第20話 戦争開始

「そんな恰好じゃ風邪ひきますよ」

 夜叉の後ろにはエイミーが立っていた。手には大きな箱を持っている。


「ありがとう。ところでそれは何だい」

「見てのお楽しみです」

 エイミーは夜叉の前にどんと箱を置いた。

 箱は二段になっていて、エイミーはそれらを横に並べた。じゃん、という掛け声とともに開かれた箱の中身は、サンドイッチだった。量が多いのは二人分だからだろう。


「お昼ごはんです。夜叉さん、一緒に食べませんか?」

「ありがとう。ちょうど腹が減ってたんだ」

 エイミーは酒場で働いているだけあって、料理がうまい。

 二人は手を合わせて、いただきますと言った。

 サンドイッチを食べ、お茶を飲む。温かい。


「おいしいな。俺ではこうはいかない」

「サンドイッチですから、切って挟むだけですよ」

「謙遜しなくてもいい。これはおいしいよ」

 そう言って夜叉は二つ目に手を出した。


「気に入って頂けたのならうれしいです」

 エイミーはそう言ってほほ笑んだ。

 エイミーはまだ一つ目を食べている。


「……夜叉さん」

「なんだ?」

「いえ……なんでもないです。すいません。…………食べ終わったら、話します」

 夜叉は三つ目に手を伸ばした。エイミーもふたつめを食べ始める。

 二人はあっという間にサンドイッチを食べ終えた。


「ごちそうさん。おいしかったよ」

「お粗末様でした」

 箱を片付け、エイミーはザップをまっすぐに見た。

 エイミーはそれから、ゆっくりと頭を下げた。


「最初にお礼を言わせてください。初めて出会った時、私を助けてくれたこと。私に戦いを教えてくれたこと。何度も一緒に戦ってくれたこと。本当にありがとうございました。夜叉さんと出会えて本当によかったです」

「礼などいい。当たり前のことをしただけだ」

「そうですね、きっと夜叉さんにとってはそれは当たり前のことで…………きっと、私じゃなくても、他に誰にでも、同じように手を差し伸べたでしょうね。私は、そんな夜叉さんの事が……」

 エイミーは小さく深呼吸を一つ。そして意を決したように口を開いた。


「そんな夜叉さんの事が、好きです」


 夜叉は目をそらさなかった。

 真っ直ぐにエイミーを見て、聞いて、真摯にその思いを受け止めた。

 だけど答えは見当たらない。

 答えは決まっている。だがどうにも形にならない。

 きっとこういうところは、女性の方が強いのだろう。


「……夜叉さん、この戦争が終わったら」

 夜叉は静かに首を振った。

「その先は言わなくていい」

「どうして」

「この戦いが終わってから、平和になったこの国で、ゆっくりと話をしよう」

「…………でも」

「大丈夫だ。俺は死なないし、エイミーの事もしなせない。それに……なんだ、言われなくても分かってる。分かっているつもりだ。エイミーだって、俺の答えは分かっているだろう」


 夜叉も同じように、エイミーの事をまっすぐ見て言った。

 短いけれど、濃い時間を過ごしてきた。

 だからきっと思いは伝わっていると、そう信じている。


「夜叉さん……もしかして、言葉にするのが恥ずかしいだけなんじゃないですか?」

 エイミーはそう言って笑った。

 夜叉は赤面するしかなかった。それが図星だったからだ。

 夜叉は赤くなった顔を隠すように、顔を伏せた。それがそのまま答えだった。

 エイミーはそんな夜叉の様子をみて、また笑った。


「戦いでは勝てないですけど、料理と恋愛は私の方が上手ですね」

 夜叉は降参だとばかりに両手をあげた。

 鬼にも勝てないものはある。






 雪がとけ、雪崩の心配もなくなった春のある日。

 散歩をするには少し寒い。だが戦闘に支障はない。そんな天気のある日。

 平原が見渡す限り兵士で埋まっていた。これから戦が始まるのだ。


 セレナの軍は一糸乱れぬ整列をしていた。その中で羅刹だけか隊列を乱している。


「ちゃんと並べ。そして馬車に乗るな」

 セレナの注意も聞かず、羅刹は馬車の上に陣取った。

「登らなきゃ見渡せないだろうが」

 羅刹は馬車の上に立ち、辺りを見渡した。


 正面の山には革命軍。人数は多く、士気も高そうだ。しかし連携が取れているようには思えない。戦う前から列が乱れている。

 後ろには国軍。革命軍以上に連携が取れていない。士気が低いのが、歩き方を見るだけで分かる。

 だがセレナの軍は違う。横に並ぶセレナの軍は、セレナを頭とした一個の生物のように動く。

 羅刹は日ごろの訓練の様子から、その練度の高さを知っている。


「ま、間違いなく勝てるよな」

 羅刹は敵と味方の軍を見比べて言った。質も量もこちらが上、士気も高い。負ける要素は……それなりにある。


「ウィルバードが総司令官でなければな」

 羅刹は後ろを向いた。ここからでは見えないが、その方向にはウィルバードがふんぞり返っているはずだ。セレナはウィルバードが出す指示にはある程度従わなければならない。細かな兵の配置や指揮は自由にできるが、正面突破しろと言われればそうせざるを得ない。

 腹は立つが、それが軍の戒律だ。


「味方が最大の敵とは、笑わせてくれるぜ」

「昔からそうだ。私は、腐った軍を叩きつぶすために軍に入った。だから敵対するのは当然だ」

「よくわからんね。この国に命を懸ける価値があるってのか?」


「王女として生まれた私は、王宮で育った。前にも言ったと思うが、王宮は王位継承権をめぐって泥沼の殺し合いをしていてな、私はそれが嫌で仕方がなかった。だが下町の住民たちは優しく、王宮から逃げ出した私の世話をしてくれた。人の温かさと言うのを初めて知った。私が闘うのは国などと言うあやふやなもののためではない。この国に住む、国民のために戦っている。そしてそれには命を懸ける価値がある」


 迷いのない言葉に、羅刹は嘆息するしかなかった。命を懸けて守りたいほどの人など、羅刹にはいない。他人にそんな価値があるなど、考えたこともなかった。

 まずは自分だ。命を懸けるなら自分のためだ。それが羅刹の考え方だった。


「さて、そろそろ時間だ。準備しておけ」

「突撃か?」

「ああ、正面衝突だ」


 空は曇っている。しかし雲が多いわけではなく、時折日が隠れる程度だ。

 両軍はともに高台に陣を取り、にらみ合っている。国軍は北の高台、革命軍は南の高台だ。

 攻めるには高所の有利を放棄しなければならない。


 先に動いたのは国軍の方だった。捨て駒を持つ国軍にとって、多少の痛手は問題ないからだ。

国軍は騎兵を中心とした部隊で、機動力を生かし突撃する。革命軍はそれに対し、銃剣をつけたマスケットの部隊で応戦した。銃の射程と、銃剣の長さで馬の突撃を止めるのだ。


 しかしやはり鍛えられた国軍を、寄せ集めの革命軍では止められない。国軍は革命軍のマスケット部隊を打ち破り、革命軍を包囲した。

 慌てた革命軍は、陣形を組みなおそうとするが、そこに西の林から伏兵が襲い掛かった。

 セレナは与えられた権限の中で、ベストを尽くしたのだ。


 この時点でほぼ勝負はつきつつあった。だがそれでも負けじと戦い続ける男がいた。その男は深海のように青い鬼の面をつけていた。










 温かな日差しの中、兵士たちが立っている。様々な服装に身を包むのは、革命軍の兵士達だ。装備は統一されておらず、ばらばらだ。死体から剥いできたのか、傷が残る装備も多い。

 対して敵の国軍は、遠目でもわかるぐらい屈強な者たちの集まりであった。一糸乱れぬ姿ゆえか、この距離でもその熟練度が見て取れる。

 まだ肌寒い季節なのに、革命軍の兵士達はじっとりと汗をかいている。


「ここまで揃うと壮観だな」

 その中で一人、夜叉だけは緊張している様子が見られなかった。戦いにおいて、常に平常心でいる事は重要だからだ。戦争では心を乱した者から死んでいく。


「……国軍の第三連隊。やはり出てきましたね」

「この国で唯一のまともな軍隊……だったか?」

「ええ、そして彼らを率いるのが第四皇女。つまり……セレナです」

「ああ、あの姫様か。どうりで…………一糸乱れぬってのは、ああいうものを指すんだろうな。姫様の軍って事は、赤鬼もいるわけか」


「間違いなくいるはずです。セレナは相手を侮るようなことをしませんから。どんな相手にも必ず全力で、できる限りのことをしてくるはずです」

「恐ろしい相手だな」

 夜叉は視界を埋め尽くすような大軍を見た。

 勝てる可能性は低いだろう。相手が凡将なら勝ち目はあった。だが相手が姫様ではそうはいかない。


 国軍の数は多いが、全てが第四連隊の兵ではないはずだ。腐った軍の、まともに訓練もしていない兵も多数いるだろう。まともな兵が少ないことを祈るしかない。


「怖いですね」

「そうだな」

 この戦いの後、こうして二人で話せるとは限らない。いや、可能性は少ないと言える。


「一つ聞いていいかな?」

「なんですか?」

「エイミーは何で、革命軍に入ったんだ? 国が好きだから戦っているのは分かる。だけどエイミーにはどこか、鬼気迫るものがあった。他に何か理由があるんじゃないか?」


 エイミーは夜叉の目を見て、だけどすぐにそらした。


「私の父は……オニクスではなく、本当の父の話です。父は軍人でした。この国が好きで、この国の軍隊が腐り始めた時、どうにかしようと頑張って……そして殺されました」


「…………辛いことを聞いたな」


「いえ、いいんです。いつかは話そうと思っていたことですから。私はこの国が好きで、昔の姿に戻ってほしい。それが一番の戦う理由です。しかし、亡き父のための戦いでもあるんです

「合点がいったよ。引き下がれないわけだ。無茶もするわけだ。でも、それならなおさら死なないように頑張れよ」


「分かっています。いえ、分かりました、ですね。夜叉さんとオニクスさんに助けられて、ようやく分かった気がします。私がだれかを助けたいと思うように、私を助けたいって思う人がいるんですね。誰かのために死ぬより、誰かのために生きる方がずっといいって事なのでしょう」


 エイミーは力強く答えた。


 夜叉はエイミーの頭を撫でた。エイミーはくすぐったそうにしていた。その時だけは、どこにでもいる少女のように見えた。


「死ぬなよ」

 死なせないと夜叉は誓った。


「分かってます。私はこの国を救うために戦っています。でも今は、それ以上に、私は私が幸せになりたいんです。笑顔あふれる国で、私が幸せになるために戦うんです」

「そうだ。それでいい」

「だから、夜叉さんもちゃんと生きて帰ってきてください。あなたの隣にいるのが、私の幸せなんですから」

 真っ直ぐな気持ちをぶつけられ、夜叉は少々赤面する。


「よく真顔でそういうことを言えるな」

「そういう夜叉さんだって、こんな場所で何のためらいもなく、私の頭を撫でていますよ」

 夜叉はそう言われて、とっさに手を引っ込めた。

 だけどすぐにもう一度、その大きな手で頭を撫でた。


「……さぁ、来るぞ」


 夜叉はエイミーの頭の上に手を置いたまま敵の方を見た。

 見渡す限りの人。武器を構えた兵士達。

 山の向こうから、人の波が迫ってくる。国軍が正面から攻めてきたのだ。


――厳しい戦いになりそうだ。


夜叉は最後に力強くエイミーの頭を撫で、戦うために前に出た。


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