第21話 夜叉と羅刹

「マスケット兵。構え!」


 セレナが兵士に命令する。向かってくるは一人の男。戦端を開くために、馬に乗りたった一人で突撃してきている。他の兵はその後ろから突撃してきているだけだ。距離が離れていて、誰もその一人を助けることができる位置にいない。


 セレナは戦いの前に、羅刹と対策を話し合っていた。たった一人で戦局が変わることなどあり得ないと思いながらも、相談せずにはいられなかった。

 どうすれば青鬼を倒せるのかと聞くセレナに対し、羅刹は銃を使えと答えた。


 あいつは銃弾を躱せるだろう。だけどそれは銃弾より早く動けるってわけじゃない。銃口と指の動きを見て、撃たれる前に避けているだけだ。なら対策は簡単だ。マスケット兵を横に並べて、一斉放射、それだけで勝負はつく。銃弾は躱せても、弾幕は躱せない。線ではなく、面で攻撃するんだ。


 セレナは言われた通り、マスケット兵を並べた。そして相手は突撃してきている。青い面は戦場ではよく目立つ。馬に乗って向ってきているのはあの青鬼だ。


「ひきつけろ。まだ打つな。……まだだ…………まだ…………今だ! 撃て!」

 セレナの合図でマスケット兵たちが同時に引き金を引いた。はぜる火薬。飛び出す銃弾。

 その時、兵士たちは見た。大きく跳ねる馬を。そしてその上からさらに飛び上がる青い鬼を。


「なにっ!」


 セレナでさえ、その光景には声をあげざるをえなかった。左右に避ける隙間のない弾幕を、青鬼は上に避けたのだ。そしてそのまま、軍のど真ん中へ肉薄する。近距離ではマスケットは使えない。銃剣はあるが、それでは青鬼は止められなかった。


 誰もが青鬼の突撃に驚いた。宙を舞い、敵のど真ん中に落ちるその姿を目で追ってしまった。

 その瞬間、後続の兵たちが国軍のもとへ突撃した。

戦場は一瞬で混戦状態となった。敵と味方が入り混じっている。その中で青鬼の周りだけ、ぽっかりと穴が開いていた。誰も彼にかなわず、誰も彼に近づけないのだ。


 ――ただ一人を除いて。





 夜叉は額に汗を浮かべながら戦っていた。敵が強いのだ。集団で戦う訓練をしっかりとしていて、混戦となっても味方の足を引っ張ることがない。陣形がほとんど崩れない。そして何よりも問題なのは、遠くから夜叉を狙って攻撃してくる奴の存在だ。


「やはりいたようだな。なんとなく、そんな気はしていたよ。もしかしたらこれが、運命ってやつかもしれないな」

 夜叉は二本の指で、飛んできた毒針を受け止めた。こんなにも人がひしめき合っているというのに、確実に攻撃を仕掛けてくる。わずかな隙間を縫って飛来する毒針に、夜叉は対処しなければならない。


 夜叉には赤鬼を探す余裕がない。一人一人の敵が強いうえに、毒針にも注意しながら戦うとなると、夜叉と言えども限界だ。

 だから夜叉は前に向かって突き進んだ。この先には指揮官がいる。指揮官を倒せば、戦いを有利に進められるはずだ。


 国軍の兵士をなぎ倒しながらじりじりと前に進む。そしてついにセレナが見えるところまで来た。

 さらに前へと進もうとすると一気に毒針が飛来した。夜叉はそれを避けると、何かが夜叉に巻き付いた。


 それは極細の糸だった。細くて、強靭な糸は時に刃物となる。並の人間ならばこの糸に切り裂かれてしまうだろう。


 だが夜叉は強靭な筋肉で糸を防ぎ、そのまま力いっぱい引っ張った。皮膚が裂け、糸が肉に食い込む。だが手ごたえはあった。夜叉に糸を引っ張られ、国軍の兵士達の間から、人が一人飛び出した。そのものは真っ赤な面をかぶっていた。


 赤鬼は右腕にのみ手袋をしており、もう片方は地面に転がっていた。地面の手袋には細い糸が何本もつながっている。


「ちくしょう、てめぇの体は鉄か何かか?」

「さすがに鉄には負ける。だがいずれは勝つつもりでいる」

 夜叉の持つ糸にはもう手ごたえがない。とっさに捨てたであろう地面の手袋が動くだけだ。だがもう十分だ。隠れ潜む鬼は、今目の前に姿を現した。

 ここからは夜叉の時間だ。


「もう逃がさんぞ」

「かかか、隠れるだけが能だと思ってもらっちゃ困るぜ」


 夜叉は目を疑うようなものを目にした。目の前の赤鬼が三人に増えたのだ。二つが残像だと言うことは想像がつく。だがどうすればそのような残像を生み出せるのか分からない。単に早いだけではない。独特の歩法によって生み出されているものだ。

 夜叉は猪武者ではないが、状況が状況なだけに、攻め込むしかなかった。夜叉が負けなくとも、革命軍が負けてしまう。


 夜叉はまず分身した一体に腕の力だけで軽く殴りかかった。案の定手ごたえはない。次に二体を巻き込むように回し蹴りを行った。

 それも手ごたえがない。それどころか反撃までもらってしまった。回し蹴りを行った右足に、針が三本も突き刺さっている。素早く抜くが、毒針なら非常にまずい。


 そしてすぐに効果は表れた。夜叉の視界がかすむ。そして赤鬼の姿は五人以上に増えていた。

 チッ、と夜叉が舌打ちをした。常に平常心を保って戦う夜叉にしては珍しい。それだけ夜叉が追い込まれているということだ。


 飛んでくる毒針までが分裂して見える。夜叉の目がおかしいだけだ。だがそれでも夜叉は両方を避けなくてはならない。

 この状態で持久戦は危険だが、攻める手段が思い浮かばない。赤鬼が毒針を投げるタイミングを狙って、投げてきた赤鬼に攻撃するが、それでもやはり手ごたえはない。


 戦っているうちにさらに毒が回り、視界がぼやけてくる。

 このままでは限界だ。敵陣の深くまで攻め入ったため、味方の援護も期待できない。それどころか銃剣を持った敵兵士が襲い掛かってくる。この状態でもただの兵士に後れを取ることはないが、無視できる脅威ではない。


 焦るなと夜叉は自分に言い聞かせた。こんな時こそ平常心だ。

 夜叉は赤鬼への攻撃をやめ、回避に専念した。そしてまずは息を整える。息を整えることが、心を整えることにつながるからだ。


 そして焦らず打開策を考える。何ができて、何ができないのか。

 視界は制限された。赤鬼の動きは目では追えない。

 動きを予測する? すでにやっているがとらえるまでには至らない。


 ……では、目でなければ?


 思考は加速する。思考を止めないことこそが、勝つための道だと知っているから。






 何度毒針を投げただろうか。羅刹は数えるのも億劫になっていた。それだけ投げたということだ。そしてそのほとんどは防がれている。


毒針の本数にも限界がある。羅刹は落ちている剣や矢を投げ始めた。毒針に比べ威力落ちるし、拾う手間も増えるが、接近するわけにはいかなかった。

 間合いに入れば死ぬことは分かっていた。幸いにも戦争それ自体は優勢なので、羅刹は時間稼ぎさえしていればいい。


 そして今度は羅刹が舌打ちをする番だった。羅刹がいくら攻撃しても、青鬼はひるむ様子もない。無駄のない最小限の動きで回避していく。しかも時間がたつごとに動きが少しずつ、だが確実に良くなっているのだ。


 辛い状況に置かれているのは青鬼のはずなのに、先に息が切れたのは羅刹の方だった。特殊な歩法を維持しているのもあるが、元々の体力に差があった。


 羅刹は体力を温存するため、攻撃の手を少し緩めた。だが次の瞬間、羅刹が落ちている剣を拾った瞬間に、青鬼が突進してきた。

 羅刹はとっさに剣を投げるが、青鬼は体を少しひねるだけでそれを回避した。羅刹の反撃は、足止めにもならなかった。


 羅刹は危機を感じ、全力で後ろに下がった。特殊な歩法を用いた全力の移動は、常人が見れば、羅刹が十人以上に見えただろう。

 しかし青鬼は、残像に惑わされることなく、真っ直ぐに羅刹に向かって走ってきた。

 その時になって羅刹はようやく気が付いた。


 ――こいつっ、目をつぶってやがるっ!


 羅刹の分身は所詮目の錯覚、目をつぶられては効果がない。

 人間は日ごろから、目に頼りすぎている。羅刹はまずはそこを攻撃した。人は視界を制限されても、なお目に頼ろうとする。人は暗闇に慣れていないからだ。完全に目が見えなくならない限り、多くの人は見える範囲でどうにかしようとするのだ。


 だから羅刹は青鬼の視力を、完全には奪わなかった。だが青鬼は闇を恐れず、目を閉じて、他の感覚に集中していたのだ。足音、風の流れ、気配、達人ならば目を閉じていても戦える。

 目の錯覚で分身を生み出す羅刹の歩法も、足音や気配まではごまかせない。

 羅刹には迫りくる拳を避ける手段がなかった。後ろに飛び、衝撃を殺してもなお、意識が飛びそうになる一撃。


「くそがっ、これだから達人とは戦いたくねぇんだ」

 羅刹は毒づく。戦いたくはなかったが、簡単に逃げられる相手ではない。戦いの場に引きずり出されたことが、最大の失敗だったのだ。


「こっちの台詞だ。お前のような暗殺者との戦いは苦手だ。面と向かってかかってこい」

「誰がそんなことをするか」

 ダメージは大きい。だが足は動く。呼吸が整うまで……あと十秒程度。地獄のような十秒だ。

 息が乱れている状態では、気配を消しきれない。それはつまり逃げられないと言うことだ。


「復讐はやめろと言われてしまったが……戦場であったら仕方ないよな。オニクスの敵討ちといかせてもらおう」

「けっ何が敵討ちだ。見逃してやっただろうが」


 羅刹は地面に煙球を投げつけた。周囲五メートルほどが煙に包まれる。

 しかし青鬼が敵を見失なうはずがない。青鬼は煙の中を逃げる羅刹を、まっすぐ追いかけてきた。

 そこで羅刹はもう一つ、小さな球体を地面に投げた。それは地面に触れるや否や、あたりに大きな爆発音を響かせた。


 青鬼は羅刹を追うために、足音に集中していたはずだ。そのタイミングでこの大音響はさぞ耳に響いたことだろう。

 しかし青鬼は一瞬ひるんだだけで、再び羅刹のもとへ迫ってきた。目と耳を封じられても、なお敵を追うその能力は驚嘆に値する。


 次の瞬間、青鬼の動きが止まる。足に糸が何本も絡みついていたからだ。羅刹は煙と音だけで青鬼を止められないことは百も承知だった。

 だがそれでも、青鬼は羅刹の予想を上回る。何十本も絡みついた糸を引きちぎりながら、しかもほぼ速度を落とさず突き進んできたのだ。


「化け物かよ!」

「お前もな」


 青鬼は羅刹に向かって拳をふるう。ダメージを負った羅刹はそれを避けられない。


――くそが、くたばりやがれっ!


 いかに達人といえども攻撃中は回避できない。羅刹は相討ち覚悟で拳を突き出した。

 暗殺者でしかない羅刹の拳に威力はない。それが分かっているからか、青鬼はそのまま拳を打ち込んできた。


 人が人を殴る音。同時に響く爆発音。左の手袋には糸が繋がっていた。では右は?


 右の手袋に入っていたのは、火薬と鉄板だ。火薬で相手を吹き飛ばし、自分へのダメージは鉄板で軽減する。しかしゼロ距離で爆発を受けたことに変わりはなく、羅刹へのダメージは大きい。


 そして今度こそ、羅刹は青鬼にダメージを与えることができた。青鬼は羅刹から数歩離れたところで膝をついていた。どれだけ頑丈な筋肉の鎧をまとっていても、至近距離での爆発を受けて無事なわけがない。破れた服の隙間と、口元には少なくない量の血が見えた。


 二人はその距離でにらみ合った。そしてほぼ同時に立ち上がった。

 二人はその手に剣を握っていた。

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