第19話 決戦に向けて(国軍)

 外は雨。雪ではないが、突き刺すような冷たさの雨だ。

そしてセレナの様子も、外の天気の用にあれている。いつもきれいに整っている部屋も、今日ばかりはぐちゃぐちゃだ。床には書類が散らばり、机の上には折れたペンや、壊れたペン立てが横たわっている。


 机が無事なのはセレナに理性があったからではなく、単に机が硬いだけである。

 セレナが荒れている原因は一枚の書類で、それはくしゃくしゃに丸まって、羅刹の前に転がっている。破いていない分だけ理性が残っていると言えなくもない。だが今のセレナの様子を見るに、それは気のせいだろう。


「ふざけるな! なんだこれは!」

 セレナの拳が壁を揺らす。この部屋が崩壊するのも時間の問題かもしれない。

 羅刹は地面にある紙くずを拾って中を見た。何度見ても、中身が変わる事などないと言うのに。

 紙に書かれているのは、革命軍との決戦における軍の配置だ。最前線などもっと危険な位置はほとんど、セレナの軍で占められている。つまり突っ込んで弾除けになれと言うことだ。国軍の他の部隊は、セレナ達が前線を切り開いた後、安全に攻め込むことができる。味方の死体で作られた、安全な道を。


 セレナはこの国の姫であり、軍の中でも上層部の人間だ。革命軍との決戦を前にした会議に、出席できる階級である。しかしセレナは呼ばれなかった。そしてこの通達である。

 死ねと言われているようなものだ。だからセレナはこうして荒れている。羅刹はセレナを抑える言葉を持たないので、好きにさせていた。


「羅刹……何か手はあるか?」

「知るか。それを考えるのはお前の役目だ。せいぜいうまく使われてやるから、何とかしてみせろ」

 セレナは椅子に倒れこむように腰かけた。そしてその勢いのまま足を振り上げ、机にかかとを叩き付けた。


「今から配置を変更させる手段は?」

「ないだろうな。どうせ妨害される」

 セレナが聞き、羅刹が答える。


「力ずくで命令を撤回させるなら?」

「一地方の軍隊で、国を倒せるならやってみやがれ」

 考えうる手段は多くない。その一つ一つを検証していく。


「命令を無視し、招集に応じないなら?」

「反逆者として処刑されるだろうな」

「……なら、最善を尽くすしかないのか…………」


「そうだな。圧倒的武力で、相手の裏をかく作戦で、味方に裏切らせる隙を与えず、敵を殲滅すればいい。どうだ、簡単だろ?」

「革命軍とは武器も兵の練度もまるで違う。……だが結局、やつらの……ウィルバードらのような屑どもの思い通りなのが気に食わん。全くもって気に食わん」

「後からどうにかしろ。手段は用意してるんだろ」

「今は軍内部に味方を増やしている段階だ。今の軍に疑問を持つ者たちを味方につけていっている」

「ああ、つまり、まだまだって事か」

「屑どもが多すぎる。全員粛正すると、三分の一も残らんぞ」

「かかかっ、そこまで行くと笑うしかねぇなぁ」


 羅刹は言葉通りに、笑っている。セレナにとっては笑い事ではないからか、羅刹をにらんでいた。

 だがもう慣れたことなので、にらまれた程度では羅刹は何も思わない。

 セレナは机に脚を乗せたまま、目をつぶった。何か考えているのだろう。右手の人差し指が、いらだった様子で、とんとんと机をたたいている。

 そして五分後、セレナはゆっくりと目を開けた。

「兵を集めろ。状況を説明せねばならん」



 




 大きな部屋、一つ屋根の下に兵士たちが集まっている。兵士たちは一糸乱れぬ姿勢でセレナを見ている。一人ならば普通の事だが、部屋にいる全員が完璧な姿勢を維持している。姿勢を崩しているのは羅刹ただ一人である。

 セレナは壇上から、兵士たちに語り掛けた。


「我々は今、窮地に立たされている。革命軍を前にして、味方に足を引っ張られている状態だ。いや、もう中央の軍は敵と言って構わない。我々は敵の軍によって挟まれている」

 あぐらをかいて座っている羅刹の事が気になるのか、何人かの兵士が羅刹の方をちらちらとみている。


「今までのような楽な戦いにはならない。我々からも相当な被害が出るだろう。隣に立っている仲間が、次の瞬間には死んでいるかもしれない。それが戦争だ」

 羅刹はあぐらをかいて、武器の手入れをしている。お偉い方々の演説で心を動かされるやつは馬鹿だと羅刹は考えている。ただ便利な駒にされるだけだ。セレナはむやみに兵を使い捨てにするような奴ではないが、それでも必要となれば兵を見捨てる判断ぐらいはできる奴だ。


 心酔、羨望、憧れ、どれもこれも自分を見失わせるだけだ。羅刹は駒でもいいと考えていたが、自分で考えることを放棄し、他人に依存する気は全くなかった。死地に臨むとしても、自分の意志で行くべきなのだ。


「命が欲しいなら、逃げても構わない。家族と共に暮らせばいい。だがもしもこの国のために命をなげうつ覚悟があるのなら、私についてこい。貴様たちの正義は、私が保障する。歩む道の先に皆が望む国があることを、私が保障する。私を信じ、ついてこい」


 兵士たちが掛け声とともに、手をあげる。誰一人として、実家に逃げ帰るつもりはないようだ。そもそもこの空気では、仮にそう思っていても言い出せないだろう。

 セレナはその後、現在置かれている状況に関する詳しい説明や、今後の方針を語った。だがしかし全てを語ったわけではなく、漏れては困る情報は伏せていた。

 語り終えたセレナが壇上から去ると、あたりから私語が聞こえ始めた。兵士たちも何か思うことがあるのだろう。


 羅刹は特にすることもないので、椅子にもたれかかってのんびりとしていた。戦いが始まるとのんびりしてもいられない。だから今のうちに休むのだ。

 羅刹がのんびりと休んでいるところに、兵士が一人やってきた。屈強な兵士達の中では、すこし細く弱そうに見える。兵士となって日が浅いのだろう。


「あの……羅刹さん……ですよね?」

 兵士はおずおずと声をかけてきた。

「何か用か?」

 羅刹はぶっきらぼうに返事をした。声をかけられて不機嫌なわけではなく、元からこういう人間なのだ。

「あの……どうしたら羅刹さんのように、隊長に気に入られるのでしょうか? 私などは顔も覚えられていないようで」


 なるほど、そういうことかと羅刹は納得した。さすがは人気者だなとも思う。羅刹の気を引きたいなどと考える人はどこにもいないだろう。

 セレナには人を引き寄せる華がある。


「そりゃ当然、使える奴になればいい。使える限りは使ってもらえるぜ。後一応訂正しておくが、あいつは兵の名前と顔はきっちり把握してるぜ。その点は安心しろよ」

「すごいですね……そんな口の利き方をしたら、ぼこぼこになるまで殴られますよ」

 兵士は驚いた様子だった。セレナをあいつ呼ばわりしたからだろうか? 上官をあいつ呼ばわりすれば、殴られるのは当然ではある。だが羅刹は兵士ではない。


「規律を乱す奴は軍隊にはいらないからな。俺は兵士じゃないんでな、好きにやらせてもらってる。でも、あこがれるなよ。日の当たる場所にいたほうが幸せだぜ」

「あなたは日の当たらない場所にいるのですか?」

「生まれつきな。汚れ仕事ばかりで、失敗したらそれで終わり。墓すら作られない。俺はあいつが光り輝くための影だ。代わりたいなら代わってやるよ。暗殺者には向いていないと思うがな」

「いえ……やめておきます。隊長の影になれるのはうれしいですが……なんというか……私が憧れたものと、違う気がします」


「かかか、それでいい。目指すなら英雄を目指せ。その方がずっと健全だ。何か得意なことが一つぐらいあるだろ。それを伸ばすといいぜ」

 羅刹がそういうと、兵士は小さな声で答えた。

「私は……剣も槍も、狙撃も苦手で……得意なことと言えば、料理とかそのようなものばかりで……」

「かかか、いいじゃねーか。平和な世が来たらそういうスキルの方が役に立つんだぜ。頑張って生き残れ、そしたらいつかお前の時代がくるぜ。いや、セレナの事だから、すぐにそんな時代がやってくるかもしれねーがな。かかかかっ」

 羅刹はそう言い残して、部屋を出た。すると別の出入り口から出てきたセレナとちょうど鉢合わせた。


「人気者だな」

「ああ、そうだな。そのおかげか、お前のような無礼者と話してもさほど苛立たなくなった。新鮮だからかな?」

「最初はそうだろうが、今はもう慣れただけだろ」

「そうだな。さっさと使いつぶすつもりだったが、ぞんがい付き合いが長くなった」

「ま、俺は死なねぇからな。任務も失敗しねぇし」

「ずいぶんと立派な記憶力だな」

「ウィルバードの一件は俺のせいじゃねぇだろ。影武者は殺してんだから十分だ」


 セレナの言葉に対し、羅刹は抗議をした。羅刹はあの時できることはしたつもりだった。影武者だと気付いただけでも勲章ものだ。目撃者を逃したせいでケチがついたが、それだけだ。失敗と言えるほどではない。


「ああ、貴様に落ち度はない。それは分かっている。だがあそこで殺せていればと何度も思う。今回の事は、おそらくウィルバードの仕業だろう。理由は分からないが、私が邪魔になったのだな」

「ま、ケンカ売って帰ってきたしなぁ。かかか、何か仕掛けるなら、仕返しをされないようにしっかりとやれって事だ。あの時に放火でもしてきたほうが良かったかもしれねぇな」


「直属の上司なのが本当に厄介だ。どんな汚い手を使ってもいいが、見かけだけは清廉潔白でないといけぬ。ウィルバードが死んで一番得するのは私だからな。あからさまな殺しはしたくない。しかし……そんなこと言ってもいられない状況になってしまったようだ」

「かかか、めんどくさいねぇ世間体ってものがある人は」

「お前は少しは気にしろ。壇上からでもお前の姿は目立っていたぞ。まったく、無礼者が。人の話を聞く姿勢ってものがあるだろう」

「聞いてねぇからな」

「余計に悪い」


 セレナはつま先で羅刹の足を蹴りつけ、羅刹はそれを余裕をもって躱した。硬い靴での蹴りは、はっきり言って痛い。避けれるのにわざわざくらう必要はない。


「蹴るのは無礼じゃねぇのか」

「私は上司で、お前は部下だ」

「素晴らしい考えだ。尊敬に値する」


 羅刹は大仰な身振りで、その尊敬度合いを表した。その尊敬の大きさを感じ取ったのか、セレナは不機嫌な様子だ。むかついていると言ってもいい。


「ウィルバードはどうするんだ?」

 相手がムカついているならばさっさと話題を変えるべきだという羅刹の判断だ。セレナもそれは分かっているが、内容がないようなので答えた。


「戦争中に殺す。それ以外にあるまい」

「向こうも狙ってくるぜ」

「ああ、分かっている」

 セレナは羅刹に背を向けて歩き出した。そして、ついてこいとだけ言った。

 ずいぶんとがら空きの背中だ。殺す気になれば一瞬だ。羅刹の事を信じているのだろう。くそったれと呟いて羅刹は後ろについて行った。

 裏切る気がないのなら、信頼に対してできることは信頼だけだった。


「聞かれては困る話か?」

「ああ、作戦を決めるぞ。誰にも話すなよ」

「俺の口は世界一堅いぜ」

「ならば私の口はダイヤモンド以上の硬度だな」

 振り返らずにセレナが言った。違いないなと羅刹は思った。

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