第8話 再会
羅刹が牢を出てから三日目。羅刹は剣の稽古をしていた。自発的なものではなく、ただ単にセレナに強制されただけだ。セレナの剣は鋭く、まともに切り合っては分が悪い。だがある程度戦えるだけでも貴重なのだろう。羅刹はことあるごとに相手をさせられていた。
羅刹が打ち込んだ木刀を、セレナが横から叩く。木刀はむなしく空を切り、羅刹はその勢いで体勢を崩し、たたらを踏んだ。
そして首元にセレナの木刀が突き付けられた。完膚なきまでの敗北である。
「今日はここまでだ。ずいぶんと腕が上がったじゃないか」
セレナはそういって羅刹を褒めたが、セレナは汗一つかいていない。
羅刹は木刀をセレナに向かって投げ渡した。
「稽古熱心なのはいいが、悠長にしてていいのか? 内戦中なんだろ」
「しばらくの間は反乱軍はせめてこない。雪が降るからだ。吹雪になるたびに戦いは終わる。小競り合いにはなっても、大規模な戦闘はおこらん」
「ここまでクソ寒いと、戦う気にはなれんな」
あちこちで雪下ろしをしている人が見える。雪国の冬は、ただ生きていくだけでも大変だ。
ところで、とセレナが切り出した。
「友人がやってくる」
「駒の新たな表現か? それとも単なる俺の聞き間違いか?」
羅刹は聞き返した。友人とは対等なものだ。羅刹にはセレナがだれかと並んで歩くところを想像できなかった。ましてや楽しく談笑する姿などなおさらだ。
「お前は私を何だと思ってるんだ。友人の一人や二人いるに決まっているだろう」
「年頃の女の友人が、片手で数えられず時点でおかしいがな」
「口を縫い合わせられたくないなら黙ってついてこい」
セレナが前を歩くので、羅刹は言われた通りに後ろをついて行った。強制的に前を歩かせないだけ、以前よりは関係はましになっているように見える。だが武器は奪われたままで、返してもらえてない。
セレナは自室に入ると、私服を取り出し、おもむろに着替え始めた。羅刹がそこにいるにもかかわらずである。
「お前に恥じらうという概念はないのか」
「私は兵士だぞ。なぜ男に見られた程度で恥じらわなければならんのだ」
軍は言うまでもなく男所帯である。男所帯で暮らしているセレナは、見ることも見られることも慣れているのだろう。なにせ基地には女性用の更衣室さえまともに用意されてないのだから。
とはいってもここまで気にしないのは、セレナの元々の性格によるところも大きいだろう。個室があるのだから、男を入れなければいいのだ。
自分から目を離すことを嫌ったのだろうと羅刹は推測したが、それが正しいかどうかは定かではない。
羅刹は一応の礼儀としてセレナから視線を外した。衣擦れの音が耳に入るが、羅刹はそれを無視した。そこまで気にしていたらきりがない。
「兵士である前に女性なんじゃないのか」
「女性である前に兵士だ」
「くだらん言葉遊びだな」
「仕掛けてきたのはお前だろうが。こっちを向け、終わったぞ」
セレナの着替えは、男性のそれと同じぐらい一瞬だった。本当にただ着替えただけだ。そして服自体は女性らしいが、見るからに安物の庶民の着る服だった。青いワンピースの上に上着を重ね着しただけの格好で、上流階級が着る服のような長い裾はない。庶民に変装したつもりなのか、それとも単に動きにくい服装を嫌ったのか。羅刹には後者のように思えた。
だがその服装にもかかわらず、セレナには凛とした美しさがあった。何重にも重ね着しているにもかかわらず、大きな胸が自己主張をしている。社交場にでも繰り出せば、何人もの男が声をかけてくることだろう。
「変装のつもりならやめておけ。軍人にしか見えんぞ」
だが燃えるような赤毛と、さらに燃え盛る目つきが、庶民らしさを消し去っていた。使命に燃えるその目は、ただその日を生きるだけの庶民では持ちえないものだ。
「軍人らしい軍人など、この国では絶滅危惧種なのでな。多少軍人に見えても問題はない」
セレナは部屋を出て、外へ向かって歩きだした。
基地を出て、足は住宅街の方へ向かう。庶民の住む町だ。
大通りでは市が立っているが、そこに並ぶ商品は質素な者ばかりだ。芋や干物などの保存食が多く、パンも黒パンばかりが並んでいる。嗜好品の類はほとんど見当たらない。
物流が止まっているのだろう。革命の火が迫る前に、この国は緩やかに滅んで行っている。
また乞食も目に映る。彼らは施しを求める紙を手に持ち、目の前にお金を入れる箱を置いている。だがその箱はいっこうに埋まる気配がない。
「こんなところで誰と会うんだ」
「気持ちは分かるが、こんなところなどというな。……今日会う相手は軍学校時代の友人で、エイミー・ベアードという。姓に関しては変わってなければだがな。なにせ、会うのは二年ぶりだ」
「なるほど、軍人か」
「いや、やめたと聞いた。真面目で、努力家で、いい奴だったんだがな。それだけに今の軍の在り方に耐えられなかったのだろう。今はどこかの酒場で、給仕などをしているらしい。……才能の持ち腐れだが、その方がいいだろう」
「…………ふぅん」
羅刹は気のなさそうな返事を返した。
仕事が生きがいのようなセレナがわざわざ会いに行くのだから、どんなやつかと思ったが、本当にただの友人のようだ。
鉄の女にも休息は必要らしい。
歩いていると、大通りの中央に出た。ここはまだ人が多く、屋台にも少しは活気がある。
「待ち合わせ場所はこのあたりだ。羅刹は適当なところに隠れておけ」
「なんだ? 見られたくないのか?」
「説明が面倒だ。その鬼面を外すのなら、友人として紹介してやってもいい」
「その提案は嬉しくて涙がでそうだが、あいにくとこの仮面ははずせないんでな。おとなしく隠れさせてもらうよ」
言うが早いか羅刹の姿はその場から消えた。次の瞬間には気配さえもない。だがおそらく近くにはいるのだろう。
忍ぶことに関しては、羅刹は天才だ。真っ赤な鬼の仮面をかぶっているのにもかかわらず、見事に群衆に紛れることができる。気配の消し方が完璧だからだ。
セレナは近くの屋台で飲み物を買うと、二人掛けのテーブルへ座った。暖かい物でももみながら、友人のエイミーを待っているのだろう。
椅子に座って十分、肩に雪が積もり始めたころ、ようやく待ち人がやってきた。
「こんにちは。お久しぶりです、姫様」
「姫様と呼ぶなとあれほどいっただろう、エイミー?」
声をしたほうには、そこにはセレナと同じように庶民の服を着た女性が立っていた。幼さが残る顔立ちは、二年前とさほど変わっておらず、セレナには彼女がエイミーだと一目でわかった。
だが優しいエイミーらしい、優し気な目は失われており、まるで戦場へ赴く兵士のような目つきだった。
だがそのこと以上にセレナを驚かせたのは、エイミーの隣に立つ男だ。
「王位継承権一三番目でも、姫様は姫様ですよ」
「とうに捨てた身分だ。それよりも、その男はエイミーの友人か?」
「ええ、最近知り合ったんです。今日はボディーガードとしてついて来てもらいました」
エイミーの横に立つ青年は、全身が鍛えられていて、間違いなく強いことは一目でわかった。各所にある傷跡は、彼の戦士としての戦歴を物語っている。ボディーガードとしては優秀だろう。
「驚いたよ。最近、似たような仮面をつけた奴と過ごしているのでな」
彼は真っ青な鬼の面をつけていた。
羅刹と同じ、鬼の面を。
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