第16話 撤退

 夜叉が異変に気付いたのは、囚人を全員檻から出したあたりだった。何か焦げ臭いにおいがした。何かが燃えている。それがこの建物だと気付くのに時間はかからなかった。


 夜叉はすぐさま仲間を連れて逃げようとしたが、すでに入口の門は閉まっていた。それどころか鉄格子が降りてきている。いくら夜叉でも鉄格子は砕けない。

 おそらくそれは囚人が脱走した時のための仕掛けなのだろう。だが侵入者を逃がさないための檻としても機能していた。

 別の出入り口を探すも、どこも封鎖されていた。監獄だからか窓もなく、飛び降りる事さえできない。


「おい、誰か地図を持っていないか」

 夜叉が叫ぶと革命軍の一人が駆け寄ってきた。

「自分が持っています。しかし、逃げ場はもう調べつくしています」

 夜叉は地図をひったくった。

 地図のどこを見ても、まだ調べていない出入口は書かれていない。隠し通路がどこかにあるかもしれないが、地図には載っていないし探す時間もない。


「ちっ、これはやばいな」

 夜叉は助走をつけて、鉄格子に回し蹴りをした。轟音が響くだけで、鉄は曲がらない。

 どうすれば逃げ出せるか、その手段を考えるも、答えは出ない。なぜこうなった。罠だ。誰かが裏切った? いや今はそんなことはどうでもいい。


「くそっ、どうすればいい」

 夜叉は壁を叩いた。手の痛みは冷静さを取り戻すには足りない。

「壁を殴ってる暇があったら、穴を掘る努力でもしたらどうだ?」


 夜叉の背後から声がした。その先にあった出入口は封鎖されていたはずだ。

 だがその方向から声がして、そして一人の女がやってきた。

 燃えるような赤毛に、鋭い目つき、刃のような存在感。それは一度だけ出会った、この国のお姫様だった。


「これはあんたの仕業か?」

「さぁどうだろうな」

 セレナは腰にさしてあったサーベルを抜いた。そして正眼に構えた。

 夜叉の目にはセレナが一つのサーベルのように見えた。セレナとサーベルが合わせて一つの武器のようなのだ。

 それはつまり、達人の域に達しているということだ。


「何のつもりか知らんが、武器を抜くなら敵とみなす」

 夜叉は姿勢を低く、拳を胸の前へ置いた。そして呼吸をセレナと合わせる。

 一対一では相手の呼吸を読むことが大事だ。特に相手が達人ならば、読みの精度が勝敗を分ける。

 夜叉は動かない。夜叉の仲間は動けない。そもそもここにいる革命軍の兵士に、姫様を切る勇気はないだろう。夜叉は自分一人の力で勝つ気でいた。


 セレナも動かない。否、動けない。先に手を出せば負ける。どんな手を打っても、カウンターをくらう未来が目に浮かぶ。

 じりじりと、夜叉は距離をつめる。夜叉には時間がない。炎が迫る前に、決着をつけねばならない。夜叉は危険を承知で攻め込むつもりでいた。

 だが先に動いたのはセレナだった。動いた方向は前ではなく後ろだ。後ろに下がり、そのまま剣を収めた。


「なるほど、羅刹の言う通りだ。私が十人いてもかなわん」

「あの暗殺者の名は羅刹というのか。俺と同じ鬼の名だな」

 羅刹という名がだれを示すのか、夜叉には一瞬で分かった。

 セレナは懐から鍵を取り出すと、夜叉に向かって投げた。


「鉄格子のカギだ。革命軍がどうなってもかまわんが、囚人は別だ。人質はもちろん、無実の罪で捕まったもの達も大事な国民だ。死なせるわけにはいかん」

「革命軍は死んでもいいと言うのか?」

「革命の先に未来があるなら応援しよう」

 それだけ言ってセレナはもと来た道を引き返して行った。

 助けに来てくれたのだろう。鍵があればこの牢獄から脱出できる。


「退却するぞ。先頭は俺が行く。外は敵地だ。囲まれている可能性が高い、気をつけろよ」

 夜叉は鉄格子を開けて外に出た。敵兵の姿が見えるが、少ない。取り囲んでいるのは、塀の一部だけのようだ。

 これならば勝てる。夜叉はそう確信し、退路を確保するために向かって行った。






 集合場所に一番早くたどり着いたのはエイミーたちだった。

 エイミーは毒が抜けてきていたので、ふらつきながらもたどり着いた。オニクスは立つことすらままならぬ現状だったが、仲間に支えられて歩いて来た。


 そこに夜叉たちが帰ってきた。夜叉はほぼ無傷であったが、仲間はそれなりの傷を負っていた。火傷をしている兵や、矢が刺さっている兵もいる。

 建物ごと燃やされたことを考えれば、軽傷と言えるだろう。もしも姫様に助けてもらえなければ、今頃全員消し炭だったのだから。


「そっちは無事なようだな」

 夜叉は辺りの兵を見て言った。だがオニクスの姿を見て凍り付いた。あまりにひどく傷つけられていたからだ。

 全身痣だらけ。切り傷も多い。だがそれらのどれも急所をとらえていなかった。急所を意図的に外さなければこうはならない。

 わざと痛めつけられたことは明白であった。


「なにがあった?」

 夜叉は静かに聞いた。溢れ出る怒りが逆に夜叉を冷静にしていた。

 だが仮面をつけたままでもわかる怒りの形相に、周囲の人たちはおびえている。

「赤い鬼の仮面をつけた人に出会いました。その人は誰かを殺していたところで……口封じに私達も殺されそうになって……それで……」

「口封じならばただ殺せば済む話だろう。こんなことをする必要はない。そいつは、いたぶるのを楽しんでやがる。俺は、そいつを許せない」


 夜叉の怒りは、青い炎のような怒りだった。

 激しく真っ赤に燃える炎ではなく、もっと静かな怒り。だがその温度は赤い炎よりも高い。

 兵士と戦っている時、夜叉は武器を持っていては殺してしまうと言った。だが今の夜叉は、たとえ素手でも人を殺してしまいそうだ。


 仮面の下の表情は見るまでもない。鬼そのもののような形相をしているはずだ。

 あまりに恐ろしさのせいか、周りの兵士たちは後ろへ下がった。エイミーまでもが一歩後ろへ退いてしまった。

 だがエイミーは震える足を前に出した。


 エイミーは夜叉の怒りを鎮めるために、何かを言おうとした。だがその前に、オニクスが声をかけた。

「そう怒るな。戦争なんだ、こういうこともある。ちゃんと覚悟はしてたさ」

「戦争とは何をやってもいいと言うことではない」

「俺のために怒ってくれるのはうれしいが、復讐とかそういうくだらないことはやめてくれよ。そんなことをしたって何の意味もないぜ」


 復讐には意味がない、そんな事は分かりきったことだ。だが改めて言われることで、少しだけ心は落ち着いた。

 他の誰に言われても心が鎮まることはなかっただろう。だがオニクスに言われては、夜叉も拳を下ろさずにはいられない。


「…………分かっているさ。復讐を遂げたことはないが、復讐のために生きたことはある。だから……よく分かってる。分かってはいるんだ」

 復讐のために生きることのむなしさは良く知っている。復讐のために生きた数年で得られたものは何もなかった。それでも怒りに身を任せてしまいそうになるのは、自分が鬼だからか?

 怒りや憎しみを抱くたびに、古傷が痛むような気がする。兄を見殺しにし、復讐に生きた鬼なのだと言われているようだ。


「それでいい。世の中暗いんだからよ、考えることぐらい明るくしろ。復讐なんか考えるより、嬢ちゃんとの未来でも考えてみたらどうだ?」

 夜叉はエイミーを見た。エイミーも夜叉を見ていて、目があった。

 エイミーは顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに目を伏せた。

 夜叉はそんなエイミーの様子を見て微笑んだ。


「ほら、嬢ちゃんだってまんざらでもなさげだぜ」

「い、いい加減にしてください」

 エイミーはオニクスの頭を軽くはたいた。

 家族のような暖かさ。その暖かさの中に夜叉もいる。


「ありがとう。……でも少しワンパターンなんじゃないか?」

「あまり言いすぎると嬢ちゃんが怒っちまうからな。兄ちゃんの事でからかうのが一番なのさ。怒ると怖いが、ほら、照れてると可愛いだろ」

「いい加減にしなさい!」

 エイミーがオニクスの脇腹を蹴った。数少ないけがのない場所ではあったが、蹴られると痛いことに変わりはない。オニクスはわき腹を押えて転がった。


「いってぇぇぇぇ」

「怒られたな」

「気をつけろよ、嬢ちゃんは怒ると怖いぜ。口より先に手が出るからな」

「よく分かった。だけどそれは特に怖くないな」

 蹴られようが殴られようが、夜叉がわざとくらわない限り当たることはない。


「別に殴ったりはしません……あの、オニクスさんは家族ですから……特別です。たまたまです」

 オニクスは肩をすくめた。しかしオニクスは腹を押えて地面に倒れこんでいたので、ただ肩を動かしただけの動作にしかなっていなかった。


「こんなにうれしくない特別は初めてだ。女の言う特別ってのは、もっと甘ったるいものだと思っていたよ」

「まだ蹴られたいんですか?」

「待て、冗談だ」

 エイミーは振り上げた足をゆっくりと下した。

 冗談を言うオニクスの表情は、心なしかうれしそうに見えた。


「とりあえず宿まで戻ろうか。ちゃんと手当をしておきたいしな」

「それじゃあ嬢ちゃん、この怪我人をおぶってくれないか?」

「……仕方がないですね。夜叉さん、手伝ってください」

 夜叉とエイミーは、両側からオニクスを支え宿まで歩いて行った。

 オニクスは男に支えられてもうれしかないぜ、と文句を言っていたが、エイミー一人ではオニクスを担いでいくのは無理だっただろう。

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