第15話 愛を知らぬ鬼

 羅刹は収容施設に向かう途中、商用施設の壁の前でなにやら作業をしている兵を見かけた。

 夜だというのに明りもつけずに作業をしている。羅刹でなければ気が付かなかっただろう。

 何かよけいなことをされても面倒なので、羅刹は背後から近づき、素早く絞め落とした。その兵士からは油と火薬のにおいがした。革命軍が刑務所に火をつけようとしていたのだろうか?


 離れたところにあと二人ほどいたので、そいつらも手早く絞め落とした。

 目的は分からないが、余計なことをされるぐらいなら始末したほうが安全だろう。 

 監獄の中にはまるで兵士がいなかった。巡回の兵さえ見当たらない。さぼっているのだろうと羅刹は考えた。夜中の見回りは面倒だ。


 羅刹が拷問室に行くと、そこには哀れな男たちが三人も拷問を受けていた。

 一人は全身を縛られ、両目両耳と口をふさがれた状態で、頭に水滴を受けている。五感の自由を奪われた状態で、一定間隔で水滴を浴びせられると気が狂うと聞いたことがある。水滴拷問と呼ばれていたはずだ。


 もう一人は尖った地面の上に座らされ、膝の上に石を置かれている。シンプルだが効果的な拷問だ。膝から下はもうぼろぼろだろう。


 最後の一人はとげだらけの拷問椅子に固定されている。


 地面は血だらけだ。何重にも塗り重なった血の層は、洗っても取れないだろう。

 何年にもわたって続けられてきた拷問の歴史が、石畳の上に染み付いている。まともな人間なら、この光景と血の臭いに一秒たりとも耐えきれないだろう。

 何度も死体を見てきた羅刹でさえ、吐き出してしまいそうだ。胸糞が悪くなる、最悪の光景だった。


 羅刹はもううめき声をあげる力すら残っていない三人の囚人を解き放った。任務とは関係のない無駄な行為だが、そうせざるを得なかった。

 助けた三人は、起き上がる事も出来ずに床に倒れている。ヒューヒューというかすれた音は、おそらくお礼を言おうとしているのだろう。


 このまま置いておけば、おそらく革命軍が助けに来るだろう。そういう考えで羅刹は奥の部屋に向かって行った。

 奥の部屋は先ほどと打って変わってきれいだったが、よく見れば血の跡があちこちに残っている。高級なテーブルも、血の跡が残っていては台無しだ。壁には拷問の様子を描いた絵画がかかっていて、実に悪趣味である。


 部屋の隅には豪華なベッドがあり、柔らかそうな布団の中で太った男が気持ちよさそうに寝息を立てている。男の指には指輪があり、大きな宝石がはまっている。

 おそらくウィルバードだろう。

 羅刹は音を立てずに近づき、ためらうことなくナイフを胸に突き刺した。男の上体がのけぞり、つぶれたカエルのような悲鳴を上げた。


 悲鳴は一瞬で収まった。誰かに聞かれたかもしれないが、隣は拷問室だ。悲鳴ぐらいでは誰も反応しないだろう。

 羅刹は布団をはがし、男の死体を見た。

 そして大きく舌打ちをした。


「チッ、影武者か」

 男はウィルバードによく似ていた。背格好も顔もそっくりだ。だが違う。一度出会っていたことが幸いした。この目で見たからこそ気づくわずかな違和感。似ているが違う。こいつじゃない。

「セレナが踊らされた? いや違うな。革命軍の奴らめ、情報の管理はしっかりとしやがれ」


 セレナの用心の仕方は異常なほどだった。情報が漏れないように、細心の注意をはらって行動しただろう。

 ならば怪しいのは革命軍だ。裏切り者がいたのだろう。革命軍など有象無象の集まりだ。金で動く奴もいれば、家族を人質にされて逆らえないやつもいるだろう。


 セレナの部下ならば、裏切るぐらいならば自殺するに違いない。あいつらはそういう集団だ。金や人質程度で仲間を売るような奴に、情報を漏らすなと羅刹は心の中で毒づいた。

 だが漏れてしまったことは仕方がない。革命軍の仕業に見えるように細工を施し、そして見つからぬように逃げねばならない。


 情報が漏れていた以上、すでに包囲されている可能性も高い。すぐに逃げなければならない。だが細工も必要だ。羅刹は今、板挟みの状態にあった。

 羅刹は焦っていた。そのため反応が遅れた。

 拷問室の扉が開かれ、誰かが部屋の中に入ってきた。

 



 それはただの不運だった。

 拷問室の隣にウィルバードの部屋があったゆえに起きた不運だった。

 心優しいエイミーは拷問室にまで囚人を助けにやってきていた。地面に倒れている囚人を助け出した後も、まだ誰か残っていないか確認をしていた。

 そこに響き渡る悲鳴。隣でも拷問が行われると思ってしまっても仕方はない。

 エイミーは迷わず駆け出し、扉を開けた。

 そして鬼と出会った。

 返り血にぬれた、真っ赤な鬼と。





「夜叉……さん?」

 夜叉と羅刹はまるで違う。羅刹は細身だが、夜叉は筋肉質でがたいがいい。身長も夜叉のほうが高い。唯一の共通点である鬼の面も、色がまるで違う。羅刹は赤だが、夜叉は青だ。


 だがエイミーは羅刹の事を、夜叉と呼んだ。一瞬だが、見間違えたのだろう。


「そうか……あいつ、夜叉って言うのか。俺と同じ、鬼の名だな」

 羅刹には「夜叉」がだれを示すのか、すぐに分かった。あいつ以外にはいないと確信できた。

 見間違えるほどに同じなら、あの青鬼しかいない。


「あの……あなたは……」

「すまないが、運が悪かったな。見逃してやりたいが……目撃者は消さないといけない」


 羅刹は懐から毒針を取り出すと、エイミーに向かって投げた。エイミーはとっさに地面に伏せてそれを避けた。

 羅刹はさらに毒針を投擲し、袖の下からナイフを抜いた。

 毒針はかすっただけで致命傷だ。そして仮に避けられたとしても、次のナイフによる刺突は防げない。


 エイミーは毒針を転がって避け、羅刹に向かって引き金を引いた。撃鉄が動き、火花が散り、火薬に火が付く。

 たとえ無理な体勢からの発砲でも、万が一を避けるため、撃たれれば避けねばならない。

 羅刹が回避行動をとった隙に、エイミーは立ち上がった。装填に時間がかかるマスケットに、二発目を撃つチャンスはこない。だがエイミーのマスケットには銃剣が付いている。

 エイミーの目には、絶対に勝つという闘志が燃えていた。


「……その目は苦手だ。クソ上官を思い出す」

 羅刹はナイフをエイミーに向かって投擲した。

 エイミーはそれを余裕をもって避ける。そして避けながら羅刹に向かって前進する。弾を込める時間がないなら、銃剣で対処する。そして自分より広い間合いを持つ相手には、まず前進して自分の距離まで詰め寄る。


 その判断は間違ってはいなかった。だが羅刹はすでに罠を這っていた。

 エイミーの足に何かが巻き付き、エイミーは体勢を崩し転倒した。よく見れば細い糸がエイミーの足に巻き付いている。


 羅刹は倒れているエイミーを蹴りつけた。ナイフを仕込んだ靴による蹴りだ。当たれば命はない。

 エイミーはマスケットの銃身でその蹴りを防いだ。そして衝撃を逃がしつつ、後ろに飛んで距離を取った。そして銃剣で糸を切った。

 そして再び構えを取った。その構えには全く隙が見つからない。


「やれやれ、セレナといいあんたといい、最近の女はおっかないな」

「セレナさんの知り合いですか?」

「俺はあの姫様の護衛兼暗殺者兼雑用係だ。名は羅刹。お前は俺を見てないだろうが、俺は何度もお前を見てきたぜ。お前らをずっと見張ってたのが、俺だ」


「夜叉さんが警戒してましたよ。俺でも勝てるかわからないって」

「俺も同じことを思っていたよ。あの青鬼は化け物級の強さだ。世界を旅していても、あのレベルの奴はそう見かけない」

「あなたは、敵ですか?」

「答えにくい質問だな。敵とか味方とかは状況次第でころりと変わる……もちろん今は敵だがな。無駄な質問をありがとう。一つアドバイスを送ると、攻撃してくる奴はみんな敵だ。それと敵の会話にはつきあうな。会話中ずっと、隙だらけだったぜ」


「え?」


 エイミーの体がぐらりと傾く。とっさに出した手は空を切って、地面に倒れこんだ。エイミーの視界は、ぐるぐると回っていることだろう。

「こっそりと攻撃するってのも技の一つさ。会話の時に人の目を見るのは大事だが、戦闘中にそれをやっちゃだめだぜ」


 エイミーの足には極細の針が突き刺さっている。羅刹が会話中に投げたのだ。


「量が少ないからそれでは死なん。というかお前、戦い慣れしてないだろ。家で服でも縫ってた方が良かったんじゃないのか。ま、もう遅いけどな」

 羅刹は動けないエイミーに近づき、銃剣を銃ごと取り上げた。

 そして影武者の死体を動かして、床に倒した後、ナイフを抜いた。

 血が多少飛び散ったが、羅刹にはかからなかった。そしてエイミーから奪った銃剣を、ナイフの傷跡の上から突き刺した。


 この死体を第三者が見れば、銃剣で突き殺されたように見えるだろう。

 羅刹は影武者の持つ武器を探して、部屋をあさった。するとテーブルの上に、細工を施されたきらびやかな銃が飾ってあった。なんと宝石までついている。実用的なものではないのは明らかだが、近くには弾や火薬もしまってあった。


 弾を装填し、火薬を入れ、撃鉄をあげる。この間に二分。まだエイミーは動けない。


「革命軍が侵入し、影武者が反撃。銃で応戦するも、即死には至らず、胸を刺され死亡。犯人は影武者を殺したものの、自身も深い傷を負い死亡。シナリオとしちゃ微妙だが、アドリブにしては上出来か」

 羅刹はエイミーから距離を取って、銃を構えた。近すぎればシナリオに矛盾が出るし、遠すぎればこの銃では当たらない。

 羅刹は慎重に狙いをつけた。


「遺言ぐらいは聞くぜ。聞くだけだけどな」

 銃口が真っ直ぐとエイミーを向いている。このまま引き金を引けば当たるだろう。

 そしてエイミーは死ぬ。当たり所にもよるが、一発の弾丸は人を殺すに十分だ。

 羅刹は引き金を引く指に力を入れた。

 そして――


「ごめんなさい……夜叉さん」

「運が悪かったな……ええと、エイミー?」


 ――何者かが全力で走ってきた。短距離走のような、全力疾走だ。


 思わぬ侵入者の登場に、羅刹は焦った。とっさに侵入者の方へ銃を向けてしまう。

だが羅刹は落ち着いてエイミーを狙い直し、引き金を引いた。


 飛び散る火花。はぜる火薬。

 銃口から飛び出した丸い弾丸は、走ってきた男の右腕に吸い込まれた。


「よう嬢ちゃん。男の名前ってのは死ぬ間際に呼ぶもんじゃねぇよ。ベッドの上で、甘ったるくささやくものだぜ」

「嬢ちゃんじゃ……ありま…………」


 飛び込んできたのはオニクスだった。オニクスは自らの体で、迫りくる弾丸からエイミーを守ったのだ。

 その代償として、オニクスは右手を打ち抜かれた。かなりの血が流れている。手当をしないと不味いだろう。

 オニクスは複をちぎって、右腕を縛った。それだけで流れる血はずいぶんと減った。


「赤鬼さん、お願いだから見逃して…………くれねぇよなやっぱ」

 羅刹は鬼のように怒り狂っていた。全方位に殺気を振りまき、死の権化としてそこに立っている。時の英雄でさえしっぽをまいて逃げ出すだろう。


「なぜその女を助けた」

「家族みたいなものなんでな……家族は守らないといけないだろう」

「知らんな。俺に家族などいない」


 羅刹は影武者の死体から引き抜いた、血まみれのナイフを構えた。血まみれのナイフを突き出したまま、オニクスに向かってゆっくりと、死神のように歩いて行った。

 羅刹はオニクスの首にナイフを突きつけて、再び問いただした。


「なぜ身を挺してまでその女を助けた? そうすることでお前に何か利益があるのか?」

 冷たいナイフがオニクスの首にあたっている。返答次第では切ると、その冷たさが語っている。

「利益、利益か。嬢ちゃんが生きてるってだけで得だが…………そうだな、損得なんて考えてなかったよ。家族ってのはそう言うもんだろ。特に親父ってのはそうだ。娘のために、いつだって損ばかりだ」


 その言葉を受けて、羅刹はナイフを懐にしまった。

 そして何も持っていない手を握りしめた。

 羅刹はオニクスの腹を、そのこぶしで殴りつけた。


「オニクスさん!」

 羅刹は倒れたオニクスに歩み寄って、腹を全力で蹴りつけた。

 オニクスは一瞬浮き上がり、地面を転がった。胃の中のものが全て飛び出し、呼吸もできずに地面を這う。


「家族愛か……一番嫌いなものだ。愛……自己犠牲……誰かのために尽くすと言うこと……全部、全部、偽物だ」

 羅刹はオニクスの髪をつかみ、無理やり顔をあげさした。

 目と目があう。オニクスの目は死んでいなかった。


「愛は……あるぜ。俺みたいな人間が言うと滑稽だけどよ。この国がこんなだからいろいろ見てきたんだがよ……子供の未来のために戦う、そんな奴らがいっぱいいたぜ。命を懸けて戦うあいつらには、愛ってやつがちゃんとあった。そんな奴らにあてられて、ついつい動いてしまったが……なるほど……こいつは、悪くねぇ気分だ」


 羅刹はオニクスの顔を殴り飛ばした。さらに倒れたオニクスに数発の蹴りをかます。

 羅刹は何度も床を転がった。隣にはエイミーがいる。何度も転がされ、エイミーの元まで戻ってきたのだ。

 羅刹は腰のナイフホルダーから、ダガータイプの投げナイフを取り出した。


「そのくだらん家族愛とやらを試してやろう。このナイフには毒が塗ってある。一滴で馬を殺す猛毒だ。当たれば間違いなく死ぬ。これをそこの女に向かって真っすぐ投げる。その女が大事なら守って見せろ。文字通り、体を張ってな」


 羅刹はナイフを持つ手を、肩の後ろに回した。それは誰の目にも明らかな投げる構えだ。

 羅刹はゆっくりと体をねじり、力をためた。

 羅刹はわざと投げるタイミングを分かりやすくしている。オニクスにエイミーを守るチャンスを与えるために。


「もう……いいです。やめてください、オニクスさん。もう……いいです。死んでしまいます」

「嬢ちゃんだけでも……いきてくれ」

 羅刹その会話に苛立ちを覚えた。

 羅刹は自分が何に怒っているか分かっている。なぜこんなにも苛立つのか分かっている。だがそれを抑えるすべを持たなかった。


「一応言っておくが、体以外で防ぐのは禁止だ。その場合は二人とも殺す。見せてみろよ、家族愛などという腐った幻想を」


 夜叉は言い終ると同時に、ナイフを投げた。

 ナイフは高速で回転しながら、エイミーめがけて真っ直ぐに迫った。くるくると回る死神の鎌。振れれば死ぬ死の固まり。エイミーに迫る毒の刃。


 そしてそれが突き刺さったのは、オニクスの肩だった。


 羅刹は見た。ためらうことなく飛び出すオニクスの姿を。最後に残った力を振り絞って、全身でエイミーをかばったオニクスの姿を。

 羅刹はエイミーを殺せなかった。革命軍の仕業に見せるシナリオも狂ってしまった。

 だが今の羅刹に、エイミーを殺すことはできなかった。煮えたぎるマグマのような怒りは、いつの間にか消え去っている。


 雷に打たれたような衝撃の後に、言葉にできない虚しさだけが残った。

 羅刹はエイミーに向かって解毒薬を投げた。


「その毒の解毒薬だ。失血死しなければ助かるだろう。ただしここで見たことは誰にも話すな。話せば殺す」

 革命軍が襲ってきたという事実と影武者の死体があるのだ、細工が足りなくても点と点が繋がる可能性は高い。

 問題は目撃者だが、殺せないならば見逃すしかない。

 羅刹は拷問室の扉から逃げるように出ていった。

 セレナの部下になってから、初めての任務失敗だった。






「いてて、何だったんだあいつは」

 オニクスの全身には包帯が巻かれている。歩くのもしんどそうだが、一命はとりとめたようだ。

 エイミーはまだふらつくが、毒が抜けてきて、動けるようになっていた。

「セレナさんの部下だそうです。暗殺者と言ってましたから……たぶん、あの人を殺しに来たのでしょう」

 部屋には太った男の死体が転がっている。殺害現場に居合わせたから、エイミーは襲われたのだ。


「なるほど。邪魔ものを殺しておいて、革命軍の仕業に見せようとしたのか。良いようにつかわれたな」

「協力もしてくれましたし、持ちつ持たれつだと思います」

「その見方は甘すぎだぜ、嬢ちゃん。しかし、恐ろしい奴だったな。まさに鬼って感じだ」

「もう、今だけは嬢ちゃんでいいですよ。オニクスさんの言う通り、恐ろしい人でした。でもあの人……泣いていましたよ」


 この部屋から去っていくとき、あの赤鬼は泣いていた。仮面越しで、涙は見えなかった。

だが泣いていたことは確かだ。

 真っ赤な鬼が、人間のように泣いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る