第10話 クソ上司

 羅刹はセレナに連れられて、中央都市ロドンまで来ていた。

 中央都市だけあってロドンは活気に満ちていた。行きかう人々は幸せそうで、悩みなどないように見えた。


 ロドンの城壁は分厚く、反乱軍などに破られるはずはないと皆が思っている。命の危険を感じることがないのだろう。羅刹は懐に仕込んだ毒針を握りしめた。それが幻想にすぎないと教えてやりたい。

 大した努力もせず、生まれだけで幸せそうにしている者たちを見ると苛立ちがこみ上げる。


 羅刹が今いるのはロドンの中心、貴族街だ。城下で住民が飢えていようが、怨嗟の声はここまで届かない。それどころか汚いものを拒むように、高い塀まで作られている。まるで城壁の中にまた城壁があるようだ。

 羅刹は誰にも見られないように気を付けながら、地面に向かってつばを吐いた。


「礼儀正しくしていろ。お前は私の護衛なのだ。私の品性まで疑われる」

「なら連れてこなければいい。お前には便利な部下が腐るほどいるだろう」

「部下を連れてくればなにかあった時に問題となる。お前ならば、そんな者はいなかったと言い張ればそれで済む。お前の顔は誰も知らないわけだしな」


 羅刹は常に真っ赤な鬼の仮面をかぶっている。誰も羅刹の素顔を知らない。背格好さえ似ていれば、誰でも羅刹になれるのだ。


「お前……背中には気をつけろよ」

「王女殺しの大罪人になってもいいのか? いくらお前でも国中で指名手配されて、昼夜を問わず追われ続ければいつかは捕まると思うがな。言うまでもないが、死罪は確定だぞ」

「権力ってのは、くそったれだな」


 歩いていると目の前に豪勢で、きらびやかな建物が見えた。言われなければそれが軍事施設だと誰も気づかないだろう。

 ここにいるのは軍の高官たちだ。兵士に命令するだけで、自らは椅子から一歩も動かないやつらだ。それでいて利益だけはしっかり得ようとするからクズ以下に成り下がる。

 セレナのように自らも前線に出るのなら悪にぐらいはなれただろうが、ここにいるのはただのクズだ。


「今日の俺はただの護衛でいいのか?」

「今後のため顔ぐらいは覚えておいてほしい。中央軍総司令官ウィルバード、私の上司で、おそらく今回の黒幕だ。国民を家畜程度にしか思っておらず、戦死者に平民を数えないような輩だ」

「暗殺しろというのか?」

「誰もそんなことは言っていない。ただ運悪く流れ弾に当たったり、密入国者に殺されてしまえばいいと思うことはあるがな」


 セレナはわざとらしく、白々しく言った。消えては欲しいが、自らの手を汚すのはまずいようだ。

 羅刹のようないるはずのない人間、セレナとは何の接点もない人間が手を汚すのがベストというわけだ。


 おそらく羅刹を牢から出した件も、記録には残ってないだろう。暗殺に失敗すれば、羅刹という人間はいなかったことになる。セレナの自分の言った通りに行動するだろう。つまり「そんな者はいなかった」と言い張るのだ。

 胸を痛めることはあっても、決して助け舟は出さない。羅刹はトカゲのしっぽのように切り落とされる。


「人使いの荒い事で」


 羅刹は番兵にじろじろと見られながら屋敷の中に入った。真っ赤な仮面をつけた怪しげな男でも、姫様の護衛ともなればうかつに手は出せない。

 廊下には宝剣や絵画が飾り付けられている。さぞ有名な職人の手によるものなのだろう。

 きらびやかな廊下からのぞき見える部屋の中には、イリアンソス王国の地図などが見える。また机の上には書類が散らばっており、司令部としての役割は全うしているようだ。


 もっともそのウィルバードとやらが仕事をしているかは不明だが。たいていの場合、総司令官などというものは飾りの場合が多い。


 階段を上がって二階に行くと、ひときわ大きな扉が目についた。

 セレナがあそこだと言うので、羅刹はノックをして扉を開けた。


 扉を開けると、木目がきれいなテーブルが目に入った。その上には豪華な料理が乗っている。そして正面には太った男が座っていた。




 縫い目の美しい服を着ていて、両手の指にはきらきらと光る宝石。首元には輝く銀のネックレス。身に着けているものが美しいだけに、だらしのない体型がよけいに醜く見える。


 その見た目はどこまでも下品だ。まるで小説から出てきたかのような悪人だ。


 羅刹はこの男がウィルバードに間違いないと確信した。同時に、許されるならこの場で殺してしまいたいと思った。羅刹が面倒事に巻き込まれたのは、こういうクズがいるからなのだ。


 毒針を取り出し、刺す。二秒もかかるまい。


「お久しぶりです。ウィルバード様。私どものために貴重な時間を取って頂き、ありがとうございます」


 内心ではどう思っていても、相手は上官だ。敬う振りはしなくてはならない。

 セレナに続いて、羅刹も頭を下げた。


「こちらこそ。光栄だよ、姫様がわざわざ来てくれるなんてね」

 ウィルバードはそういった。頭は下げていない。階級上はウィルバードが上だが、セレナは王女だ。どちらが目上なのか微妙なところだ。

 そしてウィルバードは疑わしげな眼を羅刹に向けた。


「この者は私のボディーガードです。顔にやけどを負ったので、このような仮面で隠しています。どうぞご容赦を」

「ふむ……理由は分かったが、人選はもう少し考えてくれたまえ。警備のものがピリピリしておる」

 ウィルバードはなおも不審そうに羅刹を見ていたが、一応は納得したようだ。


「それで、どんな話を持ってきたんだ? 手紙で言えないような、姫様がわざわざ出向くほどの事があったのか?」

 ウィルバードは真剣に話を聞いているように見える。それがただのふりなのか、姫様の前だからしゃんとしてるのかは分からない。


「中央軍が国民を人質に取り、徴兵を行っているというのは本当ですか?」

 ウィルバードはほっとしたように息を吐いた。先ほどよりも明らかに力が抜けている。


「なんだ、その事か? ああ、その通りだよ。反乱軍なんかにわが軍を動かすのはもったいないだろう。国民のしでかした不始末は、国民の手で付けさせようというだけだよ。人質は、まぁ手綱だよ。そうでもしないとあいつらは言うことを聞かないからな」


 その話しぶりからは罪悪感は一切感じられなかった。国民を便利な道具ぐらいにしか思っていないことは明白だ。


「反乱がおきますよ」

「すでに起きているではないか」

「もっと大規模なものです。国民の不満は爆発しようとしています」

「そのための人質だよ。余計なことを考えているなら、見せしめに一人か二人殺してしまえばいい。それでおとなしくなる」


 すでに何度も見せしめを行っているのだろう。そんな話ぶりだ。


「それに武器のほとんどは我々軍隊が所有しているのだ。反乱など起こっても、すぐに鎮圧できる」

「いたずらに国民を傷つける事には、私は反対です」


 極めて平坦な声でセレナはそういった。セレナは爪を自らの手に突き立てていた。噴火しそうな怒りを、ぎりぎりのところで押さえつけているのだろう。


「これはしつけだよ。主人に逆らったほうが悪いのだ。姫様は国民のご機嫌取りのようなことをしているようだが、それではいかんと私は思うよ。やさしくするとつけあがる、厳しくしつけないとだめだ」

「分かりました。アドバイスはありがたいですが、私には私のやり方があります。私の担当地域では私のやり方でやらせていただきます」


 羅刹は少しいぶかしんだ。普段のセレナならとりあえず口では従うように言っておいて、無視するだろう。ここで反対しても何も得がない。

 これはかなり頭に来ているなと思ったが、羅刹には何もできない。護衛のみで口は出せない。


「国兵士からの文句はここまで聞こえてきているぞ。姫様のやり方はきれいすぎるとな。自由にやりたいのはどこの軍も同じだ。次は前線送りではすまないかもしれんぞ」

「脅し、ですか」

「姫様を脅すなんてとんでもない。ただの忠告だよ。君は軍の上層部からの覚えは良くないからな」


 セレナは今にも殴りかかりそうな雰囲気だ。正義感が強いばかりに、抑えがきかないようだ。


 本来排除されるべきはウィルバードのような悪だが、今の軍隊は腐りすぎて関係が逆転している。つまり悪が栄え、正義は排除される状態だ。ウィルバードの言う通り、セレナはいつ排除されてもおかしくない。王女という肩書があってこそ、今まで無事でいられただけだ。そんなもの、連中が本気になればいくらでも無視できる。




「話はそれだけか。ならば食事にしよう。まずはかけ給え。姫様が来ると言うので、料理長に腕によりをかけて作らせたのだ」


 セレナは無言で腰かけた。だが料理に手を付けようとはしない。

 誰がこの状況で料理を口にできようか。何が入っているか分かったものではない。


「どうかしたのかね。毒など入っていないよ。まさか、私の事を疑っているのかね」


 テーブルの下で、セレナの手は震えていた。王族の権力争いで毒を盛られたことがあるのか、その姿はいつもより弱弱しい。トラウマでも刺激されたかのようだ。

 羅刹は一歩進みでて、セレナの前の料理に手を付けた。手に取った料理を迷わず口に運ぶ。


「…………お前」

「大丈夫だ。毒はない」


 羅刹が食べたところ味に異常はなかった。無味無臭の毒薬の可能性もあるが、その時はもうどうしようもない。セレナを残して逃げるだけだ。


 羅刹は訓練により毒への耐性を得ている。少量の毒見程度なら問題はないのだ。そもそも毒で死ぬようなら、羅刹は毒見などしていない。


「……ありがとう」

 セレナは羅刹に礼を言って、料理を食べ始めた。


 時折羅刹に毒見をさしながら、料理を食べ終える。


「ウィルバード様、今日はありがとうございました」

 丁寧な言葉を使っているが、もう不快感は隠そうともしていない。頭を下げないのは視界が狭まるから。右手を鞘にかけるのは、一瞬で抜くため。邪魔をすると切るぞという目で、警備の兵をにらみつける。


 羅刹も同様に戦意をむき出しにして、毒針を構えた。セレナのような怒りはないが、興が乗ったのだ。力ずくで押しとおるのは気持ちがいい。相手がムカつく奴ならなおさらだ。

 ドアを蹴破るように荒っぽく開けて、屋敷から出て言った。



「今日はすまなかったな……それと、ありがとう」

 屋敷から出てしばらく歩いたところで、セレナが礼を言った。羅刹は少々面食らった。まさか、すまないなどという謝罪の言葉がセレナから出ると思わなかった。


「やっぱり毒が入っていたか? それとも単に頭を打っただけか?」

「人が素直にお礼を言ってるのになんだその態度は」


 一瞬で殺意が噴き出す。屋敷でたまった怒りはまだ発散できていない。

 だが羅刹はまるで気にしない。セレナに対して恐れを感じていなかった。もう慣れたのだ。


「お前が謝るという奇跡に驚いただけだ」

「上官に対してその口の利き方とはいい度胸だな。基地についたら稽古につきあってもらうぞ。ちょうどうっぷんもたまっているのでな。殴りやすい木偶が欲しかった」

「断る。壁でも殴ってろ。じゃあな」


 羅刹は壁を蹴って一瞬で屋根の上に登った。まるで猿のような身のこなしだ。そして次の瞬間には影も形もない。雪の上だというのになぜか足跡すら残っていない。


「逃げ足だけは早い奴め」

 寒空に舌打ちが響き渡った。


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