第5話 仮面の理由

 酒場の外では人々が慌てた様子で、必死で走っていた。

 女子供は南へ、武器を持った大人は北へ、それぞれ走っていく。

 夜叉は真っ直ぐに北へ向かった。そこに火の手が上がっていたからだ。もうもうと立ち上がる煙は、遠くからでもはっきりと見えた。

 旅人である夜叉に、戦う理由はない。だがエイミーの事が気にかかった。一度助けて、食べ物を恵んでもらっただけ。ただそれだけだが、エイミーはもう無関係な他人ではない。 


 走っている最中に、先ほど聞こえた爆発音が、断続的に響いてきた。大砲の音だろう。

 夜叉はその様子に憤りを感じていた。革命軍とはいえ、そこにいるのは自国民だ。なのに火を放つ。夜叉は敵の非道な行いに怒りを覚えた。


「火を放つとは容赦がないな。それにこの爆発音……まさか民家に大砲を打ち込んだのか?」


 狙ったのは多分バリゲートか何かだろう。だがこの様子だと、民家にも当たっているのは間違いない。火の手がいくつも上がっている。

 夜叉の右手に入る力が強くなる。

 腐った国を前にすると、故郷を思い出すのだ。


「……あれか」


 走り続ける二人の前方に、銃を構えた集団が現れた。同じ服と同じ銃、そして同じマークを胸に付けた集団。その見た目がなければ夜叉は彼らが軍隊だとは信じれなかっただろう。


 彼らはバリケードを乗り越え、革命軍と銃撃戦をしている。一部では敵味方が入り混じって、銃剣で切り合いになっている。それはいい。戦争だから殺し合うのは当たり前だ。だが彼らは逃げ惑う人にも銃を向けていた。銃弾で、背中を、打ち抜いていた。

 そして一部では野盗と化して、壊れた民家から金目の物を盗んでいた。

 ここからは見えないが、誘拐や強姦もおこっているのだろう。


「あれが……軍なのか?」


 羅刹は信じられないものを見たように、驚いていた。

 軍がきれいなものではない事は知っている。力を持つものが横暴になるのはよくあることで、略奪などは日常茶飯事だ。

 だが守るべき自国民相手でそれをするとは思わなかった。


「逃げてくださいと……言ったのに」


 隣を見るとエイミーがいた。いつの間にか追いついていたようだ。


「女性を置いて逃げるのはちょっとね。あいつらが敵で、いいんだよな」


 エイミーは一瞬の逡巡の後、敵の方を向いたまま答えた。

「はい……そうです。王冠とそれを守る剣と盾が、国軍のシンボルです」


「王と貴族を守るための軍ってことか、腐るわけだ。平民は守るべき民に入ってないんだな」


 夜叉はためらわず混戦となっている地帯へ踏み込んだ。

 拳ひとつで、軍隊の前に立ちふさがった。蛮行を見逃すわけにはいかなかった。

 守れなかったものがあった。失う悲しみを知っていた。だから目の前の奴らが許せなかった。

 握りしめた拳が、奴らを殴らせろと叫んでいる。


「ちょっと、武器も持たずにどうする気ですか!」

「いいんだよこれで。正直言って腹が立っているんだ。武器なんて使ったら殺しちまう」


 夜叉は目の前の兵士の顎を、右の拳で打ち抜いた。

 糸が切れた人形のように倒れる兵士。そして次の瞬間には、夜叉は別の兵士に掌底を繰り出していた。

 乱戦のさなか敵と味方を瞬時に見分け、鍛え上げられた五体で敵を倒していく。決して致命傷は与えずに、一撃で戦闘不能に陥らせていく。


 背後から襲ってくる銃剣を躱し、振り向きざまにみぞおちに膝を叩きこむ。倒れる兵士を盾にして、射線からのがれ、一歩で距離を詰め拳を叩きこむ。

 その動きはまさに達人としか言い表しようがない。それはすでに人体の限界に近い動きだ。


「…………すごい」

「これしか能がないもんでな。何か一つに打ち込めば、天才でなくともこれぐらいはできるのさ」


 夜叉は姿勢を低くし、体を半回転させながら、全身のばねを使って強烈な体当たりをかました。話しながらでも、その動きのキレは変わらない。

 気が付けば夜叉のいる地点だけが、敵兵のいない空白地帯となっていた。周囲の国軍兵士はすべてなぎ倒され、地面に横たわっている。

 文字通り桁が違う。まるで強さまでが鬼のよう。


「……こんなものか。これ以上前に出ると、退路がなくなる」

 身を守るためそれ以上前へ出ることをやめようとした夜叉。だが夜叉の目に逃げ遅れた親子が映った。


 足を撃ち抜かれてうずくまる母親と、抱き付いて泣き叫ぶ娘。

 頭で考えるより先に体が動いていた。戦場を駆け抜けて親子のもとへ向かう。敵兵が少ない部分を探し、強引に突破する。持ち前の武術で敵兵をなぎ倒し、ひたすら前へ前へ。


 弾丸が皮膚をかすめる。だがためらうことなく真っ直ぐと走り続ける。直撃さえしなければ、問題はない。

 だがそうして駆けつけても間に合うかどうか。夜叉は一騎当千の活躍をしたが、それゆえに前に出過ぎていた。夜叉の周りは敵兵ばかり。強引に突破するにも限界がある。


 諦めかけた時、傷ついた親子の前に、エイミーが現れた。夜叉以上に無茶をしたのか、傷だらけで血がにじんでいる。

 エイミーは親子の前に立ち、敵軍の前に立ちふさがった。敵兵は多く、夜叉のような実力者でないと止められないのは明らかだ。だがそれでもエイミーはそこに立ちふさがった。


 襲い来る銃弾。エイミーは避けない。エイミーの後ろには傷ついた親子がいた。

 幸いにも銃弾は一発も直撃しなかった。マスケットの銃弾は曲がりやすい。

 だが次撃たれれば間違いなくあたるだろう。敵兵との距離が狭まれば、いくらマスケットでもはずれない。


 エイミーはマスケットで必死に打ち返すが、効果は薄い。一人や二人倒しても、止まるような数ではない。


「エイミー!」

 だがエイミーが稼いだ時間は無駄ではなかった。夜叉が駆けつけ、今一度敵の中心へ飛び込んだ。同士討ちを恐れたのか、敵は引き金を引けない。夜叉は敵が剣に持ち替える前に、拳をふるった。


「申し訳ありません、任せます!」

「任された!」


 夜叉は拳をふるい、周囲の敵をなぎ倒していく。誰一人としてそこを通さぬように。

 エイミーは痛むであろう体を動かして、親子の方へ向かった。肩を貸して、少しでも安全なところへ逃げる。そしてすばやく血止めをした。装備が足りないのか、できたことはそこまでだった。

 あとは衛生兵に任せるしかない。

 エイミーは自分の傷にも応急処置を施し、再び戦場へ走って行った。

 




 長い長い戦いだった。実際にはそれほどではないが、戦場にいた人たちにとってそれはとてつもなく長い戦いだった。国軍は引上げ、革命軍の勝利に終わった。

戦いの後、夜叉は民家で治療を受けていた。無事な人たちは消火作業にあたっている。

 夜叉も消火作業に参加するつもりであったが、周りの人に押しとどめられた。夜叉の傷も深かったからだ。


 夜叉の横ではエイミーが医療活動をしている。エイミーのほうが傷が深いのに、応急処置を施しただけの体で治療を続けている。


「どうしてあんな無茶をした?」

 夜叉の目は据わっている。怒りが渦を巻いて、この場を支配している。

「無茶をしなければ、あの親子は助らませんでした」

「俺がいなければ三人一緒に死んでいた。蛮勇は自殺と変わらない。俺はな、命を大事にしないやつが、一番むかつくんだ」


 夜叉は握った拳で、地面を殴った。そうしなければエイミーを殴ってしまいそうだった。

 エイミーが怪我人でなければ、胸倉でもつかんで怒鳴っていただろう。


「…………傷を見せてください。手当をしますから」

 夜叉まだしっかりとした手当てを受けていなかった。もう血は止まっているようだが、服は真っ赤だった。そして今、新たな傷が拳にできたばかりだ。

 エイミーは夜叉の服を脱がせ、傷を見た。


「…………こんな傷で戦っていたんですね」

「エイミーよりはましだ」


 誰が見ても重症なのはエイミーの方だった。より前線に出ていたのは夜叉の方だったが、傷はエイミーのほうが深い。

 夜叉には圧倒的な武術の技があったが、エイミーにはそれがない。一般人よりは少し強いだけの、ただの女性だ。


 今回の戦闘はただの小競り合いだから助かった。だがもしも大軍同士の衝突なら命がなかっただろう。

 傷は深く、戦いが長引いていたら危険だった。


「あなたは旅人で、私はこの国の民です。私にはこの戦いに勝つ義務があります。国を救うために、私は戦わなければならないんです」


 義務感。それは夜叉にはないものだ。だが必要だとは思わなかった。

 夜叉は至ってシンプルな理由で戦っていた。ムカつくから殴る、助けたいから庇う、それだけだ。

 エイミーは夜叉の背中の傷に包帯を巻きはじめた。エイミーの傷はすでに処置が終わっている。


「まずは自分を大切にしろ」

「分かってます。でも国のためには戦わなければならないんです。守りたいんです」

「分かってないだろう。死ねばなにも守れないぞ」

「それは…………分かってます」


 エイミーは話しながらもてきぱきと作業をこなしていく。銃をもって前線に出て戦うより、救護班に加わったほうがよさそうなぐらいだ。

「エイミーはもう少し自分を大切にした方がいい。他人を守るための、自分がなくなったら話にならないだろ。もっと言えば、衛生兵になったほうがいい。武器の扱いより、けがの処置のほうがうまい」


「そう……ですね。分かっています。……私が弱いことも。……でも…………」

 エイミーはその幼い顔を曇らせた。そして何か言いたげに、夜叉をみた。だが真っ直ぐとみることはなく、目線を少しそらしていた。

 何か言いたいけど言えない。夜叉にはそんな表情に見えた。


「…………………………顔のほうは大丈夫ですか? 怪我はないですか?」

 エイミーは仮面を見て言った。夜叉がそこに手を当てると、少しだけ血が流れていた。

仮面の下が気になるのは嘘ではないだろう。だがそれは言いたかった言葉ではないはずだ。

 血を見るに、大きなけがはない。しかし小さな怪我でも消毒は必要だ。


「大丈夫だ。軽いけがなら自分で処置できる」

「見せたく、ないんですね」

「ああ、人前では仮面は取らない」


 夜叉は右手で仮面を抑えた。その仕草はまるで素顔を押さえつけるかのよう。仮面と手で二重に顔を隠しているようにも見える。


「夜叉さんはどうして鬼の仮面なんて選んだんですか? 顔を隠すだけなら他の方法もあると思うのですが」

「気になるのか?」

「夜叉さんは優しいですから、鬼の面は似合わない気がしまして」


 夜叉は少し考えた。黙って、考えて、決めた。

「……そうだな、誰にも話さないと約束するなら話すよ。なんで鬼の仮面をつけているのか、知りたいんだな?」

「はい、知りたいです」





 エイミーは夜叉に聞いた

「どうして夜叉さんは、鬼の仮面なんてつけているんですか」

 夜叉は答えた。

「俺が兄さんを殺したからだ」




 セレナは羅刹に聞いた

「どうしてお前は鬼の仮面なんて被っているんだ?」

 羅刹は答えた。

「俺が弟を殺したからだ」

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