第7話 夜叉とエイミー
夜叉は酒場の二階で拳法の修行をしていた。酒場の二階は宿屋で、夜叉は空き部屋の一つを借りていた。
夜叉は拳法の型を一つずつ、流れるような動作で行っている。まるで舞踏のようなその動きは、戦いのための技だと言うのに美しい。
夜叉は訓練を欠かしたことはない。継続こそが力だと知っているからだ。
訓練の最中は、雑念が入らぬようにしている。だからエイミーが入ってきても、夜叉は気にせずに動き続けた。心のありかたで、修行の成果は大きく変わる。
線と円と螺旋、様々な動きが入り混じる。その動きが美しいのは無駄がないからだ。完成された動きだから美しいのだ。
「……すごい」
エイミーは夜叉から目を離せなくなった。動きのきれいさもそうだが、にじみ出る強さがエイミーを引き付けていた。
夜叉は最後にハイキックを繰り出し、その姿勢のまま静止した。そしてゆっくりと構えを解いた。床に汗がぽたりと落ちる。
「ありがとう。戦うための技をきれいって言われるのは、ちょっと複雑だけどな」
「磨かれた剣だってきれいじゃないですか。とっっっても見事でしたよ」
夜叉はタオルを手に取って汗を拭いた。そしてコップに水を注いで飲む。すると夜叉の精神は戦闘時のそれから、平時のそれに移行した。緊張を解いて、弛緩させたのだ。
戦うのに言葉はいらず、会話に武力は必要ない。夜叉はスイッチのオンオフのように一瞬で、状態を切り替えることができた。ただし警戒のアンテナだけはすでに立たせた状態であり、休憩中だろうが、睡眠時だろうが、夜叉は敵の存在に敏感だ。
「それで、何の用だ? 世間話をしに来たわけではないんだろう」
「…………はい。夜叉さんにお願いがあってきました」
「なんだ? たいていの事なら聞くぞ」
エイミーは夜叉を見上げた。身長差があるので、真っ直ぐに顔を見つめると、どうしても見上げる形になる。
エイミーは瞬きを一つ。そして言った。
「私に、戦い方を教えてください」
目に光がある。エイミーの目を見て夜叉は感じた。
真っ直ぐな目。まるで新兵だ。祖国のために突っ走って、犬死する新兵の目だ。
「だめだ。命を大切にしないやつには教えられない」
エイミーに強い愛国心があることを夜叉は知っていた。国民のために、命を張る姿をつい先日見たばかりだ。
夜叉の技は、敵と肉薄してこそ活きる。自ずと、危険地帯に自ら踏み込む戦い方となる。
だから夜叉は自分の戦い方を教えるわけにはいかなかった。銃で後方支援をしていたほうが、はるかに安全だからだ。
「お願いします。私は戦わなければ……いや、勝たなければいけないんです。夜叉さんのような強さが、少しでも欲しいんです」
「一朝一夕で強さは得られない。それに戦争の勝敗に個人の強さはそれほど影響しない。君は後方から銃で支援をした方がいい。それか衛生兵になるべきだ。エイミーの治療は的確で、手際が良かった」
エイミーには衛生兵の素質があるように思えた。けがの種類に合わせた応急処置ができるし、判断が正確で速いからだ。
それになにより、衛生兵ならば攻撃される可能性は格段に減る。エイミーのような女性が、戦場で人を助けたいならば、衛生兵が最も適している。
「自分が……向いてないって事は、分かっています。でも私は戦わなければならないんです」
「銃でも戦える」
「もっと活躍したいんです。夜叉さんのように……もっと」
「ダメだ」
夜叉はただ単純にエイミーに死んで欲しくなかった。死とは悲しいものだと、夜叉はよく知っている。兄を失った時と同じ悲しみを、もう二度と味わいたくなかった。
ドアが音を立てて開き、真っ黒な服に荷を包んだ男が入ってきた。身長は百八十以上はある。だが細身で、鍛えているようには見えない。夜叉なら瞬きほどの間で倒せるだろう。
その男はどう見ても、酒場の店員ではなかった。
「俺からもお願いするぜ。放っておいたらそいつ、犬死するからさ」
男に敵意はない。武器の類も所持していないようだ。
「さっきからドアの後ろで何をやっているかと思えば、ただの盗み聞きか」
「エイミーお嬢ちゃんがこんな夜中に男と二人っきり。気になるじゃないか。残念ながら、色っぽい話になりそうになかったんでね、こうして出てきたわけだ」
「だれだお前は?」
「見ての通り、怪しい奴さ。鬼面の兄ちゃん」
男は胸元から煙草を取り出し、火をつけた。宿屋にたばこのにおいが染み付くことなど、かけらも気にしてないようだ。
だが夜叉にはそれが一種のポーズであるように思えた。怪しげな服装やたばこ、そして言動。それらによって、自分が裏稼業の人間であることをアピールしているのだ。
「……売人か? 武器ならかわんぞ、麻薬もだ」
裏だけに住む人間は、裏の住民であることをアピールする必要がない。つまり彼は表と接する必要がある仕事をしている。
まず思い浮かぶのはマフィアだ。彼らは威圧するために、わざとと分かりやすい服装をする。だが目の前の男は怪しげだが、恐ろしげなところがなく、マフィアには見えない。
次に思い浮かぶのは商人だ。商人は表の人間とも取引をすることがある。
「惜しいね。商人ではあるが、武器も麻薬も扱っちゃいない。欲しいのならいくらでも仕入れてやるがね」
男は煙をおいしそうに吸い込んで、吐き出す。煙でわっかを形作り、遊んでいる。夜叉はたばこの煙を不快に思ったが、口には出さなかった。
「彼はオニクス。父の友人で、情報屋です」
「嬢ちゃん、答えを言うんじゃないよ、答えを。情報屋っぽくみえるように、こんな服まで買ったんだぜ」
「いい年なんですから、無駄使いは控えてください。それと嬢ちゃんはやめてくださいっていつも言っているでしょう」
会話を聞くと、二人の距離が近いことがよくわかる。昔からの知り合いなのだろう。父の友人なら、物心ついたばかりの頃からの付き合いでもおかしくはない。
「情報屋が何の用だ?」
「お願いが一つ、商品を売りに来たのが一つ。お願いの方はさっき言った通り、嬢ちゃんに戦い方を教えてほしいんだ。勇敢と無謀の違いがわからねぇガキなもんで、少しでも戦えるようにしてやりたい」
嬢ちゃんじゃありません、もう十八歳ですとエイミーが言っているが、オニクスはそれを無視した。
夜叉はため息を一つ。
「俺の技は、自殺に使うためのもんじゃないんだかな」
「別に格闘技を教えろって言ってるわけじゃない。生き残るすべを教えてくれればそれでいいんだ。止めても突っ込むんだったら、戦い方を知っていたほうがましだろ」
夜叉は顎に手を当てて、しばし考えた。護身術の心得はある。だがそれらは接近されたときに使うものだ。護身術を使うために、敵に接近するようでは本末転倒だ。後ろに下がってマスケットに弾を込めなおしたほうが、はるかに安全だからだ。
だがエイミーの戦い方を見るに、彼女は銃を持っていても前に出るだろう。守るべき国民のためならば、自分の命を顧みないということは、先の戦いでよくわかった。
「…………分かった。だが俺の技は筋肉のある男が使う技だ。代わりに銃剣術を教えよう。実践的で、役に立つ」
夜叉は人を殺さぬために格闘技を極めたが、剣術や槍術の類にも心得があった。兄との殺し合いに用いた技を人に伝えることに抵抗はあったが、この優しい少女ならばうまく使うだろう。
生き残るために技を使うのなら、教えがいもある。
「あ、ありがとうございます」
エイミーは大きく頭を下げた。
夜叉はその頭にポンと手を置いた。
「俺の稽古はきついぞ」
「はい」
力強い返事に、夜叉は顔をほころばせた。顔の半分を覆う面をつけていても、笑顔なのは口元の動きで分かる。
夜叉は十五になるまでの頃を思い出した。檻の中での生活は窮屈だったが、剣術の師匠は優しかった。
「命を無駄にするようなことをするなよ。二度と稽古しないからな」
「……善処します」
夜叉は稽古の内容を考えた。まずは身の守り方、それから位置取りか。
――危険な技は教えない方がよさそうだな。
「俺からも礼を言うぜ。ちゃんと生き残れるように、鍛えてやってくれ」
「分かっている。俺だってエイミーには死んで欲しくない」
エイミーに助けてもらった借りがあった。そして借りなどなくとも。エイミーのような人には生きてほしいと思っていた。
「任せたぜ。嬢ちゃんを頼む」
「だから嬢ちゃんはやめてくださいって言ってるでしょ」
「男の部屋に二人っきりで、あんな硬い話しかできないようじゃ、いつまでたっても嬢ちゃんさ。孫の顔を見るのは当分先になりそうだ」
オニクスの言葉を聞いて、夜叉はエイミーと並んで街を歩く姿を想像した。仲良く手をつなぎ、買い物をする姿。
似合わないな、と夜叉は自嘲気味に笑った。
「な、何を言ってるんですかあなたは! それに私はあなたの娘じゃありません」
夜叉が苦笑する横で、エイミーは恥ずかしさからか、大きな声で怒鳴っている。
「似たようなものだろ。嬢ちゃんがいつまでおねしょをしていたか、言ってやろうか」
「人前でそんな話をしないでください!」
エイミーはベッドの上のまくらを、オニクスに投げつけた。オニクスはそれをキャッチし、ベッドに投げ込んだ。
柔らかいものを選んで投げるあたり、エイミーにも余裕はありそうだが、このままでは話が進まない。
「もう一つの目的を聞かせてくれ。商品の話だ」
オニクスはベッドに腰かけ、長く煙を吐いた。
それまでの彼には軽薄な笑みが浮かんでいたが、今のオニクスにそれはなかった。
「人質の居場所が分かった」
夜叉はその言葉の意味が分からなかった。人質など取られた覚えがない。
「なんの話だ?」
「ああ、そこからか」
オニクスは億劫そうだ。
「ええと、だな。先ほどの戦闘で襲ってきた兵隊たち、どうも弱くなかったか」
夜叉は先の戦闘を思い浮かべた。言われてみれば確かに弱かったと、夜叉は気が付いた。まるで初めて戦場に出たかのように、戦うことに慣れていなかった。
「狙いが悪かったな。それに、弾の再装填が遅かった。近づかれると焦り、すぐに陣形が崩れる。新兵だったんじゃないか?」
「半分正解だ。やつらは戦いのために徴兵された兵隊だった。敵兵の約半数が徴兵であつめられた新兵だったらしい。残りの半分、指揮官やら後詰の兵は常備軍だ。民家に大砲を打ち込んだり、略奪行為を繰り返していたやつらだな」
夜叉はエイミーに聞いた。この国に徴兵制度があるのかと。
エイミーは静かに首を横に振った。その口は真一文字に閉じられていた。
人質の意味が分かったからだ。
「人質をとって……戦わせていたのか」
「ああそうだ。あんたらは腐敗した軍隊じゃなく、守るべき国民と戦っていたんだ。そしておそらくこれからも、あんたらは国民と戦わされるんだ。戦いたくないと、死にたくないと思いながら、それでも向かってくる国民と戦えるかい?」
夜叉は戦える。夜叉はずっと理不尽と戦ってきた。もう慣れている。それに夜叉には相手を殺さずに倒すすべがある。
だがエイミーは戦えないだろう。エイミーは優しすぎるし、まともすぎる。諦めることも、見て見ぬふりをすることもできないだろう。
現に今、エイミーの目には涙が浮かんでいる。口を真一文字に結び、険しい顔をしているが、涙は隠せていない。殺した相手の顔が思い浮かぶのだろう。それは払っても払っても現れるものだ。時間以外の何物も解決することはできない。
「商売上手だな。いくらだ? それとも金以外の何かか?」
状況を変えなければならない。人質を取ると言う方法は効果的だが、恨みは溜まる。人質さえ解放できれば、状況は一気に変わるはずだ。
この国は国民の恨みを軽視しすぎている。どれだけ多くの国が、反乱によって滅びてきたか知らないのだ。
「五百ドル、と言いたいところだが、実はこの情報は鬼面の兄ちゃんのおかげでな。兄ちゃんが敵を大量に生け捕りにしてくれたおかげで手に入った情報なんだ。だから負けに負けて三十ドル、新兵の平均月収程度でいこうじゃないか」
「……俺を雇いたいということか」
「そうだ。あんたを嬢ちゃんのボディガードとして雇いたい。良い話だろ」
話が良すぎる。だが罠だとは思えなかった。
「情報屋には向いてなんじゃないか?」
「どうやってこの情報を手に入れたと思う?」
口を割らせる手段は多くはない。脅したか、それとももっとひどい方法かだ。
「なるほど。さっきの発言は取り消す。向いてないんじゃなくて、毒されたのか?」
二人は同時にエイミーをちらりと見た。
エイミーのようなまともな人間を見ていると、悪事を働く自分がちっぽけに思えるのだ。オニクスは彼女の前では悪事を働けないのだろう。
「その話、受けよう。力を尽くして守る」
「任せたぜ」
オニクスは一枚の紙を取り出して、机の上に広げた。
地図の上部には大きなバツ印が書かれている。そこが人質のいるところなのだろう。
「中央区の北端にある刑務所だ。ここに人質がいる。刑務所とは言ってもそれなりに兵はいる。見張りも多い。捕まった友人やら家族やらを、助けに来るやつがそれなりにいるから、守りを強化しているんだ。さらにその上、人質奪還に備えて兵力を増やしているはずだ。そう簡単には攻め落とせないぞ」
オニクスの指が印の周りをぐるっと回る。刑務所を囲むように、地図に何かが描かれている。おそらく脱出防止用の塀だろう。
夜叉なら塀ぐらい乗り越えられるが、人質達は厳しいだろう。人質には女子供もいるだろう。
「相手の兵力はどの程度だ?」
「百以下だな。人員を増やしたといっても刑務所は刑務所。そこまでの兵力はない。二個中隊あれば楽に落とせるだろう」
「なら早く人を集めて行きましょう。早く助けないと、人質がどんな目にあっているか」
「どうやってだい、嬢ちゃん? それを考えずに行ったのなら、いつまでも嬢ちゃんだぜ」
オニクスと夜叉は冷静だった。刑務所は当然ながら革命軍の支配地域の外にある。そこまで敵地の中を行軍しなければならない。見つからずに進めるわけがない。
大軍でなければ潜入の芽はあるが、今度は兵力差で勝てない。
「おとりを出したらどうだ?」
答えられないエイミーの代わりに夜叉が言った、
「帰りがどうしようもないな。帰りは荷物が増えるんだ、せっかく助けた人質が危険にさらされるぞ」
「強行突破は?」
「それもきついな。めんどくさい奴らがいる」
オニクスの指が道に沿って地図をなぞる。反乱軍の支配地域から、刑務所に向かうその道筋に砦が一つ描かれていた。
「アグロス砦……国軍の第三連隊……結局、またあいつらね」
エイミーは険しい顔で言った。
「因縁の相手なのか?」
「この国唯一のまともな軍隊さ。盗賊まがいの奴らと違って、軍隊としてしゃんとしている。当然だが強敵だ。こいつらがいなければ革命軍はとっくに首都まで攻め込んで、王様を玉座から引きずりおろしていただろうさ。兄ちゃんの言う通り、因縁の相手だよ」
「ふ~ん、まともな軍人も残っているんだな」
「だからこそ理解できません。人間は弱いですから、快楽に負けるのは分かります。でも彼らはき真面目で、訓練も欠かさずしていて、そして民を大事にしてます。なのになぜこの国の味方をするのか、私には理解できません」
「軍人ってのはそういう人種だろう。軍人は政治に口を出すべきじゃないと考える軍人は、意外と多いのさ。鬼面の兄ちゃんなら分かるだろ」
「理解はできるが、さすがにここまでひどいと俺でも見限るよ。拳をふるうなら、俺は人のためにふるいたい」
様々な国を見てきた夜叉は軍人というものを知っている。彼らの考えは理解できる。だが相いれない部分も多い。
そもそも夜叉は国を捨ててきた旅人なのだ。国のために命を懸ける軍人を理解できるが、共感はできない。
「この国を守っていても未来はない、そのことは彼らも分かっているはずなのに…………彼らさえいなければ、救えた人はたくさんいたんです。悪い人じゃないって事は分かってます。だけど、だけど許せません」
きっと善人だから、同じ道を歩めたかもしれない相手だからこそ許せないのだろう。なぜ仲間になってくれないのか、そんなどこか理不尽な怒り。エイミーもその怒りが理不尽なものだとわかっているからか、それ以上は言わなかった。許せない、ただその一言だけに押しとどめた。
「ま、つまり強敵がいるって事だ。真面目だから賄賂は受け取らない、勉強家だからおとりは見破る、強いから突撃しても返り討ち。さぁどうする?」
夜叉は第三連隊の強さを知らない。だから夜叉は彼らを避ける方向へ思考を働かせた。舐めてかかるよりは過大評価のほうがいいと思ったからだ。
地図を見ながら砦を避けた場合の最短ルートを考える。
高低差、街道、山脈、地図を見るだけでも分かることは多い。だが遠回りをする余裕があるのかどうかが問題だ。
夜叉が頭をひねっていると、エイミーがおもむろに切り出した。
「私に……考えがあります」
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