第13話 刑務所への侵入

刑務所に向かって、注意深く歩を進めた。

 雪の間から草木が顔を出しているのが見える。雪解けの季節だ。もうすぐ春が来る。


 夜叉は冬が好きではなかった。夜叉が全てを失ったあの日を思い出すからだ。あの日は凍えるような寒さの夜だった。

 だけど春は好きだった。木々が芽吹く春が好きだった。雪の下から木々が芽生えるさまが、終わらない冬はないのだと教えてくれる。

 この国の冬も、いつかは終わるだろう。


「この国での、初めての春だな」

「そうですね……あと半月ほどで雪もとけるでしょう。暖かな春が来ます」

「この国の春はきれいかな?」

「ええ、とても。とてもきれいですよ」

「それは楽しみだ」








 夜叉は岩陰に隠れて、目の前の刑務所を見た。ぐるりと取り囲む兵が、門以外の侵入を拒んでいる。見るからに侵入は難しそうだ。唯一の救いは刑務所を守っている兵士の質が悪い事だ。

 夜中の巡回などまともにしていないだろう。


「さて、どうしようか」

 夜叉は後ろを振り向いた。少し離れたところに精鋭ばかり集めた二十名の兵が控えている。

「姫様は手伝ってくれないのかい?」

「何人か私兵を忍び込ませてくれているそうです。あと西側の高台の見張りを買収したから、そこから入れと。あの見張り台の塀ですね」


「ありがたい情報だが、門番は普通にいるって事だろ? まさかあの塀を登れって言うのか!」

 オニクスが崖を見て愚痴を言った。冗談だろと今にも言い出しそうな様子だ。 

 西側は当然ではあるが、兵に囲われている。だが西側は少しだけ地面が隆起していて、塀の高さは相対的に低い。さらに塀に使われている石と石の間には、指をかけられそうな隙間が見える。

登れる人なら登れるだろう。そして夜叉は自分ならば登れると判断した。


「俺が行こう」

「無謀ですよ。あなたこそ命を大切にしてください」

「なにも俺一人で制圧しようってわけじゃない。突破口を開こうってだけだ。正面の見張りを倒すなり、騒ぎを起こして注意を引き付けるなり、できることはたくさんあるだろ」

「それでも危険ですよ。これだけの人数がいるんですから、他に方法だって」


「いや、それが正しい。ここは鬼面の兄ちゃんに任せよう。精鋭ばかり連れてきたとはいえ、兄ちゃんの前じゃなぁ……正直言って足手まといだ」

 オニクスがエイミーの言葉を遮って言った。夜叉は口にこそしてこなかったが、その通りだと感じていた。

 いくら精鋭といえども、所詮は非正規の部隊。夜叉の技量には遠く及ばない。


「まずは門番を無力化しよう。正面と裏から同時にせめて、仲間を呼ばれる前に倒す。それから中に入って、作戦通り人質を救出する。何か異論は?」

「ない」

 夜叉は塀に向かって歩き出した。慎重に、だけど不自然にならぬように。


「夜叉さん!」

 夜叉は立ち止って振り向いた。

「なんだ?」

「あの……、えっと……」

 呼び止めたものの、いいたい言葉が見つからないようだ。


「……気を付けてください」

「心配するな。俺は大丈夫だよ」


 夜叉は再び歩き出し、塀に手をついた。軽く小突いて、塀の型さを調べた。非常に硬くてしっかりとした感触だ。体重をかけた途端に崩れると言うことはないだろう。

 そして兵士の位置を確認する。見張り台の兵以外には見えない位置であることを確認し、夜叉は塀に手をかけた。


 夜叉は塀の隙間に指を入れ、すさまじいスピードで登り始めた。今は周りに兵士がいなくても、巡回に来るかもしれない。だから夜叉は物音にだけ注意して、可能な限り素早く登った。

 夜叉は塀の上から覗き見て、敵の位置を探った。

 門番が二人、建物の中から話し声、遠くから誰かの悲鳴。

 夜叉は塀の上から建物の屋根に飛び移り、建物の影に飛び降りた。


「なにか今、変な音がしなかったか?」

 夜の静けさのおかげで、夜叉は見張りの会話聞き取ることができた。


「誰かが酔っぱらって暴れたんだろ」

「いや、そんな音じゃなかった。何かが落ちたような音だった」

「それなら瓦礫か屋根の一部だな。おい、そっちは何か見えたか?」

「いや、何も見てないな」

 姫様によって買収された見張り台の兵士は嘘をついた。金で動く割には仕事をする奴だ。


「ほらな、塀の一部が崩れただけだぜ」

「だけど侵入者を発見できればボーナスって話だぜ。俺は見てくるよ」

 兵士の声と同時に、夜叉の方へ足音が近づいてきた。足音は一つだけ。それは非常に愚かな行為だ。これでは何のために見張りが二人いるのか分からない。


 夜叉は呼吸を抑え、その時を待った。

 兵士が建物の裏に来た瞬間、夜叉は兵士の口を押え、引きずり込んだ。兵士は声も出すこともできず、夜叉に捕えられた。

 それは一瞬の出来事だった。少し離れた位置にいたもう一人の兵士には、ただ建物の裏に行ったようにしか見えなかっただろう。


 夜叉は片手で口を押えたまま、もう片方の腕で兵士の首を絞めた。首を絞めているほうの手を、もう片方の腕にかけ、両手の力で締め付けた。

 兵士は必死に抵抗をするが、万力のような力で締め付ける夜叉の腕は振りほどけない。


「どうだ、誰かいたか?」

 兵士は大きな声で仲間に聞いた。だが当然返事はない。

 兵士がさらに暴れたので、夜叉は気絶させないように注意しながら、さらに首を絞めた。


「おい、返事しろよ!」

 兵士の力が少し弱まったところで、夜叉は少しだけ力を緩めた。

 そして耳元でささやいた。

「あいつをおびき寄せろ」

 夜叉はさらに力を緩め、口を押えていた手を少しずらした。


「だれかきぐぅぇっ」

 兵士が大声を出そうとしたので、夜叉は再び首を絞めた。

「おい、どうした!」

 夜叉は再び、小さな声で静かに命令した。

「おびき寄せろ、次は殺すぞ。分かったな」


 兵士は首を絞められたまま、必死に首を縦に振った。

 夜叉はその様子を見て、ゆっくりと拘束を緩めた。

「なんでもない。それよりもちょっと来てくれ!」

「何か見つけたのか」

「あ、ああ。とにかく来てくれ」

「分かった。ちょっと待ってろ」


 返事の後、夜叉の方へ足音が近づいてきた。

「これでいいんだろ」

 夜叉の腕の中で兵士が言った。

「ああ、十分だ」


 夜叉は腕に力を入れ、頸動脈を絞めた。兵士は苦しみを感じることもなく、一瞬で気絶した。

 人は気管を絞められても苦しいだけでそう簡単には倒れない。だが頸動脈を止められると、すぐに気絶してしまう。


 夜叉はすばやく兵士を地面に寝かした。きれいに落とされたので、後遺症も何もないだろう。放っておけばすぐに目を覚ますはずだ。

 そのころにはすべてが終わっているだろうが。

 一人目を寝かしたところで、二人目の兵士がやってきた。夜叉はすばやく兵士の口をふさぐと、耳の下に手刀を叩きこんだ。

 一瞬のうちに意識を刈り取られ、兵士は地面に倒れた。


「あとは中だが……後回しでよさそうだな」

 建物の中からは楽しそうな話声が今も聞こえてくる。おそらく酒を飲んで騒いでいるのだろう。

 出入口が前後に二つと、窓がいくつか見える。外の兵士と合流して同時に突入したほうがいいだろう。


 夜叉は門のそばまで忍び寄った。

 それとほぼ同時に、鈍い音が響いて門が外からあけられた。

 開いた門からはエイミーを先頭に、連れてきた精鋭が二十名、最後にオニクスが入ってきた。

 門の外では兵士が二人のびている。


「エイミーがやったのか?」

「はい。夜叉さんに鍛えてもらったおかげです」

 エイミーは片手で小さくガッツポーズをした。




 小さな建物の中に、縛られた兵士が八人転がっている。さらに反乱軍の兵士が二十人以上いるのだから、部屋はすし詰め状態だ。

 夜叉の目の前に刑務所の地図が広げられている。大きな建物が二つあり、その中はいくつもの部屋に分かれている。そこには収容施設と書かれていた。大きめの部屋が雑居房で、小さめのものは独房だろう。

 敷地内には畑や工場もある。受刑者はそこで強制労働をさせられているのだろう。

「二手に分かれるか。できる限り手早く済ませたい」

「そうだな。二か所同時に回ったほうがいいだろう」

「私も賛成です」

 夜叉の提案に、オニクスとエイミーが頷いた。

「みなさんもそれでいですか」

 エイミーが聞き、兵士たちは頷いた。

「他の施設はどうなっている?」

「警備員の宿舎に見張り台、あとここは食堂か、この時間にいるのは兵士だけだろう。もしかしたら拷問室に何人か囚われているかもしれないが……ここは牢屋の地下だ。ついでに見て回れるだろう」

「なら無視してもいいな。編成はどうする」

「俺と嬢ちゃんのチームに半分、残りは兄ちゃんが率いる。問題ないだろう」

「ああ、ない。俺は北の方を担当しよう。救出したら西門を抜けて、外で合流しよう」

「じゃあ俺たちは南だな。決まったらさっさと行こうぜ嬢ちゃん」

「嬢ちゃんじゃありません、エイミーです」

「分かったよ、エイミー嬢ちゃん」

 エイミーは文句を言いながらも、部隊を再編制していった。

 夜叉は兵士一人一人に声をかけて言った。緊張している兵が多かったからだ。

 オニクスは壁にもたれかかって煙草をふかしていた。彼なりのリラックスの方法なのだろう。

「なにが起こるかわからないのが実戦だ。注意しろよ」

「分かってます」

「何か異変を感じたら?」

「下がって様子を見る」

「敵に見つかったら?」

「仲間を呼ぶ前に倒す。できなければ引く」

 回答が早い。なんども頭の中でシミュレートしてきたのだろう。

 だが夜叉の中の不安は消えない。同じチームでいたいが、そうなるとバランスが悪い。革命軍の一員としてここにいる以上、過保護ではいられない。

「上出来だ。くれぐれも油断はするなよ」

「分かりました」

 夜叉は仲間の様子を確認した。出発の準備はできているようだ。

「いこうか」

 夜叉が言った。

 オニクスが煙草の火を床に押し付けて消した。

 エイミーは目をつぶり、額をマスケットに押しあてて祈った。

「ああ、いくとするか」

「ええ、行きましょう」

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