第9話 羅刹という隠
羅刹は路地の暗がりに潜んでいた。
注意してみられればすぐに見つかる隠れ場所だが、誰も羅刹の存在に気付かない。
羅刹は闇と同化している。
「こんにちは。お久しぶりです、姫様」
一人の女性が、セレナの前に腰かけた。
セレナと同じ庶民の服を着た女だった。そしてセレナと似た目をした女だった。セレナのそれは燃える火のような目だが、その女の場合は自らをも焦がす炎のようだ。悪く言えば、祖国のためにと死んでいく新兵の目だ。
「姫様と呼ぶなとあれほどいっただろう、エイミー?」
良家の生まれと言っていたセレナが、姫様だったとは驚いたが、そんなことよりもエイミーが気になった。
使命に燃えた目をしたやつは厄介だ。味方になればいいが、もし敵になれば戦いは避けては通れない。最も厄介な障害となる。
だから羅刹はエイミーを警戒し、観察していた。気配までをも覚えるように。
「王位継承権一三番目でも、姫様は姫様ですよ、セレナさん」
「とうに捨てた身分だ。それよりも、その男はエイミーの友人か?」
「ええ、最近知り合ったんです。今日はボディーガードとしてついて来てもらいました」
そして隣にいる男の事も。
羅刹は一目で気づいていた。あいつは自分と同じ、死人だと。
まるで自分を見ているようだ。
過去に縛られ、一歩の前に動けずにいる死人。もう二度と後悔はせぬと、あらゆるものを捨てて鍛え上げた技と肉体。
選んだ道は違えど、自分と同じ達人の域。
そこまで達しても、なお埋まらぬ胸の穴。素顔を隠すその仮面が、何も乗り越えていないことを示している。
鏡写しのようにそっくりで、鏡写しのように正反対。
赤い鬼は、青い鬼を見つめた。
「驚いたよ。最近、似たような仮面をつけた奴と過ごしているのでな」
羅刹は自分でも気づかぬうちに、隠し持った針に手が伸びていた。セレナにあらかた奪われたが、いくつかの暗器は隠し通せていた。そのうちの一つ、象すら卒倒させる毒針を、羅刹は手に取った。
この青鬼とは戦う運命だと感じたのだ。理由は分からない。だが無意識に、羅刹は戦闘態勢に入っていた。
羅刹の頭には、すでに青鬼を射抜く弾道が浮かび上がっている。今投げれば、確実に射抜ける。
だが羅刹はそこで思いとどまった。攻撃する理由などどこにもない。敵になる気がしたから襲うなど、快楽殺人者の言い分だ。
羅刹は毒針をそっとしまい、深呼吸をした。膨れ上がった殺意を、静かになだめていく。
その時、青鬼の顔がわずかに羅刹の方を向いた。
――気付かれたか!
羅刹は即座に路地裏の奥へ飛びのいた。そして素早く身を隠し、気配を消した。
そして静かに周りの気配と自らの気配を同化させていった。
――こいつは、強敵だな。
殺せないかもしれないと感じたのはいつ以来だろうか。勝負では勝てぬとも、暗殺ならできる自信があった。だがこの男には、どんな不意打ちも通用する気がしなかった。
夜叉はエイミーの横に立っていた。今日の役目はボディーガードと、あと一つ。だがそちらの方はまだ気にする必要はない。だから夜叉はただのボディーガードとして周囲を警戒していた。そしてかすかな殺気をとらえた。
夜叉はすばやく出所を探した。だが殺気が来る方に意識を向けた途端、気配が煙のように消えた。
――気づいたことに、気づかれた!
もう一度気配を探るが、まるで何もわからない。気配を消して戦う暗殺者の類とは、何度も戦ったことがあったがが、この相手は格が違う。完全に気配を消している。そしておそらく気配を消したまま移動ができる。
冷汗が流れる。本気で殺しに来られたら、勝てるかどうか。面と向かっての戦闘なら夜叉は誰にも負けない自負があった。だがはたして、この相手を戦闘にまで持ち込めるのだろうか。
相手はおそらく自分と同じ、全てを捨てて修行に明け暮れた人間。夜叉はそう決めつけた。
ならばどれだけ探しても見つからないだろう。聞き耳を立てられるかもしれないが諦めるしかない。攻撃の瞬間に出る殺意しか、自分には感じ取ることができないのだから。
夜叉は暗殺者を探すのを諦め、セレナを見た。エイミーの知り合いにお姫様がいると聞いた時は驚いた。そしてそのお姫様を見て、また驚いた。あまりに想像とかけ離れていたからだ。
その姿は、お姫様にはとても見えない。
射抜くような鋭い目に、近くにいるものをすくみ上らせる圧力。生まれにすがるだけの姫では持ちえないものだ。燃えるような赤毛も相まって、まるで炎のようだ。おしとやかで上品なお姫様ではない。まるで戦士だ。
この姫は、何か使命をもって戦っている。
「夜叉さん以外にも鬼の仮面をつけた人がいるんですね。もしかしてお知り合いですか?」
「いや、覚えがない。…………だが……」
夜叉は周囲を見渡した。覚えはないが、予想はできる。どこかに隠れている暗殺者が、その鬼だろう。唯の勘だが外れる気はしない。
だがこれは鬼というよりは隠と言うべきものだろう。今でこそ鬼は人型の化け物を指すが、昔は姿の見えないこの世ならざる者全般を指して鬼と言った。隠れ潜む暗殺者は、太古の鬼のイメージにそっくりだ。
「世の中には変わったやつが多いんだな」
目の前で言うことではないだろうと思ったが、夜叉は何も言わない。お姫様が相手なので口を慎んでいるのだ。
それは夜叉が故郷で学んだマナーの一つだった。夜叉の故郷では城主が前を通るときは、平民は皆地に伏せ頭を下げていた。この地でそこまでの振るまいはしないが、目上には最大限の礼儀を払うべきという教えは夜叉の中に根付いている。
「セレナさんも十分変わっていると思いますよ」
「私はまともだ」
セレナは口をとがらせて不服そうに言った。
「まともだけど、普通じゃないとは思います。姫様って普通、庶民とまじって暮らしたりないでしょう」
「あいつらがおかしいだけだ。あんなどろどろしたところにいられるか! 毒見役がいないと飯もまともに食えないんだぞ。他人を蹴落とすことしか考えないクズと関わっていられるか」
セレナは吐き捨てるように言った。よほど嫌な目にあったのか、口に出すことすら嫌そうだ。
腐っているのは軍だけかと思ったら、そうでもないようだ。夜叉の目には、セレナはまともに見えた。だがまともな人が一人いただけで、大差はないだろう。
夜叉はこの国の未来を思い、仮面の下で憂いた。
「その話は学生の時に何度も聞きました。私が言い出したことですが、今日はやめましょう。気分が重くなります。申し訳ありません」
「いや、賛成だ。こんな世の中だ、話ぐらいは明るいほうがいい。それに……暗い話が待っているんだろう」
セレナはエイミーの目を見て言った。夜叉の目から見ても、エイミーはとても真剣な目をしていた。世間話をしに来たようには見えない。
「良い話と悪い話があります」
「良い話から頼む」
「名字が変わってエイミー・カールトンになりました。とは言っても、結婚したわけではないんですけどね」
「なんだ? まだ結婚してなかったのか? エイミーになら、言い寄ってくる男の一人は二人ぐらいはいるだろう」
「結婚なんて考える余裕がないです」
エイミーの表情から辛さは感じられない。言葉の割に悲観もない。目には光がある。相変わらず戦死する新兵のような目ではあるが。
「なに、恋とか愛というものはどんな状況でも生まれえるものだ。戦場に行った男女が恋人になって帰ってきたなんて話も珍しくない」
「そういうカップルは、すぐに別れるって聞きますけどね」
「なるほど。恋をする気がないんだな。今は確かに大変な時期だが、若いうちに恋の一つや二つしておくべきだぞ」
「その言葉、そっくりそのまま返します」
セレナの事を良く知らない夜叉の目から見ても、恋にうつつを抜かしているようには見えない。
エイミーのほうがはるかに恋愛してそうだ、
「結婚でないならば、養子か」
「いろいろあって遠縁の人に拾ってもらいました」
「良かったじゃあないか。今度は幸せな家庭を築けるよう、祈っているよ」
「ありがとうございます」
「次は悪い話か。どうせこっちが本命なんだろう」
セレナはため息を漏らした。
夜叉は気を引き締めた。ここまでは世間話。ここからは交渉だ。
「悪い話というよりは、交渉なんだけどね。どうやら人質を取って無理やり徴兵している部隊がいるみたいなの」
セレナが、そうか、とだけ呟いた。
「人質は中央都市ロドンの刑務所に閉じ込められているわ。助け出すのを、手伝ってほしいの」
セレナが目を伏せ、一秒、二秒。
その時夜叉は見た、セレナの鋭い双眸を。煮えたぎるマグマのような殺意を。
「確かに……そんな屑どもはこの国には不要だな。それで……そこのボディガードは革命軍の一員か? ずいぶんと鍛えてあるようだが」
「いいや、ただの旅人だ」
夜叉は嘘をついた。革命軍の一員だと答えたら、交渉にならないからだ。革命軍も目の前の姫様もこの国を救いたいという気持ちは同じだが、敵同士だ。
「ただの、というには死線をくぐっているように見えるがな。それで、戦力はどうするんだ? 軍を相手に私の私兵は使えんぞ」
「革命軍に話せば進んで協力してくれると思うわ」
革命軍に所属していることを隠すためか、エイミーは遠回しな言い方をした。友人が相手でも、立場の問題から話すわけにはいかないのだろう。
「……気に食わないが、正しい選択だな。正義に飢えた奴らなら飛びつくだろう。具体的には何をしてほしいんだ?」
革命軍の事が嫌いなのか、言い方に棘がある。
夜叉はすぐさまその会話に割り込んだ。
「姫様の権力で、人質を解放してくれるのが一番ありがたい」
「それは無理だ。管轄が違う。私の権力が及ぶ範囲はこの都市だけだ。中央は軍が完全に牛耳っている。賄賂を用意するなら、交渉ぐらいはしてみてもいいがな」
「賄賂は無理です。そんな余裕はありません」
エイミーがきっぱりと断った。そもそも資金的に不可能だが、余裕があってもしないだろう。そういう行為は革命軍にふさわしくない。
夜叉が革命軍と過ごしているのはまだたったの数日だが、それでも財源の苦しさはよくわかった。
「そういうことらしい。まぁもともとこっちは期待してなかったけどな。本命は、」
「ロドンは城郭都市だ。城壁を超えるのを手伝ってほしいと言うんだろう。あそこは中央だけあって主要な施設が集まっている。ゆえに守りもかたい」
みなまで言い切る前に、セレナに言われた。姫様だけあって国の事はよくわかっているようだ。こんな姫様ばかりなら国は良くなるだろうが、こんな姫様ばかりではないから国がこんな有り様なのだろう。
中央都市ロドンの守りは硬いらしく、攻略は難しいそうだ。入ることも出ることも、非常に困難だが、協力者がいれば不可能ではない。
「それに加えて助け出した人質の保護を頼みたい。連れて出るよりは、中でかくまったほうが安全だろう」
「頼みごとが多いな。それらは可能だが、見返りはなんだ? 何もないとは言わないだろう」
「悪徳軍人を倒せるわ」
「それぐらいは自分でできる。革命軍を都市に入れる危険を犯して、軍の不祥事を表沙汰にして、都市内で革命軍の株を挙げて、それで私に何の得があるというんだ?」
エイミーの言ったことに、セレナは答えた。
「軍相手だと私兵は使えないのでしょう? 政治的な手段だと時間がかかります。その間に働かれる悪事を止めれると思えば」
「戦闘でも犠牲者は出る。何事も先を見据えて決断をせねばならない。どちらの方が結果的に犠牲者が減るかが重要だ」
セレナは友人が相手でも譲歩をしないようだった。そういう激しい人なのだろう。人にも自分にも厳しいようだ。
「そのためなら目の前の人は犠牲になってもいいんですか?」
エイミーはその考えに賛同できないようだった。エイミーならば目の前にいる人を助けようとするだろう。それは間違ってはいない。
だがセレナの考えとは相いれないだろう。例えば一人を犠牲にしたら十人が助かる状況だったとして、この姫様は迷わず一人を殺すタイプだ。そしてエイミーはどうにかして十一人を足する方法を探すタイプだ。
「そうだ」
セレナはきっぱりと言い切った。二人の間に緊張が走る。
友人同士でもけんかになる時はなる。むしろ友人同士だから悪化することもある。
エイミーは何かを言いかけたが言葉に詰まり、机をたたいた。
「私は……私は…………救える命は救いたいです」
「私だって同じだ。だが人の上に立つものは、大局を見ねばならぬ」
エイミーの言葉は感情的だが、セレナは冷静に答えていた。だが二人とも熱くなっているようで、このあたりで止めないと本当にケンカになりそうだ。
そう思った瞬間、2本の針が飛来した。一本はエイミーの手元に突き刺さり、もう一本はセレナの眼前に突き刺さった。
二人は――特に目の前に針が突き刺さったセレナは、肝が冷えたことだろう。
「……すまない、熱くなりすぎていた。これは私の護衛の仕業だ。敵意はないから安心してくれ」
セレナはそう言って頭を下げた。壁に刺さった針を引き抜き、懐にしまった。
「私の方こそごめんなさい。セレナさんには立場もあるのに、無茶なことを言ってしまいました」
エイミーもまた頭を下げた。
夜叉はエイミーの手元に突き刺さった針を引き抜いた。細く尖っているが軽い。よほどうまく急所に当てるか、毒を塗らない限り効果は薄いだろう。つまりそれだけこの武器に自信を持っているといえる。急所に確実に当てる自信があるからこのような武器を使うのだろう。
夜叉は針が飛んできた方を見渡したが、そこに相手の姿はない。攻撃されるまで気づかないどころか、攻撃されてもなお相手の姿が見つけられないとは……
夜叉は隠れ潜む陰に、感服した。そして同時におそれた。勝てないかもしれない相手と出会ったのは、はたして何年ぶりだろうか。
「…………分かった。協力してやろう。反乱軍に手を貸すというのは気に食わないが……他でもないエイミーの頼みだ」
「ありがとうございます」
「礼などいい。人質の数を調べておけ。それと人員の選抜だな。大軍は入れさせんぞ」
「ありがとうございます」
エイミーは大きく頭を下げた。礼などいいと言われても、エイミーは頭を下げた。
セレナは手元の飲み物を飲み干して、席を立った。
「早速だが準備をしてくる。今度会う時は、酒でも飲みながらゆったりと話し合おう。そのころには思い出話に花を咲かせる余裕もあるだろう」
「その時は私の店に来てください。おいしい料理とお酒でもてなしますよ」
「そうか、今は給仕をやってるんだったな。楽しみにしておく。それでは、また会おう」
セレナはそう言って去って行った。
セレナを守る影もおそらく、彼女について行っただろう。
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