第17話 羅刹の過去

 羅刹は夜空を眺めていた。醜い仮面からのぞいて見える星空は、息を忘れるほどきれいだった。

 戦闘の音も、建物が燃える臭いも、羅刹には入ってこない。ただ空を眺めながら、自らの心を見つめている。


 昔を思い出すたびに心が大きく乱れる。過ぎたことだとわかっているのに、心はギシギシと軋む。大きな空を眺めていれば、少しは心が落ち着くかと思ったが、頭の中は変わらずぐちゃぐちゃのままだ。


 こんな姿をセレナに見せることは羅刹のプライドが許さない。すぐに報告に行くべきだとわかっていても、羅刹は動き出せなかった。


 結局、羅刹が戻るよりも先にセレナが探しにやってきた。

 セレナはカツカツと足音を立てて、真っ直ぐに羅刹の元まで歩いてきた。


「なにがあった」

「開口一番それか? なにもねぇよ」

「何もなければそんな顔はしないだろう」

 羅刹は顔の仮面に触れた。仮面は間違いなくそこにある。涙の痕も残っていない。光学的に見て羅刹の顔に普段との違いはないはずだ。


「初めての任務失敗で落ち込んでいるだけだ。ウィルバードの奴、影武者だったぜ」

 セレナは残念そうにつぶやいた。

「そうか。情報が洩れているようだったからな、そんな気はしていたが…………それで、本当にそれだけか?」

「しつこいな。それだけだ」


 羅刹は苛立った声で返した。苛立つのはセレナの言葉が正しいからだ。それが分かっていても冷静ではいられない。

「そうは見えないから言っているのだがな…………まぁいい。言いたくないのなら仕方がない。詰所に戻るぞ」


 セレナは踵を返して歩いて行った。

 羅刹は黙って後ろについて行った。





 夜の寒さ。踏みしめる雪の感触。羅刹はただ無言でセレナの後ろを歩いていた。

 詰所にたどり着く頃には心は落ち着いてきていた。一人でいたいのに、誰かといたほうが落ち着くとは皮肉なものだ。


 詰所に戻ってくると、部屋の中に先客がいた。真っ赤な死体が三つ、折り重なるように倒れている。

「部屋を汚すな。寝れねぇだろ」

 羅刹のいた部屋の前で撃退したらしく、部屋の中まで血が飛び散っている。羅刹にとって問題なのは、少量ながらベッドの上にも赤黒い汚れがあることだ。寝れないわけではないが、快適さは失われている。


「寝たければ好きに寝ていいぞ。殺されてもいいならばの話だが」

「こんな刺客ごときに殺されるかよ」

 羅刹は死体の持っていた剣を拾い上げた。諸刃で刃渡りは六十センチほど、飾りの類は見られない。頑丈そうな見た目に反して、何か所かかけているところがある。おそらくセレナの剣とうちあったのだろう。原因が材料にあるのか、鍛冶屋にあるのかは羅刹には分らない。だがこれが粗悪品であることは確かだ。


「ずいぶんと貧相な武器だな。正規軍のものじゃねぇだろ。革命軍の刺客か?」

「もしくは革命軍の振りをした国軍だ。武器と服程度ならそろえることは容易だろう」

 服装は、ただの庶民の服の上に簡素な鎧を装備しているだけだ。そろえようと思えば町で簡単にそろえられる。武器も戦場から拾ってくればいい。

 疑いの目を持って見てみると、国軍の兵士のようにも見える。むしろそっちの方が、しっくりくる。


「なら後者だな。革命軍よりかはそっちの方がしっくりくる」

「根拠は?」

「革命軍にあんたを殺す理由がない。死体の中に見た顔がいない。そして最後に、勘だ」

「勘はともかく、見た顔がいないのは決定的だな。革命軍の様子は、ちゃんと見張っていたのだろう?」


「もちろんだとも。俺よりも真面目な奴は見たことないね」

 セレナは顎に手を当てて、床に転がる死体を見た。何か考えているようだ。


「狙われる理由に心当たりは?」

「ありすぎて困る。賄賂を拒んだり、汚職役人を追放したり、王女という身分を盾に好き放題したからな。やりすぎて前線に送られるような人間だぞ。恨まれてないわけがない」

 嫌がらせのために前線に送ったのだとしたら、それは無意味なことだ。この女が戦場に立ったなら、名をあげるに決まっている。民衆の心をつかむセレナの姿を見て、さぞ歯がゆい思いをしたことだろう。


「だろうと思ったよ」

 出る杭は打たれるという言葉がある。セレナはまさに出る杭だ。

 打たれたところで、逆に金槌を壊してしまいそうではあるが。

「ではさっさと帰るぞ。狙われているとわかった以上、長居は出来ん」


 セレナは荷物を担ぎ歩き出した。相変わらず一つ一つの行動に迷いがない。セレナの行動には信念を感じる。

 羅刹はセレナを呼び止めた。


「お前は……本気でこの国を変えるつもりなのか?」

「当然だ」

 返答は一瞬だった。

 羅刹が生まれた国も、この国と同様にひどい国だった。だが羅刹には国を変えようなどと考えることはなかった。

 何もできず、ただ耐えて、最後には逃げ出した。

 たとえ羅刹がセレナのように強くとも、結果は変えられなかっただろう。だがそれでも、その強さはうらやましい。


「基地へ帰ったら話す」

 セレナは一瞬だけきょとんとした顔をした。なんのことかわからなったのだろう。

「長い話か?」

「ああ、少しだけ長くなる」






 羅刹は物心ついたときから洞窟の中にいた。洞窟の中は薄暗く、表面はごつごつしていて不快だった。

 故郷にいたころの思い出は、嫌な思い出ばかりだ。人生で最悪と言える出来事は、すべてここで起こった。さらに言えば、この村で双子で生まれたこと自体が最悪なのだ。


 双子は鬼と菩薩の生まれ変わりだと信じられていて、どちらがどちらなのかを調べるために殺し合いをさせられる。そのために双子を別々の所に閉じ込め、育てるのだ。

 鏡のない部屋で羅刹は二人の人間に育てられた。一人は剣術の教師で、熊のような見た目のろくでもないやつだった。ろくに剣術を教えず、稽古と称して羅刹を痛めつけるだけの男だった。嗜虐心を満たすためか、それともただの憂さ晴らしだったのか、今となっては分からない。


 もう一人は勉学の先生だったが、何かを習った記憶はない。彼女は羅刹のことを明らかに嫌っていた。もう顔も思い浮かばないが、はれ物に触るかのような態度とあの目はまだ覚えている。鬼の生まれ変わりと言われた子供になど関わりたくなかったのだろう。


 羅刹は洞窟の中で一人だった。やってくる人は敵でしかなかった。狭い洞窟で、逃げることもできず、羅刹はただ耐えることしかできなかった。

 技は見て盗んだ、学問は独学で学んだ。羅刹はただ生き抜くために強くなった。


 そして十五回目の誕生日を迎えたある日、羅刹は同じ顔をした少年と戦わされた。剣を持ち、切り合い、そして勝利した。羅刹の剣は相手の剣を弾き飛ばし、胴を切った。血が飛び散って、羅刹にかかった。それきり相手は動かなかったので、おそらく死んだのだろう。


 殺した相手が双子の兄弟だと知ったのはそのすぐ後だった。洞窟を外には池があって、そこで羅刹は血を洗い落とそうとした。そしてその時、水面に映った自らの顔を見て気が付いたのだ。

 羅刹は池の水を殴りつけた、何度も、何度も。それで何が変わるわけではない。だが殴り続けた。

 そこへ大人たちがやってきた。大人たちは武器を持ってた。羅刹を鬼とみなし、処分しに来たのだ。

 しかし町の大人たちは、羅刹の力を侮っていた。そして羅刹は双子の兄弟を殺したばかりなのだ。村人を殺すことに、ためらいを持つはずがなかった。

 勝負を分けたのは意志の差だろう。大人たちは害虫を駆除するように羅刹を殺しに来ただけだ。そこに強い意志はなく、あるのは義務や役目だけ。


 だが羅刹はこの村そのものを憎んでいた。心の底から、殺してやると憎んでいた。

 その気迫が勝利を呼び寄せたのだろう。一面の血の海に、羅刹だけが立っていた。

 目に映る全ての人を、武器を持たぬものまで羅刹は殺した。殺し続けた。

 

 




 帰りの馬車の中で羅刹は昔話をした。

 道中で話すことが他になかったからだ。

 そして今、二人を乗せた馬車は基地へたどり着いた。


「ここまでは以前に少し話したよな」

 基地についたときには夕方になっていた。基地の中を歩き、セレナの部屋へ入った。 

 セレナの部屋は物が少ないせいで広く見える。太陽が沈みかけているため、部屋の中は薄暗い。


「ああ、ある程度はな。まだ続きがあるのか?」

「村の外で、母親にあった。儀式の内容について、詳しく知ったのもこの時だ」

「母に会えてうれしかったか?」

 羅刹は首を横に振った。あの村に関わることで、喜ばしいことなど何もない。


「村八分って知ってるか?」

「この国にはない言葉だな」

「シンプルに説明するとつまはじきにするって事だ。村から追い出されて、誰も助けてくれない。小さな村だと、農作物の収穫からなにから、助け合っていかないと生きていけないから、村八分ってのはかなりきつい制裁なんだ。俺の母は、俺を産んだせいでそうなっていた」


「村社会特有のものだな。この都市のように人が多いと、そういう制裁は難しくなる。しかし……双子を産んだだけでその扱いか。ひどい話だな」

「ああ、ひどい話だ。同情する。だがあの時の俺には、母の境遇など考える余裕がなかった」


「…………何かあったのか?」

「ただ一言……言われただけだ。お前なんか産まなければよかったと」


 セレナは顔を伏せた。セレナは何も言わなかった。かけられる言葉など何もなかったのだろう。

 産まなければよかった。母にそう言われた子供がどれだけ苦しんだが、言葉で言い表せられるものではない。その言葉は刃のように、羅刹の心を切り刻んだことだろう。


 羅刹がオニクスに対して怒ったのも当然だ。子供を守る親の姿など、見たくなかったのだろう。親のぬくもり、愛情、生まれつき持っているはずのそれを、羅刹は得られなかったのだから。


「お前は……誰からも愛されずに育ったのだな」

「くだらん同情はやめろ」

「私と少し似ているなと、思っただけだ。王宮は敵だらけで、家族すら信じられなかった。毒を盛られたことや、弓で射られかけたこともあった。私は外に出て人間らしい生活ができたが……お前はどうだ? 村の外では、幸せになれたか?」


「訳もなく襲われることはなくなったな。自由も得た。残念ながら自由の方は、この国に来たせいでなくなってしまったが」

「誰かといれば自由は減る。だがその代わりに得られるものもあるだろう」

 羅刹はセレナの目を見た。村では羅刹は一人だった。旅をしている間も一人だった。ここに来て初めて二人になった。隣に誰かがいる感覚、悪くはないと羅刹は思う。自由ではなくなったが、確かにそれで得られているものもある。


「人を脅しておいてよく言うよ」

「逃げようと思えば逃げられただろ」

「契約ぐらいは守るさ。俺はこう見えても律義なんだ」

「今度は私が言う番だな。よく言うよ」

 くだらない会話だ。羅刹はそう思う。だがそのくだらなさも心地良い。

 話せば楽になるなどとは思っていなかった。だが羅刹の中に巣くっていた憎しみや怒りが失せつつあった。

 村の外で幸せになれたか? 答えはもちろん、なろうとしているだ。

だけどそれはわざわざ口にするものではないだろう。


「さて、私はもう着替えて寝ることにするよ。さすがに疲れた」

「そうだな」

 羅刹はその場に座り込んだ。実は羅刹の部屋と言うものはなく、羅刹は適当な空き部屋で夜を過ごしていた。羅刹は正式な軍の一員ではないからだ。

 さすがの羅刹も今日は疲れ果てていて、空き部屋に移動するのが億劫になっていた。なので羅刹はそのままセレナの部屋で横になった。

 そのまま床で寝ようとしたのだが、セレナに書類をぶつけられた。


「着替えると言っているだろう」

「見られても構わないんじゃなかったのか?」

「見られたくないときもある」

「女は捨ててなかったんだな」


 以前は着替えの際も追い出されなかったが、今はそうではないようだ。これは喜ばしい変化と言えるだろうか?

 書類の次は本が飛んできたので、羅刹はさっさと退散した。





 ランタンの明かりに照らされた真っ暗な部屋。

 丸いテーブルを囲む、悪人の集い。

 ウィルバードを中心に、部下たちが集めっている。

「作戦は順調か?」

 声を発したのはウィルバードだ。

「ええ、順調です。革命軍と共に、確実にセレナを始末できるでしょう」

 別の影が答える。

「ならば計画を進めよう。王宮を去ったと言っても姫は姫。計画の妨げになるようなら殺さねばならん。それに、奴は反抗的だからな」

「逆らうものには死を……ですね」

「ああ、そうだ。そしてこの国全てを我らのものとするのだ」

 悪は動く。計画的に、悪意を持って。

 この国のために戦う革命軍、そしてセレナ達。彼らに脅威が迫っていた。

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