鬼にだって、仲間はいる」


 セレナの手が、羅刹の仮面へのびる。羅刹の仮面が地面へ落ちると、現れたのは一本の角。鬼のような尖った角だ。

 その見た目は、まさに鬼。


「鬼になどなるな。お前は、優しい人間だ。だから、私が死んでも鬼にはなるな」

「鬼だよ……俺は、只の鬼だ」

「……私が王宮から逃げ出した話はもう言ったよな。私は王宮で毒を増られて以降、人を信じられなくなった。目の前で毒見役が死んだんだ。幼い私にはショックが大きかったんだろうな。それ以降、どうしても人を信じれなくなった」


 目の前で人が死ねばショックは大きいだろう。子供の時ならなおさらだ。

 セレナはまだ真っ直ぐと羅刹を見ている。だがもう体には力が入らないようだ。小指ほどの大きさの穴が、いくつも開いているのだから無理もない。


「どんなに……ごほっ……優しくされても、信じられない。どんなに忠誠を誓われても、信頼できない。相手は私を信じているのに……私は……信じ……ごほっ……られない。それが、辛かった」

「やめろ、無理にしゃべるな」

「お前が……信じなくてもいいと、言ってくれた時……わたしはうれし……かった……のだぞ。心が……軽くなった。誰かと……いて、幸せを感じれる日が……再び……くるなんて、思わなかった」


 ごほごほとセレナはせき込んだ。口から血があふれ出した。


「信じなくて……いいと……ってくれ……たのに、気が付けば……お前を……信じていた。お前は、いいやつだ。わた……が……保証する。だから……えは……鬼じゃない。ただの……人だ。やさし……い……ひと……だ」


「それはお前がいたからだ、セレナ。お前がいたから、俺は人であれた。死ぬな。死ぬんじゃない」


「しあわ……せ……に……いき……ろ…………よ……」


 そう言い残し、セレナは意識を失った。

 羅刹の目に涙がたまる。羅刹はすぐさまそれをぬぐった。何かが涙に溶けて、流れ出す気がしたからだ。


 悲しむのは後でもできる。羅刹は今できることを考えた。

 死なせたくない。羅刹の思いはそれだけだ。


「なにが幸せに生きろだ。お前がいない世界で、どうっやって幸せになれってんだ。ふざけんな。俺を幸せにしたいなら、まずお前が幸せになりやがれ」


 夜叉は懐から針と糸を取り出した。

 毒は少量ならば薬にもなる。糸と針は傷口を縫うのに使える。

 羅刹は自分の武器を適当に選んだ。針と糸を選んだ理由は、なんとなく使いやすかったと言うだけだ。しかし今はそれが天命であるように思えた。この時のために、これらの武器はあったのだと。


 麻酔、銃弾の摘出、傷口の縫合、それらすべてを瞬く間に行う。名医のような、見事な技だ。


「頼む。生きてくれ。生きていてくれ」


 羅刹は胸のあたりを両の手で強く推した。心臓マッサージだ。何度も何度も繰り返す。

 すると、かすかだが、息の音が聞こえた。セレナの呼吸の音だ。

 セレナの手術が終わるとほぼ同時に、四度目の射撃が行われた。


 戦場に響き渡る、死を運ぶ轟音。

 もう守ってくれる人はいない。だが羅刹は死ななかった。


 羅刹は手持ちのナイフで、銃弾をすべて叩き落としたのだ。目で追えない速度の銃弾をどうやってとらえたのだろうか? もはやそれは、人間の限界を越えていた。


 戦場に響く悲鳴の大合唱。

 鬼になるなと言われた。ならば菩薩になるしかない。


 人々を救う菩薩に。


 羅刹は怪我人のもとへ駆けつけ、次々と手術を行った。

 鬼の角を持つ男が、けが人を治し続ける。

 姿は鬼。だけどだれも彼を鬼だとは思わなかった。

 一人の菩薩がそこにいた。







 夜叉は死を覚悟した。一度は曲芸で避けたとはいえ、隙間のない弾幕は基本的に避けられない。夜叉は死を受け入れ、目を閉じた。死にたくはなかったが、死ぬときはそんなものだ。人は死ぬときは死ぬのだ。


 だが夜叉はまだ生きていた。目を開けると、夜叉におぶさるように、エイミーが血まみれで倒れていた。


 エイミーがかばってくれたのだ。夜叉は無傷であったが、その代わり、エイミーはひどい傷を負っていた。致命傷だ。エイミーの体にはいくつも穴が開いている。こんな戦場のど真ん中では、助けようがない。


「エイミー、エイミー! どうしてだ、どうしてだよ」

「夜叉さん……無事だったんですね。よかったです」

「なにが良かっただ。なにもよくない。俺だけ助かってどうしろって言うんだ」


「私は、あなたに生きていて欲しかった。……ただの……私の、わがままです。あなたが……いきていてくれれば……でも、少し寂しいですね。もう少しだけ……一緒に……一緒に……稽古を……」

 夜叉の涙が、仮面の隙間から落ちる。エイミーの頬で、二人の涙はまじりあい、地に落ちる。

 エイミーはそっと手を伸ばして、夜叉の涙をぬぐった。


「……泣かないでください。……幸せになってください。自分を鬼だなんて卑下せずに、胸を張って生きてください。夜叉さんは……鬼なんかじゃなくて……やさしい…………人です。だから……」


「……どうやって……いや……」


 君が隣にいなくて、どうやって幸せになればいいんだ。夜叉はそう言いかけた。

 だが夜叉はその言葉を飲み込んだ。最後に言うべき言葉は、これじゃない。


「幸せになるよ。ちゃんと頑張って……幸せになるから……だから……だから…………さようなら。エイミーと過ごせて、幸せだった」


「わた……し……も…………しあわせ……で…………た……よ。やしゃ……さん……あり……が……とう……」

 エイミーの手が滑り落ちる。頬に残る、幽かなエイミーの温度。だがそれも急激に薄れていく。

 エイミーとの思い出、出会った時の事、酒場で食べ物を恵んでくれたこと、一緒に戦ったこと、戦いを教えたこと、全てが頭の中を駆け巡る。

 ――思い出は鮮明だ。いつまでも、忘れない。だけど……もう……増えることはないんだな。

 夜叉はじっと、エイミーの事を見つめた。


「なにが、ありがとうだ。……ありがとうは、こっちの台詞だよ。本当に……ありがとう……エイミー」


 夜叉は右手でエイミーの顔を撫でた。目を閉じたエイミーの顔。安らかな顔だった。

 彼女はきっと天国に行けるだろう。

 四度目の銃声。無慈悲な発砲。


 夜叉は右手を、敵に向かって突き出した。拳から血が飛び散る。だが銃弾は、一発たりとも当たらない。唯地面に穴をあけるだけだ。

 夜叉が拳の骨で、弾丸をはじいたのだ。達人の技とはもはや言えない。超人の域だ。もしくは……鬼の技。


「ありがとうエイミー。本当にありがとう。そして……」


 真っ青な仮面が地面に落ちる。露わになった夜叉の素顔。

 その額には、二本の角が生えていた。

 まるで鬼のような角。

 額から角が生えている。

 本物の角。


「そして……許さねぇぞ貴様らぁぁぁぁぁぁ!」


 夜叉は駆ける。

 鬼のような形相で。

 鬼のような姿で。

 そして……


……鬼のように、無慈悲に、人を殺す。


「死ね、死ね、死して詫びろ、クズ共が。一人残らず、殺してやる!」


夜叉は人を殺さずに無力化する方法を極めていた。殴っても死なない場所、死なない殴り方を熟知していた。

それは裏を返せば、相手を殺す殴り方、人体の急所を知っているということだ。

背骨を心臓を鳩尾を、夜叉は殴り、貫いていく。彼の通った後には、死体しか残らない。


「鬼だ」

「鬼がいるぞ!」

敵も味方も恐れおののく。

 一匹の鬼が、そこにいた。

 




 ウィルバードは馬車から顔を出して、高笑いしていた。

「ははは死んだぞ、これは死んだ。あの邪魔なセレナが死んだぞ。セレナが死ねば後は愚かな王子ばかり。軍だけでなく政府も私のもの、いや、ゆくゆくはこの国全てが私のものだぁはっはっはっはぁぁぁぁ」


 王はいずれ死ぬ。次の王が愚か者の王子ならば、裏から操ることで、ウィルバードは莫大な権力を得ることができるだろう。それこそこの国を手中に収めたと言ってもいいぐらいの権力だ。

 だがしかしそれも、この戦争を生き残れたらの話だ。


「はっはっはっ……は!? な、なんだあれは」

 ウィルバードの笑顔が凍り付く。ウィルバードの一番の失態は、セレナが死ぬところをこの目で見ようとしたところだ。もしもウィルバードが安全なところで待機していたら、彼はその身に降りかかる悲劇を回避できたかもしれない。また兵士の質がもう少し高ければ、かれは逃げ出すことができただろう。


 つまりはウィルバードの自業自得と言うことだ。


 ウィルバードの視界に映るは角の生えた鬼。鬼が兵士を蹴散らしながら突き進んでくる。

「殺す。貴様らは皆殺しだ!」

 呪詛の言葉を吐きながら、怒りに染まった鬼はどんどんと迫ってくる。

 それは殺気の固まり。近づかれれば一巻の終わりと、どんな鈍い人間でもわかる。


「止めろ。誰かあいつを止めろぉぉぉぉぉ」

 ウィルバードは叫ぶ。だがその名に従うものは誰もいない。

 兵たちは怒れる鬼を前にして、恐怖ですくみ上って動けない。あるものは逃げ出し、ある者は祈りだす。死にに行けという命令を聞くものがどこにいようか。


「やめろ、やめてくれぇぇぇ」

 ウィルバードは馬車から降りて逃げようとするが、恐怖で足が動かず転げ落ちた。

 ウィルバードは痛みに耐えながら、必死になって走った。少しでも遠くへ、あの鬼から逃げるために。


 だが同じように逃げ出そうとする兵士たちがつっかえて、思うように逃げれない。革命軍やセレナの部下たちは、死を覚悟して戦場に立っていた。だがここにいる兵たちは、死ぬことなどみじんも考えていなかったのだ。弱い者いじめばかりをしてきた彼らは、有り体に言えば戦争をなめていた。

 強大な敵を前にして、戦おうとするものは誰もいなかった。当然、自分の命を守る事だけに必死な彼らに、上官を守る意思は微塵もない。


 鬼はおびえる兵士をなぎ倒しながら、だんだんと迫ってくる。死神のように、少しずつ、少しずつ、止まることなく迫る鬼。

「くるな、来るなぁぁぁ」

 鬼はついにウィルバードの目の前までやってきた。

 ウィルバードは恐怖のあまり尻餅をついた。後ずさりをしながら地面の石ころを投げるが、そんなものは何の効果もない。


「死にたくない。助けてくれ、私が悪かった。だから助けてくれ」

 ウィルバードは必死に命乞いをした。彼は最後まで愚かだった。鬼に命乞いが通じるとでも思っているのだろうか。わき目もふらず逃げ出したほうが、まだましというものだ。

 鬼は一切ためらうことなく、足を踏み出した。


「悪かったと思うなら、死して詫びろ」


 鬼は虫でも潰すように、ウィルバードの頭を踏みつけた。

 飛び散る血液。

 ぐしゃりと響き、気味の悪い音。

 誰がどう見てもそれは、即死だった。


「逃げろ、みんな逃げろぉぉぉ」

 兵士たちが叫ぶ。

 恐怖のあまり叫ぶ。


「総司令官が死んだ。もうだめだ、もうだめだぁぁぁ」

 悲鳴に交じり、ウィルバードが死んだ事実が拡散されていく。それは戦場全体に広がっていき、国軍はうろたえた。

 しかしその声を聞きつけ、立ち上がるものがいた。


「撤退。一時撤退だ。体勢を立て直せ」

 叫び声は馬車の上から。羅刹がセレナを支えた状態で叫んでいる。

「撤退だ。早くしろ。無駄な犠牲を出す前に、いったん引くんだ。これはイリアンソス王国王妃、セレナ・クロックフォードの命令である。総司令ウィルバードは死んだ。一時撤退せよ」


 羅刹がまた叫ぶ。

 セレナの名を使って、この戦争を止めるために。

 そして羅刹は次に、鬼となった夜叉に向かって叫んだ。


「戻ってこい夜叉。まだ助かるぞ」

 鬼はその声を聴いて、ようやく止まった。

 鬼は羅刹の方を見た。羅刹のすぐ横に、エイミーが倒れている。


「まさか……生きて…………」


 鬼の目に、涙が浮かぶ。

 そしてその場に崩れ落ちて、泣き始めた。

 夜叉は子供のように泣いた。

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